昔、ドキュメンタリー作家の森達也さんに会ったことがある(この肩書きが正しいかはともかく)。
最近、彼の昔の映像作品を見て思い出してしまった。
本当に残念ながら、当時の僕は、全然彼の作品を見たこともなかったし(本を少し読んだくらいで)、彼と会話するのに必要な知識も、態度も何もかも備わっていなかった。
しかし成り行きに任せて少しだけ彼と話をしてしまった。話の途中で僕は彼に鋭く切り返されて思わずひるんだ。
僕はすぐに白旗をあげてしまった。
僕がそこで学んだことは「何を言っても構わない。でも、ちゃんと考えて言うこと」。
彼は怒っていたのではない。
いや少し怒っていたかもしれない。
でも、彼が怒っていたかどうかなんてどうだっていいのである。自分の発言に信念や考えがあれば。
彼の切り返しは、あとで知ったのだけれど、ドキュメンタリーのなかでしばしば見られる彼独特の姿勢であった。
おかしいと思ったことを腹を据えて追及する。彼の作品を支える姿勢のひとつだ。
彼の作品の面白さは、他にもたくさんある。
例えば簡単に答えを出さない点だ(もちろんシンプルなメッセージのものもあるが)。
間違っているとか、正解だとか彼は言わない。ただ彼が納得するまで追求し、納得できなくても、そのまま。ごまかさない。
だから面白い。だから引き込まれる。読者や視聴者は彼の思考の世界にそのまま連れて行かれるのだ。
社会科学の論文もそうありたいと僕は思う。
数年前に森さんと話をほんの少ししたとき、僕はうっすら気がついたのだ。
僕は本当に未熟な人間である、と。
僕はまだ未熟だ。子供だ。
今、彼と会っても、僕はそう思うだろう。
どうしたらいいのか分からないけれど、でも焦らないこと。
無理をして何になるのか?
自分のペースでゆっくり見聞きし、感じ、社会が何なのか見つめ考え続けるしかない。
そのために社会科学をやっているのだから。
最近、彼の昔の映像作品を見て思い出してしまった。
本当に残念ながら、当時の僕は、全然彼の作品を見たこともなかったし(本を少し読んだくらいで)、彼と会話するのに必要な知識も、態度も何もかも備わっていなかった。
しかし成り行きに任せて少しだけ彼と話をしてしまった。話の途中で僕は彼に鋭く切り返されて思わずひるんだ。
僕はすぐに白旗をあげてしまった。
僕がそこで学んだことは「何を言っても構わない。でも、ちゃんと考えて言うこと」。
彼は怒っていたのではない。
いや少し怒っていたかもしれない。
でも、彼が怒っていたかどうかなんてどうだっていいのである。自分の発言に信念や考えがあれば。
彼の切り返しは、あとで知ったのだけれど、ドキュメンタリーのなかでしばしば見られる彼独特の姿勢であった。
おかしいと思ったことを腹を据えて追及する。彼の作品を支える姿勢のひとつだ。
彼の作品の面白さは、他にもたくさんある。
例えば簡単に答えを出さない点だ(もちろんシンプルなメッセージのものもあるが)。
間違っているとか、正解だとか彼は言わない。ただ彼が納得するまで追求し、納得できなくても、そのまま。ごまかさない。
だから面白い。だから引き込まれる。読者や視聴者は彼の思考の世界にそのまま連れて行かれるのだ。
社会科学の論文もそうありたいと僕は思う。
数年前に森さんと話をほんの少ししたとき、僕はうっすら気がついたのだ。
僕は本当に未熟な人間である、と。
僕はまだ未熟だ。子供だ。
今、彼と会っても、僕はそう思うだろう。
どうしたらいいのか分からないけれど、でも焦らないこと。
無理をして何になるのか?
自分のペースでゆっくり見聞きし、感じ、社会が何なのか見つめ考え続けるしかない。
そのために社会科学をやっているのだから。