消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

野崎日記(295) オバマ現象の解剖(40) 一人勝ち(1)

2010-03-17 21:32:23 | 野崎日記(新しい世界秩序)



 第五章 金融危機下でのゴールドマン・サックスのひとり勝ち


 はじめに


 米国の金融機関は病んでいる。経営陣にモラルのかけらもない。公的資金を受けて経営破綻を免れたのに、はやばやとそれを返済した後、ふたたび高額報酬を経営陣は受け取るようになった。経営陣だけでなくトレーダーたちも高額ボーナスを受け取っている。

 金融危機で公的資金の注入を受けたシティグループ(Citigroup)など米金融機関九社の従業員のうち、〇八年分ボーナスとして一〇〇万ドル以上を受け取った従業員が四七九三人いたことが、〇九年七月三〇日、明らかになった。

 調査は、ニューヨーク州司法長官(New York State Attorney General)のアンドリュー・クオモ(Andrew Mark Cuomo)の指揮の下におこなわれた。

 九社は、計約一二八万人の従業員に計約三二六億ドルを支給。一人当たり平均支給額は約二万五四九六ドル。一人当たりの平均支給額で最高だったのは、ゴールドマン・サックス(Goldman Sachs)の一六万四二〇〇ドル、二番目はモルガン・スタンレー(Morgan Stanley)の九万五二八六ドルであった。両社とも、それぞれ、一〇〇億ドルの公的資金を受け、〇九年六月に返済している。

 一方、九社の中でもっとも多い四五〇億ドルの公的資金を受けてまだ未返済のシティグループですら、一人当たり平均支給額は一万六五一二ドルで、一二四人が三〇〇万ドル以上を得ていた(http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/mnews/20090803-OYT8T00367.htm)。

 米国の金融機関の〇九年のボーナスは、前年比で平均四〇%増と大きく増加した。もっとも増えたのは、投資マネーが流入した債券部門の担当者で前年比四五~五〇%も増加した。報酬の大部分を株式で三~五年間に分けて支払うなどの報酬改革を実施する金融機関が増えたものの、報酬の絶対額そのものを減らす動きはない。収益回復に伴って人材の獲得競争が復活してしまったからである(『日本経済新聞』二〇〇九年一一月一三日付)。

 『エコノミスト』(Economist)によれば、大幅減益で株価を下げているバンク・オブ・アメリカ(BOA=Bank of America,)も、業績と無関係に膨大なボーナスを支払った。
 高まる非難に対して、銀行側は、「従業員による強奪」(employee capture)によって、銀行自体が被害者であるとの印象を植え付けようとしているが、それにしても、幹部級の報酬は高額で、世界のトップテンの投資銀行の幹部級は株式配当額の四倍の報酬を得ている。二〇〇八年にメリルリンチ(Merrill Lynch)は、資本金に匹敵する高額の報酬を幹部に供与した。このことは、銀行の弁明を裏切るものである。銀行が訴えていたのは、さらなる資本金の積み増しは重すぎるというものであった。しかし、資本金に匹敵する報酬を支払っただけではなく、その報酬は公的資金からも支出されていたのである。これこそ、強奪であると、『エコノミスト』は批判した(http://www.economist.com/opinion/displaystory.cfm?story_id=14699859)。

 ウォール街は、報酬制限に懸命に抵抗している。四五〇億ドルの公的支援を受けたバンク・オブ・アメリカの広報担当、スコット・シルベストリ(Scott Silvestri)は「ウォール街で働きたい人たちが同時に望んでいるのは、公正な報酬だ」と指摘した。同氏は「ライバル行はわが行のもっとも優秀な人材を探した上で、優秀な人材を引き抜くために高報酬をちらつかせている」と訴えた。

 確かに、ケネス・ファインバーグ(Kennes Feinberg)企業幹部報酬特別監督官(Treasury Department's special master on executive compensation at troubled financial institutions)は、〇九年一一月二二日、過剰な報酬によって増長した経営幹部のずさんなリスク管理が金融市場を崩壊させ、世界全体で計一兆六〇〇〇億ドルに上る貸し倒れ損失・資産評価損や米国で計七二〇万人の失業を招いた金融危機につながったと指摘して、BOAやシティグループ、、AIG(American International Group)など公的支援を受けた企業七社の幹部報酬を最大五〇%減額する措置を発表した(1)。しかし、このような減額措置を実施しても、七社の幹部六六人の長期報酬は少なくとも一〇〇万ドルになる。

 BOAは、〇九年、成績優秀な従業員に平均六〇四万ドルの報酬を支払う。ファインバーグが報酬を調査した一三六人の社員の合計報酬額は三億四〇〇〇万ドルで、一人平均二五〇万ドルだった。

 これまでに一八二〇億ドルの公的支援を受けたAIGのベンモシュ(Robert Benmosche)最高経営責任者(CEO=Chief Exective Officer)は〇九年一〇月の第四週に、従業員への社内メモで「ファインバーグの権限は、AIGの大半の従業員には及ばない」し、すでに受け取った報酬の返還を義務付けられることはないと、従業員を安心させた。事実、ファインバーグは、すでに支払われた一〇五〇万ドルに上るベンモシュCEOの報酬パッケージを承認済みであった(http://www.business-i.jp/news/bb-page/news/200910260036a.nwc)。

 


野崎日記(293) オバマ現象の解剖(38) 米中融合(7)

2010-03-15 21:20:39 | 野崎日記(新しい世界秩序)



 おわりに


 既述のように、中国は米国債保有額を大量に増やした。これに、香港を加味すれば、さらに増える。〇九年九月時点で両地域合わせて九三一一億ドルであった。それは、外貨準備にドル以外の通貨を組み込む多様化を図ってきた、これまでの中国の政策の大転換があったことを意味している。

 〇九年の第一・四半期における米国債保有額の四〇〇億ドルもの増大は、過去の最高記録であった。ところが、その間の外貨準備高の増加は七〇億ドルしかなかった。つまり、中国は三三〇億ドルの外貨を減少させる一方で、四〇〇億ドルの米国債新規購入をしたのである。これは、おそらく膨大な外貨をCICなどの国家投資ファンドに移し変えたからであると思われる。いずれにせよ、この膨大な米国債購入は、ドル価値の急激な低下を阻止する効果を結果的には持っている(http://www.taipeitimes.com/News/worldbiz/archives/2009/05/18/2003443843)。

 しかし、ウォーレン・バフェット(Warren Edward Buffett)によって憂慮された米国債バブルを、結果的なものであれ、中国側が助長してしまいかねない。

 バフェットは、つねに二五五.五億ドルもの現金を用意しているバークシャー・ハザウェイ(Berkshire Hathaway Inc)という投資会社の総帥である。彼は、〇九年二月二七日、自社の株主に宛てた報告の中で米国債投資を止めるように勧告した。エンストを起こした車のエンジンをかけるべくFRBと財務省は膨大な資金散布を継続しているが、これは必ずや激しいインフレーションを生み出す。米国債はボロ屑になってしまうだろうとバフェットは強調したのである。

 バフェットはいう。

 「投資社会は、米国債価格を過小に付けていた段階から、過大に付ける段階に移行してしまった。・・・投資収益はかぎりなくゼロに近づき、通貨の購買力は時間の経過とともに減少してしまうだろう」。

 「金融史を一〇年ごとに整理すれば、次のようにいえることは確かであろう。一九九〇年代はインターネット・バブル、二〇〇〇年代初期は住宅バブル、・・・そして、〇八年からは米財務省バブルであった。いずれも異常なできごとであった」(
http://uk.reuters.com/article/businessNews/idUKTRE51R1Q720090228)。

 今後、ドルはつるべ落としのように、価値下落をするであろう。ちなみに、〇九年一一月二六日には、ドルは八七円台に突入し、金価格は一トロイオンスが一一九二ドルと市場最高値を示した(10)。

 

(1) ガイトナー米財務長官が、〇九年五月一三日、「資産五億ドル以下の銀行向け資本買い入れプログラム再開」を計画したことを指す(http://www.nsjournal.jp/news/news_detail.php?id=157194)。

(2) 日本では三〇年物国債が発行されており、フランスでは五〇年物国債が発行されている。ところが、米国では三〇年物国債(あるいはそれ以上の長期国債)は、二〇〇一年を最後に発行が停止されていた。米財務省が三〇年といった長期の債券はコストがかかると判断したことによる。現存する米国債でもっとも期間の長い債券は、二〇〇一年に発行された三〇年物国債で、償還予定は二〇三一年である。しかし、〇六年第一・四半期に米国は、三〇年物国債の発行を再開した(http://blog.livedoor.jp/kawase_oh/archives/20947163.html)。

 米財務省は、一年以内の償還期限の財務省証券を割引証券(ビル=bill)、二~一〇年までの償還期限のものはすべて利付証券(ノート=note)、一〇年超で発行されるものを利付債(ボンド=bond)と呼んでいる。

 米国国債の種類は、トレジャリー・ビル(T.Bill)(割引債 三か月物、六か月物、一年物)、トレジャリー・ノート(T・Note)(利付債 二年物、三年物、五年物、一〇年物)、トレジャリー・ボンド(T.Bond)(利付債三〇年物)である(http://www.nomura.co.jp/terms/japan/he/treasury.html)。

 (3)  CDSプレミアムとは、信用リスクの大きさを示す指標である。CDSとは、クレジット・デフォルト・スワップ(Credit Default Swap)の略である。CDS取引は、債権を直接移転することなく、信用リスクのみを移転する取引である。CDS取引は、プロテクション(Protection)の売買である。債券の保有者は、債券発行者の支払停止に会えば損失を被る。そのさいに、発行者に代わって債券の支払いをするという約束がプロテクションである。債券保有者は、このプロテクションを買う。プロテクションの買い手が、売り手に支払う対価がプレミアムである。このプレミアムは通常四半期ごとに支払われる。プレミアムは、年率bp(ベーシス・ポイント)で表す。ベーシス・ポイントとは、一%の一〇〇分の一、つまり〇・〇一%のこと。たとえば、一〇bpは、〇・一%である(http://www.j-cds.com/jp/about_cds.html)。

(4) CICは国営の投資会社である。〇八年九月二九日に正式に活動開始したCICは、SAFE(中国国家外国為替管理局=State Administration of Foreign Exchange)が保有する銀行株(建設銀行や中国銀行など)を継承した。加えてPBOCの外貨準備高のうち、二〇〇〇億ドルの資金を対外投資に用いるとされている(Martin[2008])。

 国家が経営する投資会社のことをSIF(国家投資ファンド=Sovereignty Investment Funds)という。シンガポールのテマセク・ホールディングズ(Temasek Holdings)などがそれである。大型投資で話題になったドバイやカタールの会社など、国策投資会社が、海外の証券取引所や資源関連の企業へ出資するようになった。 中国のCICはスタート時点の資金が巨大なので世界の注目を浴びている。CICは、ブラックストーンのIPO時に三〇億ドル出資した。これは、ゴールドマン・サックスが中国政府に持ちかけて合意がなされたものである。ゴールドマン・サックスは、米国政府と関係が密接であり、CICは、米国金融機関と組んで、巨大な投資案件を進めている。ソーントンが重要な役割を担っている(http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P1http://investbest.seesaa.net/article/59009034.html)。

(5) 英国の米国債保有の〇八年三月~〇九年三月の月別数値は以下の通りである。〇八年三月二〇〇一億ドル、〇八年四月二四六八億ドル、五月二七一二億ドル、六月二七九一億ドル、この月から集計方法が変わった。新しい集計方法の六月は五五〇億ドル、七月六六一億ドル、八月八二五億ドル、九月一一二八億ドル、一〇月一三三二億ドル、一一月一三二四億ドル、一二月一三〇九億ドル、〇九年一月一二三九億ドル、〇九年二月一二九一億ドル、三月一二八二億ドル(Major Foreign Holders of US Treasury Securities. http://www.treas.gov/tic/mfh.txt)。集計方法の変化も否定できないが、英国は長期的方針として米国債購入を控えているといえる。集計方法変化によって数値が増えた国の方が多かったからである。

(6) SEDは、〇六年一二月から北京で第一回会議が開かれた。文字通りの中米経済政策の調整会議。米国の対中貿易赤字、中国政府による為替市場操作疑念が主題となている。原則年二回中米各地で交互に開かれている(http://jp.fujitsu.com/group/fri/report/china-research/topics/2008/no-81.html)。

(7) レノボ(聯想集団)は、中国のパーソナル・コンピュータ (PC) メーカー。一九八四年、中国科学院の計算機研究所において設立された。設立時の名称は中国科学院計算所新技術発展公司。一九八八年香港聯想集団公司設立、一九八九年北京聨想計算機集団公司設立。一九九四年香港聯想公司が香港株式市場に上場、一九九七年には聯想ブランドが中国内のパソコン売上トップを記録、二〇〇〇年、『ビジネスウィーク』誌が聯想集団を世界IT企業一〇〇社中、八位に位置づけた。

 〇四年一二月、レノボはIBMからPC部門を一二億五〇〇〇万ドルで買収した。レノボはIBMのPCのブランドであるシンクパッド(ThinkPad)の商標を五年間維持するとしている。〇八年一月には低価格品アイデアパッド(IdeaPad)ブランドを導入した。
 〇四年のIBM社のPC部門買収によりレノボのPCの世界市場シェアは、デル、ヒューレット・パッカードに次ぐ三位となったが、〇七年のエイサーによるゲートウェイ買収により、四位となった。

 株式の四二・三%をレジェンド・ホールディングスという持株会社が保有しており、同持株会社の筆頭株主(六五%)は中国科学院である。IBMは議決権のない優先株のみを保有する(http://www.pc.ibm.com/ww/lenovo/investor_factsheet.html)。

 〇六年五月一九日、米国務省は、〇六年の三月二〇日にレノボから一三〇〇万ドルで購入した一万六〇〇〇台のPCについて、安全問題を考慮して、機密文書を扱わない業務だけで利用するという発表をした。米中経済安全保障関係検討委員会(U.S.-China Economic and Security Review Commission)から一斉にレノボPCの導入に抗議されたためである(http://japan.cnet.com/column/china/story/0,2000055907,20122968,00.htm)。

(8) 一九九五年、中国最初の外国への投資会社として設立。出資者はモルガン・スタンレーで、当初、三五〇〇万ドルを出資していた。総裁は、朱云来(Zhu Levin)、一九九八~二〇〇三年まで首相を務めた朱鎔基(Zhu Rongji)の息子である。中国最大の外国投資会社(http://www.cicc.com.cn/CICC/chinese/index.htm)。

 ブルームバーグによれば、CICCは、新規株式式公開(IPO)関係では、中国第一の座を保っているが、〇八年一月、三四・三%の株式を保有しているモルガン・スタンレーがCICC株を売却し、提携関係を解消する準備を進めている(http://www.bloomberg.com/apps/news?pid=90003001&sid=awpGr4ZRMNbI&refer=jp_commentary)。

(9) 〇四年八月に合弁成立。ゴールドマン・サックスは、まずこの月に、合資銀行を設立し、さらに、苦境に陥っていた海南証券を救済、この再建計画の首謀者、方風雷(Fang Fenglei)に八億元を融資、この資金で方が高華証券を設立。この証券会社は、ゴールドマン・サックスが中国の現行規定では最高比率となる三三%の株式を所有。「高華」はゴールドマン・サックスの中国語「高盛」と中国を意味する「華」から取られたものとされる。高華証券には、レノボも出資。実質的にはゴールドマン・サックス・チャイナともいえる高華証券となった(http://www.news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2004&d=0810&f=business_0810_001.shtml)。

(10) 〇三年に米国は、新しい二〇ドル札を発行している。〇三年一〇月九日ワシントン発の共同通信の配信では次のように記されていた。

 「偽造防止に工夫を凝らした米国の新二〇ドル紙幣の流通が九日に始まり、ニューヨークのタイムズ・スクエアでイベントが開かれた。二〇ドル札はもっとも流通枚数が多い。新紙幣は初めて黒と緑以外の色を背景に用いたのが特徴で薄い桃色や青などの配色。プラスチックの垂直線が埋め込まれているほか、透かしや傾けると色が変わって見える数字で偽造防止を図った。ジャクソン(Andrew Jackson、一七六七~一八四五年)第七代大統領の肖像や紙幣の大きさは変わらない」。

 これは、金兌換ができる新ドル貨発行の布石ではないかという見方が広がっている。米国が金本位制に戻るのではないかという噂はここ数年来ずっと出続けている(http://electronic-journal.seesaa.net/category/5295267-1.html)。

 国外の旧紙幣に区別を設け、国内の旧紙幣は新ドル札と交換できるが、国外の旧紙幣には新ドル札との交換は認めないというようなことにでもなると、国外の旧ドル札は無価値に近いものになってしまうだろう。これは、国外の米国債価格にも影響する。これにデノミネーションが加われば、完全な金融テロになってしまう。

 可能性が大なのは、アメロ(AMERO)という新通貨制度の創設である。米国単独ではドルの信認回復が無理であるとして、NAFTA(北米自由貿易協定=North America Free Trade Agreement)を基礎とする新共通通貨が発行されるかもしれない。アメロを導入するさいに、米国は、借金を消滅させる目的で、内外で新通貨の交換比率を変えるなどいろいろ仕掛けてくるかもしれない、等々の噂が飛び交っている(http://electronic-journal.seesaa.net/article/116472819.html)。

 荒唐無稽であると切り捨てきれないものがこうした噂にはある。アメロ、ないしは北米通貨に関するアイデアは、一九九九年にカナダの経済学者ハーバート・グルーベル(Herbert G. Grubel)が提唱して以後、論争が沸騰している。以下、論争に関する主な文献を挙げる。

1. Bennett, Drake[2007], "The Amero Conspiracy", International Herald Tribune,
          Novenmer 25.
2.  Grubel, Herbert G. [1999], "The Case for the Amero: The Economics and Politics of a North
          American Monetary Union"(PDF), The Fraser Institute.
          http://www.fraserinstitute.org/Commerce.Web/product_files/CasefortheAmero.pdf
3.  Pastor, Robert A. [2001], Toward a North American Community: Lessons from the Old
      .    World for the New, Peterson Institute
4.  Cohen, Benjamin J.[2004], "North American Monetary Union: A United States Perspective",
          Global & International Studies Program. http://repositories.cdlib.org/gis/29.
5.  McLeod, Judi[2006], "Debut of the Amero," Canada Free Press, Dedember 14.         
          http://www.canadafreepress.com/2006/cover121406.htm.


野崎日記(292) オバマ現象の解剖(37) 米中融合(6)

2010-03-14 21:17:01 | 野崎日記(新しい世界秩序)


 
 五 米中戦略・経済対話


 米中間にはSED(戦略的経済対話=Strategic Economic Dialogue)というものがあった(6)。この後継として〇九年七月に新しい機構ができた。それは、〇五年に開始された戦略対話と〇六年から隔年で開かれていた戦略的経済対話を統合したものである。S&ED(米中戦略・経済対話=China-U.S. Strategic and Economic Dialogue)がそれである。その第一回対話が、〇九年七月二七日の月曜日、ワシントンで開催された。その第一回会議の開会式には、中国側が、副首相の王岐山、国務院国務委員(外交担当)の戴秉国(Dài Bingguo)。米国側が、オバマ大統領、米国務長官のヒラリー・クリントン、米財務長官のティモシー・ガイトナーが参列した。この対話は、世界最大の途上国とこれまた世界最大の先進国間の初めてのものであると新華社は豪語した。

 胡錦涛(Hu Jintao)主席は、開会式に二つの書簡を送り、それぞれ、主席の特別代表で、対話の共同議長である、副首相の王岐山と国務委員の戴秉国が読み上げた。中国側は、一五〇人の高官を送り込んだ。うち、二四名は大臣級であった。
 胡・主席は、書簡の中で、両国は、複雑にして変化する国際経済・政治状況の中にあって、共通の基盤を拡大させ、相違を縮小させ、相互信頼を高め、戦略・経済対話によって、協力を強化したい、それが、「全世界の平和、安定、発展にとって非常に重要なことである」と述べた。

 新華社の別の記事では、オバマ大統領の挨拶が掲載されている。

 オバマ大統領の開会式挨拶は、金融危機、安全保障、気候変動など広範な分野に言及したものであり、元大統領のビル・クリントンの、米中は「同じ舟」に乗り合わせているという言葉("Same Boat" Theory)を引用して、米中を「G2」とまで表現し、米中抜きの世界平和など考えられないと中国側に媚びを売ったのであった(China, U.S. attach importance to first Strategic and Economic Dialogue http://news.xinhuanet.com/english/2009-07/28/content_11783593.htm www.chinaview.cn2009-07-28)。

 米国で金融危機が深刻化したお陰もあって、SEDの中心問題であった人民元切り上げ論は後退している。大統領選挙中の〇八年一〇月段階でのオバマは、「米中間の経済的不均衡を是正するという中心的問題は、中国の通貨政策の変化を通してでなくてはならない」、「中国の通貨政策は米国企業と米国労働者にとってもよくない。世界にとってもよろしくない。結局は中国自身にインフレーションという害悪が襲うことにあるだけである」と中国に関する見解を発表していたのに、その姿勢は大転換した(Obama, Barack, China Brief, U.S.-China Policy Under an Obama Administration. October 2008)。

 ちなみに、オバマ発言の直後の人民元は、対ドルで一%下落した。これは、中国政府が人民元切り上げに抵抗したものと受け取られている。
 対米貿易において、中国側の膨大な黒字が米国から非難されるが、じつは中国の対米輸入は、メシキコ、カナダに次いで第三位である。日本は中国に第三位の座を明渡し、〇九年段階では第四位となっている。

 こうしたことから、米国の対中貿易規制は苦境に陥っている産業から急速に解除されているし、中国側も米国の苦境に立つ企業買収を真剣に模索し始めた。
 オバマ政権は、雇用増大を最高目標にしている。それは大統領首席補佐官のラーム・エマヌエル(Rahm Emanuel)の次の発言によく表現されている。「我々の第一目標は雇用である。我々の第二目標は雇用である。我々の第三目標は雇用である(Baker[2009])。

 これは、オバマ政権が保護主義に傾斜していることを示すものである。ましてや、選挙期間中、オバマは「バイ・アメリカン」条項の導入をもほのめかしていたのである(Nichols, Hans, "Obama Says U.S. Must Act Swiftly to Address Economy ,", Bloomberg, January 3rd, 2009.http://www.bloomberg.com/apps/news?pid=20601103&sid=aeLGXDu_0Qiw&refer=news)。

 保護主義の台頭は、かつて、中国の聯想集団(Lenobo)によるIBMのパソコン部門買収時の経緯を想起させる(7)。当時は、国防上の理由から中国企業による米系ハイテク企業買収の是非をめぐって米国で議論が沸騰していた。しかし、結局はレノボによる米系ハイテク企業の買収は許可された。今後は、米国のCFIUS(米国への外国人投資に関する委員会=Committee on Foreign Investment in the United States)は、基本的に中国政府と妥協するであろう。米資本もまた中国内に確かな足がかりを掴もうと懸命になっているからである。

 ただし、一直線に問題が解決されるわけではない。中国側にも自国企業保護政策を強化しているからである。〇八年八月、中国では新しい独占禁止法が施行されるようになった。この法律によって外資系企業は中国での展開に足枷をはめられることになった。これは、中国への貢献が認められなければ投資活動を認可しないという法律である(Steve Dickinson,"China Oopposes Trade Protectionism Under Pretext of Product Quality,"Xinhua News Agency, October 17, 2007.http://news.xinhuanet.com/english/2007-10/17/content_6894990.htm)。

 この法律を適用する最初の審査は、コカコーラによる中国匯源果汁集団有限公司買収案件についてである。法律の施行以後、〇九年に入って、外資系企業と中国企業とのいくつかの提携交渉が頓挫している。たとえば、日本の半導体メーカー、エルピーダ・メモリーと中国のベンチャーとの提携は延期された。クライスラーと中国の奇瑞汽车股份有限公司との提携話も破談になった。

 そうした、いくつかの例はあるものの、米中間の資本提携は進んでいる。クレディ・スイス(Credit Suisse)と中国の方正証券(Founder Securities)は〇八年一二月三一日に中国での合弁会社の営業許可を取得した(http://www.founder.com/show-17-13796.html)。そしてその新会社は、クレディ・スイス・ファウンダー・セキュリティーズ(Credit Suisse Founder Securities)という名前になり、クレディ・スイス側が三三・七%、ファウンダー側が六六・三%を出資した(http://news.alibaba.com/article/detail/business-in-china/100036225-1-credit-suisse%252C-founder-securities-jv.html)。この新会社はさらに、ゴールドマン・サックスとUBSに資本参加して中国内外の証券ビジネスを扱うようになった。

 中国の証券会社は、〇四年の一三四社から〇八年には一〇七に減少した。これは、M&Aを繰り返して巨大証券会社が誕生したことを意味する。

 なかでも、外資との合弁が巨大化に弾みをつけた。〇八年八月までに中国には外資と合弁した七つの証券会社ができていた。CICC(中国国际金融有限公司=China International Capital Corporation)(8)、ゴールドマン・サックス高華証券(Goldman Sachs Gao Hua Secutrities)(9)、UBS、BOC、CESL、大和SMBC証券などの合弁会社、それに上述のクレディ・スイス・ファウンダー・セキュリティーズである。このうち、CICC、ゴールドマン・サックス、UBSとの合弁証券会社がIPO(新規株式公開=Initial Public Offering)取り扱いの四一・六%のシェアを占めたのである。中国系の証券会社は、株式売買などの伝統的業務に限定しているので、中国のIPOをはじめとする投資業務は、こうした外資系によって握られているといえる(http://www.infoshop-japan.com/study/rinc78270-cn-securities_toc.html)。

 こうして、クレディ・スイスを先鞭として、ゴールドマン・サックス、UBS、モルガン・スタンレー、シティグループなどの外資系投資銀行が競って中国市場を目指したのである。


野崎日記(291) オバマ現象の解剖(36) 米中融合(5)

2010-03-13 21:12:46 | 野崎日記(新しい世界秩序)


四 米大手金融機関の中国への食い込み


 いまや米中間の貿易額は、双方向で三八〇〇億ドルを超え(US Census Bureau, US International Trade Statistics. http://censtats.censUS.gov/cgi-bin/sitc/sitcCty.pl)、この年、両国のGDPの合計は世界の三分の一になった(World Bank, World Development Indicators Database. "Gross domestic product, 2007." http://siteresources.worldbank.org/DATASTATISTICS/Resources/GDP.pdf)。しかも、米国の対中借金は、公的・民間を合わせて、オバマ大統領就任時には二兆ドルを超していた。

 これだけでも、米中間には大きな変化が生まれてくるはずである。

 まず、中国企業による米国市場での展開が活発になるだろう


 中国は、すでに、米国内に膨大な投資をしている。とくに、CICは、〇七年七月、米国の大手エクウィティ金融のブラックストーン(Blackstone)に三〇億ドルで参入、〇七年一二月には、モルガン・スタンレー(Morgan Stanley)に五億ドル、九・九%の資本参加をしている。

 CICは、シンガポールのテマセク・ホールディングズ(Temasek Holdings)がモデルで、調達資金は一兆五五〇三億五〇〇〇万元(二〇七九億ドル)。CICの儲けは一日で三億ドルが至上命令という。CICは温家宝・首相の管轄下にある。楼会長は大臣級扱いである。他にも、楼は、国家開発改善委員会などの重要な部局の責任者にも要請されている。これは旧、国家企画委員会の後継である。

 CICは、多くの国営銀行の株式を所有し、中央銀行の投資部門である中央匯金投資有限責任公司(Central Huijin Investment Company)に六九〇億ドルを投じている。この国家ファンドであるCICの戦略は、資源確保に動くとともに、ハイテク産業の買収をも目指している。それはともかく、米系投資銀行が中国の国家ファンドにノウハウを提供していることだけは確かである(CICのウェブサイトによる、http://www.china-inv.cn/)。米国の論調もCICへの警戒感が強い(Morrison[2009])。

 〇八年八月六日付新華社によると、FRB(米連邦準備制度理事会=Federal Reserve Board)は、前日の五日、中国国有大手のICBC(中国工商銀行=Industrial and Commercial Bank of China)のニューヨーク支店設立を承認した。
 CBRC(中国銀行業監督管理委員会=China Banking Regulatory Commission)の劉明康(Liu Mingkang)主席は〇八年六月の米中戦略対話に出席するために訪米したさい、バーナンキ(Benjamin Shalom“Ben”Bernanke)FRB議長と会見し、中国工商銀行と同じく米支店設立を申請中のCSB(中国建設銀行=China Construction Bank)の審査を早めるよう促したとされる(http://www.excite.co.jp/News/china/20080806/Recordchina_20080806026.html)。

 また、〇八年七月には、中国工商銀行の発行株式時価総額がシティグループ(Citigroup)を抜いて、金融業で世界一になった(http://j.peopledaily.com.cn/2008/07/11/jp20080711_91069.html)。

 ロイターの企業情報によると、中国工商銀行の中の取締役会名簿には、米国金融界に関連の深い大物が三人いる。

 一人は、クリストファー・コール(Christopher Cole)である。彼は、〇六年六月から同行の重役を務めている。ゴールドマン・サックスのファイナンス投資部門議長(Chairman of Investment Banking in Goldman Sachs)でもある。

 中国人の梁錦松(Antony、Lueng Kam Chung、Liang Jinsong、という三つの名前で呼ばれている)も重要人物である。〇五年一〇月から同行の社外重役を務めている。 ブラックストーンのアジア・太平洋地域担当議長でもある。その他、香港の株式取引所(Hong Kong Exchanges and Clearing Limited)、中国モービル(China Mobile Limited)の社外重役、JPモルガン・チェース(JP Morgan Chase)アジア・太平洋地域担当議長でもある。

  梁の若干の経歴を示しておこう。董建華(Dong Jianhua)・香港行政長官の側近のひとりで、第一期・董・香港政権で行政会議委員に任命された。さらに、二〇〇一年から香港財政司司長に任命されたがすぐに辞任に追い込まれる。香港大学在学中は、学生運動や日本の尖閣諸島領有反対運動などに参加し、中国共産党や毛沢東に傾倒する国粋派のひとりとされた。また二〇〇二年一〇月に、オリンピックに出場さいた飛込み選手の伏明霞(Fu Mingxia)と結婚した。ハーバード大学MBA (一九八二年)、EMBA(一九九九年)。香港先物取引所理事 (一九八七年~一九九〇年)。空港管理局理事 (一九九〇~九八年)。大学教育賛助委員会主席 (一九九三~九八年)。外為基金諮問委員会委員 (一九九三~二〇〇一年) 。チェース・マンハッタン銀行(Chase Manhattan Bank)に入行 (一九九六年)。教育委員会主席 (一九九八~二〇〇一) 。行政会議非官職メンバー (一九九七~二〇〇一年)。JPモルガン銀行アジア太平洋地区代表に就任 (二〇〇〇~〇一年)。財政司司長 (二〇〇一~〇三年)(http://www.jlogos.com/webtoktai/index.html?jid=10663353)。

 三人目の重要人物がジョン・ソートン(John Thornton)である。彼は、〇五年一〇月から同行社外重役を務めている。フォード、インテル、中国ネットコムグループ(China Netcom Group Corp. (HK) Ltd. )、ローラ・アシュレー(Laura Ashley Ltd.)、デレクTVグループ(DirecTV Group, Inc.)の社外重役、そして、一九八三年には、ゴールドマン・サックスの共同COO(ポールソン元財務長官と組む)であった。現在も重役である(http://www.reuters.com/finance/stocks/companyOfficers?symbol=601398.SS&viewId=bio)。

 ソーントンは、ゴールドマン・サックスそのものを体現した人である。ゴールドマン・サックスのヨーロッパ拠点を強化し、M&Aを盛んに手掛けてきたし、一九九五~九六年には、ロンドンのゴールドマン・サックス・インターナショナル(Goldman Sachs International )の共同会長、九六~九八年には、ゴールドマン・サックス・アジア(Goldman Sachs Asia)会長であった。この時期は、まさにアジア通貨危機の真っ最中であり、ソーントンは、ゴールドマン・サックスのアジアにおける支店網を強化することに成功した(http://www.brookings.edu/china.aspx)。ソーントンンは、清華大学の教授兼清華大学顧問委員会(Tsinghua SEM Advisory Board)の第四代議長でもある。

 清華大学顧問委員会は二〇〇〇年に設置された。外国人としては、ヘンリー・ポールソン、石油メジャーのBP会長のジョーン・ブローン(Lord John Browne)、ウォルマート(Wal-Mart)CEOのリー・スコット(H. Lee Scott, Jr)らが議長を務めた。議長ではないが、その他、多くの米国人ビジネスマンが顧問に名を連ねている。


野崎日記(290) オバマ現象の解剖(35) 米中融合(4)

2010-03-10 20:47:09 | 野崎日記(新しい世界秩序)

三 各国の米国債保有状況


 米国債の購入地図はこの数年間で大きく塗り替えられた。中国の躍進はいうまでもないが、米国の運命共同体である英国もしばらくは保有額を減少させていた(日本と同じく、〇九年五月より盛り返している)。〇九年五月一六三七億ドル、六月二一四〇億ドル、七月二一九九億ドル、八月二二六九億ドル、九月二四九三億ドルと第三位を回復)。

 オフショアの金融機関の存在感が増大した。

 そして、意外なことに米国の忠実な僕(しもべ)であるはずの日本が麻生元首相訪米前までは米国債購入を減らしていた。ただし、その後、急増させている(〇九年五月六七七二億ドル、六月七一一八億ドル、七月七二四五億ドル、八月七三一二億ドル、九月七五一五億ドルと中国に追いつきつつある)。

 また急速に台頭してきた新興国、とくにブラジルが重要な購買者としてのし上がってきた。

 〇九年二月時点での米国債保有上位五か国・地域は以下の通りである。括弧内は、前年同期比である。この時点の数値を採用したのは、まだオバマ外交が本格的に展開されていず、各国がオバマ政権の動向を注視していた段階だからである(http://www.treas.gov/tic/mfh.txt)。

 一位は、いうまでもなく中国で七四四二億ドル(前年同期比五二・八%増)。
 二位は日本で六六一九億ドル(一三・五%増)。じつは日本は〇五年から〇六年に減少させていた。〇八年中に少し買い増したが、それでも絶対額において〇五年水準に戻っていなかった。

 三位にカリブ諸島に登録されている金融機関。タックス・ヘイブンの金融機関が購入者として急浮上した。一八九一億ドル、対前年比八二・〇%という激増ぶりである。世界金融危機の原因の一つであるタックス・ヘイブンへの依存を米国政府が強めたことは、オバマ政権が金融規制を強化できないことを示している。

 四位は石油輸出国で 一八一七億ドル (二四・四%増)。個別の国の名前を出さずに石油主出国として一括されている理由は、政治的な意味がある。中東の複雑な政治状況の下で、特定の国の突出を公表したくないという米政府の思惑を示すものである。オイル・ショックのときのキッシンジャー(Henry Alfred Kissinger)外交の産物である。膨大なオイル・ダラーで米国債を大量に買ってくれるはずのサウジアラビアの名前を、アラブ諸国から親米だと非難されないためにも、出したくなかったからであるといわれている(Fisk[2009])。

 そして五位ブラジルの一三〇八億ドル (一〇・八%減)。その他が一兆二五四三億ドル (二四・三%増)。

 合計三兆一六二〇億ドル (二八・〇%増)である。全体として、対前年比二八%も増えたという数値だけを見るかぎり、通常いわれているようなドル忌避はないと受けとられかねない。しかし、そうではない。少数の国が、強い政治的な思惑から買い増していることと、オフショア市場を利用した巨大な投資集団による急激な米国債購入の増加が、ドル忌避はないとの印象を与えているだけのことである。中国、カリブ、ブラジルがドル崩壊を食い止めている三つの勢力であった(〇九年三月にはロシアが急浮上して、ブラジルを抜くことになる)。〇八年九月に、日本が中国に首位の座を譲って以来、わずか半年で、米国債の保有額で、八二三億ドルの大差がついた(http://blogs.yahoo.co.jp/yada7215/51439197.html)。

 〇九年での、これら上位五か国の位置は、〇五年一二月時点から大きく変化している。

 〇九年で一位の中国は、〇五年では、三一〇〇億ドルで二位であった。〇五年一二月から〇九年二月までのわずか三年と三か月で保有額を二.五倍弱に増やしたのである。

 〇九年で二位であった日本は、〇五年時点では六七〇〇億ドルと飛び抜けた一位であった。しかし、〇五年から〇九年にかけて日本は買い増すどころか、八〇億ドル強ほど保有額を減らしている(ただし、繰り返しになるが、この二月時点から九月までに、日本は八九六億ドルも激増させた。末期の麻生政権の政策であった)。

 三位であったカリブのオフショア金融勢力は、七七二億ドルで五位であった。三年そこそこの間に、保有額を二・四倍強ほど激増させたのである。

 四位であった石油輸出国は、〇五年では七八二億ドルで同じく四位であった。これも二・三倍強と保有額を伸ばした。

 劇的な変化は、〇九年で五位であったブラジルである。〇五年では二八七億ドル、一五位という位置であった。三年三か月の間に保有額を四.五倍強も激増させたのである。

 上位五か国から消えた国の代表は英国である。〇五年と〇六年はさすがに米国の盟友として英国はそれなりの米国債購入者であった。〇五年には一四六〇億ドル、〇六年には二三九一億ドルと九三一億ドルも増やした。この両年とも、英国の保有額は日中につぎ三位であった。しかし、その後、英国は、保有額を減らす傾向を示している(5)。ただし、英国は、〇九年九月には三位に復帰した。二四九三億ドルである。それでも、ピークの〇六年に比して減少させている。

 数値の変化を確認しておく意味で、各国毎に〇六年と〇五年の保有額を記しておく。〇六年のランキングで並べる。括弧の外が〇六年、括弧内が〇五年である。

 一位は日本六四四三億ドル(六七〇〇億ドル)、二位は中国三四九六億ドル(三一〇〇億ドル)、三位は英国二三九一億ドル(一四六〇億ドル)、四位は石油輸出国一〇〇九億ドル(七八二億ドル)、五位は韓国七〇〇億ドル(六九〇億ドル)、六位カリブ諸島の金融機関六八〇億ドル(七七二億ドル)、七位台湾六三一億ドル(六八一億ドル)、八位香港五三九億ドル(四〇三億ドル)、九位ドイツ五二五億ドル(四九九億ドル)、一〇位ブラジル五二一億ドル(二八七億ドル)、一一位カナダ四七八億ドル(二七九億ドル)、一二位ルクセンブルク三八六億ドル(三五六億ドル)、一三位メキシコ三四五億ドル(三五〇億ドル)、一四位シンガポール三〇六億ドル(三三〇億ドル)、一五位メキシコ二九七億ドル(三〇九億ドル)、一六位スイス二七二億ドル(三〇八億ドル)、一七位トルコ二二三億ドル(一七四億ドル)、一八位オランダ一八四億ドル(一五七億ドル)、一九位アイルランド一七七億ドル(一九七億ドル)、二〇位タイ一七三億ドル(一六一億ドル)、二一位ベルギー一六九億ドル(一七〇億ドル)、二二位スウェーデン一六九億ドル(一六三億ドル)、二三位イスラエル一六二億ドル(一二五億ドル)、二四位ポーランド一四二億ドル(三七億ドル)、二五位イタリア一四一億ドル(一五四億ドル)、二六位インド一四〇億ドル(九九億ドル)、その他の諸国一五三六億ドル(一四九五億ドル)、総合計二兆二二三五億ドル(二兆三三九億ドル)であった。

 CIA World Fact Bookによると、二〇〇六年の為替レート・ベースで、世界のGDPは四六兆六六〇〇億ドル、米国のGDPは一三兆二二〇〇億ドル、米国を除く世界のGDPは三三兆四四〇〇億ドルであった。

 日本のGDPは四兆九一一〇億ドルで米国を除く世界のGDPの一四・六八%、二〇〇六年一二月時の米国債の国外保有全体に占めるシェアは二八・九七%。ドイツのGDPは二兆八九九〇億ドルで米国を除く世界のGDPの八・六七%、二〇〇六年一二月時の米国債の国外保有全体に占めるシェアは二・三六%。中国のGDPは二兆五一二〇億ドルで米国を除く世界のGDPの七・五一%、二〇〇六年一二月時の米国債の国外保有全体に占めるシェアは一五・七二%しかなかった。英国のGDPは二兆三四一〇億ドルで米国を除く世界のGDPの七・〇〇%、二〇〇六年一二月時の米国国債の国外保有全体に占めるシェアは一〇・七五%であった(http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2815067.html)。

 くどいが、〇九年三月のデータも示しておく。括弧内は〇八年三月時点の数値である。〇九年三月時点での保有額の多い順に並べてある。
 一位は中国七六七九億ドル(四九〇六億ドル)、二位は日本六八六七億ドル(五九七四億ドル)、三位はカリブ諸島の金融機関二一三六億ドル(一〇八七億ドル)、四位は石油輸出国一九二〇億ドル(一五〇七億ドル)、五位はロシア一三八四億ドル(四二四億ドル)、六位英国一二八二億ドル(二〇〇一億ドル)、七位ブラジル一二六六億ドル(一四九一億ドル)、八位ルクセンブルク一〇六一億ドル(八九八億ドル)、九位香港七八九億ドル(六〇五億ドル)、一〇位台湾七四八億ドル(四〇八億ドル)、一一位スイス六七七億ドル(四一二億ドル)、一二位ドイツ五五〇億ドル(四二一億ドル)、一三位アイルランド五四七億ドル(一七六億ドル)、一四位シンガポール三九一億ドル(三三三億ドル)、一五位インド三八二億ドル(一一八億ドル)、一六位メキシコ三六三億ドル(三八三億ドル)、一七位韓国三三一億ドル(四〇七億ドル)、一八位トルコ三〇二億ドル(二八七億ドル)、一九位フランス二七一億ドル(一五億ドル)、二〇位ノルウェー二六二億ドル(四四五億ドル)、二一位タイ二六〇億ドル(二五七億ドル)、二二位イスラエル一九四億ドル(六五億ドル)、二三位エジプト一八五億ドル(一二七億ドル)、二四位オランダ一七六億ドル(一五〇億ドル)、二五位イタリア一六六億ドル(一一一億ドル)、二六位チリ一五五億ドル(九七億ドル)、二七位ベルギー一五四億ドル(一二八億ドル)、二八位スウェーデン一二五億ドル(一三二億ドル)、二九位フィリピン一二四億ドル(一〇八億ドル)、三〇位カナダ一一九億ドル(二一九億ドル)、三一位コロンビア一一二億ドル(六七億ドル)、三二位マレーシア一〇六億ドル(九二億ドル)、その他一五六七億ドル(一二〇七億ドル)、総計三兆二六五二億ドル(二兆五〇五八ドル)であった。

 列記された諸国の保有額が、総計の九五%強を占めている。すでに指摘したこと以外に〇八年三月から〇九年三月までの変化には次のような特徴がある。

 ①ロシアの急浮上が目立つ。九〇〇億ドル強も積み増した。ロシアも本気で米国を支える政策に転換したようである。

 ②いままで米国のドル政策に冷淡であったフランスまでもが米国を支えようとしだした。ただし、経済力の大きさからすればフランスはまだ本気になっていないともいえる。

 ③英国、ルクセンブルク、ドイツ、スイス、アイルランド以外のヨーロッパ勢は総じて米国に冷淡で、おつきあい程度に米国債を保有するにすぎない。

 ④隣国カナダも冷淡である。

 ⑤とはいえ、七六〇〇億ドルも外国人による米国債保有が増えた。これは、三〇%もの増加である。

 ⑥当然ではあるが、米国債保有は米国との政治的関係を反映しているものと思われる。

 〇九年五月の〇八年五月からの増加額も示しておく。保有額の大きさ順に配列してある。

 三位カリブ(八九三億ドル増)、四位石油輸出国(二八七億ドル増)、五位英国(七四億ドル減)、六位ブラジル(二四三億ドル減)、七位ロシア(六〇八億ドル増)、八位ルクセンブルグ(二一一億ドル増)、九位香港(三二八億ドル増)、一〇位台湾(三六八億ドル増)、一一位スイス(二一八億ドル増)、一二位ドイツ(一〇三億ドル増)、一三位アイルランド(三五〇億ドル増)、一四位シンガポール(九〇億ドル増)、一五位インド(二〇八億ドル増)、一六位韓国(一〇億ドル減)、一七位メキシコ(八〇億ドル減)、一八位トルコ(一億ドル減)、一九位ノルウェー(一〇八億ドル増)、二〇位タイ(六〇億ドル減)、二一位フランス(二五九億ドル増)、二二位イスラエル(一三七億ドル増)、二三位エジプト(六〇億ドル増)、二四位イタリア(五五億ドル増)、二五位オランダ(七億ドル増)、二九位ベルギー(三三億ドル増)三〇位チリ(三六億ドル増)、三一位スウェーデン(-二億ドル増)、三二位マレーシア(三一億ドル増)、三二位コロンビア(四三億ドル増)、三三位フィリピン(二八億ドル増)、三四位カナダ(一八八億ドル減)、その他(四〇一億ドル増)。

 ほとんどの国が米国債保有を増やして米国財政を支援してることが明らかであるが、それにしても総じて先進諸国が米国債に冷たく、日中だけが飛び抜けて大きいことが分かる。

 欧州先進国とカナダのこの一年間に積み増した累計額は、一〇八〇億ドルしかない。

 日中を除くアジア(含む石油輸出国)の増額累計は、一四三〇億ドル、ラテンアメリカ(カリブを除く)は、二四四億ドルの減少である。繰り返しいうが、いかに日中の増加額が大きかったかが分かるであろう。日本の場合は、米国による強い要請(事実、麻生元首相がワシントンに呼びつけられてから日本の国債保有は増え始めた)があったからであると推測されるが、政治的には米国に従属していない中国が単独で二九四七億ドルもの激増ぶりを示した背景にはかなり重大なことが控えているようである。


野崎日記(289) オバマ現象の解剖(34) 米中融合(3)

2010-03-09 00:37:52 | 野崎日記(新しい世界秩序)


 二 凄まじい中国の米国債購入


 中国による相次ぐ米国牽制の発言にもかかわらず、中国の外貨準備の激増ぶりは異常としか表現しようがない。一九八五年から〇七年まで、つまり、米国発の金融危機が波及してくるまでの外貨準備高の時系列を示そう。

 一九八五~八九年の外貨準備はわずか三三億ドル、対GDP比〇・九%であった。一九九〇~九四年には二五〇億ドルに激増、対GDP比は五・〇%になった。一九九五年七三六億ドル(対GDP比一〇・一%)、以下時系列的に記述する。括弧内は対GDP比。

 一九九六年一〇五〇億ドル(一二・三%)、九七年一三九九億ドル(一四・七%)、九八年一四五〇億ドル(一四・三%)、九九年一五四七億ドル(一四・三%)、二〇〇〇年一六五六億ドル(一三・八%)、〇一年二一二二億ドル(一六・〇%)、〇二年二八六四億ドル(一九・七%)、〇三年四〇三三億ドル(二四・六%)、〇四年六〇九九億ドル(三一・六%)、〇五年八一八九億ドル(三六・六%)、〇六年一兆六六三億ドル(四〇・一%)、〇七年一兆五二八二億ドル(四六・六%)(http://www.brics-jp.com/china/gaika_jyunbi.html、および、http://www.shcs.com.cn/jp/news/pdf/10yearjinji.pdf)。

 見られるように、中国政府は、〇二年から年間二〇〇〇億ドル超規模で外貨準備を積み増してきた。〇六年には、五〇〇〇億ドル以上も一挙に増やしたのである。激増という表現よりも異常な増加といった方がいいほどである。しかも、〇八年度にはさらにドルを買い増した。

 外貨準備高の対GDP比で〇七年には四六・六%という数値をどう受けとればいいのか。年間所得のほぼ半分の外貨準備高というのは、とてつもない大きさである。
 しかも、公表されている外貨準備高は実態よりもはるかに小さい。たとえば、〇八年第一・四半期の数値。この期の公表増加額は、一五四〇億ドルもの巨額であった。しかし、実際にはその二倍近い激増であった。

 計算して見せてくれたのは、マイケル・ペティス(Michael Pettis)である。以下、同氏の叙述を下書きにしてオバマ政権成立前の中国政府の行動を説明する。

 〇八年一月の外貨準備増加額は六一六億ドルであった。二月は五七三億ドル、三月は三五〇億ドル。端数を加味して合計すれば、第一・四半期の増加額は、一五四〇億ドルになる。

 ちなみに、この期間の貿易黒字は、一月一九五億ドル、二月八六億ドル、三月一三六億ドル。計四一六億ドルであった。そして、黒字額を上回る米国債購入であった。流入した直接投資は、一月一一〇億ドル、二月六九億ドル、三月九五億ドル。計二七四億ドルであった。

 PBOCの外貨準備のうち、三〇%は米ドル以外の通貨であったと推定されている。ドルの減価に対応すべく、比較的価値が減価していないドル以外の通貨をPBOCは、積み増したように思われる。一月一〇〇億ドル、二月一〇〇億ドル、三月一八〇億ドル。計三八〇億ドルの非ドル通貨が積み増しされた。つまり、少なくとも、オバマ政権が成立する前の中国政府は、外貨準備の多様化を最大の目標にしていた。そして、オバマ政権成立後、中国政府は、積極的にドルを買い支える政策に転換したように見える。

 PBOCの外貨準備のポートフォリオについては、ほとんどが外国債で運用されていると思われる。第一・四半期で年利一%の利子収入があると推定されるので、年利四%になる。とすれば、〇八年の第一・四半期で一六〇億ドルの収入があったと推測される。

 この段階では、中国政府は、積み上がる外貨準備の数値を様々な方法で圧縮しようとしていた。その一つが、預金準備率の引き上げを傘下の銀行に命令し、預金準備額に相当するドルを買わせ、PBOC自体の保有ドルを減らそうとしたことである。

 〇八年一月、PBOCは、傘下の銀行の預金準備率を〇・五%引き上げた。ここで預金準備というのは、傘下銀行に強制して、一定の人民元をPBOCに預託させる額をいう。同年三月にもさらに〇・五%引き上げた。しかし、人民元そのものをPBOCに預託させたのではない。預託されるはずの人民元でPBOCが保有しているドルを買わせ、そのドルをPBOCに預託させたのである。その額は、一月では二二〇億ドル、三月では二四〇億ドルであった。

 この操作によって、傘下銀行の人民元資産が減り、ドル資産が増えた。傘下銀行の保有するドル資産は端数を加味して四五〇億ドル程度であった。

 PBOC側から見れば、ドル資産が四五〇億ドル減少したことになる。これで、PBOCの外貨準備を小さくすることができる。公表外貨準備増加額が一五四〇億ドルとなっているが、実際には一九九〇億ドルであったことになる。

 まだある。PBOCは、CIC(中国投資有限責任公司=China Investment Corporation)(4)に外貨準備の一部を移している。年次計画で二〇〇〇億ドルをCICに移転して、主としてM&A業務をさせるためである。それは、PBOCの外貨準備高を減らす意図も併せて持つものであった。〇八年三月に最後の九五〇億ドルが移転された。これを勘案すれば、〇八年三月の外貨準備増加額は一五四〇億ドルでも、一九九〇億ドルでもなく、それよりもはるかに多い二九四〇億ドルであったことになる(Pettis, Michael, "Latest PBOC Reserve Numbers Leave Many Unanswered Questions," April 14, 2008. http://seekingalpha.com/article//72216-latest-pboc-reserve-numbers-leave-many-unanswered-qustions.html)。


野崎日記(288) オバマ現象の解剖(33) 米中融合(2)

2010-03-07 10:36:05 | 野崎日記(新しい世界秩序)


 一 中国政府による米国債購入停止への米国政府の怯え


  中国の中央銀行である中国人民銀行(People's Republic of China、以下、PBOCと表記する)は、〇九年七月一五日、〇九年上半期の金融データを発表した。中国の外貨準備高は、二兆一三一六億ドルで、対前年比で一七・八四%増加した(http://japanese.china.org.cn/business/txt/2009-07/15/content_18142141.htm)。

 ちなみに、日本の外貨準備は、〇九年七月末時点で、一兆〇二二六億ドルで、対前年比でわずか〇・一%の増加でしかなかった(http://www.mof.go.jp/1c006.htm)。

 米財務省の発表データ(Major Foreign Holders of Treasury Securities)によると、中国が保有する米国債は〇九年五月末に過去最高の八〇一五億ドルに達し、図抜けた世界最大の保有国であった(ただし、〇九年九月には七九八九億ドルに減少させた)。米国外で保有されている米国債のじつに二四・三%が中国によって保有されているのである。〇九年三月の一か月間だけでも中国は二三七億ドルの米国債を購入したと『上海証券報』(二〇〇九年五月一二日付)が伝えた。〇八年五月から〇九年五月までの一年間で中国が購入した米国債は二九四六億ドル強であった(ただし、〇八年六月に集計方法が異なったためにこの数値は正確ではない)。PBOCによると、安全を期して、短期国債の割合が増えてきている。それでも、三〇%を超えてはいない。大部分が長期国債で保有されているのである(『人民網日本語版』二〇〇九年五月一八日付)。 

 日本の〇九年五月末に米国債保有は、六七七二億ドルで世界第二位の保有額であった(〇九年九月には七五一五億ドルに増加させている)。世界でのシェアを若干下げて、二〇・六%弱であった(http://www.treas.gov/tic/mfh.txt)。日中だけで外国人保有米国債の四五%も占めているのである。他の国・地域の米国債購入額は数値は二大保有国に比べるとはるかに小さい。

 オバマ政権は、複数年にわたり財政赤字が一兆ドルを超えるとの見通しを示したが、それを覚悟して未曾有の資金散布政策を実行中である。〇九年会計年度(〇九年九月三〇日に終了)は単年度で過去最高となる一兆四五四七億ドルの財政赤字となった(http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2009081300086)。

 この赤字を賄うために、中国と日本が、〇八年六月~〇九年五月に新規発行された米国債の五七%も買った。新規発行額六九六八億ドルのうち、中国が二九四七億ドル、日本が一〇一九億ドルも買ったのである(http://www.treas.gov/tic/mfh.txt)。

 財務省は、〇九年三月、金融機関から、政府債を約三〇〇〇億ドル、さらに、GSE(政府系住宅金融機関= Government Sponsored Enterprises)のファニー・メイ(Fannie Mae=連邦住宅抵当金庫=Federal National Mortgage Association)やフレディ・マック(Freddie Mac=連邦住宅金融抵当公庫=Federal Home Loan Mortgage Corporation)が支払い保証しているMBS(不動産担保証券=Mortgage-Backed Securities)を約七五〇〇億ドル程度購入した(http://jp.reuters.com/article/domesticEquities4/idJPnTK826687720090323)。

 このように、本格化する増発国債が消化できるのかどうかがオバマ政権の最大の懸念事項であることは明白である(Volpe[2009])。

 中国は、〇八年九月に五八五〇億ドルと日本(五七三二億ドル)を抜いて保有額でトップに立っ以来、米国債買いに弾みがついている。

 しかし、今後の中国は、大口の買い手として期待できないのではないか、あるいは、中国が米国債の保有比率を落とすべく、一部を売却するのではないかというのが米国当局者の懸念でもある。〇九年一月の米国からの資本流出が一四八九億ドルと、月別流出額において記録的な数値を示したことが明らかになるや否や、〇九年三月、温家宝(Wen Jiabao)首相は、ドル資産の安全性に不安を覚えていると米国政府を牽制した。これは、ガイトナー長官が就任前の〇九年一月に議会の公聴会で、中国政府が人民元(RMB=Rénmínbì)を元安方向に操作しているようだと発言したことへの中国政府の反発でもあった(http://jp.ibtimes.com/article/biznews/090418/33120.htmlhttp://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0126&f=business_0126_015.shtml)。

 中国の金融専門雑誌『チャイナ・グローバル・ファイナンス』(China Global Finance)などは、「財務省債(Treasury Bonds)価値の大暴落につながる米国の将来の財政赤字を管理し、削減する米国政府の能力に世界は疑問を持っている。中国の一流学者たちは、中国は米国債投資において決定的な打撃を受けるであろうと警告している。この被害を最小化することが基本的な課題である」と書いた。

 この記事を紹介した『エポック・タイムズ』(Epoch Times)は、〇六年末から〇八年半ばまでに外貨準備からの投資で出した損失額が八〇〇億ドルであったこと、この数年間で初めて、〇九年一月の外貨準備が三〇〇億ドル減少したことをあげ、今後、中国からの資本流出が続き、中国の外貨準備は減少傾向を示すであろうと警告した(http://theepochtimes.com/n2/content/view/14369/)。

 PBOCの周小川(Zhou Xiaochuan)総裁も、〇九年四月に米国のドルに替えて、IMFが発行するSDR(特別引き出し権=Special Drawing Right)を基軸通貨にすべきであるとの激しい発言をした(http://www.ctrisks.com/files/common/Macro_Risk_Report_May_2009.pdf)。彼はまた、「米国は、貯蓄率を高め、貿易と財政赤字を 減少させるなどの国内調整を急ぐべきである」と当時の財務長官、ポールソン(Henry Merritt "Hank" Paulson)にきつく当たった(Jacobs[2008])。

 中国政府の保有する外貨の外国投資は、〇九年には抑制気味に運営される方針であると、SAFE(中国国家外国為替管理局=State Administration of Foreign Exchange)は説明をしている。中国の保有するドル資産が目減りすることを警戒していたからである。副首相の王岐山(Wang Qishan)も、訪中したポールソンに対して、「中国の在米資産と投資の安全性を確保すべく米国は経済を安定すべきである」と申し入れた(Jacobs[2008])。

 さらに、CIC(中国有限投資公司=China Investment Corporation)会長の楼継偉(Lou Jiwei)も、強い不満を米国要人に漏らした。「米国の金融組織に投資している中国は不安感を増している。わが人民は怒っている。彼らはやってきて口々にいう、『あなた方はどうして彼らを救うのか、あなた方は粥をすする貧乏人の代表者のはずだ。にもかかわらず、あなた方はフカヒレを楽しむ連中を救っている、なぜだ』と。我々はそのように糾弾されている」と(Fallows[2008])。

 〇九年四月一二日付の『ニューヨーク・タイムズ』(New York Times)は、〇八年一一月に四〇〇億ドルも米国債を積み増すといった、ひたすらドルを貯め込む政策を、中国が撤回しそうだと伝えた。〇九年一月と二月に中国政府が米国債を売ったという情報がその判断の根拠である(誤報であることが後日分かった)。

 中国政府が密かに米国債を売却しているのではないかという類の情報はしばしば流されてきた。〇九年一月六日付の『日本経済新聞』は、「米国債をある程度売って、ユーロや円の資産を増やすべき」とする五日付『中国証券報』の意見を伝えた。
 〇八年八月末には、中国四大銀行の一つである中国銀行が保有する米連邦機関債を売却したことが判明した。米国で金融危機の炎が燃え盛ろうとしていたときの情報であった。その情報に刺激されたのか、ポールソン財務長官がファニー・メイとフレディ・マックへの資本注入を発表した(http://www.stockcafe.jp/?m=pc&a=page_fh_diary&target_c_diary_id=3341)。市場の不安の沈静化を意図した発表であったが、その日に米国債のCDSプレミアム(3)は跳ね上がった。市場が米国債の信用力に疑問符を付けたのである。

 〇八年九月二四日、国連総会出席のためにニューヨークを訪問した温家宝首相は、ガイトナー・ニューヨーク連銀総裁(当時)やルービン(Robert Edward Rubin)元財務長官ら米金融界の大物との会合を持ったさいに、「誰也離不開誰」という表現をしたという。「お互いに離れられない」という意味である。米国債を手離そうにも、価格暴落という火の粉がかかるので、米国債が消化難に陥ることは避けたいということを温家宝首相はいいたかったのであろう(http://www.asahi.com/special/world_fluctuation/TKY200901050308.html)。

 さらに、〇八年一二月四日、北京で開催された米中戦略対話の席上で、中国側議長の王岐山・副首相が「中国の在米資産や対米投資の安全を確保するように希望する」と米国側議長のポールソン財務長官に要求したと伝えられている(http://jp.reuters.com/article/treasuryNews/idJPnTK023377020090109)。

 〇九年五月二〇日付ロイター電によると、中国の専門家らは「金融危機がいつ終息するかも分からず、慎重な対応が求められている」とし、米国債を買い増しすることは「腐ったリンゴの中から、マシなものを選ぶようなもの」だと指摘し、長期国債の保有量を減らす可能性を指摘した(http://news.nifty.com/cs/world/chinadetail/rcdc-20090520000/1.htm)。

 減価する米国債を中国に買い続けてもらうには、国際通貨制度における中国の発言権を高めることに米政府が協力するしかない。具体的にはIMF改革における中国の関与を米政府が認めることである(『産経新聞』二〇〇九年五月三〇日付、http://news.goo.ne.jp/article/sankei/business/m20090530025.html?C=S)。

 事実、ガイトナー長官は、米上院銀行委員会の公聴会で、中国政府が、「人民元レートへの介入を大きく減少させていて」、「人民元の対ドル・レートの大幅な上昇圧力を容認している」、つまり、「中国政府の為替レート政策は過去二年の間に大きく変化した」と証言した。これは、米国政府がもはや中国政府に人民元切上げ圧力を加えないことを意味する(http://j.peopledaily.com.cn/94476/6668847.html)。

 それにしても、ガイトナーの発言は奇妙である。中国は人民元の対ドル・レートを引き上げるどころか、人民元安に全力投球しているからである。〇九年五月二六日には、人民元レートは〇・五%引き下げられた。翌、二七日にはさらに〇・三九%引き下げられて、一ドル=六・八三二四人民元となったほどである。

 ただし、人民元レート形成メカニズムの改革がおこなわれるようになった〇五年七月二一日当時に比べ、四年後の〇九年七月二一日には、人民元対ドル・レートの累計上昇幅は二一%に達している。その面ではガイトナーの指摘もいちがいに誤りであるとはいえない。しかし注目すべきは、人民元の上昇の多くがガイトナー就任以前に発生したものであり、人民元の実質実効為替レートが、〇九年に入って四・四一%下がっていることである。

 〇五年七月二一日、PBOCは、市場の需給を土台とし、通貨バスケット制を参考に調整をおこなう管理された変動相場制度を実施すると宣言し、人民元レートの「波動の時代」が始まった。しかし、初期の段階では、人民元レートは小幅な変動しかさせず、〇六年五月になって、対ドルレート基準値がようやく八元を突破し、最初の一年の人民元対ドル・レート上昇幅は一・五%にとどまった。そして、貿易黒字により、外貨貯蓄が次々と新記録を更新するなか、人民元レートは〇七年に五・五%、〇八年に一〇・九%と一気に上昇した。そして、〇九年七月二〇日の仲値で計算すると、四年間で人民元は対ドルで二一・一四%、対ユーロで三・四%、対円で一・一六%、対香港ドルで二〇・六六%、対ポンドで三・三%上昇した。そうした局面があったことは否定できない。

 しかし、〇九年に入ってかたは、人民元の対ドル、対香港ドルレートはほぼ変動がなく、半年で二五ベーシス・ポイントと三五ベーシス・ポイントの上昇にとどまり、上昇幅はいずれも〇・〇四%だった。対ユーロと対ポン・ドレートは下落傾向にあり、それぞれ〇・〇五%と一三・二%下落した。つまり、ガイトナーの発言は、その時期の人民元の実体を反映したものではなかった(以上の数値は、「人民網日本語版」二〇〇九年七月二一日より引用。http://j.peopledaily.com.cn/94476/6706021)。.

 これは、中国政府が人民元安を作り出して輸出を強引に伸ばそうとしていることの現れである。ここには、かつての、いわゆる「ポールソン」効果が働かなくなった状況を読み取ることができる。

 子ブッシュ政権下のポールソン財務長官は、何度も訪中して中国政府に人民元切り上げ圧力をかけてきた(Morrison & Labonte[2008])。そしてそれはつねに実現されてきた。これが「ポールソン」効果と呼ばれているものである。

 ポールソンが訪中したときの中国の輸出伸張は順調であった。したがって、ポールソンの人民元切り上げ要請に部分的に応える余裕が中国にはあった。しかし、いまやそうした状況にはない。輸出税還付という政策手段だけでは、この世界不況下で輸出の減退を防ぐことはできなくなっているのである。そして、それを容認せざるを得ないほど米国は中国を当てにしているのである。

 首都経済貿易大学公共管理学部の張智新(Zhang Zhixin)・副教授は、「中国と米国が世界金融危機に共同で対応し、経済刺激のための巨額の資金を米政府が投入し続けている現在、中国という最大の債権者の安定を図ることが米国の現実的な選択である」、「中国は米国による人民元切り上げ圧力に対処する術を身につけてきたし、米国も人民元切り上げ圧力を加えるようなことはしないであろう」といい切った。

 中国商務部研究院の梅新育(Mei Xinyu)・研究員も、「ガイトナー長官の訪中目的は、米国の経済刺激プランへの中国の支持をとり付けることであり」、人民元切り上げ圧力を加えることではないと張・副教授と同じことをいった。

 中国による対米貿易黒字の解消は、為替レートを動かすことによってではなく、米国が対中輸出を禁じているハイテク分野の対中輸出を解禁することによって実現されるべきだと、上海財経大学現代金融研究センターの奚君羊(Xi Junyang)・副主任は、現在の対共産圏輸出抑制の米国の政策を批判している(上記、「人民網日本語版」二〇〇九年六月一日より。http://j.people.com.cn/94476/6668847.html)。

 上述の、IMF改革に中国を関与させるというガイトナーの方針は、訪中直前の報道関係者との会話にも現れている。〇九年五月三〇日、米財務省がそのときの模様を伝えている。同長官は、IMFの運営で中国の発言力が増すべきだとの上院銀行委員会での証言と同じことを語り、米国は国際システムの改革に大きく関与しようとしているのだが、そのプロセスに中国にも関与してもらいたい。それが米国の利益にかなうことであり、われわれは、「G7のような関係を中国との間にも構築したい」と語った(ロイター、二〇〇九年六月一日、http://www.worldtimes.co.jp/news/bus/kiji/2009-06-01T093448Z_01_NOOTR_
RTRMDNC_0?JAPAN_383096-1.html)。

 すでに述べたように、中国の外貨準備高は二兆ドルを超えた。ドルが大幅に下落してしまえば、中国の受ける打撃は巨大なものになる。その意味で、中国が今後も米国債を買い増しするのか否かに世界の注目が集まっているのは当然である(Fen, Junchen, "Is Amounting U.S. Treasury Bill a Threat to the Chinese Foreign Reserve?," Mar. 3, 2009. http://www.igloo.org/frankfeng_pku/isamountin)。


野崎日記(287) オバマ現象の解剖(32) 米中融合(1)

2010-03-06 10:13:41 | 野崎日記(新しい世界秩序)


第四章 米中融合-パックス・サイノ・アメリカーナ


 はじめに


 〇九年六月一日、ティモシー・ガイトナー(Timothy Franz Geithner)米財務長官が訪中した。訪中目的は、建前としては、「安定し、均衡のとれた持続可能な成長に向けた両国の経済関係強化」についての協議ということであった(〇九年五月一二日の米財務省の声明)が、実際には米国債購入要請であったことは想像に難くない。

 〇九年五月一三日、同長官は、「金融機関救済のための新プログラム構想」(1)を発表したが、そこでは、資金調達がキーワードになっていた。しかし、〇九年五月七日の三〇年物国債(2)の入札は、応募者数が激減し、入札価格も下落した。ガイトナーの訪中は緊急事態であった。

 〇九年二月一三日の三〇年物国債入札も不調であった(http://www.treasurydirect.gov/RI/OFNtebnd)。このときもヒラリー・クリントン(Hillary Rodham Clinton)国務長官が北京に飛んだ。〇九年二月二〇日~二二日のことである。その後、中国の米国債買いは弾みがついた。そして、〇九年六月一日のガイトナーの訪中である。

 〇九年二月になぜ財務長官ではなく国務長官を国債購入依頼のために派遣したのかという疑問は数多く出されている。真相は不明だが、中国政府がヒラリーの夫のビル・クリントン(William Jefferson “Bill” Clinton)になみなみならぬ梃子入れをしていた実績があるからであるとの説明が有力である。ビル・クリントン政権は中国政府からの献金を受けていたと騒がれたことがある(http://www.pbs.org/newshour/bb/congress/jan-june98/china_5-19.html;「原田武夫の『国際政治経済塾』、http://money.mag2.com/invest/kokusai/2009/05/post_113.html; Braun[2008])。

 本来なら急激に価値低下するはずのドルが暴落しない最大の要因は、中国による異様なほどの米国債買いである(Brown, et al{2009])。