消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

野崎日記(3000) オバマ現象の解剖(45) 一人勝ち(6)

2010-03-27 21:35:20 | 野崎日記(新しい世界秩序)



 五 オバマ政権による自由貿易体制の見直し気運


 オバマ政権下の財務長官ティモシー・ガイトナーは、米国の対中政策のキーマンになりそうである。彼は、財務長官になる前は、ニューヨーク連銀総裁(president of the Federal Reserve Bank of New York)であった。その前は、IMF理事であった。その前はクリントン政権で、国際部門担当財務次官(Under Secretary for International Affairs)であった。 ルービン財務長官、サマーズ(Lawrence Summers)財務長官の下で次官を務めた。


 ガイトナーの父は、中国でフォード財団(Ford Foundation)中国事務所設立責任者で、フォード財団の主任研究員であった。ガイトナーは、父親の仕事の関係で、日本、中国、タイ、インドなどで暮したこともある。ダートマス大学でアジア研究、ジョンズ・ホプキンス大学大学院で日本と中国の研究をした。中国語に堪能である。また、米財務省に勤務していたときには、一九九〇~九二年、東京の米国大使館で勤務、実質的に同大使館における財務担当を務めた。まさに、日本の大蔵省の橋渡し役として、頻繁に日米間を往復していた人物である。一九九〇年代を通じてガイトナーの日本の政財官人脈が豊富であることは間違いないが、中国共産党人脈も大きなものがあり、そのために、二〇〇一~〇三年の納税漏れスキャンダルでガイトナー降ろしが出たと原田武夫は指摘している(http://blog.goo.ne.jp/shiome/c/4377093b896823e2aef8a73e18f0dc37/1)。

 ガイトナーは、ペンシルバニア大学インド研究センターを作っている。彼の二〇年以上のキャリアには民間勤務の経験がないが、ゴールドマン・サックスとの関係は非常に濃密である。政府要人であったとき、彼は重要な地位にゴールドマン・サックスOBを多数就けた。中国への彼の傾斜にも同じくこの人脈が使われるであろうと中国側は認識しているようである(http://www.ogilvypr.com/en/expert-view/obama-administration-china-what-does-future-hold)。

 米中関係の将来を占う鍵に、オバマ大統領の自由貿易への一定の留保態度がある。それは、USTR(通商代表部=United States Trade Representative)に前ダラス市長のロン・カーク(Ron Kirk)をオバマ大統領が選んだことに現れている。
 カークは、一九八一年、テキサス州選出上院議員ロイド・ベンツェン(Lloyd Bentsen)の事務所に入り、ベンツェンの補佐官(aide)を務めた。カークは一九八三年にテキサス州に帰郷し、州議会でのロビー活動、ダラス市検事、法律事務所の経営を経たのち、一九九四年、テキサス州知事アン・リチャーズ(Ann Richards)の下で州務長官を務めた。そして、一九九五~二〇〇一年ダラス初の黒人市長を務めた。市長として、カークは「ダラス計画」(Dallas Project)と呼ばれる二五か年の都市改造計画を提起した。二〇〇一年、カークは連邦上院議員への立候補を表明し、二〇〇二年の二月にダラス市長を辞任、二〇〇二年の連邦上院議員選挙で敗れた。その後は、弁護士活動をしていた(http://www.ustr.gov/about-us/biographies-key-officials/united-states-trade-representative-ron-kirk)。

 カークは、通商問題の専門家ではない。しかし、〇二年の上院選挙での遊説のなかで、ファスト・トラック(Fast Track)問題にたびたび言及していた。

 ファスト・トラックというのは、文字通り「高速コース」である。通商交渉を迅速化させるべく、議会が、いちいち、議会と相談することなく相手国と交渉する権限を大統領に与え、交渉結果で作られた協定を議会がすべて認めるか全面拒否するかの一括審議方式をとるという手続きのことである。

 大統領にそうした権限を議会が与えるというのは、大統領への信任度合いによる。また一括審議方式とは、議会による修正動議を認めないという大統領の強い権限を意味する。

 この方式によると、大統領が締結した対外通商協定について、議会は九〇日以内に、これを全面的に支持するか、全面的に拒否するかの二者択一しか認められていない。通常の法案では、議会は提出された内容にいくつかの修正がなされ、一字一句も修正されないということなどまずない。ファスト・トラックではそうした修正がないというのが、重要なことである。これは大統領が、自分を信用しろという強い意志で相手国と交渉できるという意味を持っている。ファスト・トラックというのは通称であり、ただしくはTPA(大統領貿易促進権限=Trade Promotion Authority)という。

 一九七四年のフォード(Gerald Rudolph "Jerry" Ford, Jr.)政権以降、大統領には、すべてファスト・トラック権限が与えられていたが、クリントン政権の一九九三年五月時点で時効となった。クリントン政権は、一九八八年包括通商法で定められた権限を延長するなどしてNAFTA(北米自由貿易協定=North American Free Trade Agreement)実施法およびびウルグアイ・ラウンド(Uruguay Round)実施法を成立させたものの、それも、一九九四年四月に失効し、以降、クリントン政権下では、ファスト・トラック権限が与えられない状態であった。これは、上下院ともに共和党が多数派であったからである((Baldwin & Magee[2000])。

 そして、二〇〇一年に発足したブッシュ(George Walker Bush)政権はWTO(世界貿易機関=World Trade Organizaton)ドーハ・ラウンド(Doha Development Round)、FTAA(米州自由貿易地域=Free Trade Area of the Americas)交渉およびその他の二国間FTA(自由貿易協定=Free Trade Agreement)交渉などとの関連で、TPA(ファスト・トラック)取得を重要な通商課題と位置づけていた。同年一〇月に議会に提出されたTPA法案は、同年一二月六日に下院を通過し、二〇〇二年五月二三日には上院を通過した。ただし、上院通過のさいに、いわゆるクレイグ・デイトン修正条項(Craig Dayton Amendment)等の修正条項が付加された。これは、TPAの適用のある通商協定の国内実施法案を上院で事後的に修正することを可能とする条項であり、TPAを実質的に骨抜きにするものであった。しかし、〇二年八月六日、TPA法案は、ブッシュ大統領の署名により成立した(二〇〇二年超党派貿易促進権限法=Bipartisan Trade Promotion Authority Act of 2002)。TPAは、二〇〇五年六月に延長され、政権は再延長を議会に働きかけてきたが、議会の同意を得るには至らず、二〇〇七年七月一日に失効した(http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/keizai/eco_tusho/tpa.html)。

 カークが、TPAに反対したという実績は、オバマにとって好都合であった。オバマは、従来のTPAに替わる議会との連携を模索しているからである。

 オバマ政権下のUSTRが、〇九年三月四日、四六七ページにおよぶ、大部〇九年年報(USTR[2009]).を出した。そこでは、オバマ政権の通商政策がかなり綿密に説明されている。

 「これまでの単純な関税引き下げ交渉は適切な貿易政策ではない」、「貿易自由化の進展が途上国にどのような影響を与えるかが重要な問題として認識されなければならない」という瞠目すべき記述がある。

 「重要なことは、労働者とその家族、そしてコミュニティにっとっての経済的帰結である」、そのためにも、「議会にもわれわれの労働者支援政策に対する協力を求める」、「少なくとも、米国が追求してきた貿易政策は、一部の資産家をさらに富裕化させ、世界の貧しい人々に影響を与えてきたことを見過ごすべきではない」。

 行き詰まっているドーハ・ラウンド(Doha Development Round)(5)を打開するためにも、労働者の生活とその環境の重視が改めて強調されているのである。

 たとえば、オバマは、NAFTAに触れ、米国の南北の境界線に接するメキシコとカナダの労働者に被害がおよぶような貿易はおこなわれるるべきではないとしている。これは、オバマが、大統領選で、NAFTAは労働者にマイナスの影響を与えているとの批判に呼応するものである(Bridges Weekly, November 6, 2008; http://ictsd.net/i/news/bridgesweekly/32652/)。

 一五年にもわたる貿易交渉ではあるが、その中で、労働者の生活と環境問題を主たる討議事項にしたいと、オバマは、〇九年二月、カナダ首相のステーブン・ハイパー(Stephen Harper)に語っていた(Bridges Weekly, February 25, 2009, http://ictsd.net/i/news/bridgesweekly/41648/)。 

 報告書は訴えている。「われわれは労働者福祉を犠牲にするような貿易拡大は望まないし、環境を無視するような競争力強化など望まない」と。

 こうした条件を組み込んだ自由貿易協定の成功例として、同上書はパナマと米国との間に交わされたものであるとしている(6)。労働者福祉を前面に押し立てたFTAをコロンビア、韓国と結ぶべきであるとも同報告書は強調している。

 ただし、パナマFTAは上院議員の強い支持を得ているが、コロンビアについては、民主党議員の中に強い不信感があり、韓国については、自動車労働組合の疑念もあり、すんなりとは合意されないであろう。

 それでも、オバマは、USTRにカークを選んだように、大統領権限の強化ではなく、途上国との対話、そしてなによりも議会との妥協を最優先しつつ、労働者削減に通じる自由貿易を見直そうとしていることは間違いない(http://ictsd.net/i/news/bridgesweekly/42281)。

 選挙キャンペーン中、TPAを求めるよりも、貿易交渉において、議会の関与を重視すると説いて回っていたオバマの貿易政策は、医療保険、地球温暖化問題、エネルギーの自立、金融部門などのサービス・センターの見直し、食料と製品の安全性、医薬品などの分野に重点が置かれている。そして、対日要求の九八年版『要望書』では、これまでの『要望書』の中では初めて、米国が影響力を持つ国際的な食品安全基準であるCODEX基準(Codex Alimentarius)に従うように日本に要求している(7)。これは、米国農業政策の世界への押しつけ以外のなにものでもない。

 カークは、ビンソン& エルキンズ(Vinson & Elkins LLP)という法律事務所の経営者としてテキサスにおけるオバマの選挙を取り仕切っていた。そうした論功行賞としてUSTRの座を与えられたという側面を否定はできないが、少なくとも、新分野での貿易交渉にシフトすることがカークには託されているのである(http://www.ogilvypr.com/en/expert-view/obama-administration-china-what-does-future-hold)。