消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

野崎日記(292) オバマ現象の解剖(37) 米中融合(6)

2010-03-14 21:17:01 | 野崎日記(新しい世界秩序)


 
 五 米中戦略・経済対話


 米中間にはSED(戦略的経済対話=Strategic Economic Dialogue)というものがあった(6)。この後継として〇九年七月に新しい機構ができた。それは、〇五年に開始された戦略対話と〇六年から隔年で開かれていた戦略的経済対話を統合したものである。S&ED(米中戦略・経済対話=China-U.S. Strategic and Economic Dialogue)がそれである。その第一回対話が、〇九年七月二七日の月曜日、ワシントンで開催された。その第一回会議の開会式には、中国側が、副首相の王岐山、国務院国務委員(外交担当)の戴秉国(Dài Bingguo)。米国側が、オバマ大統領、米国務長官のヒラリー・クリントン、米財務長官のティモシー・ガイトナーが参列した。この対話は、世界最大の途上国とこれまた世界最大の先進国間の初めてのものであると新華社は豪語した。

 胡錦涛(Hu Jintao)主席は、開会式に二つの書簡を送り、それぞれ、主席の特別代表で、対話の共同議長である、副首相の王岐山と国務委員の戴秉国が読み上げた。中国側は、一五〇人の高官を送り込んだ。うち、二四名は大臣級であった。
 胡・主席は、書簡の中で、両国は、複雑にして変化する国際経済・政治状況の中にあって、共通の基盤を拡大させ、相違を縮小させ、相互信頼を高め、戦略・経済対話によって、協力を強化したい、それが、「全世界の平和、安定、発展にとって非常に重要なことである」と述べた。

 新華社の別の記事では、オバマ大統領の挨拶が掲載されている。

 オバマ大統領の開会式挨拶は、金融危機、安全保障、気候変動など広範な分野に言及したものであり、元大統領のビル・クリントンの、米中は「同じ舟」に乗り合わせているという言葉("Same Boat" Theory)を引用して、米中を「G2」とまで表現し、米中抜きの世界平和など考えられないと中国側に媚びを売ったのであった(China, U.S. attach importance to first Strategic and Economic Dialogue http://news.xinhuanet.com/english/2009-07/28/content_11783593.htm www.chinaview.cn2009-07-28)。

 米国で金融危機が深刻化したお陰もあって、SEDの中心問題であった人民元切り上げ論は後退している。大統領選挙中の〇八年一〇月段階でのオバマは、「米中間の経済的不均衡を是正するという中心的問題は、中国の通貨政策の変化を通してでなくてはならない」、「中国の通貨政策は米国企業と米国労働者にとってもよくない。世界にとってもよろしくない。結局は中国自身にインフレーションという害悪が襲うことにあるだけである」と中国に関する見解を発表していたのに、その姿勢は大転換した(Obama, Barack, China Brief, U.S.-China Policy Under an Obama Administration. October 2008)。

 ちなみに、オバマ発言の直後の人民元は、対ドルで一%下落した。これは、中国政府が人民元切り上げに抵抗したものと受け取られている。
 対米貿易において、中国側の膨大な黒字が米国から非難されるが、じつは中国の対米輸入は、メシキコ、カナダに次いで第三位である。日本は中国に第三位の座を明渡し、〇九年段階では第四位となっている。

 こうしたことから、米国の対中貿易規制は苦境に陥っている産業から急速に解除されているし、中国側も米国の苦境に立つ企業買収を真剣に模索し始めた。
 オバマ政権は、雇用増大を最高目標にしている。それは大統領首席補佐官のラーム・エマヌエル(Rahm Emanuel)の次の発言によく表現されている。「我々の第一目標は雇用である。我々の第二目標は雇用である。我々の第三目標は雇用である(Baker[2009])。

 これは、オバマ政権が保護主義に傾斜していることを示すものである。ましてや、選挙期間中、オバマは「バイ・アメリカン」条項の導入をもほのめかしていたのである(Nichols, Hans, "Obama Says U.S. Must Act Swiftly to Address Economy ,", Bloomberg, January 3rd, 2009.http://www.bloomberg.com/apps/news?pid=20601103&sid=aeLGXDu_0Qiw&refer=news)。

 保護主義の台頭は、かつて、中国の聯想集団(Lenobo)によるIBMのパソコン部門買収時の経緯を想起させる(7)。当時は、国防上の理由から中国企業による米系ハイテク企業買収の是非をめぐって米国で議論が沸騰していた。しかし、結局はレノボによる米系ハイテク企業の買収は許可された。今後は、米国のCFIUS(米国への外国人投資に関する委員会=Committee on Foreign Investment in the United States)は、基本的に中国政府と妥協するであろう。米資本もまた中国内に確かな足がかりを掴もうと懸命になっているからである。

 ただし、一直線に問題が解決されるわけではない。中国側にも自国企業保護政策を強化しているからである。〇八年八月、中国では新しい独占禁止法が施行されるようになった。この法律によって外資系企業は中国での展開に足枷をはめられることになった。これは、中国への貢献が認められなければ投資活動を認可しないという法律である(Steve Dickinson,"China Oopposes Trade Protectionism Under Pretext of Product Quality,"Xinhua News Agency, October 17, 2007.http://news.xinhuanet.com/english/2007-10/17/content_6894990.htm)。

 この法律を適用する最初の審査は、コカコーラによる中国匯源果汁集団有限公司買収案件についてである。法律の施行以後、〇九年に入って、外資系企業と中国企業とのいくつかの提携交渉が頓挫している。たとえば、日本の半導体メーカー、エルピーダ・メモリーと中国のベンチャーとの提携は延期された。クライスラーと中国の奇瑞汽车股份有限公司との提携話も破談になった。

 そうした、いくつかの例はあるものの、米中間の資本提携は進んでいる。クレディ・スイス(Credit Suisse)と中国の方正証券(Founder Securities)は〇八年一二月三一日に中国での合弁会社の営業許可を取得した(http://www.founder.com/show-17-13796.html)。そしてその新会社は、クレディ・スイス・ファウンダー・セキュリティーズ(Credit Suisse Founder Securities)という名前になり、クレディ・スイス側が三三・七%、ファウンダー側が六六・三%を出資した(http://news.alibaba.com/article/detail/business-in-china/100036225-1-credit-suisse%252C-founder-securities-jv.html)。この新会社はさらに、ゴールドマン・サックスとUBSに資本参加して中国内外の証券ビジネスを扱うようになった。

 中国の証券会社は、〇四年の一三四社から〇八年には一〇七に減少した。これは、M&Aを繰り返して巨大証券会社が誕生したことを意味する。

 なかでも、外資との合弁が巨大化に弾みをつけた。〇八年八月までに中国には外資と合弁した七つの証券会社ができていた。CICC(中国国际金融有限公司=China International Capital Corporation)(8)、ゴールドマン・サックス高華証券(Goldman Sachs Gao Hua Secutrities)(9)、UBS、BOC、CESL、大和SMBC証券などの合弁会社、それに上述のクレディ・スイス・ファウンダー・セキュリティーズである。このうち、CICC、ゴールドマン・サックス、UBSとの合弁証券会社がIPO(新規株式公開=Initial Public Offering)取り扱いの四一・六%のシェアを占めたのである。中国系の証券会社は、株式売買などの伝統的業務に限定しているので、中国のIPOをはじめとする投資業務は、こうした外資系によって握られているといえる(http://www.infoshop-japan.com/study/rinc78270-cn-securities_toc.html)。

 こうして、クレディ・スイスを先鞭として、ゴールドマン・サックス、UBS、モルガン・スタンレー、シティグループなどの外資系投資銀行が競って中国市場を目指したのである。