消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

本山美彦 福井日記 57 永平寺

2007-01-27 00:50:42 | 神(福井日記)

 永平寺の「永平」という名前の由来はなんだろうかと、昔から疑問に思っていた。

 末木文美土(すえき・ふみひこ)『日本仏教史』(新潮文庫、平成8年)によれば、中国に大乗仏教が伝来した年の年号、「永平」10年(西暦67年)に由来するという。


 同氏も感想を述べられているように、仏教というのはまことにもって変な宗教である。発祥地のインドでは見る影もない


 中国や韓国でも絶滅しているわけではないが、同じく、衰退している。インドでは巨大な影響力をもっていたのに、衰退した。中国でも日本からの多くの留学生にとてつもなき大きな精神的影響力を与え(いまの米国追随留学帰りよりもはるかに強力な)ていたのに、衰退した。


 日本でも、自分を仏教徒と認識する人はごく少数であろう。 いまや、思想的な影響力は微々たるものにすぎない。どうしてなのだろうか。思想の定着性がなぜ、仏教にはないのだろうか。上記、末木氏の著作はその疑問を解決しようとしたものである。


 空しい、なにもないという境地が、「我は居る」という開き直りの姿勢に敗北してきたのかも知れない。


 
とにかく、「空」は格好がいいが、治まり悪い境地である。そうした高踏さは、つねに、民衆のエネルギーによって打ち壊されてきた。


 観光の庭園がなく、葬式がなくなったとき、仏教は、最後の生息地の日本ですら解体して行くものと思われる。


 そうした中で、永平寺には庭園らしい庭園はない。なぜ、人は、それにもかかわらず、集まるのだろう。かくいう私もその一人である。読経の響きのすごさなのだろうか。


 釈迦とは、紀元前6世紀頃のゴータマ・シッダルタを開祖とし、彼の出身部族がシャカである(シャーキャ・ムニ)。従って、漢字はこの音読みを移したものである。釈迦牟尼(シャカムニ)、釈迦(シャカ)。悟った人をブツダという。これも漢字を当てて仏陀としたのである。

 そもそも、原始仏教は、ピタゴラス派を想起させるものである。この世を苦と捉え、そこからの超越を目指して出家集団の組織化と修行を積むことを内容としていた。

 大乗仏教とは、仏陀なき後、分裂を繰り返していた諸派(上座仏教、小乗仏教)を超える大乗=「大きな乗り物」を目指したものである。


  仏陀を敬い、在家者の修行の重要性を説き、実に多くの仏と菩薩を作り上げた。阿弥陀仏薬師仏弥勒菩薩、等々。つまり、西方のあらゆる神が集合させられたのである。

 東南アジアで流布されていた小乗仏教を超えるべく、本家のインドで大乗仏教が勃興したのであるが、この大乗仏教が中央アジアを経て、中国に伝えられる。後漢の明帝が、夢の中で黄金の仏を見て、西方に仏法を求めたと言われいる。『後漢書』西域伝の記述による。


 日本では、鎌田茂雄中国仏教史』(岩波全書、1978年)で紹介されている。


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