専門家にも素人のときがあった。それでいい。いま、私は末木氏の解説を下敷きにして、仏教の勉強をしている。これはそのノートにすぎない。次第に完全なものにして行く所存である。
最終的には私は、社会構造を歴史的に理解する手段として宗教を使う学者になりたいと願っている。
学術論文でなければなにをも書いてはだめだという権威主義を私はずっと排してきた。もとより、間違いは素直に認める積もりである。なによりも先に鳥瞰図(*ちょうかんず)を描くこと、このことが学問上で最重要のことである。鳥瞰図を早期に得た後、じくり推敲を重ねるというのが、学問の方法である。誤ってもいいから、とにかく鳥瞰図を早く書いて見ることがどうしても必要である。
*高い所から見おろしたように描いた風景図または地図。鳥目絵(とりめえ)。
我が師、小野一一郎先生が、ある時代を経済学で分析する前に、当時の大衆小説を読むように私に勧めてくださったことが、そうした考え方をするさいの、血肉になっている。
それを人の「考え方の鋳型」に応用しているのがいまの私であり、このブログの趣旨である。「消された思考の回路」、これを私は復権させようとしている。なにが正しいのかの判定は好事家にまかせておけばよい。私は、こぼれ落とされた者たちの思考を回復させようとしているのである。
梶山雄一の著作に『「さとり」と「廻向」』(講談社現代新書、1983年)がある。廻向については、末木氏と梶山氏に依拠している。
「追善廻向」(ついぜんえこう)となにげなく私たちは使っている。「廻向」は、善行を積んで、ある目的のために、そうした積んだ善を振り向けることを意味するという。その目的とは仏教の初期には自分の救済であったらしい。それが、大乗仏教の登場とともに、他人を救済することにも使われるようになった。死者は、死んでしまっているのだから、善行を積むことはできない。善行をなすことのできない死者に功徳を与えたい。そのために、死者に代わって善行を積んで(追善)、死者の功徳に応用してあげたい。これが、追善廻向である。
インドの輪廻思想によれば、人は死んでしまった後、49日経つと別の生命に生まれ変わるという。
生まれ変わる前の、この49日間を「中陰」(ちゅういん)という。追善の法要がこの間に営まれるのは、生きている人間たちが、この死者に代わって善行を積み、その善行によって、死者が新しい生命を得るときに役立てようという趣旨から生まれたものである。
この廻向は、中国で発展した。49日の間は7日ごとの法要、そして、100日法要、1周忌、3回忌となった。つまり、合計10回の法要がある。これを「10仏事」というらしい。面白いのは、日本ではこれに3回の法要を足した。7回忌、13回忌、33回忌がそれである。つまり、「13仏事」になったのである。
それでは、「仏事」とはなにか。死者がきちんとしているかどうかを仏(王)が裁くことである。
死者は、初七日には「秦広王」(しんこうおう)の裁きを受けなければならない。そして、「初江王」(はっこうおう)、「宋帝王」(そうていおう)、「五官王」(ごかんおう)、「閻羅王」(えんらおう)、「変成王」(へんじょうおう)、「太山王」(たいざんおう)と続き、100日目には、「平等王」(びょうどうおう)、1周忌に「都市王」(としおう)、3回忌に「五道転輪王」(ごどうてんりんおう)の裁判がある。これは、閻魔王信仰の一つ、「十王信仰」である。インドのベーダでは、閻魔王は最初、死者の楽園の王として天界にいたのに、死者を裁く神に変化したとされている。
日本では、この「王」が「菩薩」に代わり、13菩薩が死者を見るのである。
「盂蘭盆会」(うらぼんえ)も中国発である。
仏教用語に、「安居」(あんご)という言葉がある。
「ウィキペディア」によれば、「安居とは、それまで個々に活動していた僧侶たちが、一定期間、一カ所に集まって集団で修行すること。及び、その期間の事を指す」として、以下のように説明している。
「安居とは元々、梵語の雨期を日本語に訳したものである。本来の目的は雨期には草木が生え繁り、昆虫、蛇などの数多くの小動物が活動するため、遊行(外での修行)をやめて一カ所に定住することにより、小動物に対する無用な殺生を防ぐ事である。後に雨期のある夏に行う事から、夏安居(げあんご)、雨安居(うあんご)とも呼ばれるようになった。
釈尊在世中より始められたとされ、その後、仏教の伝来と共に中国や日本に伝わり、夏だけでなく冬も行うようになり(冬安居)、安居の回数が僧侶の仏教界での経験を指すようになり、その後の昇進の基準になるなど、非常に重要視された。
現在でも禅宗では、修行僧が安居を行い、安居に入る結制から、安居が明ける解夏(げげ)までの間は寺域から一歩も外を出ずに修行に明け暮れる。
日本書紀の成務天皇の項で、「百姓安居」という言葉が見られるが、これを指した物であるかどうかは定かではない。
また、683年の天武天皇の項から、宮中で安居が行われたとの記録が複数見られる。その後、民間にも広まり、期間中は家事一切を行わない為、一部の地域では安居は「言う事を聞かない」と言う意味の方言としても使用される。この場合は「あんごさく」、「あんご」とも言うが、「安居」と記されているが当時から「あんご」と読んだのかは定かではない。万葉仮名風に読むと「あこ」または「あご」と読むことが出来る。但し、万葉仮名などを方言に用いる地方では、二文字目に濁音が入る場合、一文字目と二文字目の間に「ん」を入れることが多く地名などに見ることが出来る。この場合、「あご」は「あんご」と読む事となる」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%B1%85)。
さて、中国では、この安居の期間が明けるのが、陰暦7月15日である(「自放」(じし)。
『盂蘭盆経』という経典がある。
それによると、釈尊の高弟、目連(もくけんれん)(けんの正字は牛偏)が、自分の母親が餓鬼道に落ちていることを発見、釈迦に相談すれば、7月15日に僧衆を供養すればよいと言われ、そうしたら、母は救われたとされている。
この7月15日を盂蘭盆という。盂蘭盆とは、これも、ウィキペディアによると、
「盂蘭盆会(うらぼんえ、ullambana、उल्लम्बन)とは、安居(あんご)の最後の日、7月15日 (旧暦)を盂蘭盆(ullambana)とよんで、父母や祖霊を供養し、倒懸(とうけん)の苦を救うという行事である。これは『盂蘭盆経 』(西晋、竺法護訳)『報恩奉盆経 』(東晋、失訳)などに説かれる目連尊者の餓鬼道に堕ちた亡母への供養の伝説による。
盂蘭盆は、サンスクリット語の「ウランバナ」の音写語で、古くは「烏藍婆拏」「烏藍婆那」とも音写された。「ウランバナ」は「ウド、ランブ」(ud-lamb)の義であるといわれ、これが倒懸(さかさにかかる)の意である。
近年、イランの言語で「霊魂」を意味するウルヴァン(urvan)が原語だとする説が出ているが、サンスクリット語の起源などからすれば、可能性が高い説である(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%82%E8%98%AD%E7%9B%86)。
供養とは、文字通り、接待することである。僧衆とは僧のことである。
日本で、なぜ、13の裁きに増えたのかは不明である。それに、彼岸会も中国にはなく、日本独自のものであるらしい。
浄土宗の説明では、以下のようになっている。
「彼岸は、春分と秋分を中日としてその前後三日間、菩提(ぼだい)の種を蒔(ま)く日といわれる計一週間にわたる期間をいいます。この習慣はわが国特有のものとされ、その起源は古く、一説では聖徳太子の頃といわれます。彼岸の中日には太陽が真東から出て、真西に沈む。太陽の真西に入る様子を見ながら、阿弥陀さまのまします西方浄土に想いを馳(は)せて、自分自身を反省するのにふさわしい日とされている。
この「彼岸」とは、もともと生死流転(しょうしるてん)する此岸(しがん)から涅槃(ねはん)の彼岸に到る「到(とう)彼岸」のことで、到彼岸とは現実の世界(此の迷いの岸)から、理想の世界(彼のさとりの岸)へ渡ることで、古代インドの原語でパーラミター(波羅蜜多)といいます。この一週間は、中日の前後三日間に布施(ふせ)(めぐみ)・持戒(じかい)(いましめ)・忍辱(にんにく)(しのび)・精進(しょうじん)(はげみ)・禅定(ぜんじょう)(しずけさ)・智慧(ちえ)(さとり)という「六波羅蜜(ろくはらみつ)」(六つの正しい行い)をあてはめて実践し、煩悩(ぼんのう)の川を渡り、極楽浄土へ生まれかわりたいと願う信仰実践の期間とされています。
また浄土宗で高祖(こうそ)と仰がれる中国の善導大師(ぜんどうたいし)(七世紀・唐の人)は、太陽が真東から出て真西に沈む春分・秋分の日には、「日想観(にっそうかん)」という行法(ぎょうほう)を行い、その日没の場所を極楽浄土と思ってあこがれの心を起こすべきである、ともお説きになっています。
あらゆる自然の生命が若々しく萌(も)えあがる春彼岸の時期。自然をたたえ、生命をいつくしみ、南無阿弥陀仏を称えて、今日ある自分を育んでくれた数多くの祖先の追善供養など仏事につとめ、心から先祖のご恩に感謝いたしましょう。そして、わたしちたち自身の生活をもう一度反省したいものです」(http://www.jodo.or.jp/naruhodo/event/index17.html)。
最終的には私は、社会構造を歴史的に理解する手段として宗教を使う学者になりたいと願っている。
学術論文でなければなにをも書いてはだめだという権威主義を私はずっと排してきた。もとより、間違いは素直に認める積もりである。なによりも先に鳥瞰図(*ちょうかんず)を描くこと、このことが学問上で最重要のことである。鳥瞰図を早期に得た後、じくり推敲を重ねるというのが、学問の方法である。誤ってもいいから、とにかく鳥瞰図を早く書いて見ることがどうしても必要である。
*高い所から見おろしたように描いた風景図または地図。鳥目絵(とりめえ)。
我が師、小野一一郎先生が、ある時代を経済学で分析する前に、当時の大衆小説を読むように私に勧めてくださったことが、そうした考え方をするさいの、血肉になっている。
それを人の「考え方の鋳型」に応用しているのがいまの私であり、このブログの趣旨である。「消された思考の回路」、これを私は復権させようとしている。なにが正しいのかの判定は好事家にまかせておけばよい。私は、こぼれ落とされた者たちの思考を回復させようとしているのである。
梶山雄一の著作に『「さとり」と「廻向」』(講談社現代新書、1983年)がある。廻向については、末木氏と梶山氏に依拠している。
「追善廻向」(ついぜんえこう)となにげなく私たちは使っている。「廻向」は、善行を積んで、ある目的のために、そうした積んだ善を振り向けることを意味するという。その目的とは仏教の初期には自分の救済であったらしい。それが、大乗仏教の登場とともに、他人を救済することにも使われるようになった。死者は、死んでしまっているのだから、善行を積むことはできない。善行をなすことのできない死者に功徳を与えたい。そのために、死者に代わって善行を積んで(追善)、死者の功徳に応用してあげたい。これが、追善廻向である。
インドの輪廻思想によれば、人は死んでしまった後、49日経つと別の生命に生まれ変わるという。
生まれ変わる前の、この49日間を「中陰」(ちゅういん)という。追善の法要がこの間に営まれるのは、生きている人間たちが、この死者に代わって善行を積み、その善行によって、死者が新しい生命を得るときに役立てようという趣旨から生まれたものである。
この廻向は、中国で発展した。49日の間は7日ごとの法要、そして、100日法要、1周忌、3回忌となった。つまり、合計10回の法要がある。これを「10仏事」というらしい。面白いのは、日本ではこれに3回の法要を足した。7回忌、13回忌、33回忌がそれである。つまり、「13仏事」になったのである。
それでは、「仏事」とはなにか。死者がきちんとしているかどうかを仏(王)が裁くことである。
死者は、初七日には「秦広王」(しんこうおう)の裁きを受けなければならない。そして、「初江王」(はっこうおう)、「宋帝王」(そうていおう)、「五官王」(ごかんおう)、「閻羅王」(えんらおう)、「変成王」(へんじょうおう)、「太山王」(たいざんおう)と続き、100日目には、「平等王」(びょうどうおう)、1周忌に「都市王」(としおう)、3回忌に「五道転輪王」(ごどうてんりんおう)の裁判がある。これは、閻魔王信仰の一つ、「十王信仰」である。インドのベーダでは、閻魔王は最初、死者の楽園の王として天界にいたのに、死者を裁く神に変化したとされている。
日本では、この「王」が「菩薩」に代わり、13菩薩が死者を見るのである。
「盂蘭盆会」(うらぼんえ)も中国発である。
仏教用語に、「安居」(あんご)という言葉がある。
「ウィキペディア」によれば、「安居とは、それまで個々に活動していた僧侶たちが、一定期間、一カ所に集まって集団で修行すること。及び、その期間の事を指す」として、以下のように説明している。
「安居とは元々、梵語の雨期を日本語に訳したものである。本来の目的は雨期には草木が生え繁り、昆虫、蛇などの数多くの小動物が活動するため、遊行(外での修行)をやめて一カ所に定住することにより、小動物に対する無用な殺生を防ぐ事である。後に雨期のある夏に行う事から、夏安居(げあんご)、雨安居(うあんご)とも呼ばれるようになった。
釈尊在世中より始められたとされ、その後、仏教の伝来と共に中国や日本に伝わり、夏だけでなく冬も行うようになり(冬安居)、安居の回数が僧侶の仏教界での経験を指すようになり、その後の昇進の基準になるなど、非常に重要視された。
現在でも禅宗では、修行僧が安居を行い、安居に入る結制から、安居が明ける解夏(げげ)までの間は寺域から一歩も外を出ずに修行に明け暮れる。
日本書紀の成務天皇の項で、「百姓安居」という言葉が見られるが、これを指した物であるかどうかは定かではない。
また、683年の天武天皇の項から、宮中で安居が行われたとの記録が複数見られる。その後、民間にも広まり、期間中は家事一切を行わない為、一部の地域では安居は「言う事を聞かない」と言う意味の方言としても使用される。この場合は「あんごさく」、「あんご」とも言うが、「安居」と記されているが当時から「あんご」と読んだのかは定かではない。万葉仮名風に読むと「あこ」または「あご」と読むことが出来る。但し、万葉仮名などを方言に用いる地方では、二文字目に濁音が入る場合、一文字目と二文字目の間に「ん」を入れることが多く地名などに見ることが出来る。この場合、「あご」は「あんご」と読む事となる」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%B1%85)。
さて、中国では、この安居の期間が明けるのが、陰暦7月15日である(「自放」(じし)。
『盂蘭盆経』という経典がある。
それによると、釈尊の高弟、目連(もくけんれん)(けんの正字は牛偏)が、自分の母親が餓鬼道に落ちていることを発見、釈迦に相談すれば、7月15日に僧衆を供養すればよいと言われ、そうしたら、母は救われたとされている。
この7月15日を盂蘭盆という。盂蘭盆とは、これも、ウィキペディアによると、
「盂蘭盆会(うらぼんえ、ullambana、उल्लम्बन)とは、安居(あんご)の最後の日、7月15日 (旧暦)を盂蘭盆(ullambana)とよんで、父母や祖霊を供養し、倒懸(とうけん)の苦を救うという行事である。これは『盂蘭盆経 』(西晋、竺法護訳)『報恩奉盆経 』(東晋、失訳)などに説かれる目連尊者の餓鬼道に堕ちた亡母への供養の伝説による。
盂蘭盆は、サンスクリット語の「ウランバナ」の音写語で、古くは「烏藍婆拏」「烏藍婆那」とも音写された。「ウランバナ」は「ウド、ランブ」(ud-lamb)の義であるといわれ、これが倒懸(さかさにかかる)の意である。
近年、イランの言語で「霊魂」を意味するウルヴァン(urvan)が原語だとする説が出ているが、サンスクリット語の起源などからすれば、可能性が高い説である(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%82%E8%98%AD%E7%9B%86)。
供養とは、文字通り、接待することである。僧衆とは僧のことである。
日本で、なぜ、13の裁きに増えたのかは不明である。それに、彼岸会も中国にはなく、日本独自のものであるらしい。
浄土宗の説明では、以下のようになっている。
「彼岸は、春分と秋分を中日としてその前後三日間、菩提(ぼだい)の種を蒔(ま)く日といわれる計一週間にわたる期間をいいます。この習慣はわが国特有のものとされ、その起源は古く、一説では聖徳太子の頃といわれます。彼岸の中日には太陽が真東から出て、真西に沈む。太陽の真西に入る様子を見ながら、阿弥陀さまのまします西方浄土に想いを馳(は)せて、自分自身を反省するのにふさわしい日とされている。
この「彼岸」とは、もともと生死流転(しょうしるてん)する此岸(しがん)から涅槃(ねはん)の彼岸に到る「到(とう)彼岸」のことで、到彼岸とは現実の世界(此の迷いの岸)から、理想の世界(彼のさとりの岸)へ渡ることで、古代インドの原語でパーラミター(波羅蜜多)といいます。この一週間は、中日の前後三日間に布施(ふせ)(めぐみ)・持戒(じかい)(いましめ)・忍辱(にんにく)(しのび)・精進(しょうじん)(はげみ)・禅定(ぜんじょう)(しずけさ)・智慧(ちえ)(さとり)という「六波羅蜜(ろくはらみつ)」(六つの正しい行い)をあてはめて実践し、煩悩(ぼんのう)の川を渡り、極楽浄土へ生まれかわりたいと願う信仰実践の期間とされています。
また浄土宗で高祖(こうそ)と仰がれる中国の善導大師(ぜんどうたいし)(七世紀・唐の人)は、太陽が真東から出て真西に沈む春分・秋分の日には、「日想観(にっそうかん)」という行法(ぎょうほう)を行い、その日没の場所を極楽浄土と思ってあこがれの心を起こすべきである、ともお説きになっています。
あらゆる自然の生命が若々しく萌(も)えあがる春彼岸の時期。自然をたたえ、生命をいつくしみ、南無阿弥陀仏を称えて、今日ある自分を育んでくれた数多くの祖先の追善供養など仏事につとめ、心から先祖のご恩に感謝いたしましょう。そして、わたしちたち自身の生活をもう一度反省したいものです」(http://www.jodo.or.jp/naruhodo/event/index17.html)。