消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

本山美彦 福井日記 60 テキスト・ファンダメンタリスト

2007-01-30 06:31:39 | 神(福井日記)
  日本で、『法華経』信仰を鼓舞したのは、最澄であった
 ただ、最澄は、『法華経』解釈をめぐる他宗との論争に精魂を尽き果たし、教団としての組織化には失敗した。比叡山が、高野山を凌ぐ大組織になるのは、最澄よりもはるかに後代になってからである。



 最澄は、空海のように、朝廷の愛顧を得て、高野山・東寺・西寺を頂く才覚には恵まれていなかった。

 
しかし、闘う最澄の下から、力のある新宗派創始者が輩出したのに、空海の下からは、これといった革新的学僧は育たなかった。空海が偉大すぎたということもあったのかも知れないが、むしろ、組織原理が個性を潰したと理解すべきだろう。

 思想とは、組織の巨大さではなく、わくわくするような闘いの中から育成されるものであることをこれは示している。

 それは、現代社会でも通じる。
 
権威を確立したマンモス組織からよりも、権威に挑戦する小さな組織から、大変な学者が輩出するものである。私が育った京大経済学部は日本では最少人数の組織で「あった」。しかし、自由闊達な組織で「あった」。大変な学者が巣立ったかどうかは後生の人たちが判定することなのだが。



 ただし、これも日本の学問の悲劇なのだが、仏教の経典が原語ではなく、漢訳から得たものであり、「加上」として原典に付け加えられた個所も漢語であることから、字義解釈学に学問が堕落してしまいかねない。日本語で理論が組み立てられていないのである。



 マルクス研究の悲劇はその最たるものである。
 
誰の編集によるテキストであるのか、マルクスの著作に散りばめられている用語を、当時のドイツ語の文脈で理解されたのか否か、等々の論争の消耗戦が、若者のマルクス離れを生み出したと私は思う。

 そもそも、過度にテキスト・クリティークにこだわるのは日本人の悪しき慣習である。

 
マルクスの真実がいかなるものであれ、資本主義社会の矛盾を現実に解消し、新たな歴史を作るにはどうしたらいいのかを、母国語で、母国の感性で考えることこそがもっとも重要なことである。

 マルクスのテキスト論争が消耗戦の末に沙汰止みになった瞬間に、日本では「マルクス的雰囲気」の研究者は一瞬にして消えてしまった。「マルクス主義」全盛時代には、「私はマルクス主義者ではない」と言っていた私が、いまなお「マルクス的なもの」にこだわっている。変な思想界である。

 最澄は、確かに闘士であった。それが若い学僧の感性を揺さぶった。しかし、最澄はもっとも日本的な翻訳解釈学の消耗戦で燃え尽きた。

 これは、最澄のものではないが、天台の良源(りょうげん)が南都の法相宗と論争した「応和の宗論」(963年)などはその典型である。

 『法華経』の「方便品」に「無一不成仏」という語句がある。もちろん、これはインドの原語からの漢訳である。この解釈をめぐって激しい論争が闘わされた。天台側の良源は、「成仏しない人は一人もない」(一として成仏せざるなし)と解釈し、法宗側の仲算(ちゅうざん)は、「仏性をもたない衆生は成仏できない」(無の一は成仏せず)と解釈した。

 ここには、権威主義が思想を支配しているどうしょうもない日本の悪弊が集約されている。

 
私など、どうでもいいではないかと思う。
 
真に「人は等しく心の中に仏性がある」と信じるのであれば、それを身近な事柄と論理の構成によって、説得的な言葉で人々に語りかけ、文章を公表すればよいではないか。よしんば、自分たちが依拠する『法華経』が自分たちの主張する内容と異なれば、「テキストではそうだが」、いまの時代には別の方向で考えたいと、率直に語ればいいのではないか。テキスト至上主義、権威主義の象徴が、日本の宗教論争を支配していた。


 そもそも、僧は、朝廷から認可され、それ以外の僧たらんとする者は「私度僧」として教団から排除された。認可される僧は、東大寺などで戒を授けらればならなかった。朝廷の権威に従属しないかぎり、平安朝の宗教は存立できなかったのである。最澄ですら、戒壇を比叡山に設置すべく朝廷にお願いしていたのである。空海は早々と設置の認可を得ていた。

 しかも、経典は、日本語に翻訳されずに、僧侶のみが読むことができたのである。民衆は僧の語る言葉だけで仏教を理解せざるをえなかった。



 ルターはそうした因習を打破したように、日本では蓮如が吉崎で民衆のためのわかりやすい日本語で布教した。しかし、新たな教団も権力に近付き、包摂された。

 普通の人々の日常の言葉で、どれだけ深みのある内容を語ることができるか。これが、思想に携わるものの、義務である。そして、矜恃をたもつこと、これが思想を語るものの最低限の資格である。

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