消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

本山美彦 福井日記 64 33回忌

2007-02-04 15:54:18 | 神(福井日記)
 日本の葬式が10回の法要ではなく、13回となったことはすでに紹介した。なぜ、33回忌が付け加えられたのかが、柳田国男(1875~1962年)の『先祖の話』(筑摩書房、1946年)で解明されている。



 死者の魂が、初期の荒れ狂う状態から温和しくなり、子孫を見守るように成熟するのは、死後33年経過してからであるという日本人独特の死生観から33回忌はきているとうのが、柳田説である

 古代の日本人は、「魂」を「タマ」と呼んでいたらしい。そのタマが身体から離脱することが死の意味であった。

 身体から離脱した直後のタマは、荒々しく人に危害を加えるものであると理解されていた。そうしたタマを「アラタマ」という。

 当時の日本人にとって、死は最大の「ケガレ」であった。「ミソギ」や「ハラエ」によって荒ぶるタマを鎮めようと試みていたが、それでも不安な気持ちに遺族は駆られていた。

 したがって、古代の墓は両墓制(後述する)に見られるように、人々の日常的生活圏から遠く離れたところに死者を埋葬し、人々の生活圏内にアラタマを近づけないようにしていた。

 死者供養とは、荒ぶる魂を鎮める目的があった。時間の経過とともに、アラタマはかなり温和しくなり、人に危害を加えることもなくなる。これを「ニギタマ」という。

 このニギタマも、歳月の経過とともに、個性をなくして祖先の霊と同化する。これが「カミ」(祖先神)である。アラタマがカミになるのに、33年かかるとされたのである。

 見られるように、「数値」が人の心に重要な影響を及ぼしていた。私が、ピタゴラスにこだわるのも数値のもつ呪術性をピタゴラスは認識していたからである。

 日本でも、たとえば、聖徳太子(呼称問題があることは百も承知、民衆が太子を尊敬している事実を軽視してはならない)が17条の憲法を作成したのも、たんに17条の取り決めがあったからではない。17という数値に神秘性を感じていたからである。それは陰陽思想からきたものである。

 8という偶数と9という奇数の合体が呪力をもつと信じられていたからである。33年というのは、死者のことを忘れ去るに十分な期間である。

 カミ(祖先神)は人里から離れた山に住んでいて、子孫を遠くから見守っている。ときどき、山から降りてきて子孫の家を訪れる。

 旧暦の1月と7月が、カミが訪問してくれるもっとも重要な月とされた。1月はこれから農耕にかかる前の段階、7月は収穫前の段階である。古代日本人は播種と収穫の2つによって1年を二分していた。播種に備える正月が1月、収穫に備える7月が盆である。

 柳田は日本の風習を説明するのに、仏教的なものを排除しようとしてきた。
 たとえば、盆は仏教の盂蘭盆の盆ではなく、カミに収穫した食べ物を捧げるための素焼きの食器である「瓮」(フォントがないので表示できないが、ボンと呼び、冠が公ではなく、分)のことであると解釈したり、死者を「ホトケ」と呼ぶのも、「仏」からきたのではなく、同じく食物を入れる食器「ホトキ」のことを指すとも説明している。

 真偽を確証することは私には不可能であるが、古代人の生活感覚に基づく死生観を再発見しようとする柳田の努力には価値を認めるべきである。

 考えて見れば、本当の仏教では、そう簡単に仏(成仏)などできるものではない。なんの修行もしなかった人が、死んだ途端に「ホトケ」と呼ばれるのもおかしなことである。ここで、いくら正確に仏教の教えから説明しようとしても、それは空しいことであろう。

 仏教の経典を引用してどう説明を受けようが、民衆にとって、「死ぬこと」は「ホトケになること」なのである。なぜ、そうなったのかをテキストではなく、生活に根ざす日用語から説明しようとした柳田の方向性は高く評価できる。

 末木氏が、仏教が葬式仏教として位置づけられるようになったのは、仏教が、日本人にはそれほど馴染みのなかった死後の世界を、「六道輪廻」や「極楽往生」のような構図をもってきて、圧倒的な力で民衆の心を掴んだからであるという。

 ケガレやハラエだけではこころもとかった日本人の信頼を仏教が勝ち取ったのである。阿弥陀仏の力を借りてアラタマをやすらぎの魂に変えて行くこと、こうした呪術的なものに、日本人は心を奪われたのである。

 こういう私も、両彼岸には必ず先祖の墓参りをする。
 
私の子供たちも、いまはしてくれないが、私が死んだ後は同じようにしてくれるであろう。こうした風習がそれこそ千年以上も続いている。そうした持続的な風習の力強さに比べれば、「理論」など短命で、はなかいものであることに、私たちは気付くべきである。

 以下は、ウィキペディアによる説明である。そのまま転載させていただく。最近のウィキペディアは英文も含めて内容が充実してきた。しかも、やかましく著作権を云々しない。庶民が接近できるいい辞書である。

 「墓(はか)は、死者の遺体(遺骨)を葬り、故人を弔う場所。一般に墓石・墓碑などを置く。またこの墓石・墓碑のことを墓ということもある。

 王などの有力者は巨大な墓を築くことも多く、それらは単に死者を祀る場ではなく、故人の為した業績を後世に伝えるモニュメントとしての性格も帯びる。王や皇帝の墓は法令または慣習により、陵と呼ぶ。また、古代日本では墓を「奥都城、奥津城(おくつき)」と呼んでおり、これにならって、神道墓をそう呼ぶ。

 なお、墳墓は「築く」といい、その他の墓や塔は「建てる」という。建てた人という意味で建立者の名を刻む場合は、殆どが「建之」の字を当てる。

 又、「墓場」という語は、墓地(埋葬される場所)と刑場(殺害される場所)の2種類の意味があり、文脈で意味する所が異なる。例えば、特撮などで見られる「ここが貴様の墓場だ」との台詞では、墓場は「刑場」を意味する。

 また、日本でも沖縄では、亀甲墓(かめこうばか、きっこうばか)や破風墓(はふばか、家型の墓)など一風変わった墓も見られる。亀甲墓の形状について、「人は死んだらまた母親の胎内に戻っていくという趣旨で、その胎内をかたどったもの」という説明は俗説である。



 世界最大の墓は、面積では日本の仁徳天皇陵(大仙陵古墳、大阪府堺市)である。

 墓を設けるのは人類共通の習慣ではなく、これを用いない民族・文化も多い。インドやインドネシア・バリ島のヒンドゥー教においては、遺体を火葬した後に遺灰と遺骨を川もしくは海に流し、またはガンジス川に遺体そのものを流して水葬にし、墓を設けない。また墓を設けることと、それに継続的に参拝することはイコールではない。日本でも、ヒンドゥー教のように遺灰を海や墓地公園のようなところで散骨するというやり方も最近では認められつつある。キリスト教徒もかつては教会内部に死者を納め最後の審判の後に復活することを待った。

 日本における墓制は、柳田国男の民俗学の研究が土台になってきた。柳田系民俗学は、人間の肉体から離れる霊魂の存在を重要視したため、遺体を埋める埋め墓(葬地)とは別に、人の住む所から近い所に参り墓を建て(祭地)、死者の霊魂はそこで祭祀するという「両墓制」が、日本ではかつては一般的だった、としている。(葬地と石塔と隣接させるのが「単墓制」としている。) そのため、遺体を埋葬する墓所はあったが、墓参りなどの習慣はなく、従来の日本では全く墓は重視されなかったとしている。



 しかし、このような墓制には批判が出てきている。岩田重則は、『「お墓」の誕生』(岩波新書)の中で、墓制を①遺体の処理形態(遺体か遺骨か)、②処理方法(埋葬か非埋葬か)、③二次的装置(石塔の建立、非建立)の3つの基準で分類している。(現在一般的な「お墓」は、「遺骨・非埋葬・石塔建立型」)。墓に石塔が出来てきたのは仏教の影響と関係の強い近世の江戸時代あたりからであり、それ以前は遺体は燃やされずに埋葬され、石塔もなかった(「遺体・埋葬・非建立」型)。また、浄土真宗地域および日本海側では、伝統的に火葬が行われ、石塔は建立されなかった(遺骨・埋葬/非埋葬・非建立型)。このように、柳田のいう「単墓制」「両墓制」というのは特に「遺体・埋葬・建立型」に限った議論において、葬地と祭地が空間的に隔たっていることの分類に過ぎず、日本全国の多様な墓制の歴史的変遷に対応させるには無理があるとの批判である。

 なお、沖縄・南西諸島では埋葬がなく本土の墓制との議論は難しい。(現在でも沖縄の一部では、墓はただの納骨所として、祭祀の対象としていないところも存在する。)

 戦前までは、自分の所有地の一角や、隣組などで墓を建てるケースも多かったが、戦後は、基本的に「○○霊園」などの名前が付いた、地方自治体による大規模な公園墓地以外は、お寺や教会が保有・管理しているものが多い。都市部では墓地用地の不足により、霊廟や納骨堂内のロッカーに骨壷を安置した形の、いわゆるマンション式が登場している。

 人によっては生前に自らの墓を購入することもある。これを寿陵(寿陵墓)、逆修墓という。また、自らの与り知らぬ所で付与される形式的な没後の名を厭い、自らの意思で受戒し、戒名を授かることもある。この場合、墓石に彫られた戒名は、朱字で記され、没後の戒名と区別される。

 現在の日本では、火葬後に遺骨を墓に収納する方式が主であるが、土葬も法律上は禁止されていない(一部地域の条例を除く)。詳しくは土葬を参照。
 現代における墓地(ぼち)は、墳墓(ふんぼ)を設けるために、墓地として都道府県知事の許可を受けた区域をいう。なお、「墳墓」とは、死体を埋葬し、又は焼骨を埋葬する施設である(墓地、埋葬等に関する法律第2条)。なお、墓地についてその他地方税法などで優遇されているものもある

 墓地は、公衆衛生上その他公共の福祉の見地からいろいろな行政上の規制を受ける。

 墓地の経営には、都道府県知事の許可が必要である。
 墓地の経営者は管理者を置き、管理者の本籍、住所、氏名を墓地所在地の市町村長に届け出なければならない。

 墓地の管理者は、埋葬等を求められたときは、正当な理由がなければ拒否できない。
 都道府県知事は、必要があると認められるときは、墓地の管理者から必要な報告を求めることができる。
 などである。

 祭祀財産(墓所・仏壇・神棚など)については相続税について課税財産と扱わない(非課税)。純金の仏像など純然たる信仰の対象とは考えにくいものは課税財産となる。

 墓地に対する固定資産税は非課税。
 墓地に対する不敬行為等は刑法第188条、第189条により処罰される。(礼拝所及び墳墓に関する罪を参照)

 墳墓の所有権は、習慣に従って祖先の祭祀を主宰すべき者がこれを承継するものとして特例を設けている」(
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A2%93)。

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