森男の活動報告綴

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イラスト集(その7)

2021年04月03日 | イラスト集
今回は久々のイラスト集です。前回から1年以上経ってしまいました。これは私が描いた絵を紹介するエントリーです。でも、絵にかこつけて、それにまつわるウンチクとか、日ごろ思ってることなどをなんだかんだと長々と書きちらすエントリーでもあります。あらかじめご了承下さい。

まずはこちら。「アストラメイド」です。我ながら何でこんな絵を描いたんだろ、と思わないこともないです(笑)

この絵を描くまでの経緯をちょっと書いてみます。「人が何でこういう絵を描くに至ったのか」という一例になるのでは、と思わなくもないので、、。

大元はこの絵。これは前回UPしました。カフカの「城」のイメージで描いた絵です。
連休中、酔いつぶれて夜中に起きて「なんでもいいから絵を描こう」と思ってグリグリ描いてたらふと「城」が思い浮かんだので描いたんですね。

で、その後「城にもメイドはいるんだろうな。どんなのかな?」と思って描いたのがこれ。
多分変な城なので、ミリタリーの要素が入った制服とかだったら面白いなあ、と。

で、さらにその後これがもう少し発展してしまいます。こういう制服だったら拳銃持ってたらいいな、と。大型拳銃じゃなくて、女の子でも扱えるくらいのがいいな。じゃあブローニングくらいかな?と。
サッシュにホルスターをつけるのいいな、とか、同時に腕章の意匠など段々暴走し始めます。

で、拳銃だったら好きなアストラがいいなあ。12連発だから二丁拳銃の方がかっこいいよな。予備弾倉嚢もつけちゃおう。ホルスターにも一本づつ入るから計72発だ!強い!とか考えてるうちにこうなっちゃった、というわけです(笑)

どんな城やねん、って感じですが(笑)まあ誰に迷惑かけるわけでなし、いいですよね。城にはこういう武装メイド隊があって、無礼な客を威嚇したり泥棒を退治したりします(笑)このメイドは、元の絵の女の子のお姉さん、とかだったらおもろいな、とか(もうええわ)。

でも、いろいろ描いてるうちにいろいろ妄想が発展していく、というのは面白いですね。こういうのが絵(というかものづくりの)の醍醐味じゃないかなあ、と。

背景をなんか入れたいな、と思ってドイツ語の花文字の文章を貼り付けました。これ、適当な素材を探してググッたらウィキにカントの書簡が例として出てたのでそれを加工したものです。もちろん内容は絵と全然関係ないです。ドイツの人が見たら大爆笑じゃないかなあ、と。カントさん、ほんとゴメンなさい(笑)

ちなみに、この花文字はフラクトゥールというそうです。またつまらんドイツ語を覚えてしまった、、。

では次。「未来少年コナン」の資料を久しぶりに見てて、ふと我に返るとモンスリー様を描いてしまっていました。うん、まあ、そういうもんだ(笑)


ちょっと前、ツイッターのトレンドにコナンがでてきて「?」と思ったら再放送されてたんですね。それで資料を見返してたわけです。で、この絵はさらにその時の絵を描き直したものです。

私の絵は鉛筆やシャーペンでアウトラインとかを描いて、水彩で色を塗って、さらにその上にシャーペンで細かく陰影を付けるというのが基本です。「描き直し」というのは原画に消しゴムをかけて、ぼんやりとなった原画の上からそれらをもう一度やり直す、というような意味です。なので「前のとどこが違うの?」ということが多々あるかもですが、まあいいじゃないですか。

以下、長々とコナンについて書きます。ネタバレありなので、もし未見の方がおられたら、スルーして下さい。でも、観てない人っているのかな?(笑)

モンスリーは宮崎作品の中でとても好きなキャラです。あとクシャナも好きですね。モンスリーとクシャナはそれぞれ「組織の幹部」「王族」という足かせがあるのですが、コナンやナウシカと出会うことで、徐々にそれらから自由になって「浄化」されていく。それがみててとても心地いいんです。そういう人、多いんじゃないでしょうか。

宮崎氏は「漫画映画のやることはね、何か偉そうなことを言う人間になっていくんじゃなくってね、いろんな束縛から解放された人間になっていくことだと思うんですね。そういうのを見たいんです、自分は」(「出発点」徳間書店 P447)と語っています。そういう氏の気持ちを一番よく反映されたのがこの2人といってもいいでしょう。

でもモンスリーとクシャナはちょっと立ち位置が違うんですよね。モンスリーは組織の構成員なので、クシャナほど自由な判断はできないし、幹部とはいえ行動の余地は限られている。組織の一員という縛りが彼女の変化を抑制しているように見えます。でもとても聡明なので、コナンと出会い関わっていくうちに意職がじわじわと変化していく。この変わり具合は実に絶妙です。

コナンも、モンスリーのそういう変化をキッチリと感じ取ってます。ガンボートを沈めた後、コナンがハイハーバーの家(確か村長の家を接収して司令部にしていたかと)の中庭にいるモンスリーに無防備に歩み寄っていくのは、モンスリーが「変わった」とコナンが認識したからなんですよね。このシーンは2人の「融和」を描いている。そもそも、おじいを殺したのはモンスリーです(間接的とはいえ)。コナンはそれを決して忘れては無いはずです。さらにモンスリーはコナンを何度も死の縁に追いやっています(海中のコナンの拘束具のスイッチを入れるなど)。でも、この時2人は融和・和解している。モンスリーも主力兵器のガンボートを沈められたのに、まず「ラナを助けてくれた?」とコナンに問いかける。2人の変化を、ちょっとした動作やセリフで演出しているわけです。ほんと凄いと思います。

でもしかし、モンスリーは簡単に立ち位置を変えることはできない。何と言っても彼女は組織の幹部です。融和したかな?という直後コナンに拳銃を乱射します(この「緊張と緩和」の使い方も見事。で、銃の抜き方やラピッドファイヤも素敵(笑))。でも、それは「古い彼女」の最後のあがきなんですね。

しかし結局、モンスリーは「浄化」したために組織(っていうかレプカ)に抹殺されそうになります。宮崎作品の中では「組織の一員」ということに足を引っ張られる、珍しいといえば珍しいキャラです。ダイスも当初は組織の一員ですが、その前に海の男としての「自由人の矜持」がある。なので早い段階で組織を抜けられたわけです(そのやり口が基本的に自己中で汚いのは、まあおいといて(笑))。

一方クシャナの相方(笑)のクロトワは組織の中でうまいことやっていこうというキャラですが、彼も基本的に「組織」というものを信じておらず、斜め下から見てるというスタンスです。なので、状況が変わるとすぐヴ王を裏切ってクシャナにつきます。チラッとセリフに出てきますが、クロトワも少年兵時代から船に乗って「自由」を体感的に会得している「船乗り」です。ダイスとクロトワもとても似てます。2人は自我が先に立ってるんです。「船が好き」という「個人的な気持ち」を大事にしている。その辺の「個」を優先させる姿勢がモンスリーやクシャナと違いますね。なんつーか、男って勝手なんですよね(笑)

で、このアニメが素晴らしいのは、モンスリーやコナンたちからもらった勇気や元気を実生活でちょっとでも生かせるように頑張ろうか、と思わせてくれるところなんですよね。でも、私たちはコナンやジムシーじゃない。残念ながら。よくてモンスリーとかダイス、せいぜいテリットとかクズウなんですよね(笑)。でも、じゃあどうしようか、という。しかしもし私たちが「組織」の問題点に気付き反抗したとしても、まあ少なくとも銃殺はされないし、せいぜい依願退職レベルなわけですから(笑)「できるところからでいいから頑張ろうよ」ということですよね。このアニメはそういう現実的な勇気を与えてくれる、素晴らしい作品だと思います。

あと、どーでもいーんですけど、インダストリアのこの拳銃、設定資料によるとローラーロッキングなんだそうです。口径9ミリ。クズウらが使うサブマシンガンは同口径の強装弾だとか。ライフルは7.62㍉/5.56㍉のサボット弾とのこと。設定が実に細かくてマニアックすぎるんですよ。設定画を見ると、宮崎氏でも大塚氏でもない。どなたが設定したんでしょうねえ、、。

長々と書いてますけど、もうひとつ。よく知られた話ですが、アニメの初期設定ではモンスリーは白髪のおばさん(お婆さんに近い)で名前もモンスキーでした。

宮崎氏が主要キャラを見渡した際「若い女性がいないな。じゃあモンスキーを若くしよう」とモンスリーになったそうです。いやー、きわどいところでしたねえ(笑)お婆さんモンスキーだったら、どういう話になってたんだろ、と思いますねほんと。そもそも最終回が成立しない!(笑)

コナンは製作スケジュールが実にタイトで、製作開始時点ではまだラストがどうなるかあやふやだったそうです。もしモンスキーだったら、全然違う物語になっていた可能性が高いという。そう考えるとモンスリーって凄い重要なキャラなんですよね。いやほんと「モンスリー様ぁ!」ですね(笑)

あ、あともうひとつだけ。「モンスリー様」で思い出しましたけどテリットはかわいそうなキャラですね。知らない間に死んだことにされてましたけど、それが一番楽な処理というキャラだったという、、。テリットは「目の前のことしか見えていない小市民」の典型で、かつやり口も汚かったので同情もあまりされないし、生きてたらラナやコナンと和解するのが実に難しい。しかし彼も戦争によって性格がねじまがってしまったのかもしれないと考えると、やっぱちょっとかわいそう、という(もともと嫌な性格だったかも、ですが、、)。

オーロはまだ「救える余地」があったので生かされてたわけですね。彼は、ハイハーバーの孤児の扱い方(これは村の偽善的態度、と捉えられなくもない。「楽園」ににも必ず「暗部」はある)に嫌気がさしてドロップアウトしたという同情の余地がまだある。似てるようで違うんですね。そんなこんなであちこちに奥深いところがある凄いアニメだと思います。

あ、さらにもうひとつ。コナンの作画監督だった大塚康生氏が先日逝去されました。心よりお悔やみ申し上げます。ほんと残念です、、。しかし、こういうところで「ついで」的に取り上げるような方ではありませんので、また近いうちに氏を偲ぶエントリーを書きたいと思っています。

いやー、長々と書いてしまいました。すいません。で、これ何のエントリーなの?という。イラスト集ですよね(笑)

では次です。昨年末から年始にかけて、家の中をいろいろと片付けてました。昔描いた絵も出てきたので、いくつか紹介します。これは20年くらい前の絵です。
九龍城とか軍艦島みたいなところをウロウロして胡散臭い仕事をしてる男、みたいなイメージですね。こういう漫画を描きたいなと思ってた記憶があります。

なんかカッコよく描いてますけどこういうのって結局南極、自分のなんらかの投影なんですよねえ、、。自分がこういう風になりたいとかそういうんじゃないんですけどね。でも、絵でも模型でもなんでも突き詰めると「自分」なんですよね多分。キャラの造型とかそういう表層的な部分じゃなくて、もっと奥のところの。なのでとても恥ずかしいんですけど(笑)。しかしそもそも何かを作って公にするってのは自身をさらけ出す、とても恥ずかしいことでもあるんですよね。何かを作るってそういうことなんですよね多分、、。

ヴラマンクが佐伯祐三に投げつけた「芸術とは内面の告白である」という言葉(なんかツウっぽいですけど「ギャラリーフェイク」で知った(笑))は、そういうことを指してるんじゃないかなあ、と。クリエイターとかアーティストって、なんか「カッコイイ」みたいに思われてますけど、ほんとはもっと泥臭くて生々しいカッコワルイ存在というのが本質なんじゃなかろうか、と。私は芸術家でもクリエイターでもない(好きなものを作ったり描き散らしたりしてるだけ)んですけど、まあもの作りの末席を汚してる立場として、そういうことはいろいろ考えますねやっぱり。

おっとまた話が長くなりそう(笑)なのでこの辺で。次いきましょう。

で、恥ずかしい余勢をかって昔の絵の続き。これも20年くらい前に描いたもの。スク水だ!(笑)恥ずかしい!でも昔のだしいいや!(笑)
しかしそもそも何が一体どう「フラッシュポイント」なんかわからんのですが(笑)。漫画の表紙にしようと思って描いた絵なのは覚えてます。

海水浴場のある昭和な町が舞台で、町民はクセのある連中ばかり。町内であれこれ巻き起こるメンドクサイドタバタを、地元中学校3年4組の日下さんがなんだかんだでまとめちゃう、みたいな話を考えてましたね(遠い目)。

私は昔から漫画を描こう描こうと思ってましたし、今も描きたいです。でも漫画ってメチャクチャメンドクサイんですよ。何年か前に一度それなりにちゃんと描き上げた(つもり)んですけど、それでヘトヘトになっちゃってそのままになってます。でも、また描きたいですねえ、、。

昔の絵が続きます。20歳くらいの頃にペンで描いた絵です。なぜこれを描いたかは例によって覚えてないです(笑)日本軍戦車兵の絵です。




スクリーントーンを初めて使って、なんとなくなじまなくてその後使わなかったのは覚えてます。ペンの絵は楽しいのでまた描きたいですね。

それにしても、九一式車載軽機を執拗に描いてるのがなんともなあ、と(笑)
でも冷却ヒダが螺旋状になってないのが「若けぇなあ、、」って感じ(笑)資料もほとんどなかったですしねえ、、。確か、九一式の写真って数枚くらいしかなかったです。今はちょいちょいとキーボードを叩くだけでたくさんの写真がポーンと出てきますからねえ、、。凄い時代になったものです、、。

で「20年前の絵を何で描いたか覚えてない」とかいいながら、この絵は3週間くらい前のですが何で描いたか覚えてない、、。要は酒のせいです(コラ)。

ニヤーッと笑う女の子の顔をちゃんと描きたいと思って描いたような気が。先のアストラメイドの絵もそうです。こういう顔、難しいですね。お酒はほんと気をつけたいです(といいながら飲む私)。そもそも、酒を飲んで絵を描くというのは、いいことなのかよくないことなのかよくわからんですね。自分が「これでいい」という絵が結果的に描けたのなら、何でもいいとは思うのですが、、、。

でもそれを言い出したら、例えばク○リをやってガンギマリの状態の「ぱよぱよーん」となった頭(笑)で描いた抽象画が素晴らしいものになって評価されて何かの賞をとったりした場合、それはドーピングじゃないのか?と思わないこともないです。

でも、創作物は出場規定やルールのあるスポーツとは違いますし、結果が全てでもあるのでそれはそれでOKじゃないか、とも思います。表現の自由だけでなく、表現する時の自由(ただし法の範囲内で)もあるんじゃないかと。音楽でも絵でも作者が何らかのケミカルな要因(笑)で「ぶっとんだ」状態で作られた傑作って多々あるようですしね。この辺はほんと難しいですよねえ、、。答えは出ませんねえ、、。

で、まあそれはそれとして、クラスのバッジって今はもう無いんですかね?無いだろうなあ、、、。あれ、階級章みたいで割と好きでした(笑)こういう「昔は普通にあったもの」が段々無くなっていくのは寂しいですね。でも仕方ないですね、、。

というわけで最後です。「日本軍に今みたいな特殊部隊があったらなあ。あったらどんなんだったかなあ」とずっと思っててとりあえず描いてみたのがこれ。日本海軍特殊陸戦隊員です。

「昭和20年7月20日、一式陸攻20機に分乗した佐世保海軍特殊陸戦隊員150名がサイパンに突入。B29を173機破壊した」とかだったらいいのになあ、、という絵です(笑)。

佐世保は特に意味ないです。佐世保に陸戦隊があったかどうかも知らんです(我ながらテキトーすぎる、、)「一回行ってみたいなあ、佐世保バーガー食べたいなあ」とかそれだけで佐世保にしたという。あ、でも「ストッパー毒島」の佐世保選手がなんか好き、というのもありますね(いや、だからテキトーすぎるのは変わらん!)

銃や装備も全部ウソです。実在のものをベースに、あれこれアレンジしてます。ナックルダスター式のトレンチナイフは米軍のを参考にした試製四式短剣。サブマシンガンは、試製二型がベースの四式自動拳銃(消音器付き)。拳銃はモーゼルコピーの九二式機関拳銃などなど、やりたい放題(笑)髑髏マーク(ジョリー・ロジャー)は大好きなマークなので、隊のシンボルにしてみました。海賊陸戦隊(笑)。で、この絵には背景を付けたいなあと思ってます。できたらフィギュア作品にもしてみたいんですけどね。時間がないなあ、、。

あと、この絵は前々回で告知した京都のギャラリーソラトさんの展示会に出品しました。おかげさまでこの絵の複製画など数点が売れました。買ってくださった方に、この場をお借りしてお礼申し上げます。もちろん、販売した複製画は最高画質のものです。今回のブログやツイッターやピクシブなど、普段UPしてるものは当然画質を落としてます。また、複製画の製作に当たり独自に色調補正などをしています。なので、複製画は販売専用の完全な「オリジナル」ですので、その旨ご了承下さい。

というわけでお終いです。最初書いたとおり、絵よりそれにまつわる云々かんぬんばかりでしたね。すいません。模型でもそうなんですけど、人の作るモノの水面下にはこういうあれこれ思うことがあるってことなんですよね。それをいちいち言わずに黙って、作ったものだけ提示すればストイックでカッコイイんですけど、つい、やっぱアレコレ書きたくなっちゃうという(笑)。最後まで読んで下さった皆様にお礼申し上げます。んじゃ、次またなんか描くか!頑張るんば!(ってもう飲んでるなお前)

というわけでまた。

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