今日の日曜美術館は「ルオー」でした。
ルオーの世界をより深く語ってくれるのは、三島由紀夫賞 野間賞
芥川賞をとった、まだ30代の作家鹿島田真希さんでした。
鹿島田さんは、クリスチャンで22歳の時同じ教会の神学校に
通っていた男性と結婚されて、今そのご主人が病気を患い
脳に障害が残り、一人にさせることが出来ないと言ってました。
30代の若さでこれだけの賞をとり、順風満杯の人生を歩かれて
いる方かと思っていました。
鹿島田さんの心の深いところで、ルオーの絵が寄り添い支えて
いるようでした。
私も、ルオーは嫌いな画家ではなかったけれど、ルオーの
本物の絵を観た時、深い感動に包まれ、忘れられない画家と
なりました。
鹿島田さんは、訳もなく大きな不幸と、巡り合った時、
人はどう生きるか…ということを語っていました。
ルオーの絵を観ていると、理不尽を受け入れ、何でこうなるの
かで終わらないその一歩先を考えると、言っていました。
人は雨が降っても不安に感じないのは、それはいつまでも続かない
のを知っているからで、ルオーの絵は苦難は長く続かない
その不幸はやがて無くなるものである、ということを語って
いる…
ルオーが67歳の時に描いたキリストは、ゴロゴダに向かう
キリストの顔ですが、いばらの冠をかぶったキリストが
どこか穏やかなのです。
ルオーの描いた道化師もキリストも、観ていると心が穏やかに
静かになってくるのは、苦難の先にあるものを知った人が
描いた絵だからでしょうか…
苦難・不幸は長続きしないと語っている、ルオーの絵を
鹿島田さんは、ことあるごとに観るそうです。
そして、ご主人の笑顔に励まされると言ってました。
不幸には意味があるという、鹿島田さんの言葉が
ずっしりと来ました。
私は、ルオーの絵が無性に観たくなりました。
ルオーの世界をより深く語ってくれるのは、三島由紀夫賞 野間賞
芥川賞をとった、まだ30代の作家鹿島田真希さんでした。
鹿島田さんは、クリスチャンで22歳の時同じ教会の神学校に
通っていた男性と結婚されて、今そのご主人が病気を患い
脳に障害が残り、一人にさせることが出来ないと言ってました。
30代の若さでこれだけの賞をとり、順風満杯の人生を歩かれて
いる方かと思っていました。
鹿島田さんの心の深いところで、ルオーの絵が寄り添い支えて
いるようでした。
私も、ルオーは嫌いな画家ではなかったけれど、ルオーの
本物の絵を観た時、深い感動に包まれ、忘れられない画家と
なりました。
鹿島田さんは、訳もなく大きな不幸と、巡り合った時、
人はどう生きるか…ということを語っていました。
ルオーの絵を観ていると、理不尽を受け入れ、何でこうなるの
かで終わらないその一歩先を考えると、言っていました。
人は雨が降っても不安に感じないのは、それはいつまでも続かない
のを知っているからで、ルオーの絵は苦難は長く続かない
その不幸はやがて無くなるものである、ということを語って
いる…
ルオーが67歳の時に描いたキリストは、ゴロゴダに向かう
キリストの顔ですが、いばらの冠をかぶったキリストが
どこか穏やかなのです。
ルオーの描いた道化師もキリストも、観ていると心が穏やかに
静かになってくるのは、苦難の先にあるものを知った人が
描いた絵だからでしょうか…
苦難・不幸は長続きしないと語っている、ルオーの絵を
鹿島田さんは、ことあるごとに観るそうです。
そして、ご主人の笑顔に励まされると言ってました。
不幸には意味があるという、鹿島田さんの言葉が
ずっしりと来ました。
私は、ルオーの絵が無性に観たくなりました。