朝4時半に起きて、早朝割引で京都まで日帰りして
きました。
京都市美術館の墨人展に出した作品を観に行く為に
です。
今回の作品は『悲』です。
先生方に「どうしてこんなに筆が変わったの」と
聞かれ、自分でも考えてみると、最初は私の
通って来た深い、慟哭の悲しみを書こうと思って
格闘していたのですが、『悲』と向き合い書いて
いるうちに、この悲しみによって今の自分が
あるのだと思ったら、悲しみに感謝の気持ちが
湧いて来たのです。
その時から筆が変わり、作品が明るくなったのです。
希望のある悲しみだと、言って下さった方もいます。
どん底のような悲しみと、目をそらさず向き合い
続けると、そこから光が見えてくるのかも
しれません。
悲しみを悲しみのまま終わらせたくない!
息子を亡くした後に、いつも私の心には
その言葉がありました。
今回、100枚以上大きな筆で『悲』を書き
今ある、自分の中の悲しみと向き合った時
悲しみに対する感謝が生まれてきたのです。
それが私の希望のある悲しみだったのです。
この悲しみが、いつか慈悲へと繋がっていくの
だろうか…
悲しみもまた、天国の息子からの贈り物だろうか…
それは 話せる人の存在がないこと。誰にも分かってもらえない気持ちの持っていく場所がなくて ずっと自分で抱え込んでるから。 だそうです。そして、何気ない一言に逆に傷つきまた心を閉じてしまうから。だそうです。
これ ものすごくよく分かります。特に 女性が一人残されると、弱者にして攻撃してくる!
もっと他人の痛みを想像できないものかと つくづく感じます。
直さんは もう乗り越えたのだと思います。すばらしい変化ですよね。悲しみを乗り越えたというより、悲しみとともに 歩む準備が出来たのだと感じました。
私の場合は やはりこういう話題は本当に理解できる人にしか打ち明けられないために 話し相手の不在と 一人暮らしの難しさを共有できる人がなかなか居ないこと。です。収入も少ないから 節約しようと食料を買っても やっぱり食べきれず… 安いが日持ちしないニラ一束 もやし一袋が多すぎるのです。 やっぱり作るより 安い惣菜を買う方が無駄がないのだろうか?常備采は時々作ったりしていますが、これも少量でないと、また食べきれず…
少量作りはどうしても片寄りますね
本当に難しいです。
偶然読ませていただきました。
私は
自分の感性がまともに
まともな人間存在と芸術の起因を
感知したのだと
確信しました。
あなたの書友より
でも、乗り越えようとしていた時は、乗り越えられなかったのです。
悲しみは、あってもいいんだ。何年経っても涙が流れる、それもいいんだ、と思えるようになった時、涙の質が変わったのかもしれません。
今回「悲」と向き合ったことで、新たな気づきを頂きました。
書くと涙が出て、書けなくなったので、息子の名前としっかり向き合おうと思ったのです。
でも、書の深さを知り、書くことによって自分が問われてる気がしています。
今までに2回、息子の名前「創」を書きましたが、それは幼かった頃の「創」でした。
いつの日か、今の天国の「創」を書きたいと思っています。
先生の書かれた「創」
私の心に刻まれています。
先生の「創」は心の深みに響いてきます。