四連休、コロナ禍がなければ東京オリンピックの開会式でした。
せっかくの「スポーツの日」ですので、レンタカー利用で、下関・角島への日帰り一人旅を計画。(もちろん、感染予防を十分意識して。)
関門エリアは、2012年9月(もうそんな昔!)、当時北九州エリアに勤務されていたA2さんと楽しんだことがあります(「弾丸ツアー in 北九州」)が、今回はエリアを広げてみることに。
旅のプランはこんな感じ。
・「関門トンネル人道」を歩く(「関門TOPPA!記念証」をいただく)
・「みもすそ川公園」や「火の山公園」で関門海峡の絶景を堪能
・全国レベルのフォトジェニック・スポット「角島大橋」を見る
・臨海絶景の稲荷「福徳稲荷神社」でお参り
・川棚温泉で名物「瓦そば」を食べる
・本州最西端の地「毘沙ノ鼻」を訪れる(「最西端到達証明書」をいただく)
・新下関駅エリア、唐戸・下関エリア、彦島エリアを探訪
天気予報では雨or曇のようですが、どうなることやら。
7月24日、スポーツの日。
最初の目的地、「関門トンネル人道」の利用時間は朝6時からですので、今日の行程を考えて、5時半に出発。
高速道路の道中、雨がフロントガラスをかなり叩きますが、順調に立ち寄り地、「めかりPA」に到着。
関門橋と関門海峡のいい景色を見ようと思ったのですが、何やら工事中のようで、イマイチです。
「関門トンネル人道」に到着です。
そう大きくはないですが、駐車場があります。
(早朝だというのに、ほぼ満車です。)
関門トンネル人道を歩いてみようと思ったのは、2018年の人間ドックの空き時間に「和布刈神社」を訪ねた時、通りすがりの人から人道入口への道を尋ねられて以来、ずっと気になっていたから。
和布刈神社は門司側の人道入口近くですが、今回は下関側の人道入口から入ります。
クジラのエレベーターで結構深くまで下りて行きます。
(歩行者無料、自転車・原付20円(手押し)。)
下りたら、まずは、「関門海峡横断記念」スタンプの台紙に、下関側の❝割印❞を押します。
門司側でもう半分のスタンプを押すと完成となります。
(使われ過ぎているのか、印面がかなりすり減っていて押しづらかった。)
歩き始めます。
中間点(?)で県境のマーキング。
(絶好の記念写真スポットですが、早朝はジョギングしている人が数人だけで、写真を撮っているのは私ぐらい。)
県境マーキングの横の壁。
門司側に到着。1kmありませんので、片道15分もかかりません。
門司側の記念スタンプを。
(スタンプの印面、同じくかなりすり減っていました。)
これで完成!
(よく見ると、北九州市側スタンプと下関市側スタンプ、逆に押していました。)
両側のスタンプを押した台紙を観光案内所などに持って行くと、「関門TOPPA!記念証」をもらえます。
(これは記念写真用の背景ボード。)
門司側の人道入口に上がって、外に出てみることに。
(門司側の人道入口。そろそろ7時半、早い観光客(?)親子がいました。)
和布刈神社の鳥居が、境内とは場所も方角も違うここにポツンとあります。
海側に張り出した場所から橋脚方向を見ると、和布刈神社の境内が見えました。
(神社の参道(入口)は橋脚の向こうにあります。)
雨は何とか降らずに持ちこたえています。
(今日も関門海峡の流れは早瀬のごとく。)
さて、エレベーターで人道へ下りて下関側へ戻ります。
(門司側のエレベーターは黄色のイルカ。上ではバナナが舞っていますので、門司港名物「バナナのたたき売り」にかけているのでしょうね。)
人道ではずっとマスクをしていましたが、汗もかかずに下関側に戻って来ました。
ちなみに、この関門トンネル人道、「国道2号線」です。
(歩いていると、車の走行音がしますが、どうやら上が車道(関門トンネル)のようです。)
雨模様・早朝・コロナ禍のためでしょうか、いたのは数人のジョガーだけ、安全・快適な❝突破(TOPPA)❞でした。
「関門トンネル人道」入口の道路向かい、関門海峡沿いに整備されている「みもすそ川公園」(漢字では「御裳川」)をちょっと散策。
「源義経・平知盛像」。
両者の像は向かい合っていますが、壇ノ浦の合戦で両者相まみえた一場面を切り取っているわけではなく、義経像は、平家の攻撃を船から船に飛び移ってかわしている「八艘飛び」の瞬間を、平家の大将知盛像は、敗戦を覚悟し入水後、浮かび上がって首を取られないように碇を担いだ(碇潜(いかりかづき))瞬間を、それぞれ表現しています。
「長州砲」(八十斤カノン砲)の複製。
(平成16年9月完成。)
こんな感じで関門海峡に砲門が向けられています。
(攘夷実行や下関戦争で実際に撃たれました。)
その他、長州藩が外国船を攻撃した「壇ノ浦砲台跡」もあります。
ここから「火の山公園」に車で登ってみることに。
(火の山ロープウェイへ続く坂道への入口。駐車場隣接。)
関門海峡をはさみ、下関と門司を一望できるスポット、火の山(標高268m)山頂へは、パークウェイで車でも登ることができます。
パークウェイを登り始めると、「濃霧視界不良」のお知らせが出ていましたが、とりあえず山頂まで行ってみることに。
(無料駐車場。確かに濃霧視界不良。(笑))
みもすそ川公園では降っていなかった雨が、山のせいでしょうか、どしゃ降り。
誰一人いない山頂の展望スポット。
(柵際まで行っても、全く何も見えず。)
晴れていれば、こんな感じの眺望が開けます。
(ネットより拝借。)
「火の山」は、その名の通り、昔は九州での急を都に伝える狼煙を上げた山で、戦時中にはB29を迎撃するための高射砲が設置されていました。
(数分歩けば遺構があるのですが、どしゃ降りのためさっさと車に戻りました。)
戦艦大和の46センチ主砲弾(実物)。
(プレートには、全長1.95m、重さ1740kg、最大射程42000m、とあります。驚きです。)
傘をさしていても太ももから下はびしょびしょ、、、これから角島に向かいますが、「雨の角島かぁ、、、」とちょっとがっかりしながらの下山となりました。
下関から角島へは、国道191号線をJR山陰本線と並行して北進していきます。
❝映える❞角島大橋を半ば諦めていましたが、道中、どんどん天気が好転、角島を遠くに望める地点では、この青空。
角島は、2つの島(尾山と元山)がつながっているような地形で、上の写真で少し凹んでいる所がその❝連結❞地点です。その真ん中を串で刺すように、角島大橋から続く「海士ヶ瀬ロード」が貫いています。
角島大橋観光には、お隣の「海士ヶ瀬公園」の駐車場が便利です。
(晴れ!)
地面が濡れているところを見ると、雨上がりのようです。
それでは、思う存分、角島大橋の景色を楽しみたいと思います。
この地図にプロットした4ヶ所から撮影してみました。
(〇数字が撮影スポットです。)
①「海士ヶ瀬公園」駐車場からの景色。
②角島大橋入口の左手、少し小高く作られている展望所からの景色。
③角島大橋入口の横断歩道からの景色。
④T字路に並行して通っている道がちょうど高台になっていますが、そこからの景色。
青空なら、①~④、どの写真もフォトジェニックですね。(笑)
ちなみに、角島大橋(1700m)は、開通当初(2000年)は通行料無料の離島架橋の日本最長でしたが、2005年に沖縄の古宇利大橋(1960m)、2006年に新北九州空港連絡橋(2100m)、2015年に伊良部大橋(宮古島、3540m)が建設され、長さこそ1位の座を譲っていますが、知名度・人気度は今もトップと言われています。
駐車場隣接の売店横のオブジェと角島大橋。
(記念写真スポットになっていました。)
波を表現しているように見えますが、反対側を見ると、私にはサザエの❝蓋❞にしか見えません。(笑)
角島大橋の周辺には美しい砂浜があります。この名もなき砂浜もとても美しかったです。
(写真ではフレームアウトしていますが、左側には「ホテル西長門リゾート」(千葉の鴨川グランドホテルのグループ)というホテルがあります。)
角島大橋の景色を堪能しましたので、橋を渡って角島へ。
めざすは島の北西端の岬「夢ヶ崎」に立つ「角島灯台」です。
角島大橋から島内の海士ヶ瀬ロードは快適なドライブコース、10分もしないうちに、灯台横の駐車場に到着。
(「美人海女の店」が駐車場(300円)もやってます。美人海女さんは見当たりませんでした。(笑))
角島灯台は登ることができます。(300円)
100段くらいの狭い階段を上って行くと、最後の20段ほどは手すりと綱で登る激急階段。
(みんなが握っているであろう綱。すぐに売店でアルコール消毒しました。)
登り切ると、灯台の❝デッキ❞に出て絶景を見ることができます。
(夢ヶ崎岬の眺望です。)
角島灯台の敷地内には「灯台記念館」という資料館があります。
(角島灯台ができるまでの模型。)
角島灯台は、1876年建設、すでに130年以上も稼働している総御影石造りの洋式灯台(高さ29.6m)で、日本に2基しかない無塗装の灯台の1つだそうです。
「灯台の父」と呼ばれる、英国技師ブラントン氏の設計による最後の灯台で、灯台記念館ではその設計・建設だけでなく、生活の様子も紹介しています。
(この灯台内にバスタブを置いていたそうです。)
角島灯台と関連施設群は、「土木学会選奨土木遺産」に認定されています。
(「ブラントンの手がけた日本海側初の灯台、、、」って、ブラントンさんってすごい人なんですね。)
角島灯台、なかなか見応えがありました。
(「夢崎波の公園」から岬にかけては、ハマユウが群生しています。)
角島の中に、「しおかぜの里 角島」という、お食事処・お土産処があります。
(景色も結構いいです。)
角島はワカメと塩が名産なので、こちらにしました。
(左:「角島宝来塩」の塩ラーメン(角島灯台の売店で)、右:角島ワカメを練り込んだそうめん(しおかぜの里で)。)
特にワカメは、「海士ヶ瀬戸」のワカメとして、奈良時代、天皇に献上されていたことが、平城京跡から出土した木簡に記されていたそうです。(「長門国豊浦郡都濃嶋所出穉海藻 天平十八年三月廿九日」)
その記念碑が、角島大橋の角島側の展望所にあります。
(1300年以上前にここから京都までワカメを運んでいたなんて、、、。)
また、角島わかめは、「万葉集」にも「角島の 迫門(せと)の稚海藻(わかめ)は 人のむた 荒かりしかど 我がむたは和海藻(にぎめ)」(詠人知らず)と詠まれているそうです。
防人が角島の純情な乙女をワカメになぞらえて詠んだものとされ、「角島の瀬戸のワカメは、他人には荒々しくてなびかなかったが、私には優しく素直であった。」という意味だそうです。
また、この展望所には、巨大な石碑「しま心」がそびえ立っています。
(3mはあるのではないでしょうか。巨大な石碑です。)
この威容には何かあると思い、帰宅後調べてみました。
島の暮らしを豊かにする。難工事を極めた角島大橋の完成は、島の人たちの心が実ったもの。その後、角島大橋は山口県を代表する観光名所となり、このエリアの観光客は開通前の19万人から100万人を超えるまでになった。そんな思いを、「しま心」として、角島大橋の開通に際し、当時の二井知事に揮毫を依頼したもの、、、だそうです。
角島わかめの天皇献上のことが書かれた木簡出土の記念碑と、この「しま心」の石碑が立つ、角島側の展望所から見る角島大橋です。
角島側から見る角島大橋もまた美しいです。
角島を出発、11時も回りましたので、川棚温泉の名物「瓦そば」をめざして、その道中、何ヶ所かに立ち寄ります。
まずは、角島大橋を戻って10分しない所にある、「恩徳寺」の「結びイブキ」をめざしましたが、幹線道路から結構入るのですが、車を停める場所がなく、断念。(「結びイブキ」はねじれにねじれた奇樹で、昭和30年、国指定天然記念物。)
角島に向かっていた道中や戻る道中、ずっと道路標識に出ていた地名「特牛」。
(国道191号線に立つ看板にも。イカが名産らしい。)
道中、実際に「特牛」地区を通りました。
(下関市豊北町特牛。)
さて、何と読むのでしょうか?
答えは、「こっとい」、、、絶対読めません。(笑)
全国の駅の中から選ばれる「難読駅名ベスト10」の第1位になったそうです。
ウィキペディアによると、読み方のルーツは、牝牛の意味を示す方言の「コトイ」という説と、日本海に面した小さな入り江を示す「琴江」という説などがあるそうです。
JR特牛駅は、映画「四日間の奇蹟」のロケ地になった(映画では「伊上畑駅」として登場)こともあり、ひょっとしたらご存知の方もいるでは。
駅には行きませんでしたが、特牛地区は、こんな所でした。
(港にある巨大製氷機。)
港はこんなに風光明媚でした。
特牛地区を出発して、再び海岸線をしばらく走ると、豊北町の宇賀地区に「二見夫婦岩」があります。
(波が時々護岸より上まで跳ねていましたが、護岸の❝ネズミ返し❞のような返しの効果でしょうか、道路は安全なようです。)
夫婦岩は、神聖な岩として、このあたりの漁師町二見浦で信仰され、2つの岩をつなぐしめ縄は毎年1月2日に締め込み姿の若衆によって張り替えられるそうです。(冬の海での張り替え、相当危険だと想像します。)
続いて走っていると、「福徳稲荷神社」が出現します。
(目立ちますので、迷うことはありません。)
臨海絶景の稲荷として、看板にもある通り、観光コースになっているようです。
駐車場横すぐ、大鳥居です。
ちょうど今は、「夏越の大祓」(なごしのおおはらえ)の神事の時期のようで、お参りした神社は全て「茅の輪」(ちのわ)がセットされていました。
(ちょっと回数ははしょりましたが、くぐっておきました。)
福徳稲荷神社の人気の理由のひとつが、ここで振り返った時の景色。
(朱塗りの大鳥居と響灘のコラボ絶景。)
お参りさせていただきました。
こちらがいただいた御朱印です。
(授与所の隅で撮影しましたので、下の台が朱色。)
境内には、「千本鳥居参道」があります。
(実際は千本以上あります、と説明板に書かれていました。別名「開運鳥居」と言うそうです。)
駐車場から鳥居の続いている様子を見ることができます。
千本鳥居を進んで行くと、「谷嶽」・「谷森」・「谷川」稲荷の旧祠三社をお参りすることができます。
早朝5時半に出発してから何も食べていませんので、お腹が空きました、、、昼食のため「川棚温泉」へ。
川棚温泉の名物「瓦そば」、せっかくなので老舗の「たかせ」に行ってみました。
結構混んでいて、名前を書いて待つこと30分くらいでしょうか、入店。
(感染防止対策として、空席を設けています。その都度消毒もされていました。しっかりしたお店です。)
事前にネットで調べた、「瓦そば」と「うな飯」の名物セットを注文しようと思いましたが、平日限定だそうで残念、、、せっかくなので、単品で2つとも注文。(笑)
「瓦そば」。
(想像以上に瓦が大きい。そして、瓦なので、そばを取ろうとすると、トッピングの刻みネギなどがコロコロと転げ落ちます。(笑))
そばは、温かいそばつゆでいただきます。牛肉でしょうか、トッピングの具とも相性バッチリで、スルスルっといただけます。
「うな飯」。
(先週、土用の丑の日にうなぎを食べ損ねましたので。(笑))
名古屋のひつまぶしのような感じでいただきます。
まずはそのままいただいて、続いて「うな茶」にして。
そのままよりも「うな茶」が超美味。ずっと「うな茶」でいただきました。
「瓦そば」と「うな飯」、「たかせ」の2大名物、大満足の美味しさでした。
ちなみに、「たかせ」は、私が入った本館、隣の南本館、すぐ近くの東本館があります。
お店の方が言ってましたが、このところ、東本館はずっと閉めているそうです、、、コロナ禍の影響でしょうかね。
「たかせ」、ちょっと混みますが、お客さんの回転が良く、お店の❝フロアマネージャー❞の方がとてもしっかりしておられるので、安心して待つことができますよ。
「たかせ」への途中、JR川棚温泉駅を通ったのですが、ちょっと寄ってみたかったので、こちらの公営施設の駐車場に車を入れて、駅へ。
(快晴、夏模様で、暑い!)
川棚温泉駅です。
(何かをイメージしているのか、特徴的な建物です。)
川棚温泉は、かつて大きな沼地だった川棚に棲んでいた青龍が亡くなった際、住民が手厚く祀るとお湯が湧き出した、という伝説に始まります。開湯は寿永2年(1183)。
なので、駅前のオブジェは青龍。
ちょうど列車が入線してきました。
写真黄色点線で囲んだ所をアップすると、、、
ちょっと荒れ気味ですが、これでいいんでしたっけ。(笑)
帰宅後調べてみると、今の駅舎は2002年(平成14年)にできたそうで、この「川田温泉駅」の文字パーツは、おそらく、廃止されたホームにあった駅名の文字パーツをこうやって置いてある(保存している)のではないか、というのが私の仮説です。
時間に余裕があれば、下関の奥座敷の名湯、毛利氏や種田山頭火にも愛された川棚温泉に立ち寄り湯をしたかったのですが、今回はカットすることに。
さて、次の目的地、本州最西端の地「毘沙ノ鼻」へ。
(道中見付けた「日露戦争従軍記念碑」。碑には、この地域出身の人でしょうか、少将の名が彫られていました。)
「毘沙ノ鼻」の入口に到着です。
駐車場すぐの所で迎えてくれる干支飾り。
(毎年の干支で替えているようです。)
駐車場から「毘沙ノ鼻」までは3分ほど歩きます。
(沖縄の本部半島の備瀬のフクギ並木を思わせる、青空へ続く道。)
この道を登り切ると、眼前に岬の広場が一気に広がります。
「本州最西端の地」のオブジェがなぜかミニチュア灯台。(笑)
展望デッキからはこの絶景。
(左へと大パノラマで水平線が広がります。)
視界を左に振ると、「吉母(よしも)富士」の美しい形が見えます。
岬の展望デッキの近くにこの案内板があります。
(「神功皇后が、帰朝の折、ここから上陸された」とありますが、ここからは全く崖下の様子が見えません。残念。)
絶景を堪能した後は、後程、観光案内所で「最西端到達証明書」(100円)を発行してもらうため、スマホで❝証拠写真❞を自撮り。(笑)
「毘沙ノ鼻」に実際に来てみて知ったことが2つ。
一つは、吉母海岸で国内最古の恐竜の足跡の化石が発見されたこと。
もう一つは、2500kmの渡りをする蝶、アサギマダラの休息地になっていること。
アサギマダラの休息地と言えば、大分の姫島だけと思っていましたが、ここにもあるのですね。
吉母エリアにはアサギマダラが大好きなフジバカマの自生地があるそうですが、毘沙ノ鼻に人工的に休息地を作る取り組みとして、フジバカマが植えられていました。
(岬の広場で。駐車場にも囲いを作ってフジバカマが植えられていました。)
「毘沙ノ鼻」、素晴らしい絶景スポットでした。
これから新下関駅エリアと向かうのですが、毘沙ノ鼻を出てすぐに、地元の御社「若宮神社」がありました。
「吉母富士フォトスポット」とありますが、手前の山と重なってしまっています。
(吉母富士の眺望なら毘沙ノ鼻の展望デッキからの方がいいかも。)
「関門TOPPA!記念証」(無料)と「最西端到達証明書」(100円)をいただくため、新下関駅に立ち寄ります。
下関駅ではなく新下関駅でいただくことにしたのは、こちらの方が空いているかなということと、このエリアにある「中山神社」にお参りするため。
駅構内の観光案内所には、おじさまがおられて、2つ(記念証と証明書)のことを言うと、「毘沙ノ鼻にも行って来られたのぉ。」と、とても感じ良く対応していただきました。
(英語の資料を読んでおられるところ、ご対応、ありがとうございました。)
こちらがいただいた「関門TOPPA!記念証」と「最西端到達証明書」。
(嬉しいです。(笑))
新下関駅を出て、「中山神社」へ。
一般道路になっていますが、この真っすぐな道が中山神社の参道です。
(これは鳥居の前で参道を振り返った(一の鳥居の方向を見た)景色です。)
普通の住宅地の中、この一画だけが緑豊かな別世界の雰囲気です。
明治天皇の叔父にあたる中山忠光がご祭神。
中山忠光は、幕末、尊王攘夷派として活動し、武力倒幕派の天誅組の首領になりましたが、戦いに敗れて長州へ逃れましたが、元治元年(1864)、20歳の時に暗殺されました。
(逆光です。(笑))
お参りさせていただき、御朱印をいただきました。
(下関市内の御朱印マップをいただきました。下関の神社では御朱印を積極的にPRされています。)
境内から向かって左脇に入ると、中国清朝最後の皇帝宜統帝(薄儀)の弟、愛新覚羅薄傑とその妻で忠光のひ孫にあたる浩(ひろ)をご祭神とする「愛新覚羅社」が祀られています。
祖霊社の凛とした雰囲気が素晴らしかった。
(足を踏み入れることはしませんでした。)
ここを少し登ると、忠光の墓所があります。
境内のさざれ石、こんなに大きなのは初めて見ました。
神門の外側ですが、鶏がいました。
(ひょっとして烏骨鶏?)
唐戸・下関エリアへ移動します。
市営駐車場に車を入れて、徒歩で散策です。
まずは、「亀山八幡宮」へお参り。
亀山八幡宮は、貞観元年(859)に宇佐神宮より勧請し創建されたと伝わる古社。「関の氏神さま」と親しまれています。古くは島だったとか。
(歩道の幅が狭くて、日本最大の御影石製鳥居は見上げるほかありません。)
高台に広々とした境内。
振り返ると、もちろん、絶景でございます。
日本最大のふくの銅像。
(ご存知の通り、下関では「ふぐ」を幸福を呼び込むとして「ふく」と言います。)
この「ふく」の像、物語があります。
昭和9年、境内東側に「波のりふくの像」が建立され、下関の名物として親しまれていましたが、戦争末期の昭和19年、金属供出により文字通り鉄砲玉となり、台座のみが残りました。平成元年、下関のふくを愛してやまない有志により「ふく銅像再建推進委員会」が結成され、総経費2000万円で再建されました(台座は当時のもの)。
お参りさせていただき、御朱印をいただきます。
境内には「お亀明神社」もあり、御朱印のバリエーションが多くて迷いましたが、「夏越祭」バージョン(見開き版)が気に入り、こちらに。
(神職さんが、「(式神?)多めに散らしておきました。」とニッコリ。)
「亀山八幡宮の御朱印が良かったかなぁ、、、。」とちょっと思っていると、「今御朱印を授与された方にはアマビエ様の御朱印もお渡ししています。」とのことで、良かったです。
(アマビエ様が「ふく」を持っています。)
ありがとうございました。
あっ、そうそう、亀山八幡宮と言えば、ネット情報で、大鳥居の扁額「亀山宮」の「山」の字にボールがはまっている、とのこと、、、現地で確認し忘れたので、写真を拡大してみると、、、
(確かにボールらしきものが挟まってる。)
このボール、挟まって半世紀とか(真偽不明)。「落ちない」とのことで、入試・就職で拝む人がいるそうです。
鳥居を出てすぐの所に「床屋発祥之地」の碑があります。
職業としての結髪所(「立派な床の間がある結髪所」が変じて「床屋」)が下関から始まったことに由来しているようです。
「赤間神宮」。
赤間神宮のシンボルと言えば、関門海峡を臨む、白壁に朱塗の楼門「水天門」。
壇ノ浦の合戦において、二位の尼に抱かれて入水された幼帝安徳天皇をお祀りしています。
「八咫鏡」奉鎮の石碑。
(えっ!? 八咫鏡ってここにあるの?)
三種の神器の一つ「八咫鏡」は、壇ノ浦の戦いの際、安徳天皇が入水した時に一緒に海に沈んだものを源義経が回収し、現在、実物は伊勢神宮の内宮に、形代(かたしろ)は宮中賢所にあると言われていますが、「実は本物の八咫鏡は源氏の手を逃れて隠されていた」という伝説があり、その伝説通り、昭和33年に岡山県で発掘され、赤間神宮に奉献されました、、、と、この石碑には刻まれているようです。
お参りして御朱印をいただきました。
(こちらは感染防止のため書置きでの授与となります。)
社務所の裏に回った少し薄暗い所に「耳なし芳一」のお堂があります。
更にその横には「平家一門之墓」があります。
墓碑にここに眠る平家一門のお名前が刻まれています。
(「みもすそ川公園」にある「平知盛像」その人の名もあります。)
赤間神宮に隣接するのは、ふくの名店「春帆楼」(しゅんぱんろう)。
(ここ春帆楼は、日清講和会議が開催された、歴史の舞台。)
下関が講和会議の地に選ばれたのは、日本の軍事力を誇示できる最適な場所であったからだそうです。日本の軍船が大陸に向かって関門海峡を通過する光景は、清国使節団に脅威を与え、その後の交渉は日本のペースで展開したそうです。
市営駐車場に戻ります。
(道路向かいの唐戸市場。今回は立ち寄りません。)
車で、下関駅近くの「大歳神社」に向かいます。
予想通り、大歳神社には駐車場はないので、近くのコインパークに車を入れて、少しだけ歩きます。
大歳神社近くの竹崎公園には、高杉晋作と奇兵隊を讃えるモニュメント「風の予言者 高杉晋作と奇兵隊」があります。
大歳神社の鳥居は、高杉晋作や多くの志士を資金支援した豪商白石正一郎が寄進したものです。
(夏越の大祓、茅の輪がセットされています。)
なかなかの長く急な階段「一二三坂」(123段あります)を上ります。
これだけ上れば眺めはいいですが、市街地ど真ん中なので、景色はビルばかり。
大歳神社は、源義経が壇之浦の合戦に際し戦勝祈願した地であり、四軒の漁民が義経の祈願の有様を畏敬して、神祠を祀ったことが、その由緒とされています。
(高杉晋作が奇兵隊を旗揚げした(軍旗を奉納した)神社でもあります。)
お参りさせていただき、御朱印をいただきました。
境内にある「七卿落ち」の画碑。
(陽の光の加減か、風化が進行しているのか、画碑をじっと見ましたが、あまりクリアには見えませんでした。)
「七卿落ち」とは、文久3年(1863)8月、京都朝廷で起こった政変により、反幕派7人の公卿が京都から追放され長州に下った事件とのこと。
さて、時刻は間もなく17時です。
下関駅エリアでもうひとつ、「厳島神社」にお参りしたかったのですが、最後に、彦島エリアに行ってみたかったので、厳島神社はカットして、彦島へ向かいます。
下関市の本土と彦島を隔てる小門海峡(関門海峡小瀬戸)にある「下関漁港閘門」。
(1936年9月設置。)
下関漁港閘門は、パナマ運河式(高低差のある水面を仕切り、水位を同じになるよう調整して、船舶の通航を可能とする仕組み)の水路長50m、水門幅8mという世界最小の水門です。
(この橋は船舶通航中は上がります。)
橋が上がると、車は通行できませんので、通行可能時間帯が明示されています。
水産庁の「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」(近代土木遺産)に選出されています。
昭和38年には天皇・皇后もお越しになったようです。
下関漁港閘門、なかなかの迫力でした。実際に船舶が通航している時を狙って見学に来るのもいいかもしれません。
「下関漁港閘門」を後に、最後の目的地、「彦島八幡宮」へ。
平治元年(1159)、彦島開拓の祖と言われる河野通次が、漁の途中で海中に光り輝く物を見付け、引き上げてみると、裏面に八幡尊像が彫られている鏡だったので、その鏡を一族の護り本尊として祀るための祠を造り、「光格殿」と名付けたのが彦島八幡宮の発祥だそうです。
感染予防対策で手水舎の使用を止めている神社が多い中、こちらは、何と、お花が浮かべられていました。
(美しい花が夕刻の日差しに映え、今日一日の疲れが癒されます。手だけ清めさせていただきました。)
彦島八幡宮も夏越の大祓で茅の輪がありました。
(今日は茅の輪を何度くぐったことか。これでこの夏は健康確約です。(笑))
お参りさせていただきました。17時を回っていましたが、快く御朱印を授与していただきました。
「七の縁起を担ぐ島 七里七浦七恵美須 彦島神社めぐり」とありますが、神職さんがご丁寧に教えてくださいました。
帰宅後調べたことも補足してまとめてみると、縁起のいい「七」にまつわる話は、大体こういうことです。
平清盛が平家の祈願所を設けるために全国に「七里七浦」の場所を探させたところ、家来たちが全国を隈なく探して候補となったのが、彦島と安芸の厳島だった。ところが、彦島は、七里(28km)に少し足らずの6里15町51間(25.3km)だったことから、平家の祈願所は厳島になった。
神職さんの話によると、今は開発が進み、7つあった「浦」も2つになってしまったそうです。ちなみに、彦島八幡宮以外は神職さん不在で、御朱印は全てここ彦島八幡宮で授与されるそうです。
(七社とその御朱印の紹介。社務所に貼られているポスターです。)
これで、今回の下関・角島日帰り一人旅の全行程が終了。
行きに「めかりPA」に立ち寄ったので、帰りも、関門海峡を挟んだPA「壇之浦PA」に立ち寄ってみました。
福岡市街地に近づくと、少し雨がぱらつきましたが、渋滞もなく、時間通りにレンタカーを返却。
帰宅後、諸々片付けていると、彦島八幡宮でいただいた彦島神社めぐりの紙の裏面に書かれていた、宮司さんの書に気付きました。
この時節、とても心に染み入る言葉でした。
勉強のため、言葉の元の意味も調べてみました。
・雨過天晴雲破処:青磁の澄んだ青の例えとして、昔中国の皇帝が、「雨の過ぎ去った後の雲の切れ間から見える空のような色が良い。」と言ったとか。
・随処作主 立処皆真:「どこに居ようとも自分自身を見失わなければ、いつどこでもそこに真理が存在する。」という禅宗(黄檗宗)の教え。
充実した一日でした。
こうやって、今日一日の思い出をブログに書いてみると、思わぬ❝大作❞になってしまいました。(笑)
最後までお付き合いいただいたみなさん、ありがとうございます。
学校が下関、入社時の住まいが門司港だった私、懐かしい風景・地名ばかりでした。
亀山八幡宮へ剣道の稽古に通い、新人研修で関門橋の道路の下を歩いた事等を思い出しました。
「特牛(こっとい)」・・・読者の中で読めたのは私だけではないでしょうか(笑)
暑くなりました、お身体にはお気を付けください。
コロナ、大雨、酷暑と例年より更に過ごしづらい夏ですが、いかがお過ごしでしょうか。
以前なら観光客でにぎやかになっている唐戸も心なしかひっそりしていました。
お店の方々はやり切れない思いだと思いますが、一人旅の私にとってはゆっくり、ゆったりご当地の歴史などを探訪できました。
これからが夏本番、ご自愛のほど。