mo-diary

酔生夢死ってわけでもないけれど、、、日々雑感

青森県4泊周遊旅行②〔2日目観光(下北半島)編〕

2024年08月31日 | 旅行記

2日目の今日は下北半島を巡ります。下北半島と言えば、恐山、大間(マグロ)、仏ヶ浦ですが、更に加えて、本州最北東端の岬「尻屋崎(尻屋埼灯台)」を訪れます。

(2日目の予定。ご覧の通り、下北半島はその形から❝鉞(まさかり)❞に例えられます。そもそも遠い上に、❝鉞❞の頭の部分も広大なので最も旅程を立てづらいエリアです。)

(参考)鉞(まさかり)

(ネットより拝借。下北半島の形そのもの。(笑))

ドーミーイン青森の温泉大浴場は朝5時からやっていますので、まずは起き抜けの温泉から。

(昨晩浸かりましたが、ツルツル・ヌルヌルの私の好みの泉質。)

ご当地らしい演出も旅を盛り上げてくれます。

(この絵を描いた絵師の名前が紹介されていましたが、控えるのを失念しました。)

男湯の暖簾をくぐると、金魚たちがお出迎え。

(「金魚ねぶた」。県内各地の祭りで使われるようです。)

旅の間に知ったことですが、「金魚ねぶた」は津軽の祭りに欠かすことのできない夏の風物詩だそうで、その由来は、江戸時代、金魚は一部の上流階級の間でしか飼うことができない高級魚だったので、庶民は金魚をねぶたにして祭りの時に子どもたちが提灯のように持って歩いた、とのこと。その後、「金魚」の名の通り金運をもたらす幸福の縁起物として工芸品になったようです。

湯上りに無料サービスのヤクルトを飲んで一休み。

(失礼して部屋に1本持ち帰りさせていただきました。(笑))

湯上り処からの景色。

(青森港。「アスパム」が目立ちますね。)

右手、下北半島の方向を見ると、遠くに幻想的な景色が広がっていました。

(ここからだと、下北半島ではなく、その手前の、浅虫温泉のある半島的な陸地が見えているのかもしれません。)

早朝6時半、立体駐車場から車を出庫してもらって出発です。

(朝6時半から駐車場の係の人が常駐。それより早い時刻ならホテルのフロントの人が対応してくれます。)

出発して30分くらいでしょうか、下北半島に入って行く前に、「藩境塚」という史跡に立ち寄ります。

(かなりマイナースポットで一度通り過ぎてしまいました。)

藩境塚はその名の通り、津軽藩と南部藩の境界に設けられた関所のような所。

(ネットより拝借。ちなみに、当時、津軽藩の中心地は弘前、南部藩は八戸。青森(市)は元々は善知鳥(うとう)村という漁村でした。)

当時は、藩をまたぐ移動が厳しく取り締まられていた時代。津軽藩と南部藩の❝出入口❞はここ野辺地の藩境塚一箇所だったということからも往時のたいへんさを偲ぶことができます。

(藩境塚にある番所「馬門御番所」。実は、この御番所、公衆トイレです。(笑) 実際に馬門御番所があったのはここから1km程離れた所で、この建物は御番所風に復元されたトイレ。また、大きな看板に書かれている通り、野辺地は北前船の寄港地で栄えていたということです。)

建物の横に当時の「高札」を復元したものもありました。

(薄れて読み取りづらいですが、武具類、紅花、蝋漆油、綿麻、銀鉛硫黄、男女・牛馬、という文字がかろうじて分かります。ネットで調べてみると、この覚書には「手形が無い者は武具や火薬、人、染料などの持ち出しを堅く禁じる」という趣旨のことが書かれているそうです。)

藩境塚を出発して約2時間、陸奥湾に沿って北へ北へ走り、❝鉞❞の頭の上に突き抜けて、大間町に入りました。

(本日の昼食は大間のマグロの予定。)

一旦大間町は通過して、まずは仏ヶ浦観光に向かいます。

(仏ヶ浦のサイトより。「船で行ける極楽浄土」。昔々から訪れてみたいと頭の片隅にあった仏ヶ浦ですが、とにかくアクセスしづらいスポットで半ば諦めていました。)

仏ヶ浦は❝鉞❞の刃の真ん中あたり。陸路でも行くことはできますが、駐車場から急坂を40分は歩くというほぼ登山らしく、様々な観光サイトでは遊覧船によるアクセスを推奨しています。ということで、私たちも「仏ヶ浦遊覧船」に乗ることに。発着は大間町を通過した佐井村の佐井漁港です。「佐井村立 津軽海峡文化館アルサス」の駐車場に車を停めます。

(漁港に面しています。)

仏ヶ浦遊覧船は、運航期間4月~10月、1日2便(10:30と13:00)で、仏ヶ浦まで片道30分、上陸して散策30分、佐井港への帰路30分という1時間半の仏ヶ浦ツアーです。今日の観光プランをあれこれ考えて、私たちは10:30の便を予約。これに間に合うために今朝は6時半にドーミーイン青森を出発しました。

(「予約者専用キップ売場」とありますが、予約しなくても余裕で乗船できると思います。(笑))

遊覧船運航会社が毎朝当日の運航状況をサイトにアップしてくれていますが、本日は無事通常運航です。

(サイトは結構しっかりした作りですが、現場はアナログ感満載です。(笑))

遊覧船料金は1人3000円。そこそこの値段ですが、最初で最後でしょうから全然OKです。

(キップ、1人に1枚出すのではなく、「×2」とか「大2」と手書き。(笑) パンフレットは人数分いただけます。)

かなり余裕をもってホテルを出発したつもりですが、藩境塚に立ち寄ったりしていたので、30分前到着というところ。下北半島の広大さを実感しました。乗船開始まで20分程ありますので、「アルサス」の2階「展望室」に行ってみました。

(普通の2階でした。テラスなどはなく、外に出ることはできません。)

ちょっとだけ景色が良かった。

(桟橋に縦列で停泊しているのが、ニューしもきた1号・2号。)

1階にはお土産物売り場もあって、大間のマグロコーナーが一番大きかったです。

(仏ヶ浦観光の後、ご当地大間の港の寿司屋で「大間まぐろ」を堪能しますので、ここではチラ見のみ。)

各地の産業・文化に触れるのも旅の醍醐味ですが、「仏ヶ浦裂き織り」とは何でしょう。

(「仏ヶ浦裂き織り」、「南部裂織」とありますので、ご当地の織物だと思います。)

ネットで調べてみると、「裂き織り」とは、古い布を裂いて横糸に使う織物で、綿が貴重だった江戸時代、南部藩の各地で受け継がれてきた、古い布を再利用する庶民の織物のようです。

さて、乗船時刻となりました。ニューしもきた1号に向かいます。

(あまり「ニュー」という感じではありませんが。(笑))

事前リサーチによると、遊覧船は行きは左側の席がおススメとのこと。海岸線の景色がずっと左側に展開するから。その通り左側の席に座ることができましたが、前方数列は立入禁止でした。

(内装もかなり年季が入っています。安全性に問題はないと信じたいと思いますが、なぜ立入禁止なのか、、、。)

出航して20分を過ぎる頃から奇岩の海岸線が現れます。

(船は更に進んで、間もなく仏ヶ浦の桟橋に到着します。)

素人でも分かる接岸の操船の上手さ。北の海の船頭さんの技術の高さでしょうか。

(それでは散策に行って来ます。)

コンクリートで広々と整備された桟橋だったのがちょっと意外。

(桟橋の足元に見える海は透明度抜群で、小魚がわんさかいます。)

散策路も途中まではこんな感じで整備されています。

(歩きやすくて助かります。自販機などはありませんが、トイレはあります。)

造られた散策路も途切れて、いよいよ本格的に仏ヶ浦を歩きます。

(中央に見える祠へ続く階段から断崖の上に向かって道があるようで、おそらくそれを登り続けると陸路の駐車場に出るのだと思います。ここから見ただけでもまさに断崖の急坂。)

歩き始めると、極楽浄土かどうかは別として、非日常の景色の中に没入しますので、巨岩のサイズ感も相俟って不思議な感覚を覚えるのは確かです。ちなみに、パンフレットによると、巨岩には全て名前が付いています。

(右の巨岩は「屏風岩」。)

(「天龍岩」。手前を人が2人歩いていますが、岩の麓に行くと、天龍岩のとんでもないサイズ感が実感できます。)

(天龍岩の背面と、手前は「香爐岩」、右に見切れているのは「双鶏門」。)

巨岩の間を縫うように歩くことができ、結構奥まで進むことができますが、上陸時間は30分ですので、適当な所で引き返す必要があります。私たちも足元が悪くなった所で折り返して桟橋に戻って来ました。

(海面に美しく逆さに映る「岩龍岩」。実際に見ると、もっとスケールが大きく美しいです。)

足元の海中を見ると、アオリイカの子どもたちが群れていました。

(捕食されないように黒く保護色になっているのでしょうか。)

30分はあっという間でした。一度は訪れてみたかった仏ヶ浦、素晴らしかったです。

(名残の1枚。(笑))

帰路は船内ではなく、後部の船外席に座りました。出航すると、散策ではたどり着けなかった❝奥地❞の巨岩方向の景色を望むことができました。

(大きな双子のような巨岩が緑を挟んでそびえていますが、左が「帆掛岩」、右が「蓬莱山」だと思います。その前に広がる砂浜が「極楽浜」ですが、ここからだと良く分からないですね。)

仏ヶ浦を出て15分以上経っていると思いますが、往路に船内放送で説明のあった「願掛岩」、復路で写メを撮ることができました。

(角度的に分かりづらいですが、2つの巨岩から成っています。左が「女岩」、右が「男岩」。荒海に出ていく漁師はこの願掛岩に漁の安全を祈ったそうです。)

佐井港に戻って来ました。時刻はちょうど12時。ここから大間港までは20分というところ。事前リサーチしておいた大間の寿司屋へ向かいます。

(目の前が大間港という「浜寿司」が本日の昼食場所です。)

「浜寿司」は地元でも人気のようで、昼食時ですので混んでいないかと心配したのですが、、、。

(店頭に置かれている順番待ちの帳面は全て消し込み済み。ちょうど別のご夫婦が出て来られて満面の笑顔で「美味しかったですよぉ~。」と教えてくれました。これは期待できます。)

で、お店の方は空いていました。(笑)

(お店の人のやり取りを聞いていると、お昼のピークは終わったようです。)

お値段はもちろん安くはないですが、大間のマグロを大間で食べる、一生に一度の経験ですので、ここは好きなものをいただきます。

(メニューの表・裏。東京で食べることを思えば、激安だと思います。)

私は「特上丼」。

(大トロ、中トロ、赤身が盛り合わされています。隙間なく大間マグロ。)

妻は「本鮪握り盛り合わせ」。

(大トロ、中トロ、赤身の握りと鉄火巻き。)

地元の寿司屋で食べているというシチュエーションもありますが、言葉で表せない美味しさです。これまでの旅で食べた食事の中で、「ベラビスタ スパ&アリーナ尾道」の「鮨 双忘」とともに、思い出に残るトップ5に入るのではないでしょうか。夫婦ともに大満足の大間のマグロ食べ尽くしの昼食でした。

昼食後は大間崎の観光です。「大間崎」、「大間埼灯台」、「ここ本州最北端の地碑」などを見学します。

(この1枚に、シンボル4点が映っています。写真左奥に小さく「大間埼灯台」、手前に「大間崎」の標、「まぐろ一本釣の町」のオブジェ、右奥に「こゝ本州最北端の地」の石碑。無理やり入れてみました。(笑))

大間崎の少し沖にある弁天島に建つ「大間埼灯台」。

(向こうに薄っすら見えるのは北海道の大地、函館あたりか。何とも言えない雰囲気のある灯台ですが、危険と隣り合わせの荒れる津軽海峡を航行する船の安全を守っています。)

「こゝ本州最北端の地」の石碑。

(本州最北端に立ちました!)

この石碑近くの地面に、各地の「最〇端」を紹介する日本列島が描かれています。

(鹿児島の大隅半島には何度か行っていますが、訪れた南限としては「雄川の滝」まで。ということで「本土最南端 佐多岬」は未踏ですが、この地図に書かれているその他の「最〇端」はいずれも訪問済みです。「本州最西端 毘沙ノ鼻」には九州勤務時代、一人旅で、「四国最南端 足摺岬」と「本州最南端 潮岬」にはブログを始める前に家族旅行で、それぞれ旅の途中に訪れたことがあります。結構行ってるなぁ、、、。(笑))

で、実際に見てみたかったオブジェ「まぐろ一本釣の町 おおま」。

(荒れる津軽海峡、命がけのマグロ漁という厳しさを感じさせない、どこなくユーモラスなオブジェは実際にはどんなものなのか見てみたかったので。で、実際に見た感想は、見たまんまちょっとほんわかしていました。(笑))

大間崎はこんな感じで整備されていますが、陸地の方を見ると、お土産物屋さんがあるものの、ちょっと寂しい感じがします。

(基本的には北の漁師町という一本芯が通った雰囲気も感じます。この奥に大きな駐車場があります。)

公衆トイレも含めて、町はマグロ推しです。(笑)

(マグロのシルエットが妙にシブい。(笑))

大間を出発して次は一路、本州最北東端の岬「尻屋埼灯台」をめざします。❝鉞❞の上部を端から端へ走ります。

(大間を出発して少し行くと、「下風呂温泉郷」があります。今回の旅を計画している中で、この温泉地のひなびた民宿に泊まることも案として検討しました。)

❝鉞❞の頭の端から端までの所要時間は約1時間。尻屋崎は住所としては下北郡東通村(ひがしどおり)。灯台への最後のアプローチにはゲートがあります。

(ゲートには通行可能期間があって、4/1~4/30は8:00~15:45、5/1~11/30は7:00~16:45、12/1~3/31は閉鎖となります。派手な「クマ出没 注意!」の看板がありますが、今回の旅では高速道を含め、ツキノワグマとの遭遇注意が至る所で喚起されていました。)

ゲートを通過して数分走ると、灯台が見えてきました。

(最果ての地の風情を感じます。)

駐車場から灯台までは少し歩きますが、訪れる人もほとんどいない寂寥感たっぷりです。

(仏ヶ浦や大間、恐山までは旅行社もカバーしていますが、尻屋埼灯台をツアーに入れている旅行社はほとんどないのでは。)

本州最北東端の岬に建つ「尻屋埼灯台」です。

(この看板の裏に灯台カードのQRコードがないかと探しましたが、ありませんでした。残念。1876年(明治9)完成。高さ33mはレンガ造りの灯台としては日本一。)

尻屋埼灯台から左の方向に岬の突端がありますが、そこに「お地蔵さま」がいらっしゃいます。

(強風が吹いていますので注意して進みます。)

黒い墓石のように見えるのは、船が遭難して亡くなった方々の慰霊碑。尻屋崎沖は津軽海峡と太平洋が交わる要衝であり豊かな漁場ですが、ご当地特有の濃霧が発生することや、岩礁が広がることから、別名「難破岬」と呼ばれるほど遭難の多い所だったそうです。明治に入り各国との貿易が盛んになったこともあり、船の往来の安全を守るために尻屋埼灯台が建築されたそうです。お地蔵さまはそんな厳しい海に出る漁師やここを通る船の安全を見守るように佇んでいます。

(合掌。)

湿気はありますが強風のせいか少々肌寒さも感じますので、早々に車に戻ります。実は、尻屋崎を訪れたかったのは、ここに放牧されている「寒立馬」(かんだちめ)と出会いたかったから。

(寒立馬の越冬放牧地のエリアは「アタカ」という地名のようです。)

いつでも馬に会えるわけではないようですが、今日は、、、いました!

(この景色を見たかったので、ここまで来た甲斐がありました。寒立馬は元々は農耕馬でしたが、頭数が激減し現在は保護され、30頭くらいにまで回復しているそうです。)

道路を挟んで2つの放牧場に寒立馬がいました。

(もう一方の放牧場。こっちに近寄って来てくれないかなぁとしばらく見ていましたが、ずっと草を食べていました。(笑))

ビジターハウスと呼ぶにはミニサイズの小屋があって、その中に寒立馬のポスターが何種類も貼られていました。

(こんな景色が実際にあるのかというベストショット。(笑))

ご当地馬を見るのは、宮崎の都井岬の「御崎馬」以来でしたが、馬のいる景色は何度見てもいいですね。大満足です。さて、次は下北半島と言えばの名所「霊場恐山 菩提寺」に向かいます。ここから恐山までは1時間弱です。まずは菩提寺の少し手前にある「三途の川」で車を停めて見学します。

(三途の川に架かる「恐山 太鼓橋」。ここにも「熊出没注意!」の看板。)

三途の川というよりは太鼓橋の写メになりますが、「三途川」の石碑が雰囲気を盛り上げています。

(太鼓橋的な朱塗りの橋が架かる景色は各地にもあると思いますが、雰囲気と言うか空気と言うか、このあたりの気配、ちょっと違います。)

脇には「奪衣婆(だつえば)と懸衣翁(けんえおう)」がいます。

(左:奪衣婆、右:懸衣翁、夫婦です。奪衣婆はアニメ「鬼灯の冷徹」を観たことがある方ならご存知かと。(笑) 私は鬼灯の冷徹に登場する奪衣婆の強烈なキャラのことしか知らないので、この石板の説明で改めて勉強すると、奪衣婆は三途の川で死者の衣服を剥ぎ取る鬼婆で、懸衣翁は奪衣婆が剝ぎ取った死者の衣服を衣領樹の枝に掛けて重さを測る=生前の罪の重さを計る番人、とのことです。)

それでは三途の川を(車で)渡って、「霊場恐山 菩提寺」へ入山します。

(総門。恐山は比叡山高野山とともに「日本三大霊山」と言われています。今回恐山を訪れたことで、日本三大霊山、コンプリート。)

恐山菩提寺は862年創建。慈覚大師円仁さんが夢のお告げに導かれ、諸国に教えを説いて回った旅の果てに、この下北の地に「恐山菩提寺」を開山したと伝わる、とのことです。

(表紙なので円仁さんかと思ったら、八葉地蔵菩薩でした。パンフを開くと載っていました。)

山門。

(周囲の景色の中で威風堂々の山門です。)

山門をくぐると境内。硫黄臭がします。

(恐山は活火山(休火山かも)で、霊場が面している湖はカルデラ湖の「宇曽利湖」。霊場内に温泉が湧いていて、この中央の参道の両サイドに見える小屋は共同浴場(左・女湯、右:男湯)。入山者は自由に温泉に浸かることができます。)

まずはお参りさせていただきます。

(現在時刻は16時過ぎ。菩提寺は18時に門が閉められます。)

お参りが済んだら、霊場内を順路に沿って散策します。

(ネットより拝借。今お参りした本堂の左脇から散策順路がスタートします。)

太鼓橋(三途の川)に「a」、山門「b」とありますが、「c」から順に巡って行きます。順路表示がありますので、そんなに迷うことはありません。

(こんな感じの荒涼とした景色の中の散策です。)

ここは「無間地獄」。

(至る所に積まれた石やかざ車があります。聞こえるのは、風に回るかざ車のカサカサという乾いた音だけ。硫黄臭はずっとしています。)

「永代無縁碑」と「大平和観音」。

(宇曽利湖が見えてきました。)

「賽の河原」にあった石碑。

(石に埋もれ気味で一部見えませんが、「人はみな それぞれ 悲しき 過去持ちて 賽の河原に 小石積みたり」と刻まれています。)

それにしても硫黄臭がすごいです。こんな注意書きの看板がありました。

(「硫化水素が噴出しているため」火に引火する恐れがあるそうで、所定の場所以外では火気厳禁。引火よりも人体に影響はないのか。(笑))

賽の河原を過ぎると宇曽利湖はすぐそこ。

(湖畔も独特の景色です。遠くに見える像は「東日本大震災供養塔」です。)

湖畔は「極楽浜」。

(峻烈な地獄めぐりから穏やかな景色に変わったという意味では極楽なのかもしれませんが、寂寥感の方が先に立ちます。)

極楽浜と宇曽利湖のパノラマを1枚。

(極楽感はないですね。(笑))

湖に流れ込む小川が硫黄で黄色。

(もっと真っ黄色の所もありました。)

ガスが最も噴出していた所。

(ここには長く居てはいけないと思いますが、注意書きなどはありません。)

順路から外れたかと思いましたが、再び順路看板がありました。

(最後の見所「五智山展望台」へ。)

少し登ると「五智如来」がいらっしゃる展望台に出ます。

(手拭いでほっかむりされています。硫黄ガスが雨に溶けて強い酸性雨になるからでしょうかね。)

展望台からの景色です。

(宇曽利湖の方を望みます。)

ここからは菩提寺の境内もよく見えます。

(散策路を一巡りして来たようです。)

境内に戻って御朱印をいただきに寺務所に向かいます。ここは「無漏館」という入山者が写経などをする建物のようです。

(「イタコの口寄せ」もここで行われるようです。覗いたわけではありませんが、今日は誰もいないような。)

御朱印をいただきました。

(合掌。)

御朱印を書いてくれたお坊さんが「境内の真ん中にいるお地蔵さんに願い事をして、お地蔵さんの頭を優しく押すと、『うんうん』と頷いてくれるのでやってみてください。」と教えてくれました。

(最初にお参りした時には気付かなかったお地蔵さん「お願い地蔵尊」。教えてもらった通りやってみると、石像なのにお地蔵さんの頭が前後にゆっくりと揺れて、「願いを聞き届けたぞ」と頷いているように見えます。もちろん、お地蔵さんの頭は固定ではなく首振り人形のように組まれています。)

「霊場恐山 菩提寺」、ついに訪れることができました。恐山は全国的に有名でテレビなどでも観ることはありますが、この雰囲気は実際に来てみないと味わえないものだと思いました。

さて、時刻は17時を少し過ぎたところ。「釜臥山展望台」という陸奥湾を一望できる展望所へ立ち寄るオプションを用意していましたが、日暮れが近いこととお天気も小雨模様なのでカットすることにします。ここから青森への帰路は2時間半のロングドライブとなりますので、ちょっと早いですが、恐山を下山してむつ市で夕食にします。事前リサーチしておいた、下北半島の郷土料理「みそ貝焼き」のお店「なか川」へ。

(17時開店。)

開店して30分というところですが、既にお客さんが来ています。

(自宅兼お店という店構え。)

店内は最近改装したかのように真新しいです。

(私たちが入店してしばらくすると、ほぼ満席になりました。)

注文は「みそ貝焼き定食」一択でいきます。

(大きなホタテ貝の貝殻が鍋になっています。添えられているのは立派なみょうがの煮付け。)

みそ貝焼きの作り方がパウチにしてテーブルに置かれています。

(とにかく混ぜればいいようです。(笑))

で、こんな感じで完成。

(この後、豆腐も崩して混ぜて完成。)

食べた感想ですが、鍋替わりがホタテ貝なので、具材のメインがホタテ貝の身だと思い込んでいましたが、ホタテ貝はほんの少しで、野菜・山菜やエビなどの具材が中心。味の方もてっきり濃い味噌味だと思っていたら、意外なほどあっさり味。要は、素朴な地元の味、って感じでした。昔は漁師がホタテ貝の貝殻を鍋替わりに魚の切り身などを入れて自家製の味噌を溶き、粟飯や稗飯と一緒に食べていたという由来を聞くと得心します。いずれにしても事前リサーチで興味を持った下北半島の郷土料理を食べることができていい経験になりました。

「なか川」を18時頃に出発、途中、幹線道路なのに出会う車もなくて久々にハイビームをバンバン使いましたが、無事青森市内に帰って来ました。ホテルに戻る前に青森港にちょっと寄り道します。青森港に係留されている「青函連絡船 メモリアルシップ 八甲田丸」のライトアップです。

(妻撮影。)

青函連絡船「八甲田丸」は1964年(昭和39)就航。1988年(昭和63)に運航終了となり、現在は観光施設としてここに係留されています。そして、ここでもうひとつ見たかったのが「津軽海峡冬景色歌謡碑」青森港バージョン。(笑)

(昨日見た龍飛岬の歌謡碑よりも質素な感じですが、石碑の下部に例の赤いボタンが付いています。これまた「押せ」と言われているようですが、時刻は20時半、さすがに大音量の津軽海峡冬景色を鳴らすのはどうかと思い、押さず。(笑))

朝6時半にホテルを出発、帰着が20時半。長い一日でしたが、念願の下北半島を巡ることができ、1日目に続き、充実の2日目でした。ホテルに戻った後は、21時半から始まる「夜泣きそば」をいただきました。

(連夜の「夜泣きそば」。食べ飽きることがない美味しさ。「みそ貝焼き定食」が量的にちょっと物足りなかったので、小腹を満たすいい仕上げとなりました。(笑))

この後、温泉「淡雪の湯」にゆっくり浸かり(湯上りのアイスも食べて(笑))、今日の疲れを癒して就寝。明日3日目は「界 津軽」へ移動、それまでの時間、青森市内と弘前市を観光します。

 

・・・・・青森県4泊周遊旅行③〔3日目観光(青森市、弘前市)編〕へ続く。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする