上賀茂神社賀茂別雷神社(上賀茂神社)
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上賀茂神社(上社)の祭神は別雷神(わけいかづちのかみ)で、下鴨神社(下社)に祀られている玉依媛命の子にあたる。神徳は厄を祓い、あらゆる災難を除く厄除明神・落雷除・電気産業の守護神であり、広く信仰されている。
その昔、雷神が神社の北北西の方向にある神山(こうやま)に降臨され、天武天皇6年(678年)に、本殿に鎮座されたと伝えられている。従って、社殿の造営も天武天皇6年とされている。雷神が降臨したのは神代の昔らしい。この話はかつての神話そのものであるが、神社は神を祀っているのであるから、現在でも神話が生きていても不思議なことではないのかもしれない。
上賀茂神社は昔から皇室との関係が深かったようで、天平17年(745年)に天皇の病気治癒祈願が行われたのが関係の始まりとされている。以後、国家の重大時には必ず、奉幣・祈願が行われたという。大同2年(807年)には伊勢神宮に次ぐ地位が与えられたといわれている。神社は中世になって一時衰退したらしいが、徳川幕府の庇護、信心により隆盛し、第二次大戦の終戦までは官幣大社の首位に位置していたという。
「上賀茂神社」の正式名称は「賀茂別雷(かもわけいかづち)神社」であるが、一般には通称名である「上賀茂神社」のほうがよく知られている。
上賀茂神社立砂(たてずな)
上賀茂神社立砂は細殿(拝殿)前にある円錐状の2つの砂の山です。立砂は神代の昔に祭神・賀茂別雷命(かもわけいかづちのかみ)が降臨した神体・神山(こうやま)を模したのもで、向かって左に3本(陽)と右に2本(陰)の松葉が差されています。上賀茂神社の神が降臨する場所である.
立砂の意義とは・・・こちら
本殿
紫式部歌碑
紫式部
ほととぎす声待つほどは片岡の杜のしづくに立ちや濡れまし (新古今191)
ホトトギス(将来の結婚相手)の声を待っている間は、この片岡社の梢の下に立って、朝露の雫に濡れていましょう。
※ホトトギスと共に片岡の社もまた素晴らしいという意味。
上賀茂神社を散策
大田神社へ徒歩で
大田神社:カキツバタ(杜若)
こちら
外側からカキツバタを撮影
「カキツバタとアヤメってよーぉ似てるやんか?どこがちゃうねんやろか?」ッと声がしてました
あやめ(菖蒲)。花びらの中央部分に網目の模様があるのがよくわかりますね。
かきつばた(杜若)。花を見ると、かきつばたの特徴である花びらの中央が白色になっています。
大田神社で解散、徒歩で地下鉄北山へ、地下鉄北山から帰路につきました。
行程歩数18,297歩でした。
その番組は、貴船神社から下鴨神社までの賀茂川の水をテーマにした内容でした。
わんちゃんのブログで「立砂」や太田神社のカキツバタ(杜若)のきれいな写真などの紹介があり楽しく拝見しました。
円錐形の「立砂」は上賀茂神社ならではのものがありますが、上賀茂神社と同年に世界遺産に登録指定された「宇治上神社」の立砂(きょめ砂の意味)、銀閣寺のプリンのような形をした「向月台」(こうげつだい)も魅力がありますが、上賀茂神社のそれは神がかり的なものを感じます。
ブラタモリの番組では社家の民家を紹介していましたが、神社に奉祀(ほうし)する世襲の氏族の子孫の方が代々、神社を支えていたんだなーと思いました。
中でも、「賀茂氏」(かもうじ)は、氏族集団のリーダーとして、地域一体の用水路の整備、農業基盤の整備(すぐきなど)地域の発展に貢献していたなどとは知りませんでした。
ちなみに、芸術家、陶芸家、美食家で有名で、文化勲章を受賞された北大路魯山人さん(故人)はここの社家の出身です。
今年も葵祭の行列は中止となりましたが、立砂の場所で行われる「鳥相撲」や、神楽殿でおこなわれる12単衣の舞などの催事を見学したいものです。
素通りだったので、ちょっと残念でした。