二日目は、松代大本営跡地、京都の街のようなます目の広大な地下壕で、 あらかじめ「松代大本営の保存をすすめる会」の方にガイドをお願いしてあったので十分理解し、考えることが出来ましたが、ガイドがいなければ「富士山の風穴」や他にもある変わった地下壕ぐらいにしか思わないでしょう。
実際にガイドのいない何人かの見学者は、あっと言う間に突き当りまで行って戻って出て行きましたから。
大本営とは、軍の最高統帥機関で天皇が大元帥として統帥しました。
太平洋戦争末期、敗色が濃くなっても国民には実相を知らせず、戦果を大きく、敗北を少なめに発表した「大本営発表」は、戦後、「ウソの代名詞」とされるようになりました。
「絶対国防圏」が狭められる中、「国体護持・戦争続行」のため、大本営を安全な所に移そうとの計画が上がり、候補になったのが、信州松代なのです。 男子が皆兵隊に採られたなか労働力は、ここでも、朝鮮人とのことでしたが、詳しいことは判らないようです。
松代大本営ガイドは全国で600人ほどいるそうで、いま、ここは長野市教育委員会が管理保存していますが、いつ何時、戦争遺跡は、国民に知られては都合が悪いと解体させられないとも限りません。
理由はともかく、日吉地下壕も解体の危機にあります。 ガイドさんは、全国で解体問題が起きている、少なくとも歴史的、科学的検証をし、記録保存をしてほしいと思うと述べていました。
実際にガイドのいない何人かの見学者は、あっと言う間に突き当りまで行って戻って出て行きましたから。
大本営とは、軍の最高統帥機関で天皇が大元帥として統帥しました。
太平洋戦争末期、敗色が濃くなっても国民には実相を知らせず、戦果を大きく、敗北を少なめに発表した「大本営発表」は、戦後、「ウソの代名詞」とされるようになりました。
「絶対国防圏」が狭められる中、「国体護持・戦争続行」のため、大本営を安全な所に移そうとの計画が上がり、候補になったのが、信州松代なのです。 男子が皆兵隊に採られたなか労働力は、ここでも、朝鮮人とのことでしたが、詳しいことは判らないようです。
松代大本営ガイドは全国で600人ほどいるそうで、いま、ここは長野市教育委員会が管理保存していますが、いつ何時、戦争遺跡は、国民に知られては都合が悪いと解体させられないとも限りません。
理由はともかく、日吉地下壕も解体の危機にあります。 ガイドさんは、全国で解体問題が起きている、少なくとも歴史的、科学的検証をし、記録保存をしてほしいと思うと述べていました。