お気付きの方もいると思うのですが、実はこの2人には「大きな共通点」があり、2人共若くして事故で亡くなってしまった事、そして生前にとんでもない「才能を発揮」した事が挙げられ、
何か生まれた時から「運命」の様なものを背負った人の様にボクは感じるんですよね。と言うことで、今日は、普段のオートバイとは違いちょっと思考を変えて少し神がかったお話を…。(笑)
まず、オートバイ最高峰500ccレースで3度の優勝経験を持つ、ノリックこと「阿部典史さん」ですが、幼い頃からオートレーサーである父親の影響を受けてオートバイの世界に飛び込み、
5歳からポケバイそしてミニバイクレースを経験し、その地域の波いる強豪を跳ね除け、連戦連勝を重ね15歳になると高校に行かずアメリカでのダートトラックレースで、
ケニーロバーツ選手の門下生となりオートバイのスライド走法を身につけ、若干18歳にて全日本ロード選手権の最高峰である500ccレース初参戦で史上最年少でのチャンピオンに輝き、
翌年1994年の「日本GP(WGP)」では並み居る強豪を相手に大活躍を果たし注目を浴びる事になります。もうここまでお話しすれば過去に例のない「天才少年」だって直ぐに分かりますよね。(笑)
また、それを見た当時のウェインレイニー選手の目に留まり、翌年の1995年より「マールボロ・ヤマハチーム・レイニー」からWGP500クラスでのフル参戦を果たします。まだ若干20歳!
さらに当時、まだ若かりしあの「バレンティーノ・ロッシ選手」からサインを求められるのですが、彼からサインを求めた選手はこのノリックだけとなります。これとても有名なお話ですよね。
で、フル参戦した翌年1996年の世界GP第3戦(鈴鹿)にて15年ぶりの500cc日本人チャンピオンに輝きます。とにかく若くして天才と言われた選手だった事は間違いないと実証されます。
で、次に「加藤大治郎さん」ですが、これまた3歳からポケバイ、ミニバイクに精通し優勝を重ねます。これ阿部典史(ノリック)さんより、ほんの数年後の話となります。
そこから、若干16歳でロードレースに参戦を開始し九州エリアの3クラスを制覇、翌年の1994年には異例の2階級特別昇格を果たし全日本ロードレース選手権250ccクラスでフル参戦を果たします。
1997年以降の国内レースで連勝し、2000年にはついに世界GP250ccクラスでのフル参戦を果たし、翌年2001年には圧倒的な速さで250ccクラスでの「ワールドチャンピオン」に輝きます。
また2002年から最高峰500ccへ昇格し、2003年の初戦にあたる日本GPにて原因不明の事故を起こし帰らぬ人となってしまうんですよね。享年26歳と言う若さでした。
で、さらに今度は「阿部典史(ノリック)さん」ですが、現役中の2007年に一般道でトラックと衝突を起こし帰らぬ人となってしまいます。これまた享年32歳と言う若さでした。
この2人共、ほぼ同じ時代に現れて、あまりの「速さ」から周りの大人から「稀に見る天才」と称賛され、その通り世界を相手に大活躍を果たし、若い年齢にも関わらずこの世を去ってしまいます。
ボクはどうしてもこの2人を考えた時、普通の人とは何か違う特別な使命を持って生まれた? もしくはその天才的な才能の代償として最初から短い生涯を背負っていた?
そんな風に思えてならないんですよね。人の生涯って実は「平等」に出来てて平凡に暮らす人は何も無い代わりにそれなりの寿命が与えられ、何か特別だったり不幸を背負って生まれたりする人は、
世の中で何か「歴史に残るもの」を差し出して去る気がするんですよね。中には一見ただただ不運だったとされる人もいますが、それでも後に語り継がれる事となる非凡な人たちだったりします。
そう考えるとこの2人も後者に属するタイプで、実は最初から特別な才能を持って生まれて来て偉業をなし得るのですが、その代償として短い人生と定められていた様に感じるんです。
もちろん彼ら以外にも大きな偉業を成し得てる有名なライダーで「現在も存命」な方も、たくさんいますがボク的には、その分「彼らほどじゃ無い」って気がしてますし、
もしくは、成功の裏に秘めた「別の大きな不運」を背負ってる人(結局は、それでプラマイゼロ…)だったりすんじゃ無いかって思ったりします。
まぁ、それだけ彼ら2人はボクの中で「特別中の特別」と思うのですが…さて、今日は何か「らしくない」お話になってしまいましたが、こう言ったお話しってあなたならどう捉えますか!(笑)
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