大分単身赴任日誌

前期高齢者の考えたことを、単身赴任状況だからこそ言えるものとして言ってみます。

「縄延び」について・・・誤った「定説」を覆し正すことは「専門家」の責任・・・①

2019-03-22 13:48:02 | 日記
私たち土地家屋調査士の業務領域、特に境界問題においては、「定説にはなっているが実は誤っている」というものが多いように思えます。
以下書いていく「縄延び」に関することについてもそうですし、「公図」をめぐってもいくつかそのようなものを挙げることができます。
何故そうなるのか?
私の考える答えは、その領域における「専門家らしい専門家の不在」ということになります。要するに「境界問題の専門家」であるはずの土地家屋調査士の不甲斐なさ、ということになります。
もう少し詳しく言うと、この「定説にはなっているが実は誤っている」説というのは、境界確定訴訟の判決などで言われたものが多いように思えるのですが、この境界確定訴訟において判決を書いている裁判官というのは境界問題に詳しいわけでも、それを研究しているわけでもなく、それ以前に同様の裁判官が書いた判決文を参考にしながら、手探り状態で、その事案にあてはまるようなものを探し出して述べているに過ぎないものが少なくないように思えます。
いわば素人の説です。
そして、本来専門家であるはずの土地家屋調査士が、その素人の説の誤りを批判せず、それどころかあたかも「権威あるもの」のように押し戴くかのようにしてしまうので、いつまでたっても誤りがただされることなく続いて行ってしまう、ということになってしまうわけです。
いい加減でこのような状態からは脱しなければならないと思う、ということで、最新号の「登記研究」誌に載っている新井克己先生の「縄延び」に関する論稿を取り上げたいと思います。

まずその前に、筆者の新井先生について。
新井先生は、横浜地方法務局長などを務められた方で、大著「公図と境界」(H17.テイハン)の著者でもあり、我が国の土地境界問題の第一人者の一人であり、一般的に信頼できる先生で、私も常々勉強させていただいている方です。
以下に取り上げる文章は、「登記研究」誌で連載されている「Q&A不動産表示登記」の中の一節であり、この連載はもう「34」回目ということです。「不動産表示登記」に関する全体像を示してくださるものとして、私も毎号勉強になるなと感謝しつつ読ませていただいています。
そう思っていたら、日調連会報「土地家屋調査士」でも、今年の1月号から新井先生の「土地の表示に関する登記の沿革」という連載が始まりました。「表示に関する登記の専門家」を自称する者が、このタイトルの連載を外部の方にしていただく、というのも如何なものかとは思いますが、裏返して言えば新井先生がそれだけ信頼を得ている方であるということを示している、と言うことかとも思います。
そのように常々お世話になっている信頼のおける先生なのではありますが、以下に取り上げる「地積・縄延び」に関する記述については、いかがなものかと思わざるを得ません。
もちろん、新井先生は全く個人的に新奇な「独自の見解」を述べられているわけではなく、「定説」となっていることをを述べておられるわけですが、この「定説」自体が違っているのではないか、と思えるのです。そして、このような「誤った定説」を覆して正しい理解に近づいていくことこそが「専門家」としての責任なのではないか、と思いますので、そのような観点から以下書かせていただきます。

 「登記研究」誌852号(H31.2)の 「Q&A不動産表示登記(34)」で、「登記地積・縄延び」に関して新井先生は次のように述べておられます。

① 「明治初期実施の地租改正事業あるいは明治中期実施の全国地押調査事業における測量の方法は、十字法または三斜法であった。したがって、その測量成果を近代測量の成果と比較すれば、差異が生じるから、公簿地籍と実測面積との間に差異が生ずることは当然である。
しかし、公簿地籍と実測面積との差異が、測量技術のみに起因するのであれば、その差異は、公簿面積が実測面積より増加する現象と減少する現象が発生するはずであるにもかかわらず、公簿面積が実測面積よりも少ないのが一般的であるから、縄延びの発生原因を測量技術の問題としてのみ捉えることはできない。」

② 「縄延びは、公簿地籍が地租徴収の目的の下で測量された成果に基づくことに起因しているのである。」
③ 「すなわち、明治期に、旧幕時代の石高制による物納貢租の納税制度を廃止し、地価を課税標準とする金納定額の地租制度を採用するため、全国の各土地について地押、丈量(測量)の調査を行い、土地の丈量は人民が行ったものを、官吏が検査するという方法を採ったため、反別(面積)を過少申告すれば、その分だけ地租の納付を減額することができるところから、測量の際に各種の節税対策が講じられたことが考えられるのである。例えば、一間の距離を真の一間の距離より長く目盛った間縄を用いて測れば、一間より短い測量成果を得ることができるとして、間延びをした間縄を用いて測量したり、あるいは距離を測る場合、境界に立って、間縄を持った手を伸ばして距離を測れば、その延ばした手の長さ分だけ短い測量成果を得ることができる。」

①の問題意識、②の総括的結論については、そのとおりであると思います。ここまでは問題ない。しかし、③の「節税目的の過少申告」説というのは、私はまったくの間違いであると思っています。
この「節税目的の過少申告」主犯説の誤りは次の2点において指摘しえます。
まず第一は、「証拠不十分」です。いや「不十分」と言うよりも「皆無」と言うべきでしょう。「節税目的で面積を過少に測った」ということを示す「証拠」は何一つ挙げられていません。これは、「証拠に基づく判断」なのではなく、「単なる推理」にすぎないのです。①の問題意識に沿って、この問題への「合理的」と思われる理由を頭の中で考えたときに思いつかれたのが、この「節税目的の過少申告」という「ゴマカシ」を犯人だとする考え方であり、それに過ぎない、ということです。

もう一つ(第2)は、「真犯人の存在」です。「公簿面積が実測面積よりも少ないのが一般的」になった主な理由は、「公簿面積を出す際に測った土地の範囲は、今日の実測面積が対象としている一筆の土地全部ではなく、その一部分に過ぎないから」であり、ここに「真犯人」がいる、とすべきです。
実は、この点については、新井先生自身が、先の引用のすぐ後で、次のように述べておられます。
「地租改正事務局出張官心得書(明治9年9月18日地租改正事務局関東府県出張官ヘ達)第2項は、「甲乙地主ノ境界及一己ノ所有ニシテ地所接続スルトモ毎筆ノ境界ハ双方凡五勺ツゝ(即一間の二十分の一)除却シテ丈量スヘシ」と規定している。したがって、境界から、1間=6尺(60寸)の20分の1(約9センチ)後退して丈量していることになるから、その分だけ面積が少なくなる。これは、旧幕時代における検地の畔際引として、「畔幅壱尺、畦際左右壱尺づゝを除却するを法とす」とされていたことが踏襲されたのものであろうか。」

このように、地租改正当時に「丈量」の対象としていたのは、少なくとも今日のように「筆界まで」の範囲なのではなかったわけです。(明治9年9月18日の「達」の意味するところ、そこで「除却」するものとされていたのは「9㎝」よりもはるかに大きかったことについては、その他の詳しい説明とともに後日に回します。)

さて、今、二つの理由を挙げました。詳しいことは後日述べるようにいたしますが、第一の「証拠不十分」については簡単な話ですので、今日済ませておくようにしましょう。
この「節税目的過少申告」説が、初めにどのようにして出されたのかは、よくわかりませんが(根拠のないうわさ話の出所というものは、わかり難いものです)、比較的初期には、次のような形で言われていました。
裁判官の著した「境界確定訴訟」についてのある程度まとまった論考である村松俊夫著「境界確定の訴」(1972年初版発行)では、次のような言い方がなされています。、
「明治6年・・・当時の測量は技術が発達していなかったし、ほかの事情もあった故か、田舎では「縄延び」と言っているが、実測面積が公簿上の面積の十数倍というところも少なくない。」
と言って、「ほかの事情もあった故か」というところに注を付して

「明治6年に地価台帳を作成したのは、税を徴収するためにされたのであるから、国民としてはできるだけ面積を狭くしておくほうが都合がよかったことも、その不正確さの一原因をなしているといわれている。したがってまた明治政府に勢力を有していた地方では比較的ルーズに、それに反して勢力を有していない地方では比較的厳格に作成されたということが言われているが、そのようなことがもっとはっきりされれば、境界確定の訴の心理にも役立つことが多いと考える。」(31)


このように初期においては、「いわれている」「もっとはっきりされれば」というように、断定するどころか、あくまでも「いわれている」ことを紹介しているにすぎず、「はっきり」しているわけではない、とする随分と控えめな、自信のない言い方がなされていたわけで、あくまでも「推理」にすぎないことが明らかなような言い方で言われていました。
もしもその後「そのようなことがもっとはっきりされれば」、この「説」は補強され確かなものになっていったはずなのですが、事実としてはなんら「はっきり」されることはなかった、ということになります。つまり、この「推理」、「仮説」は証拠をもって証明されることがなかったわけです。およそ近代以降の科学的方法というのは、「仮説」を証拠をもって証明していくものとしてあるわけですから、この「節税目的過少申告説」というものは、「実証されなかった仮説」に過ぎないものとしてゴミ箱に捨てられるべきものとしてある、ということになります。
しかし、そうならずに、逆に「推理」にすぎなかったものが「断定」に変ってしまい、「仮説」に過ぎなかったものが「定説」になってしまっている、という現実があるわけです。「境界問題」が「科学」としての実質を持たぬまま無責任な世間話の世界にとどまってしまっているわけで、大変嘆かわしい憂うべき状態にある、と言わざるをえません。

・・・ということで、だいぶ長くなってしまいましたので、今日のところはこれで終わり、次回、「公簿面積を出す際に測った土地の範囲は、今日の実測面積が対象としている一筆の土地全部ではなく、その一部分に過ぎない」ということについて、地租改正事務局出張官心得書」等の地租改正時の取り扱いを踏まえて、大分の地租改正時の資料や「登記研究」誌834~837に連載された奈良県での検証結果・・・等を紹介しつつ、もう少し詳しく書くようにしたいと思います。
また、さらに回を改めて、この「縄延び=節税目的過少申告説」の持つ意味や影響などについても考えていければ、と思っています。