大分単身赴任日誌

前期高齢者の考えたことを、単身赴任状況だからこそ言えるものとして言ってみます。

読んだ本・・・「統計学は最強の学問である」西内啓

2019-03-01 20:24:05 | 日記
2013年出版の本ですので、もう8年前の本ということになります。
出版されたころに買っていたのですが、途中まで読んでほっぽり投げていたものを、引っ張り出してきて読んでみました。
なぜ今更読んだかというと、言わなくてもわかるような話ですが、「統計不正問題」が大きな問題になっているからです。国会での質疑を聞いていると、根本厚労大臣という人は「統計問題」をわかっていないんだろうな、と思わされます。的外れの答えばっかりします。・・と言っても、そう思うのは「統計問題」がさっぱりわからない自分に引き寄せて考えるからかもしれません。
では、なぜ8年前には、本を買ったものの読まなかったのか?と言うと、そもそも「最強の学問」などという問題の立て方自体が気に食わない、ということがありました。じゃぁ買わなきゃいいじゃない、というところですが、やっぱり少しは「統計学」への知識を持っておかなくてはいけないな、と思ったのでしょうね。そのうえで、やっぱり受け付けなかった、ということなのです。
そもそものところから言えば、「学問」に「最強」なんてものがあるのか?ということになります。「学問」というのは「強さ」を競うようなもんじゃないだろう、ということです。・・・こういう考え方、感じ方というのは、最近読んだ別の本によれば「70年代に絶滅した『教養世代』」(「劣化するオッサン社会の処方箋」山口周:光文社新書)の考え方・感じ方だということになって、「90年代に勃興した『実学世代』」からすると、「学問」に「最強」を求めるのは当たり前、ということになるのかもしれません。いやな時代です。

それはともかく、「統計学が最強」とする著者の説くところは次のようなことです。
「おそらく我々がすべきことの多くは、すでに文献やデータの上では明らかなのである。・・・やるべきことが明らかなのであれば、私たちがすべきことはいかに速くそうした真実を探し当て、理解し、自らが実践するとともに、その知恵を周りに普及していくことだろう。統計学の素晴らしいところはこうした「最善」への道を最も速く確実に示してくれるところではないかと思う。」
「最も速く」ということを求める、すなわち直線的・直接的に求める、というところにが賛成しかねるところです。これは私が「教養世代」の残滓をまとっているから、という面もあるのでしょうが、それだけではないように思います。
それは、著者も次のように言っているところの問題です。
「統計学は数学的な理論に基づいて組み立てられているものの、その数理的性質を現実に適用した時には必ずいくつかの仮定や、仮定の扱いに関する現実的な判断が必要になる。またそうした現実的な判断は、分野ごとの哲学、目的、伝統や、扱おうとしているデータの性質によって左右されるのである。」

著者の言っていることは、ここでももっと直接的なことなのだと思われますが、「最善の解」を求めるのはある程度の長さを持った過程のこととして考えるべきことなのであり、「数理的」なものに還元してしまうわけにはいかない、というのは確かなことなのでしょう。
最近の「統計不正」を見ても、直近の問題意識、短期的な意味での「最善」を求める、というところから「統計」を弄んでいるように思えます。たとえば、雇用保険・労災保険の負担を軽減させるための「全数調査回避」や、アベノミクス効果を演出するための統計手法の操作、といったことが、とても優秀な官僚たちの知恵を絞った方策として行われたのではないか、と思えるわけです。
そのようなことを含めて、著者が8年前に指摘していた「日本全体での統計リテラシー不足」ということが今も問題だ、ということなのでしょう。まぁ、「統計リテラシー不足」の最たるものとして偉そうなことは言えないのですけれど・・・。

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