大分単身赴任日誌

前期高齢者の考えたことを、単身赴任状況だからこそ言えるものとして言ってみます。

日調連総会の日に・・・二日目

2016-06-22 16:55:44 | 日記
昨日、日調連(土地家屋調査士会)の現状について「自立していない」状態にある、ということについて書き、「自立していない状態」というのは、「従属している」「依存している」とも言える、ということを書きました。今日はその続きです。

「従属している」状態を「よくないことだ」と考えるのには、いろいろな理由があります。
まずは、「人生観」の問題として「よくない」と考える、ということがあります。もちろん、「従属していたってなんだって、それによって儲かるのならその方がいい」という「人生観」もありうるでしょうし(もしかしたら今日の日本においてはそのような「人生観」の方が主流なのかもしれませんし)、「そんなことより生活の確保が第一だ」という切実な要求というのもあるのかとは思います。しかし、そのうえで、官庁や大企業に所属するのではなく、多くは個人事業者である「資格業」を選ぶ、という場合の「魅力」は、その独立性・自立性にあるのだと思いますので、「従属している」状態からの脱却、というのは重要なことなのだと思います。
また、「従属」によって「安定」がもたらされるのは、あくまでも「本体」が安定していることが前提です。本体に揺らぎがでてくると、同じように、あるいは真っ先に影響を受けてしまうのは従属してしまっている方です。これは、アメリカの勢力減退に伴って切り捨てられていく従属国の姿や、業績悪化によって切り捨てられていく下請け業者の姿に明らかなことです。その意味では、「損得論」的に言っても、長期的にみれば「従属」からの脱却を目指すべきだということになります。

「従属している」ということを他の側面から見ると「依存している」ということになります。そして、ここにより深い問題がある、というべきなのだと思います。
「依存している」状態から出てくるのは「無責任」です。たとえば、昨日書いたような文書発出についても、自分の責任で自分で文書を出しているのであれば、それに対する責任は自分で持たなければならないのは当然のことです。しかし、「検閲」を受けて変えられてしまったのなら、その責任感は希薄になります。
また、同じことの違う表現になりますが、「向上心の減退」ということもあるでしょう。自分自身が向上しなくても、ぶら下がっていればなんとかなる、という依存性です。

この責任感の希薄化、ということは、このような「組織」としての問題のみに限られたことではない、というべきでしょう。それは、「業務」について、あるいは資格業としての存在のありかたそのものについても関わることです。
たとえば(これが一番明らかなことだと思うので挙げるのですが)、「土地の筆界の認定」ということについて、多くの調査士の方が、「それは登記官のやることだ」というようなことを言います。しかし、本当に私たちの日々の業務の実態から言って、そのように言えるのだろうか?私は違う、と思います。実際問題として「筆界の認定」をしているのは、調査士です。
何度も同じ話を引用しますが、「通常の表示登記における(筆界の)認定というのは、基本的には・・土地家屋調査士さんがお決めになったものを登記所に報告なさる、こういう性格のものでございます」(H17.3.23衆議院法務委員会寺田民事局長答弁)というのが、実態を正しく表現したものです。そして、そうであれば、そのような「認定」に関する「責任」を持たなければならない、ということになるのですが(そして、そのような責任を持つ者に対する社会的な評価が生まれるわけですが)、その「責任」を回避して、「筆界の認定は登記官が行うもの」という虚構に隠れる、ということをしてしまっているものとして、「土地家屋調査士」の現在の姿があります。

「組織」としての非自立性、従属性、依存性は、このような姿の反映として、反省的にとらえ返すべきことです。そして、そうであればその克服のための方向性は?・・・・という話になるべきところですが、これについては、また次にします。