まずは余談。今、世間では舛添東京都知事の「疑惑」なるものが、盛んに取り上げられています。
しかし、こんなもの「疑惑」なのでしょうか?舛添さんが、「政治資金」を自分や家族の旅行・飲食に使っていた、ということは明々白々なことで、「疑惑」というほどのことではないように思えます。こんな低次元のことで(それだけにはっきりしていて面白く溜飲の下がるところがあるのかもしれませんが)、「政治」について語っているかのようにしてしまう、というのはちょっと違うのではないか、と思います。
「政治活動」だと称して家族旅行の費用を賄ってしまう嘘と、「絶対にやる」と断言していた「消費税増税」を他人のせいにしてやらないことにしてそれを「争点」にして選挙を行う、とする嘘とでは、同じ「嘘」でもレベルが違うのであり、後者の方が格段に罪深いように私には思えて、こういう「スキャンダル」に目を奪われる中でもっと大事なことが見過ごされて行ってしまうような気がしてなりません。
舛添問題で私が驚いたのは、「厳しい第三者」の鳴り物入りで登場した弁護士のあまりのひどさです。佐々木という元検事の弁護士は、会見で記者から「ヒアリングしていないのに事実として認定できるのか」と問われたことに対して、「実際に知事がそう言っていてそれに沿うような裏付けがあればそれを疑うことはできない。あなた事実認定というものをご存じないからそういう事を言いますけどすべてヒアリングしなければいけないというものじゃないんですよ」と逆ギレして(と言うか、恫喝風に)言っていました。佐々木弁護士は「それに沿うような裏付け」が何であるのかを全く明らかにしていないので、結局根拠は「知事がそう言っている」ということ、だけです。
これは、弁護士が代理人として付いているのだとしても「私の依頼者がこう言っているのだから、相手方の言うことは違う」と言っているだけで、とても上等とは言えないものだと思いますが、ましてや「厳しい第三者」としての役割を期待されて出てきているわけですから、職責上のレベルとしては、ほとんど舛添さんレベル、と言うべきでしょう。こういうことをやっていると「ヤメ検」だけでなく「弁護士」というものの評価も下がってしまうような気がして、他人事ながらいけないな、と思います。
・・・と、関係ない話が長くなってしまいました。先月で、全国の各土地家屋調査士会の総会が終わり、今月日調連の総会があります(21,22日)。
私も一応「相談役」という肩書をもらっているので総会への招待をいただいたのですが、こういう肩書の人たちがすでに「終わった人」的な、「同窓会」的な感じで総会に来ている様子を、以前からあまり好ましい感じで見ていなかったので、自分自身が同じようなことをする必要はないな、と思って、参加するのはやめました。出席した大分会の人から様子を聞くようにしたいと思います。
議案書も送られてきたので、ざっと見てみました。
今年は、「役員選任規則」の改正提案などがある、ということです。「選挙」のありかた、というのは、何が絶対的な正解なのか、ということを言いきれない問題ですので、最低限の規範性を保つ形でスムーズに進むように決められれば、と思います。
そのうえで、問題はむしろ、その決まったものの「運用」のありかたです。たとえば、監査意見の中で「連合会に専務理事や常務理事が常勤しない」現状について、「連合会事業の継続、事務局業務の掌握や職員の管理に関し、最低1名の常勤役員を選任する必要を感じる」ということが言われています。この「常勤役員」の問題というのは、規則上は「置ける」ことになっているのに、実際の運用で「置いていない」わけですので、「規則」以前(「以降」か?)の問題、ということになります。
この「常勤役員がいない」ということは、監査意見で指摘されていることだけでなく、実に根本的な深ーい問題なのだと私は思っています。
去年の選挙の時にも、そのようなところから、日弁連の約20人の常勤役員、日司連の5人の常勤役員という体制と比べて、日調連の現状があまりにもお粗末なのではないか、ということを訴えました。・・・・が、この言い方はあまり評判がよろしくなかったようですね。よその団体と比べて「他団体がいるのだからうちでもいるだろう」という言い方はよくないだろう、との指摘も受けました。
別に他団体の真似をしろ、というつもりは全くないのですが、自分自身のありかたを考えるときに、他人との比較対照をしてみる、というのは、必要なことであるように思います。そのとき、「なぜ?」ということを考えるのが必要です。他の団体では、ある程度の数の常勤役員がいるのに、自分のところにいないのはなぜなのか?それはいいことなのか?わるいことなのか?
監査意見の中では、常勤役員がいないことについて「経費削減の効果もみられる」ということを言っていますので、必要性がないのだったらわざわざ常勤役員を置く必要はないし、それは「いいこと」なのだ、ということになります。
そこで問題は「必要性」です。「いない」「置いていない」というのは、突き詰めて考えると「必要性がない」ということになります。
では、なぜ必要ない、とされるのか?根本的な問題として、組織の独立性、自立性というところに問題があるように思えます。独立していない下請け組織や、「上」の意向を伝達することに主な機能のある組織であるのなら、あるいはせいぜい成員の共済や互助・親睦を図っていればいい組織であるのなら、組織の独立性や自立性を問題にする必要性はありません。むしろそんなものはあるべきではない、ということにもなります。植民地の間接統治の機関が独立性を持たない、というのと同じです。舛添さんから依頼された弁護士が舛添さんに対する独立性を持たないのも同じことです(やっと初めの「余談」とつながりました)。
土地家屋調査士会という組織は、そしてその連合会という組織は、何を行うべきもので、それに応じてどのような組織形態をとるべきなのか、そのためにはなにっが必要なのか、ということを、年に一度の総会の機会にもう一度考えてみるべきなのだと思っています。
しかし、こんなもの「疑惑」なのでしょうか?舛添さんが、「政治資金」を自分や家族の旅行・飲食に使っていた、ということは明々白々なことで、「疑惑」というほどのことではないように思えます。こんな低次元のことで(それだけにはっきりしていて面白く溜飲の下がるところがあるのかもしれませんが)、「政治」について語っているかのようにしてしまう、というのはちょっと違うのではないか、と思います。
「政治活動」だと称して家族旅行の費用を賄ってしまう嘘と、「絶対にやる」と断言していた「消費税増税」を他人のせいにしてやらないことにしてそれを「争点」にして選挙を行う、とする嘘とでは、同じ「嘘」でもレベルが違うのであり、後者の方が格段に罪深いように私には思えて、こういう「スキャンダル」に目を奪われる中でもっと大事なことが見過ごされて行ってしまうような気がしてなりません。
舛添問題で私が驚いたのは、「厳しい第三者」の鳴り物入りで登場した弁護士のあまりのひどさです。佐々木という元検事の弁護士は、会見で記者から「ヒアリングしていないのに事実として認定できるのか」と問われたことに対して、「実際に知事がそう言っていてそれに沿うような裏付けがあればそれを疑うことはできない。あなた事実認定というものをご存じないからそういう事を言いますけどすべてヒアリングしなければいけないというものじゃないんですよ」と逆ギレして(と言うか、恫喝風に)言っていました。佐々木弁護士は「それに沿うような裏付け」が何であるのかを全く明らかにしていないので、結局根拠は「知事がそう言っている」ということ、だけです。
これは、弁護士が代理人として付いているのだとしても「私の依頼者がこう言っているのだから、相手方の言うことは違う」と言っているだけで、とても上等とは言えないものだと思いますが、ましてや「厳しい第三者」としての役割を期待されて出てきているわけですから、職責上のレベルとしては、ほとんど舛添さんレベル、と言うべきでしょう。こういうことをやっていると「ヤメ検」だけでなく「弁護士」というものの評価も下がってしまうような気がして、他人事ながらいけないな、と思います。
・・・と、関係ない話が長くなってしまいました。先月で、全国の各土地家屋調査士会の総会が終わり、今月日調連の総会があります(21,22日)。
私も一応「相談役」という肩書をもらっているので総会への招待をいただいたのですが、こういう肩書の人たちがすでに「終わった人」的な、「同窓会」的な感じで総会に来ている様子を、以前からあまり好ましい感じで見ていなかったので、自分自身が同じようなことをする必要はないな、と思って、参加するのはやめました。出席した大分会の人から様子を聞くようにしたいと思います。
議案書も送られてきたので、ざっと見てみました。
今年は、「役員選任規則」の改正提案などがある、ということです。「選挙」のありかた、というのは、何が絶対的な正解なのか、ということを言いきれない問題ですので、最低限の規範性を保つ形でスムーズに進むように決められれば、と思います。
そのうえで、問題はむしろ、その決まったものの「運用」のありかたです。たとえば、監査意見の中で「連合会に専務理事や常務理事が常勤しない」現状について、「連合会事業の継続、事務局業務の掌握や職員の管理に関し、最低1名の常勤役員を選任する必要を感じる」ということが言われています。この「常勤役員」の問題というのは、規則上は「置ける」ことになっているのに、実際の運用で「置いていない」わけですので、「規則」以前(「以降」か?)の問題、ということになります。
この「常勤役員がいない」ということは、監査意見で指摘されていることだけでなく、実に根本的な深ーい問題なのだと私は思っています。
去年の選挙の時にも、そのようなところから、日弁連の約20人の常勤役員、日司連の5人の常勤役員という体制と比べて、日調連の現状があまりにもお粗末なのではないか、ということを訴えました。・・・・が、この言い方はあまり評判がよろしくなかったようですね。よその団体と比べて「他団体がいるのだからうちでもいるだろう」という言い方はよくないだろう、との指摘も受けました。
別に他団体の真似をしろ、というつもりは全くないのですが、自分自身のありかたを考えるときに、他人との比較対照をしてみる、というのは、必要なことであるように思います。そのとき、「なぜ?」ということを考えるのが必要です。他の団体では、ある程度の数の常勤役員がいるのに、自分のところにいないのはなぜなのか?それはいいことなのか?わるいことなのか?
監査意見の中では、常勤役員がいないことについて「経費削減の効果もみられる」ということを言っていますので、必要性がないのだったらわざわざ常勤役員を置く必要はないし、それは「いいこと」なのだ、ということになります。
そこで問題は「必要性」です。「いない」「置いていない」というのは、突き詰めて考えると「必要性がない」ということになります。
では、なぜ必要ない、とされるのか?根本的な問題として、組織の独立性、自立性というところに問題があるように思えます。独立していない下請け組織や、「上」の意向を伝達することに主な機能のある組織であるのなら、あるいはせいぜい成員の共済や互助・親睦を図っていればいい組織であるのなら、組織の独立性や自立性を問題にする必要性はありません。むしろそんなものはあるべきではない、ということにもなります。植民地の間接統治の機関が独立性を持たない、というのと同じです。舛添さんから依頼された弁護士が舛添さんに対する独立性を持たないのも同じことです(やっと初めの「余談」とつながりました)。
土地家屋調査士会という組織は、そしてその連合会という組織は、何を行うべきもので、それに応じてどのような組織形態をとるべきなのか、そのためにはなにっが必要なのか、ということを、年に一度の総会の機会にもう一度考えてみるべきなのだと思っています。