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大分単身赴任日誌

前期高齢者の考えたことを、単身赴任状況だからこそ言えるものとして言ってみます。

「筆界の調査・認定の在り方に関する検討報告書」について③

2021-06-07 16:12:22 | 日記
2)(1)-「ア」「ウ」(14条1項地図、地積測量図)
今述べた「オ」のほかにも、「ア」「ウ」において「境界標」の存在が、「筆界が明確であると認められる」条件にされています。再掲します。
「ア 登記所に座標値の種別が測量成果である14条1項地図の備付けがある場合において,申請土地の筆界点の座標値に基づき測量により現地に表した点の位置に対して,公差(位置誤差)の範囲内に境界標の指示点が現地に存するときの当該指示点」

「ウ 登記所に筆界の復元基礎情報といい得る図面情報が記録された地積測量図の備付けがある場合において,当該情報に基づき測量により現地に表した点の位置に対して,公差(位置誤差)の範囲内に境界標の指示点が現地に存するときの当該指示点」


「ア」は「14条1項地図」の場合、「ウ」は「地積測量図」の場合です。この二種の図面の場合、「市街地地域」において「筆界が明確であると認められる」ためには図面情報を現地復元した位置に対して、公差(位置誤差)の範囲内に境界標が現地に存することが必要条件だとされていて、しかも「座標値」ではなく「境界標」の方を「筆界」点として認めるべき、としています。(「14条1項地図」については、他に「イ」の要件もあるが、これについては後述。また、この「資料」編では「現地復元」ということに関して独特の用語解釈をしているのですが、問題が混乱するだけなのでこれについても後述することとして、ここでは通常の語句解釈の上で論じることにします。)
しかし、「14条1項地図」にしろ「地積測量図」にしろ、そこにおいて筆界点の座標値として表示されているものや、それらを結んだ線というものは、それらの図面が作成されたり、その地積測量図に基づく登記手続が履践された時点において一度「筆界」として「創設」されたり「認定」されたものです。そしてそれは図面が登記所に備え付けられて公開される、という形で「筆界」として公示されているものです。そのようなものを、後の時点で当該筆界に係る登記手続きをするときに既定の「筆界」として認定して爾後の手続を進める、というのはごくごく普通のことなのであり、これに、一体どんな問題があるのでしょうか?私にはわかりません。
もちろん、このような「認定」は無条件になされていいものではありません。それは「調査・認定」としてなされるべきものとしてあります。具体的には、当該資料を他の資料(公図、近傍土地の地積測量図等)と比較対照することや、現地復元して現地の状況(境界標、工作物、地形、占有状況)と照らし合わせて見たりします。その上で、当該資料に誤りのないことを確認する、ということを行うわけです。これは、現地復元の結果、近くに境界標があるかどうか、ということのみによって決めつけるべきことではありません。より広く検証すべきものとしてあります。しかし、その結果、誤りのないことを確認できるのであれば、今回もその「14条1項地図」、「地積測量図」の「座標値」が「筆界」を示すものだと「認定」して然るべきものです。

現実的に考えても、1993年(平成5年)以降の地積測量図には「近傍の恒久的地物との位置関係」が、2005年(平成17年)以降の地積測量図には座標値が記載されることになっているのであり、「筆界の復元基礎情報といい得る図面情報が記録された地積測量図」は既に30年近い歴史を持っており、多くの地積測量図が蓄積されてきています。また、「登記所備付地図作成作業」や地籍調査なども進められ、「座標値の種別が測量成果である14条1項地図」が数多く備え付けられるようになっています。
他方、この30年近い年月の間に「境界標」については亡失してしまったものも多くあるでしょう。もしもそのような亡失のあった場合には、地積測量図、14条1項地図があっても、「筆界が明確である」と言えない(「筆界」は不明であるとされる)、というようなことがあるとすれば、それははなはだ不相当だと言うべきでしょう。そうではなく、登記所に「復元性のある図面」等が備え付けられていてそれに基づいて筆界を復元することができるのであれば、たとえ「境界標」が亡失してしまっても「筆界が明確である」と取り扱われる、ということが必要なのだと思います。そうであってこそ、登記所、登記制度が地図・地積測量図等として「筆界情報」を蓄積していることに意義があるのであり、登記所、登記制度の存在意義が発揮されるのだと言うべきです。

なお、先に述べたように、「山林・原野地域」の場合には、「市街地地域」と違って、
「イ 登記所に筆界の復元基礎情報といい得る図面情報が記録された地積測量図の備付けがある場合における,当該情報に基づき測量により現地に表した点」

を「筆界」点と認定するべきものとしています。。
山林・原野地域の場合には、境界標のない場合でも地積測量図によって「筆界が明確である」とできるが、市街地域ではできない、ということです。
その理由については、「山林・原野地域」の側についての説明として「現代において、土地利用の需要という点では、他の地域種別の土地と比較すれば高いとは言えないことも多く、・・・表示点の評価を厳密なものとすると、かえって高コストとなり、土地利用の状況等から考えて現実的なものではなくなると考えられる」からだ、とされています。つまり、筆界を「境界標の指示点」だ、とするのは、「表示点の評価を厳密なもの」にすることなのだ、とされているわけです。しかし、もしも本当に「表示点の評価を厳密なもの」にする、と言うのであれば、文字通り「厳密な評価」をするべきです。測量図の表示する位置と境界標の指示する位置が異なる場合に、「正しい筆界」がどちらであるのか?あるいはまたどちらでもないのか?中間なのか?片方により寄った位置なのか?等々、まさに「厳密な評価」を行うべきなのです。それは、当該資料(地積測量図)の信用性、精度についての評価、境界標設置の経緯をふまえたその設置の正確性の評価等々として行われるべきです。しかし、「報告書(資料)」はそのようなことはせず、「公差(あるいは平均二乗誤差)の範囲内」であれば「境界標の指示点」の方を「正しい筆界」だと見るべき、としてしまっています。これは「新たな現況主義」とも言うべきものであり、「誤った筆界認定」を誘発してしまう考え方です。なんら「厳密」なものではありません。極端に言えば、地積測量図に示された筆界の境界標が亡失してしまっている土地について、それをあらかじめ「復元」して境界標を設置して登記申請をしようとする場合には「2cm(甲1地域の「筆界点の位置誤差」の平均二乗誤差)」ずれた位置に設置してしまっても、それが「筆界」だと判断される、ということになってしまうのです。
また「市街地地域」の側からの説明としては「市街地地域においては、他の地域種別の地域と比較して筆界に関する現況を考慮する必要性は高く、更に表示点と筆界に関する現況が示す位置との関係を十分に検証した上で筆界の調査・認定をする必要があると考えられる」という理由が考えられているようです。しかし、これは特に「市街地地域」特有のことではなく、どの地域でも変わらないことです。ただ、実際に境界標等の「筆界に関する現況(地物)」が存在する割合の違い、ということはあるでしょうから、それに応じた「検証」を「十分」に行えばいいのであり、あらかじめ「市街地地域では境界標、山林原野地域では境界標がなくてもOK」というような決め方をする必要は全くない、と言うべきでしょう。
また、「境界標」については、別の個所で言われているように、「境界標の設置者、設置経緯等の背景事情、筆界が創設された経緯、境界標以外の筆界に関する現況等を総合的に勘案したうえで判断する必要がある」ものなのであり、そのような「判断」をすっ飛ばして「境界標の指示点」の方を「筆界」と判断すべきだとするような「要件」の提示をするべきではありません。

このような混乱が生じてしまう理由として、「資料」編での「要件」の示し方が、「資料に関する要件」の中に「検討に関する要件」をもごっちゃに混ぜ込んでしまう形になっている、ということがあるように思えます。「資料に関する要件」と「検討に関する要件」とを区別して示すことを考えるべきなのだろうと思います。
そのようなものとしてこの項は、シンプルに「14条1項地図・既提出の地積測量図に基づいて復元が可能な場合」ということでいいのであり、それ以上の具体的なことはまさにその事案に応じて「総合的に勘案したうえで判断する」ということにするべきなのであり、そのような「総合的判断」の過程をしっかりと踏むこと(踏むようにしておくこと)を別に定める必要がある、ということなのだと思います。


以上、「市街地地域」においては、「14条1項地図」「地積測量図」や「判決書図面」さえも、その示す位置に「境界標」等がなければ「筆界」と認めることはできない、という「検討報告書・資料」の考え方(あるいは「ア」「ウ」のような表現の仕方)について見てきました。
しつこいくらいに縷縷述べてきたことを改めて繰り返しますが、どう考えてもこれはおかしいのです。〈倒錯の世界〉とも言うべきものです。
「筆界」というのは、「筆界は,国家が行政作用により定めた公法上のものであって,関係する土地の所有者がその合意によって処分することができないもの」(本文第2-1)です(なお、厳密に言うとこのように言い切れるものではない、と思うのですが、それを言い出すと話がよりややこしくなるので、ここでは「公的なもの」という意味でとっておきます。)。そして、その「行政作用により定め」る、もしくはそれに準ずる手続の結果として作成されたものとして「14条1項地図」「地積測量図」「筆界特定図面」「判決書図面」があります。
ですから、これらの図面が「復元基礎情報」としての機能を持つようなものとしてあるのであれば、それ等の図面(情報)が示すもの(位置)をそのまま「筆界」だと認めるべきものなのだと思います。これが本筋の「筆界認定」のあり方なのです。
ところが、「筆界の調査・認定は、現地復元性を備えた信頼性のある資料が存在する場合を除き、相当な困難性を伴う作業である。」(第2-2)と言われるように、「現地復元性を備えた信頼性のある資料」が必ずしも多くなかったので、「困難性」を抱えてきたのでした。そこで、この「困難性」を打開するために「筆界確認情報」を求めて、それによって「筆界認定」をしてきた、という構造なのだと思います。それが、これまで「実務上」行われてきたことであったわけで、「本道」を進めないから「脇道」を進んでいたのです。ところが、その「脇道」の方もどんどん道が狭くなり、草木も生い茂るようになってしまいましたし(所有者不明土地の多発、土地所有者の境界認識の希薄化)、振り返って「本道」の方を見てみたら道も広くなっているし進みやすくなっている(現地復元性のある信頼性のある資料の増加、技術的進歩)ので、「脇道」に固執することはなく「本道」を進むようにしよう、と考えるべきなのだと思います。

こんなに単純明快なことがどうしてすっきりと明らかにできないのだろう?というのが私の捨てがたい疑問です。たとえ話ついでにもう1つ。柔道に詳しいわけではないので、もしかしたらとんでもなく見当違いなのかもしれませんが・・・。
「現地復元性を備えた信頼性のある資料」にもとづく「筆界認定」というのは、柔道で言うと「投げ技」のようなものだと思います。「14条1項地図」は大外刈り、「地積測量図」は払い腰、「筆界特定図面」は一本背負い、「判決書図面」巴投げのような投げ技だ、というようなたとえです。投げが決まって相手の背中が畳にベタっと着けば、それだけで「一本」が決まって勝ちになる、のと同じように「現地復元性を備えた信頼性のある資料」があり、かつ所要の条件を備えた場合にはそれだけで「筆界認定」ができる、というものだろう、ということです。これらの技がきれいに決まれば、それだけで「一本」に成り、「勝ち」になるように、わけです。
柔道には、このような「投げ技」以外にも「寝技」というものがあります。このあたりから私の乏しい「柔道知識」だけではあやしくなるので、ネットで調べてみました。
「一般的には両者が互いに組み合って相手を綺麗に投げ、一本を取るのが柔道の王道ですが、柔道で勝利する方法はそれだけではありません。相手を倒し押さえ込みで勝つ方法や、さらに倒した相手を絞め技や関節技で倒す方法もあります。こうしたどちらか一方の相手が下になり攻防を行うことを寝技といい、この強さに特化した選手もいます。現在でも高専柔道と言う寝技に特化して発展した柔道スタイルもあり、 立ち技と同じぐらい重要視されています。」(https://sposhiru.com/34d2778f-0ccc-4d9b-a608-40ca88811693)
とのことです。
この言い方に倣うと、つぎのようになるでしょうか。
「現地復元性を備えた信頼性のある資料にもとづく筆界認定」というのが「筆界認定の王道」ですが、筆界認定の方法はそれだけではありません。土地所有者、隣地所有者の筆界認識を確認する「筆界確認情報」によって筆界認定する方法もあります。「現地復元性を備えた信頼性のある資料」の存在が少なかったという歴史的経緯もあり、「筆界確認情報」に特化した筆界認定の方法を「登記実務における通常スタイル」と考える向きもあり、「現地復元性を備えた信頼性のある資料にもとづく筆界認定」と同じくらい(さらに言えば、それ以上に)重要視されています。
このような現実があった中で、今、それを見直そうとしているわけです。あまりにも「寝技」重視、「筆界確認情報」重視が行き過ぎてしまったのでそれを見直そう、という「基本的な考え方」をとることにしました。では、具体的にどうなるのか?それが問題です。
私は、まず必要なことは「投げ技」がきれいに決まった場合には、それだけで「一本」であることを明確にする、ということなのだと思います。ごくあたりまえのことです。これまでは、投げが決まっても、なお寝技に持ち込まなければ「一本」と「認定」しなかった(この方が異常なことです)のを改めて、「柔道の王道」、基本・本筋に立ち返って、投げ技がきれいに決まったら「一本」だのだ、ということを明らかにし、実践するべきなのです。「現地復元性を備えた信頼性のある資料が存在する場合」には、それ(のみ)をもって「筆界認定」できる、ということを明らかにし、実践する、ということです。
これが「基本的な考え方」です。この「基本的考え方」をそのまま現実に摘要すればいいのだと思うのですが、「検討報告書(資料)」ではそのように行きません。「筆界特定図面」はそれだけで「筆界が明らかである」と言えるものだが、「14条1項地図」「地積測量図」「判決書図面」はそれだけではだめで「公差の範囲内に境界標の指示点」がなければだめだ、とするわけです。これは、一本背負いのときにはそれだけで「一本」とみとめるけれど、大外刈り、払い腰、巴投げのときには、投げが決まっただけでは「一本」にならず、投げた後で投げたことを会場にアピールしないと「一本」とは認めない、みたいなことです。
私には、これはおよそ考え難いものです。もちろん、本当に投げがきれいに決まっているのか?というのはきちんと判定しなければならないことです。「一本」というのは、「①『相手を制し』ながら相当な②『強さ』と③『速さ』をもって、④『背中が大きく畳につくように』投げたとき」に判定されるものだそうなので、この4基準に該当するのかどうか、ということはきちんと判定されなければなりません。しかし、それ以外のこと(「⑤投げたことの会場へのアピール」みたいな)を判定基準にするべきではないのです。「筆界認定」についても「現地復元性を備えた信頼性のある資料」が本当に筆界を正しく表示する「信頼性」のあるもので、それによって「現地復元」ができて誤りのないことを確証しうるものとしてあるのか、という点において判断がなされるべきなのであり、それ以外の「要件」を差し挟むべきものではありません。
「検討報告書・資料」で示されているものが、このような「一本の要件を満たしても一本勝ちと認めない」というような「問題以前の問題」のところで止まってしまっている、のはとても残念なことです。
また、「きれいに決まった投げ技を一本と認めよう」というだけでは、「寝技」中心の現状を改善するための今後の方向性を考えるにあたっては、あまり有効な方策であるとも思えません。さらに必要なのは、「一本」にはいたらない「技あり」や「有効」のようなものもきれいに拾って、「合わせ技一本」をも認定できるようにすること(単独の資料では「筆界認定」に至りえないが、いくつかの資料を合わせ読めば「筆界認定」しうるようなケースを類型的に明らかにすること)なのだと思う、・・・のですが、これについては後で考えるようにして、次回は「イ」について考えることにしたいと思います。

「筆界の調査・認定の在り方に関する検討報告書」について②

2021-06-03 09:29:08 | 日記
前回からの続きです

2.「資料」部分について
「筆界の調査・認定の在り方に関する検討報告書」は「本文」部分と「資料」部分に分かれています。その意味は、「基本的な考え方を整理した『本文』と、その考え方に基づいてより実務的に代表的なケースを類型的に整理した『資料』とに分かれている」ということだそうです(「登記情報」誌715(2021.6)号。法務省民事局民事第2課)。このような分け方は「総論」と「各論」と言っていいものなのだと思いますが、それが「資料」という名称でまとめられている、ということには、この部分については、まだまだ議論の余地があり、確定的なものではない、という意味が含まれているのかな、と思います。
これは、私のただの「希望的観測」かもしれません。なぜわたしがこのような「希望的観測」をするのか、と言うと、「資料」部分の内容は、あまりにも未整理で、内容的にも疑問の多くあるものだからです。この内容で確定させてしまうのではなく、その名の通り一つの「資料」として検討対象にして、内容の整理を行うべきだと思います。そのような意味を込めて、以下、私の考えるところを書くことにしたいと思います。(なお、「登記情報」誌715(2021.6)号の「概要」紹介では、「『資料』には、詳細な『補足説明』も付されているが、ここではその紹介を割愛する」とされていて、「割愛」された部分の多いものになっています。そこで、よく理解しにくいところもあるのですが、私の理解した範囲で考えるところを述べることにします)。

もう一度繰り返しますが、「本文」では
「筆界に登記所保管資料や筆界に関する現況等に鑑みれば筆界は明確であるといい得る場合にまで,一律に筆界確認情報の提供等を求めることには、少なくとも不動産登記の審査の観点からは合理的な理由に乏しいといわざるを得ないと考えられるため,筆界確認情報の提供等を不要とするべきであると考えられる。」(第2-3)

ということが言われていました。「筆界は明確であるといい得る場合に」は「筆界確認情報の提供等を不要とするべき」だ、ということです。
そうすると、どのような場合が「筆界は明確であるといい得る場合」なのか?ということが問題になります。「本文」では、次のように言われてもいました。
「筆界の調査・認定は、現地復元性を備えた信頼性のある資料が存在する場合を除き、相当な困難性を伴う作業である。」(第2-2)

たしかにその通りです。この「困難性」があるがゆえに「筆界確認情報」がないと筆界の認定をなしえない、とするケースもあった、ということであるわけです。しかし、ちょっと待ってください。ここで言われていることを裏返してみてみると「筆界の調査・認定」は「現地復元性を備えた信頼性のある資料が存在する場合」には、それほどの困難性があるわけではない、ということになります。なにしろその「資料」は「信頼性のある」ものであり「現地復元性を備え」ているわけですから、その資料に基づいて「筆界が明確であると認め」ることができるようになるわけです。
では、どのような資料があればいいのか?どのような資料をもって「現地復元性を備えた信頼性のある資料」とすることができるのか?ということが問題になります。それが「資料」において言われている、ということになります。

1)「現地復元性について」
「資料」の「1」として「現地復元性について」と題して次のことが言われています。
要約すると、①各筆界点についての測量成果による世界測地系の座標値、②各筆界点についての測量成果による任意座標系の座標値及び当該座標値を得るために行った測量の基点等(現存するもの)の情報、③各筆界点に対する複数の近傍に存する恒久的な地物(現存するもの)との位置関係の情報、(なお、「検討報告」では、これらの情報を「復元基礎情報」と言っています)が「図面に記録されている場合には、理論上図面に図示された筆界を現地に復元することが可能であると考えられる」とされています。(本項末尾に全文引用しておきます。)
このような情報が図面に記録されている場合に、それを「現地復元性を備えた」資料だと言える、ということになる、ということです。
この点について、私にも異論はない、・・・と言いたいところなのですが、実は「現地復元性」ということをどのように捉えるべきか、という点において疑問があります。ただ、それをここで言いだすと話がややこしくなるだけなので、ここでは一つだけ言っておきたいと思います。
それは、上記②③の場合には「近傍の恒久的地物又は測量の基点となる点が現地に現存していることが条件となる」というように外的な「条件」がついている、ということです。つまり、その図面情報単体で、その図面情報の示す筆界位置を現地で明らかにできるわけではない、のです。この「図面情報」と「現地情報」という二つの要素によって「現地復元性」の程度に違いが出る、ということが重要なところです。たとえば、昭和40年代の三角形の底辺・高さの数値しか書いていないような三斜の地積測量図は、一般に「現地復元性のないもの」だととらえられるわけですが、そのようなものでも、現地に境界標があったり、ブロック塀があって、それらと図面の形状・寸法が合致するときには、その地積測量図には「筆界の現地復元(と言うか「指示」「特定」)性」がある、と言えることになります。問題は、技術的な現地復元性(だけ)の問題ではなく、あくまでも「筆界位置の現地復元性」なのだ、ということに注意をしておく必要があります。

[検討報告書・資料]原文
1 現地復元性について
「以下の(1)から(3)までに掲げるいずれかの情報が図面に記録されている場合には、理論上図面に図示された筆界を現地に復元することが可能であると考えられる。ただし、(2)及び(3)に掲げる場合には、近傍の恒久的地物又は測量の基点となる点が現地に現存していることが条件となる。
(1)筆界を構成する各筆界点についての測量成果による世界測地系の座標値
(2)筆界を構成する各筆界点についての測量成果による任意座標系の座標値及び当該座標値を得るために行った測量の基点の情報又は2点以上の各筆界点に対する複数の近傍に存する恒久的な地物との位置関係の情報
(3)筆界を構成する各筆界点についての座標値の情報が記録されていない場合における、各筆界点に対する複数の近傍に存する恒久的な地物との位置関係の情報」


2)「筆界が明確であると認められる要件について」
これについても全文引用は本項末尾に置くものとして、私なりに要約しますと次のようになります。
まず、図面として挙げられているものは次のものです。
①「座標値の種別が測量成果である14条1項地図」、
②「筆界の復元基礎情報といい得る図面情報が記録された地積測量図」、
③「筆界特定書及び筆界特定図面」、
④「判決書図面」(「復元基礎情報といい得る図面情報が記録されている」もの、もしくは「囲障、側溝等の工作物の描画があり、それら囲障等に沿って筆界点が存するなど図面上において筆界点の位置が図示されている」もの)、
の4つの種類の図面が挙げられています。
これらの図面は、みな「筆界」を表示することを目的とするものと言え、いずれも信頼性のある機関が、相応の手続きを踏んで作成したり備え付けているものであるので、一般的に「信頼性のある」ものだと言える蓋然性が高いものとして挙げられている、ということなのだろうと思います。
私としては、ここで挙げられた4種の図面があれば、あれやこれやの条件を付けることなく、その図面情報の指示する位置を筆界であると認定しても差し支えないものなのだと思います。(もちろんその際に所要の検証を行うことが必要になるわけですが、それは別問題です。)そのように考えることが「本文」に言う「現在の社会情勢を踏まえつつ合理的な範囲に絞り込むこと」に結びつくのだと思うのですが、「検討報告書・資料」は、そのように単純には考えません。あれやこれやの条件を付けなくてはならない、としているのです。

まず、「地域区分」がなされます。「市街地地域」「山林・原野地域」「農耕地域」の三種の地域の別によって判断が異なることになるものとしています(もっとも「農耕地域」については、他の二つの「いずれかの要件を当てはめるべき」としていますので実質的には二区分ですが)。
上記4種の図面について、「筆界特定図面」だけは、「市街地域」でも「山林・原野地域」でも同じようにその示す位置を「筆界」と認めうるとするのに対して、「14条1項地図」「地積測量図」「判決書図面」については、「山林・原野地域」の場合には「当該情報に基づく表示点」を「筆界」と認めるべき、とされているのに対して、「市街地地域」の場合には、「公差の範囲内に境界標の指示点が現地に存する」ことを条件とし、なおかつ「当該指示点」を「筆界」と認めるべき、しています。
これは、おかしい。詳しく考えることにします。

[検討報告書・資料]原文
「(1)市街地地域について
次のアからカに掲げるいずれかの点で構成される筆界は明確であると認めることができる。
ア 登記所に座標値の種別が測量成果である14条1項地図の備付けがある場合において、申請土地の筆界点の座標値に基づき測量により現地に表した点の位置に対して、公差の範囲内に境界標の指示点が現地に存するときの当該指示点
イ 登記所に座標値の種別が測量成果である14条1項地図の備付けがある場合において、上記アの指示点が現地に存しないときにあっては、申請土地の筆界点の座標値を基礎として、地図に記録されている各土地の位置関係及び現況を踏まえて画地調整して導き出した復元点
ウ 登記所に筆界の復元基礎情報といい得る図面情報が記録された地積測量図の備付けがある場合において、当該情報に基づく表示点の位置に対して、公差の範囲内に境界標の指示点が現地に存するときの当該指示点
エ 筆界特定登記官による筆界特定がされている場合において、当該筆界特定に係る筆界特定書及び筆界特定図面に記録された特定点を当該図面等の情報に基づき復元した復元点
オ 判決書図面に復元基礎情報といい得る図面情報が記録されている場合において、当該情報に基づく表示点の位置に対して、公差の範囲内に境界標の指示点が現地に存するときの当該指示点
カ 判決書図面に囲障、側溝等の工作物の描画があり、それら囲障等に沿って筆界点が存するなど図面上において筆界点の位置が図示されている場合において、当該図面の作成当時の工作物が現況と同一であると認められ、現地において図面に図示された筆界点の位置を確認することができるときにおける当該位置の点
(2)山林・原野地域について
以下のアからカに掲げるいずれかの点で構成される筆界は明確であると認めることができる。ただし、土地の利用状況、開発計画の有無等に鑑み山林・原野地域とすることが相当でないと認められる事情があるときは、市街地地域の要件を当てはめるべきである。
ア 登記所に座標値の種別が測量成果である14条1項地図の備付けがある場合における、申請土地の筆界点の座標値に基づく表示点(ただし、カに該当するときは、この限りでない。)
イ 登記所に筆界の復元基礎情報といい得る図面情報が記録された地積測量図の備付けがある場合における、当該情報に基づく表示点(ただし、カに該当するときは、この限りでない。)
ウ 筆界特定登記官による筆界特定がされている場合において、当該筆界特定に係る筆界特定書及び筆界特定図面に記録された特定点を当該図面等の情報に基づき復元した復元点
エ 判決書図面に復元基礎情報といい得る図面情報が記録されている場合における、当該情報に基づき復元した復元点(ただし、カに該当するときは、この限りでない。)
オ 判決書図面に囲障、側溝等の工作物の描画があり、それら囲障等に沿って筆界点が存するなど図面上において筆界点の位置が図示されている場合において、当該図面の作成当時の工作物が現況と同一であると認められ、現地において図面に図示された筆界点の位置を確認することができるときにおける当該位置の点
カ ア、イ及びエの場合において、筆界の復元基礎情報といい得る図面情報に基づく表示点の位置に対して、公差の範囲内に境界標の指示点が現地に存するときの当該指示点」
(3)村落・農耕地域について
周辺の土地等の利用状況等の事情に応じて、市街地地域又は山林・原野地域のいずれかの要件を当てはめるべきである。

まず、問題点が端的に現れているものとして(1)-「オ」についてみることにします。
①(1)-「オ」・・・「判決書図面」の場合
再掲します。
「オ 判決書図面に復元基礎情報といい得る図面情報が記録されている場合において,当該情報に基づき測量により現地に表した点の位置に対して,公差(位置誤差)の範囲内に境界標の指示点が現地に存するときの当該指示点」

これは、筆界確定訴訟の判決図面に基づいて筆界を認定する場合のことについて言っているものです。
筆界確定訴訟の確定判決という資料の法的性格としては、筆界を確定する法的効果を持つものです。その判決には形成力があり、対世効を持つものとされています。また、筆界特定との関係では「筆界特定がされた場合において、当該筆界特定に係る筆界について民事訴訟の手続により筆界の確定を求める訴えに係る判決が確定したときは、当該筆界特定は、当該判決と抵触する範囲において、その効力を失う。」(不動産登記法148条)とされており、筆界特定の効果をも失わせるような言わば「最強」の法的性格を持つものです。
ですから、筆界確定訴訟の確定判決があり、しかもそれが「オ」の場合のように「復元基礎情報といい得る図面情報が記録されている」のであれば、その図面情報の示すものが「筆界」である、ということになります。これには、何の留保も条件も必要ない、ことであり、その意味では登記官が「認定」しようとしなかろうとそう判断される、という性格のものです。
ところが、「報告案・資料」では、「筆界が明確であると認められる」のは、「判決書図面に復元基礎情報といい得る図面情報が記録されている場合において,当該情報に基づき測量により現地に表した点の位置に対して,公差(位置誤差)の範囲内に境界標の指示点が現地に存するときの当該指示点」だとしています。
「復元基礎情報」を備える確定判決がある場合でも、その判決(情報)だけでは「筆界が明確である」とすることはできず、「境界標」がなければならないとしている、ということです。これは誤りです。「境界標」があろうとなかろうと、判決(情報)の示す位置が筆界なのであり、それ以上に何の留保も条件も要りません。もちろん、それにもとづいて現地に復元してみることはするでしょうが、その復元点に境界標があろうとなかろうと、工作物があろうとなかろうと、関係のないことです(もっとも、判決書(図面)がその境界標の存在をもって「境界」だとの判断をしたのであれば、判決書(図面)にその旨が記載されるでしょうから、「数値(情報)」に関わらずその境界標の位置を「筆界」と認定することが正しい、と言えるでしょう。この場合数値との違いがあるのだとすれば、「測量誤差」の問題だということになります。また、これはあまり考え難いことですが、復元の結果があまりにも明確に誤り(たとえば「旧日本測地系」の座標値であるにもかかわらず「世界測地系」と記載さされていて位置が数百メートル違う位置になってしまうような、極端な、通常はありえないような誤り)であるような場合には、そのまま「筆界」だとすることはできない、というようなこともあるでしょうが、あくまでもそれは例外的なことで、ありえないようなことを考えても仕方ありません。
それを、このように「境界標」がないといけない、としてしまうのでは、筆界確定訴訟の判決があっても「境界標」がなければ「筆界認定」できない、としてしまうことになるのであり、どう考えても妥当だとは思えません。
しかも、「公差の範囲内」であれ判決(情報)の示す位置と、現地に「境界標」があってその間に相違のある場合には、「境界標の指示点」の方を「筆界」だと認定する、ということとされています(「当該指示点」というのはそういう意味でしょう)。
これは誤りです。この「判決(情報)の示す位置の近くに「境界標」が既に存在してい」て、それらが食い違うということ自体がそもそもあまり考えられないことなのですが、もしもそういうケースがあるとすれば、それは次のようなケースです。最もありうるのは、判決の事後に、その判決(情報)に基づいて境界標が設置された、という場合です。この場合には、境界標の設置にあたって一定の「誤差」が生じることがありうるので、その誤差を抱え持つ境界標の位置の方を「正しい」と見てしまうのは誤りであると言えます。また逆に、判決の以前に「境界標」が存在していた、という場合もあるかもしれません。この場合、判決書が当該「境界標」をもって「境界」だと判断することが示されていないのであれば、判決は「境界標」の存在を前提にしながら、敢えてそれとは異なる位置として(「公差の範囲内」だとしても)「筆界」の判断をした、ということになるわけですから、「筆界」は「境界標」の位置ではなく、判決(情報)の示す位置である、というように判断するべきです。ところが「検討報告書・資料」では「公差の範囲内にある境界標」の方をと判断するべき、としているのですから、これは「誤った筆界認定をしてしまう」ものにあたると思えるのです。(なお、この場合には「判決図面」にもそれなりの記載はあるでしょうし、もしそれがなくても判決書を見ればそこにも示されているはずです。「ウ」では、「筆界特定書及び筆界特定図面」を考慮対象としているのに、「オ」では「判決書」を対象としておらず、「判決」の趣旨をよみとろうとしていないことに問題がある、ということでしょうか。)
この「筆界確定訴訟の判決があり、そこに復元基礎情報がある場合でも、現地に境界標がないと筆界が明確であると判断できない」という考えは、わたしにはとても衝撃的なものです。そんな考え方がありうるのだろうか?何かの間違いなのではないか?と今でも思っているところがあるのですが・・・どうなのでしょう?

以上「判決書図面」について、あまりにも衝撃的だったので、つい初めに書いてしまいましたが、これは実際にはあまり問題になることではないでしょう。次に「本題」とも言うべき、実務的に比較にならないほど多く問題になるであろう「14条1項地図」「地積測量図」(「ア」「ウ」)に関することを、次回に書くようにします。

「筆界の調査・認定の在り方に関する検討報告書」について(1)

2021-06-02 15:12:16 | 日記
                           
本年初めから4回にわたって開催されてきた「筆界認定の在り方に関する検討会」の法コック所(「筆界の調査・認定の在り方に関する検討報告書」)がまとめられた、ということで「登記情報」誌715(2021.6)号に、法務省民事局民事第2課によってその「概要」が紹介されています。皆さん、まずは、「報告書」現物を読んでみてください。
「筆界認定の在り方」については、同誌巻頭の「法窓一言」(田中地図企画官)のタイトルが「隣地所有者不明土地の筆界認定の在り方」であるように、「土地」を取り巻く状況の大きな変化への対処方法をも含めて重要な問題としてあります。それは、時代が大きく変わってきていることに対して「登記制度」がどのように対応していけるのか、ということを問う重要な問題とも言えます。
その重要さを共有する者として、今後何回かにわたって、この「検討報告書」について、私の考えるところを述べることにします。

この「報告書」は、「本文」と「資料」とで構成されています。「本報告書は、基本的な考え方を整理した「本文」と、その考え方に基づいてより実務的に代表的なケースを類型的に整理した「資料」とに分かれている。」(「登記情報」誌での法務省民事局民事第2課の解説)と言われるように、「本文」は「総論」、「資料」は「各論」とも言えます。
その「報告書」についての私の受け止めを初めに結論的に言いますと、「基本的な考え方」=「本文」ではとても良い内容がしめされていてその積極的意義を高く評価したいと思うのですが、「実務的」整理=「資料」には様々な疑問があってこのままでは一向に事態は改善せず、時代に取り残されてしまうというか、変化する社会に役立つものになりえないのではないかと危惧してしまう、というものです。「総論賛成・各論反対」みたいな言い方になりますが、これは私がそうなのではなく、「検討報告書」自体がそのようなものになっている、ということです。「総論」で言ったことが「各論」で十分に表現されておらず、むしろ「基本的な考え方」を実現できないような形で「実務的整理」が展開される、という形になってしまっている、ということなのだろうと思います。これでは、「総論」の高い意義も台無しになってしまい、とても残念に思います。

1.「本文」部分について
(1) 結論の妥当性
この検討会における主な検討課題は「筆界確認情報作成・提供」が広く求められている、という「現状」認識の上で、「筆界確認情報作成・提供」の要否、というところに置かれていたと言えます。
その部分について「報告書」は、次のようにしています。
「筆界関係登記の申請に際して幅広く筆界確認情報の提供等を求める登記実務上の取扱いについては,現在の社会情勢を踏まえつつ合理的な範囲に絞り込むことが必要であると考えられる。」(第2-3)
「筆界に関する登記所保管資料や筆界に関する現況等に鑑みれば筆界は明確であるといい得る場合にまで,一律に筆界確認情報の提供等を求めることには、少なくとも不動産登記の審査の観点からは合理的な理由に乏しいといわざるを得ないと考えられるため,筆界確認情報の提供等を不要とするべきであると考えられる。」(第2-3)

きわめて妥当な考え方だと言えます。このような考え方は、私の業務地である大分(九州)において既に取られてきたところだとは思うのですが、全国的には必ずしもそうではなかったようですので、全国的にこの考え方を確認する、ということには意義がある、と言うべきでしょう。
このような考えを導くにあたっては、ごく原則的なこと、基本的なことが改めて確認されています。とても重要な論点だと思いますので、どのように言われているのかをあらためて見ておきたいと思います。
まず
「登記官が調査すべき筆界は,国家が行政作用により定めた公法上のものであって,関係する土地の所有者がその合意によって処分することができないものである」第2-1)

という、ごくごく基本的なことを確認したうえで、
「所有権界が筆界形成当時の位置を大きく外れるという事態は例外的なものであり、原則的には所有権界と筆界は一致するものと考えられ、土地の所有権の登記名義人の境界に関する認識が結果的に筆界を示していることが少なくない。」(第2-3)

として、「筆界確認情報」が重要視されている理由を明らかにしつつ、他方
「筆界の創設から一世紀以上経過していることや筆界確認情報が当事者の認識に依拠する人証であることを考慮すると,筆界確認情報を筆界の調査・認定の資料とするとしてもその信頼性については適切に評価をすることが必要である。」(第2-3)

とします。このことから、
「資料として採用する場合であっても、当該情報のみに依拠することは必ずしも相当でなく、筆界の認定は、他の筆界の認定の資料を総合考慮した上で行うべきである。」(第2-3)

ということになるわけです。「筆界確認情報」は無前提に重要視されるべきものではなく、あくまでも客観的資料の検討の上で、筆界認定の資料として利用する場合もある、という程度の位置づけをするべきであるということが明らかにされています。
このような基本的な認識はとても重要なことであり、この上で具体的な検討を進めることが必要であり、具体的な検討の中では常にこの基本的な視点に立ち返りながら考えていくことが必要なのだと思います。
また、現実的に大きな問題となる「隣接地が共有地であるとか複数人への相続が発生している場合」における「筆界確認情報」についても
「筆界が明確でないために筆界確認情報の提供等を求めることに理由があるとみられるケースについても、その作成主体となり得る者が複数であるときには,登記官において筆界に関する心証形成を図ることができる限度で筆界確認情報の提供等を受ければよく、一律に、例えば全ての共有登記名義人から筆界確認情報の提供を受ける必要はないものと考えられる。」

ということを明確にしており、(これもまた従来からそういう取り扱いだったのではないかとも思いつつ、何はともあれ明確にしたことは)大変よろしいことだと思います。

(2)土地家屋調査士の責務
このように報告書案の「本文」において示されている方針は妥当なものであり、この方針に基づいて今後の登記実務の中における筆界認定が進むことを期待するものです。
その点に関して、「本文」は、その最後に次のように言っています。
「現地復元性を備えた信頼性のある資料が存する場合を除いて筆界の調査・認定にはそもそも相当な困難性を伴う作業であることを踏まえると、ここに示された筆界の調査・認定の在り方の方向性は登記所職員の負担をこれまでよりも増加させるものと考えられるが、登記実務上の課題の解決に向けて積極的に対応することが望まれる。」

このように、最後に「登記官の責務」が説かれているわけで、それはそれで確かにその通りではあるのですが、筆界認定の現実的なありかたを踏まえると、いささか一面的なまとめ方であるようにも思えてしまいます。
と言うのは、「筆界認定」ということの具体的なあり方を考えると、それは登記官が自ら積極的に調査を行って認定をする、という形を取っているものではありません。
「筆界関係登記の申請の審査において、登記官は、当該申請に係る土地の筆界の全てについて、申請情報に併せて提供される地積測量図に記録された筆界の位置及び形状に誤りがないことを調査することとなる。」(第2-1)

と言われているとおり、登記官の調査・認定というものは申請を受けて行うものであり、その申請にあたって登記官が調査・認定を行うための情報(資料)の提供がなされているのでなければ、そもそも調査・認定を進めることができないものとしてあるからです。
そして、そのような情報(資料)の提供を行うべき者として土地家屋調査士があります。土地家屋調査士は「筆界を明らかにする業務の専門家」として筆界関係登記の申請にあたって筆界の位置に関する情報を地積測量図に表示して提供するとともに、不動産登記規則93条調査報告書において申請に係る筆界をどのように確認したのかを報告することになっています。登記官の「調査・認定」は、この報告を受けて、言わばその内容に「誤りがないことを調査する」というのが、現実の在り方です。
したがって、もしも土地家屋調査士が、今後も相変わらず「筆界確認情報」に頼った形での申請内容しか提供しないのであれば、いくら登記官が「積極的に対応」しようとしても現実には一歩も進まないことになってしまいます。まず「積極的対応」をしなければならないのは土地家屋調査士である、ということを肝に銘じなければなりません。
そのような責務を踏まえつつ、現実的に「筆界確認情報」に頼り切らない筆界認定がなされるようにするためには、どのような場合に「筆界が明らか」と言え(て「筆界確認情報」の提供が不要と言え)るのか、ということが、具体的に検討される必要があります。
それが、「資料」部分で示される形になっているわけですが、残念ながら、それが十分にできていない、と言うか、それ以上に逆方向に向くようなことにさえなってしまっているように思えます。次回以降、詳しく考えていきたいと思います。。

大分県土地家屋調査士会の総会・・・質問・要望したいこと

2021-05-13 13:53:15 | 日記
今年初めての、約半年ぶりのブログ投稿になります。
投稿を行わずに来たのは、「もう言うべきことがない」という理由につきます。「言っても仕方ない」ということでもあります。社会は(土地家屋調査士のだけでなく、広く日本のそして世界の)どうしてこうまでダメになっちゃったんだろう、ということを「コロナ禍」=COVID-19パンデミックの中で強く感じます。もっとも、そうだからこそ、たとえ何の力にはならなくても言い続けなければならない、というのが本来のあるべき姿なのでしょうが・・・。
今回の投稿は、そのような「本来あるべき姿」に立ち戻る、というわけではなく、「臨時号」です。大分県土地家屋調査士会の総会が近くなり、議案書も送られてきたので、総会において質問しようと思うことを「事前通告」的な意味合いで書いておこうと思います。

①議案書事業報告において、昨年の定時総会について「出席者の人数を絞って、出席される少数の方に委任をしていただくという形で開催させていただきました」とされています。これは、「本来会員の皆様からご意見をいただく貴重な機会でありますが・・・」と言われているように、本来的には望ましくないものとして捉えられている、ということだと思います。政府の緊急事態宣言も出されている状況下で、感染症拡大防止のために、不本意ながら「非常事態」的対応をしなければならなかった、ということなのでしょう。
このことは理解できます。総会が成立しないと、事業計画も予算も決められず、会の運営・継続にも支障をきたすわけですから、「超法規的・緊急避難的対応」をとることも是認しうるものだとさえ思います。
しかも、大分会の場合は(後に述べる日調連の場合と違って)、少なくとも形式的は会則等の規定に則した「委任状出席での定足数充足」という形を取っているので、総会の開催方法が上記のようなものになったこと自体は、非難されるべきものではない、と私は思います。
しかし、この「不本意」と思うことについて、その方向や内容に疑問があります。総会というのは、「会員の皆様からご意見をいただく貴重な機会」というだけではなく、事業計画などを決める「最高決議機関」です。しかも昨年の総会は「会則改正」という会のあり方そのものを変える(決める)ものとしてありました。この「会則改正」は、通常の決議よりも厳格な要件を要する「特別決議」とされているものです。そのような重要なことを決める総会を本来的ではない形で開催してしまうこと、重要なことを本来的でない総会で決めてしまうこと、というのは、たとえ形式的な合法性を有するものだとしても、やはり組織の民主的運営の観点からすると適当ではない、と私は思います。(ちなみに、日調連に関することは後に述べますが、日調連では今年の総会での会則改正で、「災害その他のやむを得ない事情により定時総会を開催することができない」場合に「緊急時総会」というものを開けるようにする、ということを検討している、ということですが、その「緊急時総会」においては「予算及び決算に関する事項のみを決議することができる」ものとしていて、「会則改正」をおこなうことなどとんでもない、としている、ということです。これは、「緊急時」の非常対応を是とするとしても、そこにはなお超えてはならない矩がある、ということをふまえた姿勢として、相当なものだと思います。)
この点について、どのような考えなのか伺います。
②さらに「会則改正」の内容に関連する疑問があります。
この会則改正では、いくつかの条項についての「改正」がなされていますが、最も重要なものとしては、第92条の「業務の取り扱い」において会員の「準拠」しなければならないものから「本会の制定する要領等」を削除する(従来の「調査・測量実施要領」を会則上位置づけなくする)ということにあったのかと思います。そして「調測要領」を外す代わりに、従来から遵守義務のある「連合会会則」のなかに「職務規程」というものを定め、その「職務規程」の中に「要領(業務取扱要領)」を位置付けるものとする、とされていました。
しかし、現実の問題として、この「要領(業務取扱要領)」については、未だに制定されていません(6月1日だそうです)。つまり、昨年の総会での「会則改正」(認可)がなされて調測要領が外されてから今日に至るまで、調査士は自らの定める業務要領なしに業務を行ってきた、ということになります。
私としては、この「調測要領廃止-職務規程・業務要領制定」というものの経緯・内容を含めて、ほぼ全面的にひどいものだと思っていておよそ賛成できないのですが、それは措くとしても、このように「自らの定める要領の空白期間」をつくってしまうような「会則改正」を昨年の総会で行う必要性は全くなかったし、「非常事態」下の総会で無理やり成立させるものでもなかった(まさに不要不急)と思っています。
その点について、少なくとも現段階でどのように考えているのか伺いたい。
③日調連の総会について。
先に、大分会の昨年の総会は、形式的には適法だったけど組織の民主的運営の観点からすると適当でなかったのではないか、ということを述べました。それに対して、日調連の総会については、あきらかに違法(会則違反)の形で行われました。すなわち、昨年の総会は、「総会構成員(役員・単会会長・代議員)」180人ほどのうちの9人だけを出席者として、他の者はその9人に委任する形で開催されたのですが、日調連の会則では、次のように規定されています。
第19条の2 総会は、総会の構成員の過半数の出席により成立する。
第21条 (略)
2 調査士会の会長及び代議員は、代理人によって、議決権を行使することができる。ただし、代理人は、代理権限を証する書面を総会に提出しなければならない。
3 前項の代理人は、総会の構成員以外の者であって、当該調査士会の調査士会員である者に限る。

つまり、昨年おこなわれたような「総会構成員への委任」というようなことは、会則上認められていません。これは、「解釈」の問題ではなく、およそ日本語読解力のある者であれば、誰もがその結論に至らざるを得ないような「事実」です。したがって、まったく違法なものであった、と言わなければなりません。
もちろんその上で、緊急事態・非常事態にあったということで、緊急避難的な対応が許される、という考え方も成り立ちはするのですが、それについては自ずと限度というものがあります。①においても述べたように、今年の総会での会則改正で設けられようとしている「緊急時総会」について規定されているように、当面の組織の維持運営のために必要最小限の範囲に限定されるべきものとしてあります。
ところが、昨年の総会では、「会則改正」「役員選任規則改正」などの「重要法案」をも決定してしまっているのです。形式的にも実質的にも会則違反・違法なものだと言うべきものです。
一体、どのような解釈をもってすれば、この違法な「総会」を是認できるというのか、教えていただきたいものです。ちなみに、私の聞いた唯一の「理由」は、「法務省(民事局民事2課)がいいと言っているのだからいいのだろう」というものでした。「いい」と言う法務省もいい加減なものだと思いますが、そう言われたからと言って安心してしまう調査士なのだとすればまったく情けない限りです。自主性・自立性・自律性のかけらもない従属・奴隷根性と言うべきでしょう。
先に述べた「調測要領」-「業務取扱要領」は、調査士の「日調連会則」への遵守義務を根拠にしているものであるわけですが、日調連の執行部自身が率先して会則違反を犯してしまっている、というのでは話になりません。
これについて、大分会としてはどのように考えておられるのか伺いたいと思いますし、日調連に対して是非質していただきたいと思います。

久しぶりの 今年最後の ばかばかしいお話

2020-12-23 19:55:07 | 日記
久しぶりのブログ更新になります。
このブログについて「土地家屋調査士関係のこと以外について主に書くようにしよう」と思っていたのですが、調査士関係のことを1回書くと、何かそれ以外のことを書くのが場違い的な感じになるし、かといって「調査士関係のこと」については、あまりのバカらしさに書く気がおきなかったり(近年とみに)、ですっかり「お久しぶり」ということになってしまいました。
この長い休みを打ち破ったのは、その「調査士のこと」に関してあまりにもバカらしいことがあったからです。「過ぎたるは及ばざるがごとし」ならぬ「及ばざるは過ぎたるがごとし」で、眠気が吹っ飛びました。

日調連の「業務取扱要領」が制定された、との連絡が12月21日付でありました。下記のものです。

日調連発第311号 令和2年12月21日
各土地家屋調査士会長 殿 日本土地家屋調査士会連合会長
土地家屋調査士業務取扱要領の制定について(通知)
本月9日、10日に開催いたしました当連合会第6回理事会において、別添1の土地家屋調査士業務取扱要領を制定することについて承認されましたので通知します。
この度、制定された土地家屋調査士業務取扱要領は、司法書士法及び土地家屋調査士法の一部を改正する法律(令和元年法律第29号)の改正に伴い土地家屋調査士が適正な業務を行う上で、全国統一された規程が必要であるとの趣旨から設置した土地家屋調査士職務規程(令和2年8月1日施行)第12条第2項に規定する「連合会が別に定める要領」として作成したものです。
なお、今後、法務省民事局民事第二課において、字句訂正等を行う場合もありますので、その際は改めて通知します。〔以下略〕

「業務取扱要領」については、以前にも少し書きましたが、いろいろと問題のあるもので、言いたいことはいっぱいあるのですが、今日はその内容に関することではありません。上記の「通知」文について、です。
引用した部分の一番最後の文章、「なお、今後、法務省民事局民事第二課において、字句訂正等を行う場合もありますので、その際は改めて通知します。」というのは、どういう意味なのでしょう?どういうことを考えてこういうことを言うのでしょう?私には、さっぱりわかりません。
そのすぐ前では、「『連合会が別に定める要領』として作成したものです」と言われています。この「連合会が別に定める」という言い方自体、その意味がよく分からないもの(「連合会」はどうやって「定める」のか?「連合会が定める」と言う場合、本来は最高決定機関である総会において「定める」ことを言うのでしょうが、「業務要領」は「職務規程」の下位規定としての位置づけで「理事会で定める」ので良しとしているようだし実際にそうされています。しかし、これは本来はおかしいので、きちんと「何が定めるのか」ということのわかる規定にするべきです。)であるのですが、それはさておき、とにかくこの「業務取扱要領」というものが「連合会が定める」ものであることには疑問の差しいる余地のない確かなことのようです。
そうだとすれば(そうに決まっているのですが)、「連合会が定める」ものについて、なぜ「法務省民事局民事第二課において、字句訂正等を行う場合」なんてことがありうるのでしょうか?ありえるはずがありません。
これはたとえば、日本国の国会で法律を定めたけれど、それについて「アメリカ合衆国において字句訂正等を行う場合もあります」なんてことに類するものです。そんなことが考えられるでしょうか?(・・・と言うと、「そういうこともありうる」と言われてしまうかもしれませんが、それはあくまでもアメリカが「不快感」を表明して、それを受けて日本(政府→国会)が「自主的」に訂正を行う、という形を表面的には取って行われるものなのであり、ストレートに「アメリカ合衆国において訂正を行う」というようなものではありません。また、この「業務取扱要領」は「総会」で決められているものではないので、「日本国」でのたとえで言うと、本当は「法律」ではなくて「政令」「省令」にあたるものだと言うべきなのでしょうが、そのような「細かいこと」はさておき、もしも「法務省民事局民事第二課」から何か言われて「字句訂正等を行う」ことにすることがあるのだとしても(これは大いにありそうなことであるわけで)あくまでも「自分たちの判断で訂正した」という体裁だけは取り繕っておけばいいものを、その体裁さえも考えずに、あけすけに「「法務省民事局民事第二課において、字句訂正等を行う」なんてことを言ってしまうのです。そして、それをだれも「おかしい」と思わないのです。恐るべきことです。)
この「通知」文を書いた人(日調連執行部)においては、自分たちが「定め」たものについても、「法務省民事局民事第二課」が改変することは、「あたりまえ」のことであり、なんらの不都合も感じないようです。これは、「属国」というレベルを超えたものです。「完全植民地」「奴隷領」という感じでしょうか。「下請企業」でさえありません。「完全子会社・非正規雇用」さえをも超えた従属状態と言うべきです。マインドコントロール下の催眠状態にあって、判断能力・行為能力を完全に失った状態とさえ言えるものです。
こういう「認識」だからこそ、今年度の「日調連総会」を、自らの会の「憲法」とも言うべき会則に違反する違法な形で開催することについても、ごくごく気楽に「法務省民事局民事第二課がそれでいい、と言ってくれているので大丈夫。問題なし」としてしまうことにもなるのだ、ということがようやくわかりました。「調査士の自立性」「調査士会の独立性」という考え方があり、それをある程度共有しているものだと思っていた私がバカでした。

・・・以上、久しぶりの、そしておそらく2020年最後のものが、非常に締まりのないものになってしまいました。とってつけたようですが、2021年こそが、皆様にとって良い年になりますよう祈ります。