先月、次男の25回忌をすませました。
当時の事は、今でも忘れる事はありません。
8月1日に告別式を行い、それから49日を迎えるまで毎晩、家族で御詠歌をあげます。
御詠歌の後、続いて地蔵和讃をあげます。
幼くしてこの世と別れを告げた子どもの為に謳うものだと言う事でした。
賽の河原を渡る為に亡くなった子どもが石を積んでいると、鬼がやってきてその石を
崩します。その繰り返し。いつも辛い思いをして謳っていました。
49日が終わったその夜に、敷居の上で1升の丸餅を切り人型にした後に、
日付が変わるのを待って、家内と二人で庭に出て家に背を向け、後ろ向きにその餅の一部を
屋根を越えるようにほうり投げました。(そういう作法でした)
私達夫婦は放り投げたその時、空一面が一瞬光輝いたのを見て力也が空に旅立ったのを感じとりました。
当時4歳の長男は、夜空を見る度に星を見上げてどれが力也の星? と聞いていました。
いつまでも忘れる事の出来ない思い出です。
力也の7月29日が命日、その翌日どうしてもお伺いしたいところがあり、
家内と草刈りのボランティアにお邪魔しました。
(神戸のポートアイランドにある滞在型療養施設「チャイルド・ケモ・ハウス」
主に寄付金等で建設、運営がされており、闘病中の我が子と水入らずで生活できるように。
そのご家族の方々の為の施設です。)
誕生日の7月31日の夜は家族みんなで過ごしました。