三木市議 大西ひできの方丈記

日常生活と三木市議会議員の日常記
「人は宝、子どもは希望」
三木市の再生は人材育成から。

3月9日&卒業

2009年03月11日 | Weblog
先日3月9日の本会議は、議会で正反対の意見がなされた結果
補正予算について、否決された。

9日、本会議休息時に各関係委員会にて付託された議案(補正予算)
を検討し審査する。

総務文教常任委員会の場合は次である。

平成20年度三木市一般会計補正予算(第5号)
第1条歳入歳出予算中
  歳入 全部
  歳出 関係部分
第2条 繰越明許費中 関係部分 
第3条 債務負担行為中 関係部分
第4条 地方債
についてです。


既に、お聞きと思います。
新規事業をどうして補正で云々。
新たな箱物に対して云々。

           20年度3月補正      21年度当初予算       
           事業費 市債 一般財源   事業費  市債 一般財源   
下石野分校跡  \4900   \4900    \0     \4900  \4650  \250

青山図書館文館\11400 \11400    \0    \11400  \10830 \570



国の補正予算債を活用した場合、例えば49000万円は補正予算債の活用が出来きます。

そして、補正予算債は地方交付税として50%帰ってきますが、

活用しなければ21年度当初予算の通り補正予算債の活用が出来なくなり

(地方交付税としても帰ってきません)

その上、一般財源として250万円を捻出しなければならなくなります。



ですので、地元及び関係団体と協議し事業計画を進めているので賛成しました。

産業環境常任委員会では、起立多数で可決

総務文教常任委員会では、起立多数で可決



しかし、本会議では起立した会派が反対しました。

以上、私が感じた客観的な事実です。




次に、同和事業に対する補助金の発言もありました。

もう終わっているのだから、いつまでも続けるのはおかしいというような内容です。

国の政策も終わっているのだし・・・。

確かに、見直しは必要かもしれません。

しかし、同じ過ちを人間として繰り返さない為にも学び続け伝えていかなければな
らないんじゃないのでしょうか?

戦争が終わったといって過去を学ばなくていいのでしょうか?
過去の戦争は学び。人間の尊厳を傷つけてきた同和問題に対しては学ばなくていいの?

先日、地球が100人の村だったらというテレビで、
同じ人間のする過ちを見て、憤りを覚えつつ、
同じ人間として悲しさがこみ上げて、涙が止まりませんでした。

息子も、どうすればあのような環境にある人たちを救えるのか、
真剣に悩んでいました。

過ちを学んでいくことで悲劇を繰り返さない世界をつくり上げたいですね。



で、その息子も今日は、中学校生活最後の日(卒業式でした。)

息子もいい子に育ってくれたけれど、同級生の皆もいい子で、

大きく育ってくれたことが非常に嬉しく幼稚園入園の頃の

皆の思い出が頭の中を駆け巡り、幸せの涙が会場を埋めていました。



帰り際には、皆で写真を撮ったりしながら、

なかなか皆と離れる様子も無く、いつまでも、いつまでも名残惜しんでいました。

いつの間にか、立派になった私の息子が書いた人権作文が県より表彰をされ、
市の文集にも掲載されましたので紹介させて下さい。


(奨励賞)
自分の二つの目
        志染中学校   大西

僕は毎年のこの人権作文を、「めんどくさい」や 「えー」 とよく思っていました。し

かし、その度、たいがい現実から目をそらしている僕が現実と向き合います。それが

、この間僕は作文以外で突然向き合うことになりました。それは、CDを聴いていて何と

も思わずに一つの歌詞を、どんな歌詞なんだろうと、注意して聴くと、

僕のとっている行動が見透かされるような意味が書かれていたのです。それは、

「誰かが言った一言に

みんな笑っていたけれど 冗談にも聞こえなくて胸がざわついたくせに その場の感じ

で笑ったことがあった」 というようなものでした。あきらかにそれは僕のとっていた

行動そのものでした。

その行動を初めて行ったのは中学一年生の後半になってからで、「皆と同じ感じで合わせ

ていれば大丈夫だろう」と勝手に思いこみ、協調性を持とうとその場の雰囲気に合わせて

同じように感情表現をとるようにすると、初めは罪悪感を感じたけど、二・三回そうする

と罪悪感はまったく感じないようになってしまいました。それは、本当はだめだと自分で

知っているのに、その知っている事実を受け入れてしまうと現実と向き合ってしまい、自

分のいるところが無くなってしまうかもしれないという不安があるから、事実を見るとい

うことを無意識に嫌がっていたんだと思います。それ以来、人権作文を書くときには事実

に目を向けようとすると、どこかヤケになり書いていました。たぶんそれは 「これを書い

たから何か誰かから言われるんじゃないか」とかの不安を振り払うためになっていたのも

あります。もう一つは、ヤケになって書くとそれは「ヤケになって書いた人権作文」で、

自分に「今の自分とは関係のない、ヤケになった僕が書いた人権作文」 と変に納得させ、

仮に何か言われたとしても色々と理由を言ってあやふやにしたらすむ話にしていました。

でも今考えるとこの行動はものすごくずるい行動だったと思います。それは人権作文で差

別はいけないことだと書いておきながら、また実際思っていても、行動では 「僕は別にあ

の作文とは関係ない」としてその現状を見て見ぬふりをしてしまいます。それでは、目の

前で差別がおこっていても止めることはできないし、仮にその話が僕にふられてもあや

ふやにして答えてしまい、止めることが出来ません。その僕の現状がものすごく情けな

いです。

僕は今は三人兄弟の長男だけど僕と僕の弟の間にはもう一人の弟がいました。その弟

は、産まれつき心臓が弱く18トリソミーと言う知的障害を持っていました。弟には、力

強く生きて欲しいという辛から力也と名前がつけられました。しかし力也は、一歳の誕

生日を迎える前に亡くなってしまいました。幼い僕は力也が退院してくると思って、「力

也が学校入っていじめられとったら僕が守ったんねん。」というような事をよく□にし

ていた事を思い出します。弟は今生きていたら小学校五年生です。幼さゆえの発言だっ

たと思いますが、今僕は当時発言した言葉をふと思い出すたびに、ものすごく胸が痛く

なります。今の僕は目の前に起こっていることさえ止める覚悟もなければ勇気もありま

せん。そんな僕が、力也が生きていたとして守ることができるのかというと、おそらく

それも不可能に近いと思います。本当に情けないです。でも僕には命があります。この

まま目の前の事を見て見ぬふりをしていたという気持ちをどこかに残したまま人生を

歩むのはかなりしんどそうです。死ぬときにする後悔は極力さけたいです。勝手な話か

もしれません。でも僕は幼い時に言った言葉に恥じないように、弟に顔が見せられるよ

うに、差別というものをなくしていきたいです。


今日、卒業を迎えた君達へ。

おめでとう。

感謝と言う心を胸に、友を大切にし世界へ元気いっぱい羽ばたけ。
いつでも帰ってくる場所はあるからね。




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