創造

創造主とセルフイメージの世界

偶像化することとされることの悲劇

2010-10-26 17:44:48 | 政治と信仰
ピカートという思想家の著書に「われわれ自身の中のヒトラー」という作品があります。
ドイツ国民が陥った霊的混沌こそがナチスを産んだという信仰の悔い改めに近い
内容です。
バルトやニーメラー、ボンヘッハーといった反ナチの闘争をした神学者たちと共通の
立場でしょう。
 人が創造主である霊への依存を見失う時、被造物崇拝という偶像化の罪に陥る
ことを彼らは指摘しました。
 バルトは、その原因の一つが国家教会、つまり聖霊による信仰告白なしに、幼児洗礼
によってにクリスチャンとなす体制であると語っております。
 エレミヤ書17章5節「主はこう言われる。呪われよ、人間に信頼し、肉なる者を頼みとし
その心が主を離れ去っている人は。」とあります。
 人が互いを偶像化して、あたかも絶対者であるかのように依存し、もたれあうと両者は
ある種の呪縛関係にとらわれます。
 太平洋戦争は一部の軍閥あるいは政治的リーダーによって引き起こされたもので、
天皇と国民はその被害者であるかのような歴史観があります。
 確かに一面の真理であるかもしれませんが、天皇を神格化したのは当時の皇民化
教育でもあり民衆一人ひとりでもあった訳です。
 聖霊を迎えず、あるいは迎えていても意識せずに外なる被造物に依存しようとする
偶像礼拝の罪があったのではないでしょうか。
 前者が日本帝国主義であり、後者がドイツ的キリスト者の陥った過ちと言えます。
 他方、「エリザベス皇后は第二次大戦中ラジオ演説でドイツ占領下の欧州の人々を
勇気付け、ヒトラーに最も恐れられたスコットランド出身の王妃だった」と言われます。
 日本国憲法は「天皇は国民の象徴である」としております。
日本人とその象徴である天皇を呪縛から解放するのは、お互いを偶像化し、神格化する
ことをやめ、創造主を心に迎え、へりくだって共に歩むことであります。
 それは家族や社会関係においても、もっとも大切なことだと思います。
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