夕食後の10分間の散歩、その後下着を着替えて出来るだけ厚着をしてパソコンの前に座る。
この厳寒の中ですが、暖房なしでも快適です。体温が36度以上ありますから自家発電の仕組みが働くらしいです。
カール・バルトは毎朝、モーツアルトの曲を聴いてから仕事に取り組んだそうです。恐らく至聖所の音響に浸ったのちに始めることによって、一日を聖霊の導きの中で過ごすことが出来たのでしょう。
旧約時代、祭司の日課は幕屋の大庭に入り、子羊の犠牲の血を捧げ、聖所に進んで燭台の光の中でパンを食べ、黄金の香壇で祈りを捧げ、そして一年に一度だけ大祭司が子羊の血を携えて至聖所に入りました。
私の祈りの日課も、まず主の血潮に罪を洗っていただき、聖霊の光の中で、聖書のみ言葉を10章いただき、御霊と共に復活の主、そして父なる神に祈ります。
このプロセスがよくできた時は至聖所に移されます。そこでは私という意識は遠のき、ただ主のみがすべてとなります。
私が何事かをするのでなく、内住の聖霊ご自身が働き始めます。主も地上の幕屋(肉体)に生きられた時は「父が私の中で働いておられる」と語られました。
私の中で私と共に主が語られ行動される、それが至聖所に生きるという生活ではないかと思います。
モーツアルトやバルトのような巨匠ではありませんが、凡人の私でも聖霊に依存することによって、そのような一日を迎えることが可能なのです。
そして私に可能なことは、すべての人にも可能だということです。神は本当に素晴らしいお方です。
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