創造

創造主とセルフイメージの世界

1865(慶応元)年9月坂本龍馬の手紙と新葉集について

2009-11-25 23:21:44 | インポート

9月9日(現代語訳・龍馬書簡集・高知県立坂本龍馬記念館2006)

坂本乙女、おやべあて

「・・二十人ばかりの同志を率い、今長崎の方に出て訓練に励んでいます(亀山社中)。

土佐からきたなかで一人イギリスの学問所学んでいる者がいます。・・・・・・・・・・・」

これからはおやべさんあてです。

「・・・・・・・・・・・・ 『新葉集 』という南朝(楠正成公などのころ吉野で出来た歌の本)で出来た歌の本です。

これがほしくて京都でいろいろ捜し求めましたが、一向手に入りませんので、あの吉村から借りておまえの旦那さんに写してもらうよう頼んでください。何分にも急いで送ってください。・・・・・」

新葉集はエレミヤ哀歌にも似た南朝を偲ぶ歌と言われる。

3月18日、神戸海軍操練所が閉鎖、龍馬たちは閏5月頃に長崎の亀山に出かけて、社中を結成、この手紙を出した九月頃は、薩長同盟に向けて奔走していた。

この超多忙な時期になぜ歌の本なのか。

中丸薫氏(コロンビア大卒の明治天皇のお孫さんの一人)は著書「真実のともし火を消してはならない」(サンマーク出版)で「明治維新は、フルベッキの思想と吉田松陰の教えに触発され、グラバーの資金で達成されたとも言われている。」と述べ、さらに明治維新は南朝の天皇に移す事件であったとも語る。英語で維新をRestration(王政復古)と表現するように、それは前期天皇制(山本七平)の復興という側面を持つ。

つまり幕藩体制を打倒することは、頼朝以来の武家が実権をもつ北朝型後期天皇制を廃するという意味を帯びていたことになる。中丸氏は西郷隆盛の先祖菊池家が南朝に仕えていたこと、長州藩主の毛利敬親(たかちか)の祖は大江李光であり、大江家が満良親王をかくまい、その末裔が大室寅之祐であると述べておられる。

近代日本は開国による国際性と同時に植民地化を免れるための独立した民族国家の形成をせまられていた。それは亀山社中が貿易会社であることと同時に海援隊と改称された行きさつにも表れている。

1867(慶応3)年11月、友の林謙三(後の海軍中将、尾道市向島出身の安保清康)あてに龍馬は「・・・海援隊の肩書は所属するところなので、もっておられたら良いと思いますが、しかし、幕府へでも、薩摩藩へでも君を喜んで迎えてくれるなら、海軍の技術で力を出せるところへ移られることにも同意します。・・・」と書き送った。

医師となるべき長崎に学んだ林がなぜ国防の道に転じたのか。

グリフィスの「日本のフルベッキ」(村瀬訳)がその答えを暗示しているように思われる。

266ページ「国防、軍の発展、方策、教育どの分野においても、真の日本の歴史はギドー・F・フルベッキの名前を除外できないであろう。フルベッキの助言が、見えないパン種の如く影響を及ぼす要因であったのは誇張ではない。世界をあっと言わせた1894年の日本の軍事力を生み出したのもやはりそうである。国家の歴史上重要な時期である1870年当時に、フルベッキ氏は私に語った。岩倉とその同僚の政治家たちがフルベッキ氏に、日本は本格的に国家の陸海軍を形成し、沿岸警備を整え始めるべきであるか、またなぜそれが必要であるか理由を述べるように言った、と。会見は密議の様相を呈し、数時間に及んだ。

当時は弱小で分裂していた日本は、攻撃的な西欧諸国、そしてロシア、フランス、イギリスなど絶え間なく力を増大しつつある列国の目前にいるのだとフルベッキ氏は理解していた。それゆえに、陸海軍の整備と沿岸地方の警備は必要であると助言した。彼は二つの不可欠な施策を挙げ、その一つは最も重要で、それは国家統合を確保して帝国の資源を開発すること。二つ目は日本国の存在そのもを示し、信頼を失わないことであった。彼はこの助言を実務家として、また世俗の人として与えたのであった。偽らぬ気持ちで、神の御前で正しい行いであると信じていた。日本人のために尽くすことが彼の願いであり、最終的な目的であった。」

坂の上の雲を目指して駆け登った日本はやがて和魂洋才の掛け声のもと、普遍的な真実の

スピリットを失い、坂を転げ落ちるかのように、無謀な侵略戦争に突き進んだ。

フルベッキを動かしていたのは、内に住まわれるSpirit(創造霊)であり、その愛と知恵、力が

近代日本の礎を形成したといえる。健全な人生と国家は神を心に迎え、このお方と共に歩む

ことによって実現する。人の力で重荷を負って坂を登る時、耐えきれなくなる時が来るからで

ある。日本人を愛したフルベッキの願いはこのいのちの御霊を人々が持ってほしいということ

であったに違いない。坂本龍馬の「日本を洗濯したい」という言葉には、神の御子の十字架

の血潮こそがいかなる心の罪をも洗い清め、そこに神である聖霊を住まわせ、人を新たな永

遠のいのちに生まれさせるのだという神の喜びの福音が秘められているように思われる。

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尾道出身の栄力丸・漂流民(村上貢教授提供)

2009-11-12 12:00:30 | インポート

Ginbnshasin

「日本人サム・パッチ(仙太郎)」カルビン・パーカー著(第2章37ページより)

「別の機会に、日本人は着物を身につけてボルチモアのHR・マークによって撮られる銀板写真daguerreotypesのためにポーズをとった。これらの写真は、それらに基づく番号付のスケッチとしてのみ保存されて、ニューヨークの「イラストレイテド・ニュース」に掲載されている。 図番7は「シンパチSimpachi(コック)」と書いてある。 どうやら仙太郎は現在のローマ字化したものを使用して自分がSempachiであると認識していた。 前述したように、この名前はたぶん彼のあだ名サム・パッチに由来していると言える。 彼の外観は、仙太郎が名は記されてないが残存する銀板写真の日本人の最初の被写体であることを示唆している。その類似性は際立っている。22

銀板写真方式は鏡像のような写真を製作した。数年後にサンフランシスコでポーズをとった万次郎が説明したように、正しく装ったように見せるために右側を前部の左側の上に重ねなければならなかった(右重ねは埋葬される遺体にのみ着付けされた)、そうすれば写真では左側が右側の上に着付けされたように見られた。23

栄力丸の乗組員のスケッチでは約半分が着物を適切に着合わせたようであるが半分はそうしていない。不釣り合いなことに、安太郎はネクタイをしめ、民蔵は蝶ネクタイを得意げに身につけている。この時、適切な着付けに関して何らかの混乱があったに違いない。」

22. 「イラストレイテド・ニュース(Illustrated News)」、1853122日、はジョセフ・ヒコ「記念会誌」 No.39(1996628) 3、に転載された; ベネットとドブソン「仙太郎銀板写真」。驚いたことに、17人の乗組員に対して18名の人数のスケッチがある。 数字1013COMMETHO亀蔵という名前で見出し(caption)をつけられている、それらは、容貌がそっくりである。最初のものは着物を着ており、2番目はアンダーシャツで現れて、鉢巻きをしている。 どうやら、銀板写真からスケッチをしたアーティストは、1人の男性が異なった衣服で二度現れたのに気付かなかったようだ。

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第17回備後イースターフェスティバル

2009-11-11 21:33:41 | インポート

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ベッテルハイム日記(琉球大学)と琉球海軍伝道会

2009-11-11 21:27:51 | 国際・政治

http://ir.lib.u-ryukyu.ac.jp/handle/123456789/2487

1843年「琉球(Loochoo)海軍伝道会」、クリフォードの尽力によって開設。

1846年4月14日ベッテルハイム博士家族、那覇に到着。

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黒船の通訳、森山栄之助(ペリー遠征記より)

2009-11-05 17:55:14 | インポート

Moriyama

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瀬戸内海伝道百周年誌1999年12月

2009-11-03 10:32:09 | 写真

写真1899-1915

          「1899-1915.pdf」をダウンロード

1917-1940 「1917-1940.pdf」をダウンロード

1957-1984 「1957-1984.pdf」をダウンロード

1995-1999 「1995-1999.pdf」をダウンロード

資料        「100date..pdf」をダウンロード

(参考資料)

Bickel2_2

"CAPTAIN BICKEL of the Inland Sea"CHARLES KENDALL HARRINGTON

1919,FLEMING H,REVELL COMPANY

「船長ビッケルー島々の伝道者ー」沢野正幸訳 燦葉出版社

Kaze_2

「風が呼んでいる・冒険に満ちた小野一良の生涯」

ヒルデガルド・堀江著山形由美訳(1996ヨルダン社)

「福音丸と私」中本仁一著(1991燦葉出版)

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