「仙太郎―ペリー艦隊・黒船に乗っていた日本人サム・パッチ」(2011年6月8日初版第一刷)に誤字等がありました。
ここにお詫びして訂正いたします。
2011年6月30日 訳者 南沢満雄
正誤表
「仙太郎―ペリー艦隊・黒船に乗っていた日本人サム・パッチ」(2011年6月8日初版第一刷)に誤字等がありました。
ここにお詫びして訂正いたします。
2011年6月30日 訳者 南沢満雄
正誤表
仙太郎の人生は「しもべの物語」と副題がつけられたように脇役に徹したものでした。
しかしこれは聖書的人生とも言えます。
モーセやダビデ、偉大な予言者たちが登場する聖書ですが、実は彼らが主役では
ありません。彼らと共に歩まれる主なる神こそが主役なのです。
モーセは主のみ声を聞いて、その通りに律法を残し、主の設計通りに幕屋を建築しました。
主がモーセと共にあって数々の奇跡を行われました。40年に及ぶ、主との語らいの中で
モーセは、創造主が主役を演じるお方であって、自分は脇役であることを学びました。
それでも、一度だけ、つい主役であらかのように、岩を杖で打ち、「私が」と自分を立ましたが、
それがカナンの地に入れない悲劇をもたらしました。
ダビデは暴君サウルに仕えることによって、しもべとしての訓練を受けました。
それはどんな戦いにおいても、自分の意志と作戦を優先するのでなく、まず主に祈り主の
意向を伺うという真のリーダーの資質を培いました。
歴史は文字通りHis Story、主の物語であります。
個人の生活においても、私は土の器であり、造られた霊、心、体であります。
そのれの中に住まわれる創造霊なる御霊こそが主なのであります。
私と言う楽器を奏でるのは私ではなく主であります。
ですから主との対話(祈り)こそ生活の基盤であります。
主との語らいをおろそかにするとき、人との心の通った対話もできなくなります。
人間関係は、私たちの神との関係の裏返しであり鏡であります。
最も親密であるべき、主との関係を軽んじるなら、私たちはもっとも身近かな夫婦の関係
あるいは親子の関係もうとくなるのではないでしょうか。
友人関係や職場さらに社会の関係はなおさらのことです。
1987年アラン・ブルームによって書かれた「アメリカン・マインドの終焉」(菅野訳)は
アメリカ社会の内面的崩壊の危機を警告しています。
かいつまんで語りますと、「神は死んだ」と主張し、超人思想を歌ったニーチェの影響が
アメリカの知識人や大学を蝕みつつあると分析しています。
ニーチェの思想はナチズムの温床になったとも言われますが、人が神との対話をやめる時
モノローグとナルシズムに陥るのです。すなわち独裁者を生み出し、宗教的カルトに向かわせ
ます。ダビンチ・コードに代表されるニューエイジ運動はこのような精神的土壌から生み出された
ことを知らなければなりません。
脇役は、へりくだってその立場に徹することによって、主役の働きが浮き彫りにされます。
仙太郎の生涯は、彼を愛し共に歩まれた主の物語でもあります。
私たちの歩みも、重荷と責任を負ってくださる主と共なる歩みであります。
脇役であることを心得て一歩身を引き、主に前にでていただきましょう。
「仙太郎―ペリー艦隊・黒船に乗っていた日本人サム・パッチ」(初版第一刷)正誤表
正誤表
「仙太郎―ペリー艦隊・黒船に乗っていた日本人サム・パッチ」(2011年6月8日初版第一刷)に誤字等がありました。
ここにお詫びして訂正いたします。
2011年6月20日 訳者 南沢満雄
正誤表
西郷隆盛の敬天愛人の書は有名ですがその典拠についてのサイトを紹介します。
http://members2.jcom.home.ne.jp/mgrmhosw/keitennaijin.htm
西郷の名言に「人を相手にせず、天を相手にせよ」という言葉もあります。
新約聖書エペソ書6章12節に「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、
主権、力、この暗闇の世界の支配者たち、また天にいるもろもろの悪霊に
対するものです。」
とあります。人間は敵同士ではなく、その背後にある者こそ戦うべき相手だという
ことです。
パウロが第三の天という表現をしているように、天にもレベルがあります。
三次元的な宇宙を意味する第一の天、天使や堕落天使(サタンと悪霊)ゾーン
ともいうべき4次元的な天。そして創造霊であられる神ご自身がおられる永遠の
天です。第一第二は被造物に属します。
一説によれば西郷隆盛は漢語聖書を読んだとも言われます。バラ宣教師から密
に洗礼を受けたともいわれます。
また慶応2年ウィリアムズによる洗礼を受けた熊本藩士、荘村助右衛門とも
親交がありました。
いづれにせよ維新の三傑といわれた西郷が深い霊的洞察力をもっていたことに
驚かされます。
新約聖書の時代、主イエスが悪霊を制した時、人々は驚嘆しました。
それまでは4次元の力の前に、3次元の人間が立ち向かうということは不可能
であることが知られていたからです。旧約聖書の時代、生は「よみ」という
死の力に支配されました。
しかし、死の力をもつ悪霊にたいして、主イエスは創造の霊というさらに
高い4次元の力を帯びて対決されたのです。
アインシュタインの語ったように、問題はより高い次元によって解決されます。
主イエスによって、死は復活のいのちにのみ込まれます。
文明や政治の背後には、宗教の問題があると歴史家のトインビーは指摘しました。
天使的レベルの天にある宗教は、それを越えた創造主の永遠の次元から
解決されるでしょう。
サタンは私たちの罪を訴えて私たちを支配しようとします。
御子が私たちに代わって十字架上で裁きを受けて下さり、血を流して下さった
瞬間に、あの神殿の至聖所にいたる幕が切り裂かれました。
至聖所に臨在される永遠主がわたしたちのもとに、私たちは創造主ご自身の
至聖所の中に引き上げられる道が完成されたのです。
この恵みにゆだねる(信じて頼ること)時に、永遠のいのちは私たちのものに
なります。天使もうらやむ、いと高い神の子の身分をいただくのです。
天地の創造主なる、神の切なる願いは、私たちにご自身の霊を住まわせ
、神のいのちの中で、永遠の幸せを生きてほしいということです。
日本の近代教育とラトガース大学・羽田積男氏
http://www.chs.nihon-u.ac.jp/institute/human/kiyou/27/H-027-014.pdf
岩倉使節団のグランドデザインであるフルベッキのブリーフスケッチを
所蔵されるニューブランズウィック神学校・ガードナーA・セイジ図書館サイト
一人の生涯をたどるとき、永遠者の主がその人生に同伴していたことを知らされます。
目には見えませんが、エマオ途上の弟子と共に歩まれた復活の主です。
東日本大地震、原発の被災者の方々にとって、先行きの見えない困難な日々が続いて
おります。目に見える助けが得られない時、私たちの目は見えないお方、共に重荷を
負っておられるお方に心の目が注がれます。
坂本龍馬や吉田松陰は、黒船を外から観察しました。仙太郎は内側で、体験しました。
アメリカの立場から日本をみました。
神の側から主体的に知ることは聖霊によって可能です。
内側に来られる神の心をもって自分を見ることができます。
そこで、困難の中でも愛されている自分を見出すことができます。