ギリシャの債務問題はユーロ圏の経済をゆるがし、スペイン、ポルトガル、イタリアにまで
波及しています。いわゆるキリスト教圏内に属する国々ですが、東方正教のギリシャを別にすればいづれもカトリック圏であることが分かります。
これをマックス・ウェーバーの仮説に倣って霊的信仰的視点から理解しようとすれば、ヘレニズムの問題が浮上します。ヨーロッパ世界はキリスト教とヘレニズムの相克の歴史でもありますから。
前者をヘヴライ的一元論思潮とすれば後者は霊魂と体の二元論から成っているといえます。
西方神学を代表するアウグスチヌスはプラトンの霊魂不滅説の影響を受けているといわれます。ということはプロテスタントによる宗教改革はそのヘレニズム的混合からの脱却と解放を意図した一面を持つ訳です。
魂の永遠化と絶対化を脱して、創造主なる聖霊による人間の霊の新生を強調したのです。
本当はカトリック世界よりもナチスのゲルマン魂の謳歌や我が国の戦前の大和魂の賛歌により極端な形の二元論が出現しましたが。
ここでの問題は魂の肥大化とも言える現象です。物質より精神を優先するのですが、その精神自体が神格化されると、もはや真の絶対者である創造主に依存し、交わり、従うことを無視し、自らが主体となり、いつしか神のごとくふるまうようになります。
永遠の供給者、創造の根源者との結びつきを失うと、結果的に精神的にも経済的にも枯渇し始めるのです。
旧約時代の各王の治世の初めに「高いところ」が取り除かれたか否かでその時代の盛衰が決定されたと聖書は語ります。高いところにでの偶像礼拝を続けることは、創造主との交わりをおろそかにし、それを通して治政の中に悪霊を招き入れて国を危うくするということが起こったのです。
そういう面から考えるとギリシャの問題は我が国と無関係ではないことが分かります。
日本における偶像礼拝の一つは祖先崇拝であると明治初期に福井と東大で教鞭をとったグリフィスは著書「ミカド」で指摘しました。マックス・ピカートは「われわれ自身の中のヒトラー」という本を書きました。
憲法第一条では、日本国民の象徴は天皇であると述べております。アマテラスと言う祖先神を持つゆえに、かつての天皇は現人神であり、そのために殉じた戦死者は軍神として靖国神社の祀られました。しかし、今日でも依然として、ご先祖の位牌は仏壇に置かれて拝まれます。日本で御霊とは創造主のことではなく、まさしく死者の霊のことです。そして時にはアナウンサーでさえ、人々はその御霊に祈ったと表現します。
日本政府の国債はギリシャのそれをはるかに凌ぐ額です。ヘレニズムはまさに我が国においても絶大な影響を保持しているのでしょうか。
私たちは現在、この根源的課題に直面していると思います。
ウォッチマン・ニーは前書「根本的問題-人間の魂」の中で以下のように語ります。(256頁)
「私たちは神から離れて行動し、考え、決定し、力を持つように仕向けられました。今日の私たちキリスト者の多くは、発育過剰の魂(プシュケ)の持主なのです。私たち自身において、あまりにも巨大に育ち過ぎ、『魂の肥大症』となったのです。私たちがこのような状態にあるとき、私たちの内における神の子のいのち(ゾーエー)は、制限され、行為の面からほとんど押し出されているのです。」
私たちは造られた魂と自我に依存するのでなく、もっと深くに内住される創造主なる聖霊にもっとお頼りすべきではないでしょういか。
私たちは目に見える財や自分自身に対しては常に意識している者ですが、目に見えない宝を自覚することはむずかしいものです。
造られたものは有限ですが、創造主は無限の尽きざる資源とエネルギーをお持ちです。
創造主は御自身の永遠のいのちをお与えになるために、独り子を送って下さいました。
その神的いのちこそ真の宝であり、あらゆる必要を満たして余りある源泉であります。
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