https://www.youtube.com/watch?v=zI2GcNhvovg
アスファルトの割れ目に咲く花、岩壁に根を下ろす松の木。
生命の力に驚かされます。
しかし、この世の造られたものとしての生命は死と滅びの霊の支配下にあります。
動物や人間も同じです。
神の永遠の生命のみが無限であり、尽きないいのちを持ちます。
主がよみがえられたのはこ聖霊に依ってでした。
私たちにも十字架の贖いと復活を通して、聖霊なる神が住まわれます、永遠の生命力の源として。
聖霊は私どもの内側で至高の聖さをもってご自身を現わされます。
また、父なる神との永遠の交わりをもたらされ、創造主として被造物へのいつくしみを湧き上がらせ、寛容と喜びをもたらし、さらには破壊と虚無の霊サタンに立ち向かわれます。
祈りを通して神と交わり、とりなしを通して人々に触れ、レ-マをもって再創造と悪霊を退散させます。
天と地ををつなぐのは、神の受肉とその血です。主の血が罪を清め、そして聖霊の油注ぎをもたらします。
したがって、十字架の主とその血に依存することが、心に神の居場所を備えます。主に依存する、被造物となられた神に頼るならば、私たちは罪人から神の子に、サタンの器から神を宿す霊の宮に変えられます。
そして神の子は、紙の生命力に生きることを学ぶ。人としてその能力を養い育てるように、神の生命力が発揮されるように訓練される。それは試練を通して、生まれつきの肉の生命力に絶望し、もはや自分を頼らずに神を、聖霊を頼るように導かれる。自分が主役をなしていたところを、神に明け渡して神が主となられて活き、働いていただくのです。
外的地上的自分依存に死に、内的霊的神に生きていただく、聖霊と共に霊が生き活動する自分に変えられます。
絶えず主に祈り、いつも主を喜び、どんなことにも主が働かれて万事を祝福し益にされる主に感謝する生活です。
https://www.youtube.com/watch?v=nw7BY10i3_k