エサウの妻は、ヘテ(ヒッタイト)人エロンの娘アダ、ヒビ人ツィブオンの娘オホリバマ、イシュマエルの娘バセマト。子は、エリファズ(母アダ)、レウエル(母バセマト)、エウシュ(母オホリバマ)、ヤラム(母オホリバマ)、コラ(母オホリバマ)。
『創世記』36章にはエサウの子孫たちの名前が列挙されている。彼らはやがてエドム人と呼ばれるようになった。
A・パジェット・ウィルクス 著 大江 邦治 筆記
創世記(10章)講演には以下のように記されています。(川守田英二師は「日本へブル詩歌下巻」432ペ-ジにおいてヘテ人は先住渡来民であって、エッタと呼ばれたとしている。)
「ヘテはヘテ人の先祖であった。このヘテ人のことは後に聖書にたびたび出て来る。すなわちヨシュア記一章四節、士師記一章二十六節、列王紀上十章二十九節、列王紀下七章六節その他聖書の各所に記されてあるのを見れば、ヘテ人の国は広い強い国であったに相違ない。高等批評家はいつもヘテ人は神話的であると言ってその存在を信ぜぬが、今はそのヘテ人の実際存在していたことと、その国が驚くべく広い帝国であったことが発見された。西暦1872年にダマスコの宣教師ライトという人がハマテで実に珍しい記念碑を発見した。その附近の土人はその碑の価値あることが分かると、宣教師に取られぬようにこれを破壊せんとしたが、ライト氏は親切な賢い取扱によってこれが破壊を免れしめた。しかしてオックスフォードのセイス博士の研究によってこれがヘテ人の記念碑であることが判明した。このセイス博士は『ヘテ人の帝国』という書を著している。しかしてそのヘテ人の記念碑の文字は未だ誰も読むことを得ないが、だんだんとエジプトの記念碑を読むことによってヘテ人の帝国とその驚くべき力とその広さとを知ることができるようになった。名高いエジプトの詩人ペントールの詩にもラムゼス第二世とヘテ人との戦のことが書いてある。またこのヘテ人記念碑の文字はアジアの全体にわたって各所に発見せられた。或る人は日本人の先祖もヘテ人であるという説を立てている。エジプトの絵画で見れば、ヘテ人は背の低い、鬚の少しもない、髪は黒く顔は黄色でおも長い眼を持っている。しかして彼らの特色は戦争に強いことであったということである。しかしそのヘテ人の帝国は紀元前717年にカルケミンにおいてサルゴン王に打ち破られてから衰えて、帝国としては全く失われてしまったのである。今もなおヘテ人の文字は読むことができぬけれども、エジプトの記念碑を読むことによってエジプト人とヘテ人との関係が明らかに知られたのである。」
ギリシャ語では、生物的いのちは「ビオス」が、霊的永遠のいのちには「ゾ-エ-」と表現されます。
これは漢字のすれば、人間のDNA的生命を「生」とし、創造主のいのちには「活」をあてると分かりやすいかもしれません。
https://okjiten.jp/kanji274.html
復活の生命は、被造物のいのちを超えた創造主のいのちに属するもので、人となられた神が、十字架の贖いを通して、人に内住される聖霊によってもたらされます。
まことの活力(エネルゲア)は、創造主なる神との御霊により交わりから生み出さるもので、それは死をさえも凌駕するほどのものです。
神は愛ですから、私たちを捜し求め、失われた交わり回復されるために、この地上に下りました。
私たちを襲う諸問題の、根源的解決は、創造主に立ち返り、御霊と共にこのお方と親しく語り合うことです。いのちの源泉はそこから湧き、心の渇きを潤し、喜びと感謝に満たされて活き活きとされることでしょう。
生物的健康にウィルスを洗い落とす衛生が大切なように、霊的いのちは御子の血による日々の罪の洗いと、御霊祈の祈りによる免疫力の向上が不可欠であります。
「私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。 また、朽ちることも汚れることも、消えて行くこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。これはあなたがたのために、天にたくわえられているのです。 あなたがたは、信仰により、神の御力によって守られており、終わりのときに現わされるように用意されている救いをいただくのです。 」(ペテロ第一の手紙1章3-4節)