戸川残花 (安宅) | 詩人・牧師 江戸牛込 安政2年(1855)~大正13年(1924) |
とがわ ざんか(やすいえ) | |
安政2年(1855年)江戸牛込原町に生まれる。 異母兄安道の後を継いで、維新の際14歳で旗本戸川家備中早島食録5000石を相続。 明治7年家禄奉還の制により、以来、大学南校、慶応義塾、築地学校などに学ぶ。19歳の時にタムソン宣教師の築地新栄教会に通い、明治7年(1874)、キリスト教の洗礼を受け、16年(1883)からは伝道師として関西方面で布教。帰京後、麹町教会の牧師となる。23年(1890)「伝道師」,「童蒙賛美歌」(共編)、「新撰賛美歌のてびき」(18925)などを刊行。26年(1892)「文学界」の創刊時、客員として詩文を発表。中でも「桂川」は北村透谷から激賞される。同年毎日新聞社に入社し、小説の筆もとった。新人時代の田山花袋、島崎藤村の面倒をみたり、樋口一葉に縁談をすすめたエピソードがある。 残花の受洗は「幕末小史」(人物往来社)巻末の年譜によれば、1874年(明治7年)12月タムソン師によるとあり、新栄教会所属とある。 しかしご子孫の中村氏によれば、カロザース師によってバプテスマを受けたと伝えられているとのこと。 いづれが正しいのかどなたかに教えていただきたい。 ところで両宣教師は日本プロテスタント初期宣教において二つの潮流を代表していたことが「二つの福音は波濤を超えて」(棚村重行著・2009年教文館)で解明されている。 タムソンは米国「新カルヴァン主義者」の組織神学者E・A・パークに近く、 カロザースは長老派のC・ホッジの神学「旧カルヴァン主義」の影響下にあった。 前者はアルミニウス主義をも受容する調停神学であり、「一致(エキュメニズム)」「福音同盟」と「日本基督公会」運動を展開して、バラ宣教師よって継承された。 後者は、古典的カルヴァン主義に立ち、前者をを神学的折衷主義と批判し、合同主義に反対した。 フルベッキも後者に近い立場だった。 棚村氏は和(合同)を重視する日本人キリスト者の性格と、真理を重視するゆえか分派をも厭わない韓国教会の特質に言及している。 愛と一致は妥協とは違う。 大学南校(東大の前身)、慶応義塾、築地学校(日本基督教会創立者バラの創立)に学んだ戸川残花は20歳でバプテスマで受けた。 その後、西宮、岸和田、津、京都などの関西地方に伝道し、帰京して麹町教会牧師となり讃美歌や信仰書の翻訳に従事した。 壮年になって「文学界」その他に精力的に詩文を寄稿した。 残花の新体詩は「宗教的思想の濃厚な点において、当時残花の上に出づる者はない。しかも宗教思想をただ概念的に吐露したのではなく、彼の場合は繊細な詩人らしい感覚で万象を感じ、豊富な想像を駆使して人心の秘奥を窺うという詩人本来の素質がいつも根底になっている」と評された。 明治31年、勝海舟などと協力して、元幕臣として「旧幕府」を編集発行した。 明治34年、成瀬仁蔵を助け、渋沢栄一、大隈重信らとともに日本女子大学の創立に参画して国文、国史を教えた。また慶応義塾大学に招かれ、江戸趣味に関する課外講義もした。 大正に入り「禅」を学び、「宗鑑」と号し、悠々自適の生活を送った。 晩年、「何事も運命、神の御心、前世の因縁、朝の花は夕に散る、波阿弥陀仏、アーメン、喝」という言葉を愛用し、大正13年12月8日、大阪天王寺の長男浜雄宅で没した。 残花の生涯を見るかぎり、カロザースよりもタムソンに近く、プロテスタント内の合同をも超えて仏教とも対話と一致を試みたといえよう。 しかし、フルベッキが危惧したように合同教会が神学的な曖昧さを残した故に挫折したのと同じように、残花の「和の精神」は妥協の道と紙一重のものとならざるをえなかった。 バルトが幼児洗礼を批判しゴーブル宣教師が浸礼にこだわったのは、聖霊による信仰告白を重視したからであった。思想の背後には霊がある。霊的4次元的なレベルから歴史と自己を見つめる必要がある。 被造物としての人間の知能と生命(プシュケ)だけによるのではなく、創造主を心に迎え、その永遠のいのち(ゾーエー)を生きること、創造主の内部、至聖所に生きること、これこそ神が与えてくださった驚くべき恵みである。そこに「普遍の和」があり、「一致」がある。 我々を惑わそうとする闇の霊にう打ち勝つため、内におられる聖霊なる神の知恵と導きを日々求め、このお方に依存しなければならない。 そこに、二つの相対する潮流を超える真の一致が見出されると思う。 |
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正確には「新派カルヴァン主義New School Calvinizm」と旧派カルヴァン主義Old School Calvinizm」とあります。
「ウェストミンスター信仰基準」は神人協力的な「アルミニウスス主義」と対極にあるものですから旧派にとって受け入れがたいものだったのでしょうか。
これはカール・バルトとパウル・ティリッヒの「人間の内からはじめるの神学と、人間の外に立つ超越者から出発する神学の対立」ということかもしれません。しかしティリッヒは「私の考えによれば、このような二つの神学的態度を和解せしめうる理念は存在すると思う。それは神の霊の理念である。」
と述べました。(歴史の神学シンポジウム・山本和編・古屋安雄「ティリッヒのキリスト教思想的バルト解釈」参照)
に依ればカロザ-ス(カラゾルス)から受洗とあります。