主は真のブドウの木、我々はその枝だとヨハネ福音書15章に記されています。
確かに、枝がいくら優れているとしても、幹から離れたたら実を結ぶことはできません。
創造主が喜んで住まわれ、働かれて、はじめて真の実のある生活が可能です。
主の居場所を備えること、そして主の出番を与えることです。
そのために主と交わる時間を確保し、自分の人間的被造物としての働きをしばし休息することが必要です。
安息日は主の日であり、主への賛美と交わりの中で、主としっかり結ばれ、天のいのちの補給を受ける日であります。
被造物としての人間力依存を休止して、創造主の無限の力を甘受する時です。
自分が働くのでなく、主に働いていただくのです。聖霊なる神が私たちの内側に満ちると愛や喜びや平安の実が生じます。
心を空協にしたままだと、空き巣狙いのように悪霊が心に侵入して、疑いや憎しみ、不安をもたらします。
今日のいじめの根本原因は、この霊的心理的要因が大きいのではないかと思われます。
被造物間の閉ざされた関係で、「主との関係」(間)が軽視され、主の居場所を設けない生活。
あのバベルの塔のように、神の協働の余地が全く無視された被造物が主(あるじ)になって転倒した世界。
そこにカオス(混沌)と虚無、偽りのが、すなわち闇の霊が介入してきます。
主が十字架上で流された神の血は、私たちの不信と離反そして主客転倒の罪を洗い清めてくださり、
聖霊によって闇の霊をを照らし出して、追い出してくださって、永遠のいのちと光のなかに引き上げてくださるのです。
主の恵みは心の奥底に注がれて、内なる自分を解放されます。
主との交わりが、他者への愛を育みます。
神の樹液が幹から流れて枝を通り、豊かな実を結ぶのです。
主に祈り、主を喜び、全てに感謝する生活をこころがけましょう。
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