創造

創造主とセルフイメージの世界

賛美を通してリバイバル・ミャンマ-への宣教師・伊藤仁先生

2021-03-19 21:09:08 | 福音

感謝します

3月21日(日)午前10時半から、徳島恵キリスト教会に伊藤伊藤仁先生を招いて主をたたえる礼拝をもちます。

ミャンマ-は現在、軍によるク-デター下にあり、祈りを必要としております。

この度、帰国中の伊藤宣教師ご家族と共に集いをもつことができ感謝です。

栄光

 

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神が自分の中でなさる業を見る

2021-03-13 11:08:19 | 福音

人は人によって知られ、犬は犬、鳥は鳥同士で交流します。

ところで人間同士でも、相手のレベル以上のことを認識できません。

創造主と語り合い、知り合うためには、そのレベルの認識力が必要です。

つまり、神のいのち(ゾーエー)は聖霊が我々の内で活き働かれることに

よって体験的に知られます。

その第一のことは、イエスをどう理解するかです。

単なる人間か、人となった神なのか。

過去の人物の一人なのか、いまも復活者として共に歩まれる永遠の同伴者なのか。

歴史上の人なのか歴史を超えた啓示上のひとなのか。

答えは、前者でもあり後者でもあります。

人が生まれつきの観察と知力によって知りえたイエスは氷山の一角で、聖霊とそのレベル

で見る時に、人をはるかに超えたお方であることがわかります。

パウロや弟子たちが、復活のイエスに出会ったのは、神のレベル、すなわち至聖所に

聖霊によって引き上げられたからです。

ラザロのようにこの世に生き返ったのでなく、復活は第三の天とも言うべき

創造主の世界に霊の体をもって昇ったということです。

我々の霊が聖霊によってよみがえらされると、今も活きておられる栄光の主に

出会い、そして父なる神および御子なる神との永遠の対話と交わりに入れられます。

神の同質のいのちの家族とされるからです。

 

 

 

 

 

 

 

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「主イエスとニコデモの出会い」―荒野の青銅の蛇―

2021-03-07 21:15:42 | 福音

                                                              [ ヨハネ福音書3章1-16]

最近、コロナのニュ-スでよく見るのが世界保健機構WHOとシンボルマ-クです。

それは、さおに掛けられた青銅の蛇です。多くの病院のシンボルにもみられます。

これは民数記21章4-9にある、罪のため毒蛇に噛まれて死にそうな民のため、モーセが神様に命じられてかかげた青銅の蛇に由来しております。血管の中に罪の毒が回り死にゆくものが、その蛇を見上げた瞬間に、毒が清められて癒さる奇跡が起こりました。罪の呪いを身代わりに受けて旗ざおにつるされた青銅の蛇が罪の毒を洗い流し、清い血が流れ始めたのです。新島襄先生は問題を起こした学生が退学されそうになった時、自分の腕を棒で叩いて、その責任を負われたそうです。

イザヤ書45章22節「地の果てのすべての民よ。私を仰ぎ見て救われよ。」ただ見上げるということは、ただ頼れという意味です。これが、やがてイエス様がなされることだとニコデモに告げられました。

(呪いと祝福)

ニコデモは経験豊かな優れた宗教家でした。誰もが一目置くリーダーでした。しかし、若く、ガリラヤの田舎出身のナザレのイエスを噂で聞き、またその活動を見聞きして、自分には何かが足りないと気付いていたようです。仲間のパリサイ人達は誇りを傷つけられたかのように、その大工上がりの若者に嫉妬し怒っていました。

ですが彼は年下で学も身分も劣ると思われるナザレ人を訪ねました。そこで、いきなり禅問答のようなことを言われます。宗教家であっても霊のいのちがないことを主はご存知でした。罪の毒が回って人類は死に至る病にかかり、霊である神とその国が分からないのです。生まれつきの人間のいのちでなく、神的いのちがなければ神についてよく認識できません。ですから上から、神から、霊から生まれなければご自分のしていることはできないと言われました。主は、罪のないお方でしたからヨルダン川でバプテスマを受けられた時、聖霊を心に迎えられました。その神の御霊がご自身のうちで働かれたので、人間の知恵や力をはるかに超える奇跡をされました。

人間的生命では不可能なことを神的生命で成し遂げたのです。人間がこちら側から宗教心をみがいたり、学んでも天に届きません。創造主の側から来てくださって、聖霊を与え霊が活きかえって永遠の世界に目が開かれるのです。ニコデモは理解できないのは聖霊をまだ宿していないからです。

罪と悪霊が心を支配していますので霊的に死んでおります。

その罪の毒を除去し、悪霊を追い出すために、イエス様が青銅の蛇となられ、身代わりとなって十字架で呪いを受けなければなりませんでした。十字架にかかられた主をみあげて信じて頼ると、本当に罪が赦され神の清い血で洗われます。そうすれば汚れた悪霊は住めなくなり逃げ出します。そして聖霊なる神様が宿ってくださるのです。永遠の神のいのちが誕生します。罪人が神の子に生まれ変わります。ニコデモにその奇跡が起こったことが、19章39節で分かります。やがて主の中で語られ行動された聖霊が復活とペンテコステ後、弟子たちのうちにも宿られ、奇跡を行われました。

リンゴをもらっても食べれば終わりですが、リンゴの木をいただけば育てて毎年収穫できます。

魚をもらうより、釣り道具をもらえばいつでも取れます。学びと知識を得ることも大事ですが勉強の方法を知れば一生学ぶことができます。聖霊は永遠の祝福の源泉です。

聖霊が霊を活かし、心に満ちる時に善人とされ義人とされます。パウロが「十字架以外に知るまい」としたのはここで霊的神的いのちをうけるからです。聖霊による神の知恵をいただけます。聖霊は真理の霊ですから何万冊の本よりも深い知恵を与えられます。知性のみによって理解し認識するのでなく、霊によって4次元的レベルから知るのです。無尽蔵の富であり、無から有を創造できるお方です。

私たちに代わって十字架で裁きを受けられた神は、現在私たちの中で、私たちに代わって活きては働いておられます。神はその独り子を賜ったほどにあなたを愛しておられます。人になられた神の御子イエス様を信じ、頼って永遠のいのちをいただいてください。

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スポルジョンの説教

2021-03-05 21:42:49 | 福音

Metropolitan Tabernacle Pulpit TOC (dgdg.jp)

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