創造

創造主とセルフイメージの世界

キリシタン大名蜂須賀家政

2013-08-31 16:08:50 | 歴史

阿波踊りの歌に「阿波の殿様」という言葉があります。

阿波藩初代藩主の蜂須賀家政のことだと思います。一説に依れば阿波踊りは徳島城築城の祝いに捧げられたとのこと。

私はどういうわけか阿波踊りを見るたびに契約の箱とともに喜び踊ったダビデのことが想起されます。(サムエルⅡ6:12-)もっともダビデの場合は裸踊りだったと記されていますから共通点はないかもしれませんがいかにもうれしげに喜びの表情で踊るのは何故だろうかと考える訳です。

本来、感謝や喜びは祈りと共に湧きあがるものです。フォ-サイスは祈りは呼吸に例えれば吸い込むことで吐くことが喜びであり感謝であると「祈りの精神」の中で述べております。神との交わりを通して尽きざる感謝と喜びが湧きあがるというのです。

天を見上げ創造主に接触する、そこに力が与えられます。蜂須賀氏はそのことを知っていた武将であり、来年のNHKの大河ドラマの主人公である黒田官兵衛とともに秀吉臣下のキリシタンでありました。家紋はカギ十字(ハ-ケンクロイツ)です。

ところで今年の大河ドラマの八重の桜の主人公が「敵を愛せよ」というマタイ福音書(恐らく日本で最初に翻訳されたゴ-ブル訳)の言葉に戸惑うシ-ンがありました。武士の世界では通用しない教えですし人間としても理解しがたい教えです。

しかしここでまさしく人間中心に生きるか神中心に生きるかが問われる訳です。端的に言って人間としてこれは不可能なことです。

ただ神が私たちの内側で私たちに代わって生きて下さり行動して下さる時に可能になります。

福音とは神が人となって、私たちの代わりに罪の罰を受けて死んでくださり、復活されて私たちに聖霊なる神を住まわせて下さる神の自己贈与の事実です。

神が私たちの内側で生きて下さることによってすべての不可能が可能になります。パウロが「我もはや、生きるのでなく、キリストが我がうちに生きる」(ガラテヤ2:20)と語ったように、有限ないのちに代わって永遠のいのちが胎動するのです。

神のいのちを生きる、神が私たちの中で生きておられるというあり得べからざる超越の生それこそが驚くべき喜びの知らせであります。

 

 

 

 

 

 

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神の電話番号

2013-08-26 14:50:48 | ゴスペル

エレミヤ書33章3節に「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を超えた大いなる事をあなたに告げよう。」とあります。

真の教育は学び方を教わることであり、魚をもらうより魚のとり方を知ることの方が大事だといわれます。

いのちや知恵、知識の源泉は創造主にありますから、そのお方にアクセスすること、すなわち祈ること、接触することが真の力の秘訣であります。

祈る習慣が身につけば、いつでもどこでも必要な供給を主から受けることができます。

聖霊を受けられたイエス様が第一になされたのは祈りの訓練であったということも出来ます。祈りは永遠のいのちの呼吸そのものでもあり、御霊が私たちの中で神との交わりの回線を繋がれます。

40日の祈りの訓練の後サタンの誘惑がやってきました。アダムを誘惑した時のように、自我を神として人間依存に生きるように誘ってきました。

自力を頼るなら、4次元の力を持つサタンが優位に立つことを知っていたからです。しかし主はどこまでも聖霊なる神に依存されました。主は人間対サタンの戦いでなく神対サタンの戦いに転じられたのです。

祈りを通して神に戦っていただき、神に働いていただけるのです。これが勝利の秘訣です。

罪とサタンは、私たちの神との回線を断とうとしますが、御子の十字架の贖いを通して内住された聖霊は神と私たちを一つに結んでおられますから交わりが断たれることはことはありません。

永遠の神のいのちの源である御霊Spiritが私たちの心の深いところで泉となられ、川のように流れ出てくださるのです。そしてその神の川が流れるところ、すべてが活かされてゆきます。

人間の魂は深いところで神御自身に飢え渇いております。十字架で流された主の血と水は御霊と一体の神のいのちです。

主を仰ぐ時、御霊は天からの雨となって飢え渇いた心を潤してくださいます。こうして宇宙を創造され保存され完成されるお方が私たちの内に住まわれて,サタンによって破壊されたすべてを再創造され神化してくださるのです。

 

 http://www.youtube.com/watch?v=4KmpHMK3meQ

 

 

 

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「炎のランナ-」とメティカフ少年

2013-08-21 10:24:43 | 捕虜レクエム

 

「闇に輝くともしびを継いで」Take the torch shining in the Dark ~宣教師となった元日本軍捕虜の76年~ スティーブン・メティカフStephen A. Metcalf著より抜粋

 

・・・・・その人、エリック・リデルは、一九二四年のパリ・オリンピックにおけるゴールドメダリストとして有名なイギリス人だった。一九八一年公開のアカデミー賞作品省映画「炎のランナー」の主人公と言えば、もっと多くの人にわかっていただけるかもしれない。・・・・・しかし、それらのスポーツのキャリアをすべて投げうって、エリック・リデルは中国の宣教師になった。そして一九四一年、気がつけば戦争の黒雲が彼の周りに立ちこめていたのである。リデルは、妊娠中の妻とふたりの娘をカナダに帰し、中国で始めた神の仕事を終わりまでやり通すために、自分ひとりが残った。こうして、同じ不運に追い立てられて、リデルと私は濰県の収容所で再会したのだ。・・・・・

 

 ある日、リデルの聖書クラスで「山上の説教」を学んでいたとき、聖書の中の一つのことばを巡って私たちとリデルの間で意見が対立した。・・・・その中に、「自分の敵を愛しなさい」という一節があるのだが、その日、私たちは、イエスがこれを「このような姿勢でいるべきだ」という理想として語ったのか、それとも本気で「こうしなさい」という意味で語ったのかということで議論を始めた。

 

 当時の私たちにとって、「敵」ということばで真っ先に頭に浮かぶのは、なんといっても日本兵だった。日本兵を愛せるか。そう具体的に問われると、このことばがどれほどとんでもない教えかよくわかった。

 

 前にも少し触れたが、私たち自身は、収容所の中でそれほどひどい暴力にさらされたわけではなかった。また、戦闘地域にいた者のように、大殺戮の場面を目撃したわけでもない。しかしそれでもやはり、日本兵による中国人へのむごい仕打ちを見せつけられていた。

 

 私は、両目をえぐり出された人が目を下に垂らした姿でリヤカーに乗せられて、市中を引き回されているところを見たことがある。そのとき彼はまだ生きていた。生きたまま両目をえぐり出されたのである。スパイ容疑などで殺された人が、見せしめにさらし首にされているのも見た。友人のレイの母親は南京で看護婦をしていたが、勤めていた病院に南京大虐殺の犠牲者が次々に運びこまれてくるのを見ているうちに、その傷のむごたらしさに、神経が完全にまいってしまった。中には、小さな肉片になるまで切り刻まれた女性の死体などもあったという。同じ殺すにしてもなぜそこまでしなければならないのか。これが人間のやることなのか。目に入ってくること、耳に入ってくることのすべてが、とうてい赦せるようなものではなかったのである。

 

 愛せるはずがない。この教えはやはりあくまでも理想だ。私たち少年の意見がそういう結論に傾き始めたとき、リデルはほほえみながら言った。「ぼくもそう思うところだったんだ。だけど、このことばには続きがあることに気がついたんだよ。迫害する者のために祈りなさいという続きがね。ぼくたちは愛する者のためなら、頼まれなくても時間を費やして祈る。しかし、イエスは愛せない者のために祈れと言われたんだ。だからきみたちも日本人のために祈ってごらん。人を憎むとき、きみたちは自分中心の人間になる。でも祈るとき、きみたちは神中心の人間になる。神が愛する人を憎むことはできない。祈りはきみたちの姿勢を変えるんだ。」そう言うリデル自身、毎朝十五分早く起きて日本と日本人のために祈っている人だった。

 

 私は、ひとりのクリスチャンとして、多くのことを祈っていた。――スパイ容疑で捕えられた校長先生が早く解放されますように。天皇礼拝を拒否して投獄されている中国人牧師たちが早く解放されますように。意地悪な日本兵が転属でいなくなりますように――。これらのことは、祈らずにはいられないことだった。しかし、日本兵のためになど、祈ろうと思ったこともないし、祈りたくもなかった。けれども、「迫害する者のために祈りなさい」というのがイエスの教えであり、そうするときに自分中心ではなく神中心になるのだとリデルにさとされたとき、私は、信仰の新たな段階に進まなければならないところにきたのだと感じた。そう教えてくれたリデルを心から敬愛し、彼のようなクリスチャンになりたいと思ってもいた。そこで私も思いきって、このときから日本と日本兵のために祈り始めたのである。

 

 そのような一大決心をして日本兵のために祈り始めても、彼らの振る舞いが変わることはなかった。相変わらず残酷なシーンを目にしなければならないことがたびたびあった。しかし、それを見ている私の心には変化が生じてきた。

 

 以前は、その行為をしている日本兵個人に憎しみを向けていたのだが、祈るようになってからは「これが戦争だ。ひどい戦争だ。今の彼らは死に慣れっこになっていて、いのちの価値がわからなくなっている。それに、人間が神に造られた大切な存在であることも知らないであんなことをしている」と思うようになった。それは強い怒りでもあり、悲しみでもあったが、憎しみではなくなっていったのだ。

 

 また、そんな残酷なことをする日本兵であっても、彼らは神に愛されている存在なのだと思うようになった。イエスは、ローマ兵が自分を十字架につけている最中に、そのはかりしれない苦痛の中で「父(神)よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」と言われた方だ。日本兵たちもまた、自分が何をしているのかわかっていなかった。どれほど神を悲しませ、苦しませる恐ろしい罪を犯しているのか、自分ではさっぱりわかっていなかった。しかし、そんな彼らのことをも、神は憎んでいたのではない。愛していたのだ。そう思うと、憎む代わりに、日本兵たちが一日も早くそのことを悟り、神さまのもとに立ち返ってくれればいいと願うようになっていった。リデルが教えてくれた「きみの姿勢が変わる」とはこういうことだったのか、と体験して初めてわかった。

 

 もし、祈らなければ、日本のことを野蛮で恐ろしい国という目で見続いていたに違いないと思う。ずっと後に、戦争が終わってオーストラリアで神学校に通い始めたころ、私は多くのクリスチャンたちが日本のためには祈りたがらないことに気づいた。彼らの気持ちはよく理解できた。それは自然な感情だ。しかしもし、自分の自然な感情に従うのではなくイエスの教えに従うのなら、憎んで当然の相手を愛するようになるという奇跡を神さまが起こしてくださるということを、私は体験したのだ。

 

 収容所という特殊な環境の中で、こんなにも大切なことを教えてくれたリデルは、私にとってかけがえのない教師だったが、彼の身には少しずつ恐ろしい変化が生じ始めていた。以前はできたいろいろなことが、だんだんできなくなってきていた。脳腫瘍の兆候だった。

 

 あるとき彼は自分のランニングシューズを持って、私に会いに来てくれた。彼独特のはにかんだようなぶっきらぼうな言い方で、「きみもその靴をかなりはきつぶしているようだね。また冬が来ることだし、僕のこの靴なら二、三週間はもつんじゃないかな」と言うと、軽くうなずいて私の手にその靴を押しつけていった。それはぼろぼろだったが、彼にとって非常に意味のある競技会で使った靴だったことを後に知った。あちらこちらにつぎはぎがあったが、それは彼自身が私のためにしてくれたことだった。脳腫瘍の症状に苦しめられながら、どれほどの苦労をしてそのつぎをあててくれたことだろうか。

 

 それから三週間ほどして、エリック・リデルは天国へ帰っていった。四十三歳という若さだった。私と、他にほんの十数人だけが、警備兵に伴われて墓地まで行った。私は彼がくれたランニングシューズをはいて棺をかついだ。殺風景な墓地の穴に彼の棺をおろし、寒さに震えながら収容所に帰る道すがら、私の心には複雑な思いが渦巻いていた。「これが中国にいのちを捧げた男の迎える結末なのか。妻にも子供にも死んだと知らせることさえできないなんて。ゴールドメダリストであり、聖人のような人物だったのに。でもいつかきっと神さまがエリックに栄誉を与えてくださるにちがいない。僕たちは今、とにかく収容所生活を続けていかなければならないんだ。きっとやるべき仕事が残っているんだ。神さま、もし僕が生きてこの収容所を出られる日が来たら、きっと宣教師になって日本に行きます」・・・・・・

 

****************************

 

スティーブン・メティカフ師はその後7年後に宣教師として来日し、それから38年間日本で宣教の奉仕しました。2003年10月に恵子ホ-ムズさんと共にアガペ和解の旅で向島捕虜収容所跡を訪問されました。主と共に試練の人生をかけぬけた若者たちの姿が胸中を去来したに違いありません。 

http://www.youtube.com/watch?v=jTf2h2ed-P4

 

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グリフィスと横井小楠

2013-08-16 13:17:03 | 歴史

http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php?file_id=13229

上記サイトにグリフィスと横井家の人々との関わりが述べられています。以下には日本論の核心というべき思想が引用されています。

http://holyspirit.blog.ocn.ne.jp/mmm/2008/01/we_5575.html

少年時代に、ペリ-の遠征艦隊の旗艦となるサスケハナ号の進水を目撃し、青年時代南北戦争に従軍し、ラトガ-ズ大学で横井家の子弟に教え、やがてフルベッキ(ヴァ-ベック)の仲介によって福井藩に招かれたW・E・グリフィスの著作、特に「皇国」はアメリカ人による唯一最良の日本解説書とみなされています。

しかし「ミカド-日本の内なる力-制度と人」The Mikad0:Institution and Person-が膨大な日本論のなかの集大成的意味をもっていると訳者の亀井俊介氏があとがきで述べています。(岩波文庫)

そして同時期に日本に滞在したラフカディオ・ハ-ン(小泉八雲)との相違を指摘されています。

「ハ-ンは日本文化の基本に”祖先崇拝"を見出し、西洋ではそれがすっかりすたれた後でも日本ではいまだに国民精神の中心となっていると感激している。ところがグリフィスの見方では”祖先崇拝”は主として中国から借りてきたのであり、現在でも同じく政治上の必要から利用されているものなのだ。そして彼は"祖先崇拝”の一表現たる"万世一系"などの理論を虚構として斥け、そういう虚構がいまだに通用していることを残念がって”日本人は、近代になしとげたすばらしい業績にもかかわらず、その知的あるいは倫理的幼稚さをまだ十分に脱していない”と批判するのである。」上掲著344ぺ-ジ

カトリックの教育を受けながら懐疑的になったハ-ンとオランダ改革派の影響下にやがて神学を学び牧師になったグリフィスの視点の違いが現わされています。

グリフィスは同著書において「明治時代の大部分にわたって、さまざまな思想傾向や党派が争ったが、それは結局、政治のモデルをアングロサクソンに求める者と、プロシアに求める者との争いであった。」と述べました。

この予言的言葉は日英同盟を破棄して三国同盟を締結し第二次大戦に突入する日本の歴史に現実化しました。

思想的にはドイツ告白教会やカ-ルバルトが総括したように民族的精神(ナショナリズム)を霊的普遍的精神に優先させ、霊的には新生なき人間主義の問題でありました。

新生とは聖霊の内住であり、おのが意思(魂)をそのもとにおくことであります。自我を主(あるじ)とすることをやめ創造主のもとにへりくだることです。それは個性や民族性を否定することではなく、かえって神によってその特性が生かされます。知性を殺すのでなくより高いレベルでの知性が生かされます。

日本民族が世界の中で尊敬され有用な役割を果たしてゆく、そのような可能性をグリフィスは横井小楠の中にかいまみたのではないでしょうか。

 

 

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聖霊の内住による復活

2013-08-06 09:20:04 | ゴスペル

遺伝子(DNA)の中にその将来の体質が組み込まれていることが解明されたわけですが、パウロはコリント第一の手紙15章において復活体について言及しています。

「神は御心に従って、それに体を与え、おのおのの種にそれぞれの体をお与えになります。」[28節]

「そして血肉の体があるのですから、御霊の体もあるのです。」[44節]と続きます。

生物の体は種子に依って形成されるように、復活の体も霊の種に基づいて形成されるというのです。

そして霊的いのち(ゾ-エ-)とは聖霊を宿した私たちの霊であります。

「もし、イエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたの内に住んでおらえるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなた方のうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かして下さるのです。」(ロ-マ書8章11節)

アダム以来、聖霊を内に宿したと明言された人物はイエス以外にありませんでした。聖霊の影響や力を受けた預言者や祭司、王は存在しました。しかし創造主を父と呼び、その神が御霊となって内に宿り同質のいのちをもって活きたお方は主イエス以外にありません。そしてその永遠の神の種に永遠の復活の体が与えられました。

ここに復活の真理と法則があります。

御子の贖いの血が私たちのアダム性、罪を清め取り除きますと、サタンは私たちへの支配権を失います。代わって神の御霊が私たちをご支配して下さり永遠の解放を受けます。

復活体は将来与えられますが、その遺伝子はすでに私たちの内に活きています。義とされ、新生した者は、古い自分に頼ろうとする習癖を十字架に釘づけし、内住の御霊に頼ることによって日々超自然の力を体験します。自我が砕かれることによって、聖霊ご自身が活動されるからです。

今日は原爆投下から68年目の記念日です。私は悲惨な被爆者たちを追悼するとともに再び次ぎのような元捕虜の証言を思い起こします。

「自己の体験に照らしてみても、諸事件に照らしてみても、もし原爆が広島と長崎に投下されなかったら、恐らく捕虜は、誰一人として生きて日本から帰れなかったであろう。この脅威的な爆弾の投下が日本人の心を覚醒させたこと、また特に我々捕虜の監視兵の心に、つねずね漠然と感じられていた不安がはっきりしたことである。

日本人はけっして私たちを理解しようとしなかったが、理解できぬものを不安視するのは自然の情と言える。

さらに重大なことがまだある。原爆の投下とそれが続くのではないかという恐怖、これこそ日本人をして降伏条件を受け入れしむるに至った決定的要因であったのだ、長崎に第二弾の投下される前に、日本がもはや長崎の再現に耐えられぬことを、なぜ天皇は自ら口にしなかったのか?

領土を荒廃させた爆弾であったが、原爆は連合国軍をして、日本への上陸を無抵抗梩にさせる結果となった。今かりに、連合軍が上陸に当たって抵抗を受け、戦闘を強いられたとしよう、日本人は我々捕虜を"絶滅する”ことは論を俟たない。ほかでもなく、神聖なる日本領土を汚す外敵を迎え撃つには、捕虜を養い、監視する暇などありえなかったからである。二個の爆弾が、その数万の犠牲者にもまして、より多くの人命を救ったことは、もはや疑う余地のない事実である。それは数万の捕虜のいのちはもちろん、数十万の連合国将兵の命、おそらく数百万に及んだと思われる日本人の命を救ったのだーつまり、天皇とその内閣が戦争の続行を決行したなら、間違いなく日本人は全員、文字通り最後の一兵まで戦ったはずである。」

(ジョン・フレッチャ-・クック著・江藤潔訳「天皇のお客さん-書かれざる戦史-日本捕虜収容所」徳間書店まえがきより)

POW研究会の笹本妙子氏は著書「京浜地区の捕虜収容所・中間報告書」序文で「核の行使はどんな理由があったにせよ絶対に許されるものではないと私は思っている。しかし、捕虜虐待が核のボタンを押させる大きな引き金になっていたということに、ぜひ注目しておきたい。」と述べておられます。太平洋戦争下で南方から連行された連合軍捕虜は約4万7千人、そのうち地獄船といわれた輸送船で1万1千人が死亡。3万6千人が日本にたどり着き全国130か所で強制労働にあたらされました。そして栄養失調と病気のため3千5百名が犠牲になりました。

平和式典では例年のように指導者たちは犠牲者を「御霊のかたがた」と呼ばれる。兵士たちは靖国神社では「英霊」と祀られる。ナチスに抵抗したバルトや告白教会は、神の霊よりも民族の霊魂を優先したゲルマンのナショナリズムに問題の本質をみました。それは皇国史観に基づく我が国の戦前戦中の思潮と相通じるものでした。聖霊の内住のないままでの人間性の神聖化であり偶像化です。

復活の希望がありませんから深層において徹底したニヒリズムの世界です。ゾ-エ-でなくプシュケ-(魂のみ)の世界です。

カトリック教徒の麻生副首相が「ナチスに倣う・・・」発言をされ、安倍総理は「天皇元首論・・」を検討されておられるとのこと。

ドイツはナチスの本質を総括し、謝罪し、モニュメントに非を刻み、それゆえにイスラエルにさえ尊敬されているといわれます。

反省と謝罪は遅すぎることはないといわれます。戦火の中、言語に絶する悲惨のなかで召された方々や今もトラウマで苦しむ方々を覚え、その犠牲を無にしないためにも二度とあやまちを犯さない者になりたいです。特に為政者が正しい判断力を与えられるよう祈らなければなりません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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霊の父

2013-08-01 11:25:20 | ゴスペル

アンドリュ-・マ-レ-は「永遠のいのちとは神のいのちそのものに他ならず、神が永遠の昔から御自身の内に持っておられ、キリストにおいて私たちに現わされたもので、いまやこのいのちはすべての神の子供への贈り物なのです。」と述べます。(マ-レ-の信仰入門・CLC出版10ページ)

聖霊の内住とは、霊Spiritである神が私たちの霊(spirit)に結ばれる時に与えられる超自然のいのち(ゾ-エ-)の状態(Being)です。

このお方を感謝してたたえる時に、ご自身が活動して下さいます。(Doing)

ヨハネはこのいのちを「神の種」と表現しています。

近年遺伝子(DNA)の研究が進んで、医療分野にも適用され始めています。かつてダ-ウィンが「種の起源」を書いて生物界に一大旋風をもたらしました。ルイセンコはメンデルの法則を否定して、環境因子が形質の変化を引き起こすと唱えスタ-リン政権下で「マルクス・レ-ニン主義の弁証法的唯物論を証明するもの」だとされ、これに基づく農法がおこなわれましたが、結果的に多くの餓死者を出しました。この学派によって追放され米国に亡命した種子学者たちが世界の一大穀倉地を生みだすことになったとも言われます。

ヨハネの言う神の種とは被造物のことでなく創造主であり霊である神のいのちのことです。

主イエスが内住の御霊の事実に立って「父と私は一つである」と宣言された時、それは当時の宗教家にとってあまりにも衝撃的な発言ととられました。聖なる創造主である超越者と被造物である人間の同質性はあり得ないことを知っていたからです。

しかし罪なき御子が聖霊を宿された時にその奇跡は実現したのです。そもそも神を父ということは考えられないことでした。父と言う場合創造主であることを超えて、そのいのちにおいて一つであること、遺伝子が同質であることを意味するからです。東方と西方に分裂する前のオリジナル三位一体論者アタナシオスはこのことを「神は人間になられた、それは人間が神とされるためであった。」と表現しました。(J・モルトマン「いのちの御霊Der Geist des Lebens」蓮見・沖野訳・新教出版436頁)

またアタナシオスは「私たちが聖霊を受けるために、み言葉は身体のかたちをとられた。人間が霊を持つ者になるために、神は身体を持つ方となられた。」とも語りました。(上掲344頁)

パウロは創造主とそのいのちの源泉である聖霊を「測りがたい富[口語訳では無尽蔵の富]」と述べます。

確かに被造物は有限ですが創造者には無限の資源があります。

最近中国の経済学者がキリスト教と経済発展に相関関係があるという論文を発表したそうですが経済学者K・E・ボ-ルディングの「経済学を超えて-社会システムの一般理論-」(公文俊平訳・竹内書店)やマックス・ウェ-バ-の著書はすでに解明していました。

真の活力はたえず源泉に立ち返ることに依って与えられます。創造主のエネルギ-が引き出されるからです。

永遠のいのちの川がその源泉である神の宮の中から豊かに流れるように祈ります。

 

 

 

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