主歴 (天皇暦) |
瀬戸内海・日英米交流おもな出来事 |
向島ゆかりの安保氏と日英交流及び海軍略史 |
1600(慶長5) |
ウィリアム・アダムスWiliam Adams(三浦按針)大分県臼杵市付近にオランダ船リーフデ号で漂着.家康の外交顧問となる |
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1620(元和6 |
幾何学、地理学、造船学などを教授しイギリス型の帆船建造にも携わった後平戸で病死 |
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1842(天13) |
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安保清康(林謙三)向島西村に誕生[祖先は宣化天皇・多治比王] |
1853(嘉永6) |
ペリー来航(ゴーブル・仙太郎乗船) |
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1859(安6) |
フルベッキ師長崎へ、シーボルトも長崎へ再来 |
18才 長崎で医師谷川春道門下 |
1860(万1) |
ゴーブル、宣教師として仙太郎と共に神奈川へ |
19才 蘭医ポンペイにオランダ語を学ぶがやがて英書を読み海軍術を治める。 |
1862(文久2) |
アーネスト・サトウ(後のイギリス人外交官)19才、横浜に到着。 |
後年、安保氏はアーネスト・サトウの日本語教師も務め友人となる。 |
1865(慶応1) |
英代理公使ウィンチェスター、諸大名の自由貿易を幕府に勧告。 9月英・米・仏・蘭4国公使、条約勅許・兵庫先開港要求のため軍艦を率いて兵庫に来る。 |
24才 西郷隆盛、坂本龍馬他と国分温泉場で会合、日本国防の急務を訴える。 長崎港停泊中の英国軍艦アゴス号ラオンド艦長に乗船を願い、刀を海に捨てて許可される。 |
1867(慶応3) |
10月将軍慶喜公大政を奉還。 12月幕府、薩摩邸を焼き、多くの薩士を殺害。 幕府の艦隊、兵庫港封鎖、西郷は怒って、懲罰の兵を起こすと朝廷に報聞 |
26才 薩藩のため軍艦「春日」を購入するよう島津久光公に進言。 坂本龍馬より内乱に関与せず、海援隊を率い日本海軍のため弟子を養成し大局に備えるよう勧告される。 11月14日、龍馬より急使を受け16日未明入京、旅館に着くや龍馬流血、石川清之助半死。某日、3人の遺体を鳥野辺に埋葬する |
1868(明治1) |
明治維新 7月17日江戸を東京都改称 |
27才 「春日」に乗船、兵庫沖で幕府艦隊と交戦、鹿児島に帰艦。 5月、英艦セルヴィア号で平戸と近海の測量を監督。 平戸武士の威嚇を受けるが紳士的態度で処し、後日和解して親友となる |
1873(明6) |
英国海軍少佐ダグラス他34名教育団着任。 「士官である前に紳士たれ」がモットー |
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1877(明10) |
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ハルでコルヴェット艦「金剛」2200トン |
1878(明11) |
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37才 勲4等。軍艦「扶桑」「金剛」「比叡」の設計者でもある英国リード議員の接待役 |
1881(明14) |
イギリス人H・ハンター Edward Hazlett Hunterが日立造船の前身大阪鉄工所(OIW)創立 |
40才 露国神聖スタニスラー一等勲章
海軍兵学校を東京築地から江田島へ移転 |
1894(明27) |
韓国に内乱、清国が軍を派遣したのに対して日
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本も京城に派兵、併せて黄海での海戦。 日清戦争勃発。 向島兼吉に松本帆布工場設立(資本金50万円) |
53才 長女操子が清種(きよかず)氏と結婚 |
1895(明28) |
日本軍、親露派だった韓国妃に対するクーデターを装い王宮に乱入し、王妃を殺害 |
54才 呉鎮守府司令官長に就任。勲一等受賞 |
1896(明29) |
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アームストロング社エルウィック造船所戦艦「八島」12320トン、巡洋艦「出雲」進水 |
1899(明32) |
英国スコットランドのアラン夫人寄付の「福音丸」がビッケル船長と共に瀬戸内海航海開始。
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ニューカッスル(タイン川)「初瀬」進水 新渡戸稲造「武士道」発刊 |
1900(明33) |
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ニューカッスル、戦艦「磐手」進水。 クライド河畔造船所戦艦「朝日」竣工。 11月、バロウ・イン・ファーネス ヴィッカーズ造船所戦艦「三笠」進水 |
1902(明35) |
1/30ランスダウン英外相と林駐英皓氏、ロンドンで日英同盟協約調印 |
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1904(明37) |
日露戦争 |
戦艦「朝日」で東郷氏のもとに安保清種氏 |
1910(明43) |
日韓併合条約 |
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1912(明45・大正1) |
大阪鉄工所(OIW)因島工場操業開始 7月、明治天皇逝去。バロウ教会で追悼式 |
バロウ・イン・ファーネスで戦艦「金剛」進水 |
1913(大2) |
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海軍南進論「国防理論」佐藤鉄太郎、八代六郎、安保清種 |
1914(大3) |
第1次世界大戦 |
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1919(大8) |
松本帆布(後収容所、現向島紡績) レンガ壁建設 |
12月「男爵 安保清康自叙伝」清種氏発行 |
1921(大10) |
12/13ワシントン海軍軍縮会議4カ国条約調印、同時に日英同盟条約終了 |
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1925(大14) |
松本など帆布工場が廃業 |
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1929(昭和4) |
船舶建造・修理の杉原鉄工所設立。 大阪鉄工所、向島での経営開始 |
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1930(昭5) |
ロンドン海軍軍縮条約調印 |
日本海軍、ドイツ海軍への傾斜 |
1939(昭14) |
第2次世界大戦始まる |
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1941(昭16) |
12月太平洋戦争へ。日本軍が真珠湾、マレー半島奇襲.米英に宣戦布告 |
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1942(昭17) |
3月 インドネシアジャワ日本軍侵攻、多くの英軍捕虜となる |
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10/22吉田丸(3千トン貨物船)2千人から2千5百人乗船しタンジョン・プリオク港出帆 |
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10/25シンガポール着・一部はタイメン鉄道建設へまわされた |
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10/30大日丸(6千トン貨物船)門司に向けて出帆(沈められた船から生き延びた者も数人加わった) |
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11/3サイゴン寄航 |
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11/11初めての水葬 |
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11月 中旬台湾の高雄3日停泊、死者多数火葬する |
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11/24 門司港外に投錨その後岸壁係留 |
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11/26 シャツと半ズボンで上陸 |
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11/27 尾道着100名向島捕虜収容所へ |
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12/3 Edward Daniels氏(32)死去 |
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12/4 James E. Higginbotham氏(20) 死去 |
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12/6 Ernest Campbell氏(21) 死去 |
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12/11 Federic C.G.Brightwell氏(35) 死去 |
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12/13 Eric C. Price氏(22) 死去 |
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12/15 William J. Prince氏(20) 死去 |
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12/15 Albert C, Stratford氏(34) 死去 |
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12/23 Charles H. Wood氏(27) 死去 |
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12/24 Daniel J.S Duff氏(24) 死去 |
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12/26 Clifford Boadman氏(33) 死去 |
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12/27 Charles B. Russel氏(21) 死去 |
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12/28 Francis.J. Smith氏(32) 死去 |
*2003年ご子息J.Alan.Smith氏よりお便り、文通 |
1943 (昭18) |
1/ 9 Harold T. Parker氏(29) 死去 |
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1/19 Arthur R.Davies氏(32) 死去 |
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1/21Harold E. Haley氏(27) 死去 |
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1/23 Robert Moses氏(33) 死去 |
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2/20 Jhon C.Smith氏(19) 死去 |
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2/27 James Kenwright氏 (37) 死去 |
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3/ 4 Wilfred Greaves 氏(22) 死去 |
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3/ 9 Leonard E. Fryer氏(31) 死去 |
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3/25 Kennes F. Cope氏(29) 死去 |
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大阪鉄工から「日立造船」と改称。7経営下にあった向島船梁株式会社と大阪の原田造船株式会社を吸収合併し前者を向島造船所、後者を大浪造船所として操業開始 |
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1944 (昭19) |
1/ 7 John F.O.Yateman氏 (27) 死去 |
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9月アメリカ兵捕虜116名がフィリピンより収容所へ |
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1945(昭20) |
2/13 アメリカ人捕虜 Scott.Bernard.George 氏死去(埋葬は米本国) |
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8/6広島被爆 |
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8月William Forsyth氏死去(埋葬は本国) |
8/8日本海(?)上空でB29機撃墜され、搭乗員10人(内将校4人)捕虜として原爆投下後の広島に抑留(8/6放送)。8/20向島到着 |
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8/15終戦 |
援助物資の投下の際のパラシュートで住民協力のもとに星条旗が製作され、戦後はじめて日本の本土にひるがえった。現在この国旗はヴァージニア州のフォートリーに開館されたクウォーターマスター・ミュージアアムQuartermasterMuseumに保管されている。 |
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9/12収容所解散 |
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1947(昭22) |
向島中学校創設 |
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1946(昭21) |
12 向島町荒川家で深美師、重井教会沢野正幸師クリスマス会 |
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1951(昭26) |
10 福音丸日本人船長小野一良師着任 |
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1952(昭27) |
9 アメリカ人宣教師ノア・S・ブラネン師、尾道山白氏別荘へ |
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1954(昭29) |
2 向島小歌島に宣教師館完成 |
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1956(昭31) |
4 中本仁一師 9月 G・ゲーノー宣教師着任 11月基督教向島(向島キリスト)教会設立 |
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1964(昭39) |
スウエーデン宣教師ヤンソン師着任 |
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1965(昭40) |
松本昌子師(後に関東学院長)着任 |
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1967(昭42) |
2 アメリカ宣教師プレドモア師着任 |
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1968(昭43) |
4 向島教会大沼武師着任 |
向島大橋開通。尾道大橋開通 |
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尾道千光寺にキリスト教備後共同墓苑竣工 |
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クリスチャン・エデュケショナル・センター (ピアノ・英語会話他)開設 |
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1972(昭47) |
9 ダビデ幼児園開設 |
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年 |
和解とモニュメント建設への歩み |
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1969(昭44) |
8月因島収容所におられたジョン・フレッチャー・クック氏(「天皇のお客さん」書かれざる戦史-日本捕虜収容所・著者・1971徳間書店訳江藤潔訳)(The Emperor's Guest1942-1945 by sir John Fletcher. Cook :Hutchinson of London 1971) 広島、松山、善通寺、尾道、因島訪問。 |
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1983(昭58) |
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因島大橋開通 |
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1984(昭59) |
4/16 元捕虜ヒュー.S.ハーパーさん(66:北アイルランド・ベルファースト市)友人の元小学校長H.Yマクナーさんと共に観光旅行の途中、向島訪問。近藤和夫氏案内。(写真土本氏。) |
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1985(昭60) |
向島教会南沢師着任 |
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1997(平成9) |
10/3 アガペ「心のいやしと和解の旅」恵子ホームズさんと共に元捕虜の方々収容所のあった因島訪問 |
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1998(平10) |
11/2 ウィドレークさん他元捕虜とご家族24名が恵子ホームズさんと共に来訪。広島平和公園での礼拝後、向島幼稚園、向島紡績、日立造船向島工場見学のあと、向島教会で日英合同記念礼拝。 |
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1999(平11) |
瀬戸内海宣教100周年(小豆島オリビアン) |
西瀬戸自動車道(しまなみ海道)全通。 新尾道大橋開通 |
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2000(平12) |
7月 ロンドンでの合同メモリアル礼拝に尾道より松浦氏、吉田氏、溝淵氏出席。南沢、スイスのローザンヌ、ジュネーブへ(ジュネーブ条約国際赤十字創立者第一回ノーベル平和賞受賞者アンリ・デュナンの出身教会見学) 10/10 アガペ一行広島市への途中、尾道に一泊され、「しまなみ海道」「平山美術館」見学 |
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10/10 広島市への途中、「アガペ」ご一行尾道に一泊され、 |
「しまなみ海道」「平山美術館」見学。 |
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2001(平13) |
「モニュメントを建てる会」発足 |
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3/5,15ドキュメンタリー工房鈴木社長他取材 |
*後日、ニュースステーションで放映 |
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10/10 ジョン・アブンズさん、孫娘キャサリンさんと共に来訪。日立造船、向島紡績、役場表敬訪問、高見山見学 |
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2002(平14) |
1/19 第7回発起人会 |
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3/18因島・尾道オーク植樹式。夕メモリアルプレート除幕式。その後歓迎夕食会 |
「忘れないように」フレッド・シーカー著 小林皓志訳出版 |
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19 日英友好モニュメント・ミニパルコ時除幕式・オーク植樹 |
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6/20 恵子ホームズさん講演「和解の働き」(向島教会) 21 町長、教育長訪問の後、運動公園オークの木をみて福山YMCA「平和学習会」出席後神戸へ |
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7/30南沢夫妻・土本氏和解の旅のためロンドンへ |
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2003(平15) |
1/8 ハロルド・ベーカー氏孫マッシュー・モリシーさん田中景子さん来訪 |
3/6アメリカマサチューセッツ大学大学院生松浦正浩氏を介して、マイク・ニキータ氏より、父であるB29操縦士クリス・ニキータ氏が向島平田家から頂戴した日本刀を返還し、ドキュメンタリー番組で取材するため来日したいとの連絡を受けたが実現できないままにいる。 4月、平和教材「時の翼」(教育委員会)出版 |
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7月、前町長杉原孝一郎氏夫妻ロンドンへ和解の旅。 10/22アガペ一行24名交流中央小学校訪問 |
ロンドン在住教育家ターナー敦江さん(向島出身)にレンガ破片を調査のため届けていただく。 10月恵子ホームズ著「アガペ」いのちのことば社 |
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2004(平16) |
3/18日英グリーン同盟2周年レセプション (イギリス大使館) |
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2005(平17) |
3/11-12、アガペ24名因島、向島訪問。高見小学校交流会。 9/17、米国人元捕虜マーティン・ザップ氏夫妻来訪。(テレビ朝日取材) |
御調郡向島町は尾道市に編入 6月、土本寿美氏「ふるさと、いまとむかし」 写真集出版。 7/30 関東学院六浦中高生キャラバン、モニュメント見学及び平和学習 |
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2006(平18) |
10/9、アガペ21名来訪。10日は修道大学で交流会 |
因島市、豊田郡瀬戸田町は尾道市に編入 3/18土本氏「ふるさと、いまとむかし-カメラと共に歩んだ戦後60年-」写真集出版 |
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2007(平19) |
10/15-17、アガペ8名来訪。瀬戸田の博愛幼稚園、向島高見小学校で交流。 |
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2008(平20) |
3/24、ウィリアム氏他4名、小峰氏と共に来訪。 4/23-27、トム・フィリップス氏、イアン・プリチャード氏(ベルリン在住)因島と向島で交流。
10/25-27、ポーラさんと妹のコリスさん「潮風」に滞在、モニュメントや火葬場を訪問。(毎日の黒岩氏、中国の佐々木氏取材) |
「時の翼」教育員会の許可を得て「アガペ尾道の会」で再版。 8/9北川直実氏YK編集者、落合由利子氏、室田元美氏と共に兼吉の林原敬子さん、取材 |
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2009(平21) |
尾道退職女性教職員の会、紙芝居「大きくなれオークの木」製作 9月、溝淵氏ロンドンでガペの交流 |
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2010(平22) |
4月、トウンカンクップ師向島教会着任 7/14、アメリカ人アンソニー・ゼンデヤス氏(18才・「バターン死の行進」を題材に「ひとり芝居」を演じる)メモリアル・プレート見学。 10/19、アガペ、8名来向、交流。 11/24、アガペ・恵子ホームズさんとオランダ人女性、Lore Riding さん(父親が山口県の本山で捕虜生活) |
10月、南沢夫妻ヴァージニアのリフォナー家に滞在、ノースカロライナに「仙太郎」著者パーカー師訪問、ワシントンD.Cに隣接するアーリントン国立墓地訪問。 |
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2011(平23) |
3/11東日本大震災
12月、小林氏、元オーストラリア兵捕虜と家族が岡山大学の中尾准教授と学生20名と交流。 文学部一年生の村上奈津美さんは向島中央小学校5年生の時、2003年10月22日の元イギリス兵捕虜一行と交流をされていた。 |
6月、カルヴィン・パーカー著「仙太郎」日本語訳出版。 9月(?)エドワード・マリコースキー著「ブラザーズ・ヒーロー:第二次大戦の日本の捕虜・フランシス・マリコースキーのペンシルバニア、キングストンから日本、向島への予期せぬ旅」(英文)出版 9月、POW研究会、小林氏、徳島鳴門のドイツ記念館・坂東捕虜収容所跡見学 |
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2012(平24) |
1/28、日英友好式典10周年・プレート保存の会 3/18、式典10周年日
10月、恵子ホームズさん一行来訪予定。
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年表、記録整理 |
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イスラエルはその罪のためにバビロニア帝国に滅ぼされ70年間の捕囚時代を余儀なくされました。
それは長い悔い改めの期間でありました。
我が国も第二次世界大戦での敗戦から70年経過しました。
その間の約二十年、日本人が犯した侵略と皇民思想と偶像崇拝の罪について悔い改めさせられ、元捕虜の方々への謝罪と和解のために
協力いたしました。
戦後の70年は、不信仰の霊の支配下にありました。
しかし、解放の時が来たと思います。信仰の霊、聖霊が注がれる時が来ました。
バプテスマのヨハネは主の通られる道を備えよと叫びました。
今、創造霊がお通りになる道を開けなければなりません。
outside to inside の道でもあり、同時に inside to outside の道でもあります。
すなわち私たちの霊に住まわれた聖霊が、心の思いを満たされ、言葉となって現われて下さるのです。
そして人々の霊に触れ、神のいのちを与えられ、永住されます。
主の再臨の前に、我が国はバプテスマのヨハネの役割を担う一つの国になるとも予言されています。
主ご自身が、全能の御力と溢れる愛をもって、働いて下さり永遠の解放をもたらして下さる時が訪れました。
http://blog.goo.ne.jp/jrc-2010
尾道向島のメモリアルを訪ねた時の写真がありました。
http://www.333.ecnet.jp/20031022.htm
解体されたレンガの一部が熊野市紀和町の
墓苑に使用されたとのアガペワ-ルドの報告がありました。
10日ゲストと共に鳴門市の賀川豊彦記念館とドイツ館を見学しました。
特に第一次大戦下のドイツ兵捕虜に関する史蹟の保存と研究に感銘を受けました。
以下のサイトでもその一端がうかがえます。
http://homepage3.nifty.com/akagaki/indexb.html
この俘虜名簿の中に以下のように記されていますので引用します。
「123) <!--[endif]-->Helm(ヘルム),Wilhelm(1891-1951):第3海兵大隊・予備伍長。1891年10月8日横浜に生まれ神戸で育った。母親は日本人で、12歳の時死別した。父ユリウス・ヘルム(Julius Helm)は1869年に来日し、和歌山藩の兵学指南を務めた。廃藩置県後、神戸でヘルム兄弟商会を興し、東京、大阪、京都にも支店を置き、日本人を100人ほど雇用していた。1914年8月、神戸から青島に応召した。11月6日の戦闘で腕部を負傷して捕虜となった。日本語の方がドイツ語よりも達者で、収容所では通訳を務めるなど重要な役割を担った。ヘルムには青柳久子という名の日本女性から頻繁に、それも「水茎の跡麗しい」英文の手紙が届いた。熊本時代の1915年1月14日、父ユリウスが細工町の西光寺収容所に収容されていた息子ヴィルヘルムの面会に訪れた。その折り、炊事場の改良費として50円を寄贈した。久留米時代の1916年7月19日、タウディエン(Taudien)とともに逃亡したが、国分の日吉神社付近で捕まって二人は重営倉30日に処せられた。この事件は真崎甚三郎所長と警察側との対立を引き起こして大問題となった。同年9月新設の青野原収容所へ収容所替えになった。青野原には兄のジェームス・ヘルムが時々面会に訪れたようである。解放後は横浜に住んだが、第二次大戦後の1947年、家族とともにドイツへ送還された。1951年、ヴィースバーデンに没し、翌年本人の遺志に添って遺骨は横浜の外人墓地にへ移された【参照:『新聞集成 大正編年史』大正三年度版下、787-789頁及び『ドイツ軍兵士と久留米』152頁】。神戸出身。(3368:熊本→久留米→青野原)」
実は15日に、フルベッキ写真の研究家の一人、神戸のサンメディアの横山社長から電話をいただき、「ジュリアス・ヘルムJulius.Helmの伝記-西郷隆盛と写真を撮った男-」という本が翻訳出版中で、それにもしかしたら西郷の写真があるかもしれないとのことでした。
ジュリウス(ユリウス)氏のお孫さんによる著書で西村氏による翻訳とのことです。
マイクロソフトスカイドライブは「ワンドライブ」と改名されました。アカウントを登録すると無料で7GBまで使用できます。以下の文はオンラインで編集したものをコピペしまたものです。
「被造物は罪によってサタンの支配下に陥った。したがって本来の姿に復帰させるために
は、贖い、代価を支払って買い戻される必要がある。
その代価は罪の汚れのない聖い血潮が必要であった。
主が十字架で注がれた血潮である。
自然界も同様にサタンの死の支配下にある。
自然界の一部である人間の肉体も同じ運命にあるから、贖いに必要がある。
霊同様に、体や心も4次元の攻撃を回避する必要がある。
罪とは、被造物依存であり、また自我依存でもある。
この地上的被造物信頼と依存がサタンのもたらした偶像礼拝であり、ここにサタンの介
入の窓口がある。
十字架は罪の清めと共に、この被造物崇拝と依存に終止符を打つ。
すなわち、創造主である聖霊依存へと切り替えるのである。
つまり、聖霊の介入へ門戸を開く。
死が私たちに働くとは、自我依存あるいはこの世依存に死んで、創造主に向き合い、そ
の働きに心を開くことである。
主とその贖いの血に依存する道筋にそって、聖霊が歩まれ奇跡の業をなされる。 」
http://izoku-okayama.jp/jigyo_gohokoku/1183.pdf
26日の安倍首相による靖国参拝は内外に大きな波紋を巻き起こしました。遺族会の方々の多くが首相の参拝を望んでおられることから国内的にはやむを得なかったことかもしれません。
しかし大戦で甚大な被害を受けた隣国の方達にはやりきれないに思いがあるに違いありません。
ドイツはナチズムの総括をなし、過ちを明らかにし、謝罪に努め、その結果近隣諸国そして600万人以上がホロコ-ストによって虐殺されたイスラエルでさえもドイツを信頼するに至ったと言われます。
日本では当時の国体思想の根底にある霊的本質が戦後も継続されているために、相対視し、客観視することが難しく、いまだに歴史認識があいまいです。
先進世界では礼拝は創造霊である神にのみ捧げられますが、祖先崇拝の傾向がある我が国では死者を御霊とか英霊と呼んで、祈りの対象にさえします。
メモリアルやモニュメントは歴史的史実を記し、亡き人を追悼し、偲ぶものですが、日本語になると慰霊碑と呼ばれて、しばしば拝む対象(偶像)になる危険性を帯びます。
そのような宗教的文化のなかで首相の靖国参拝がなされたことが、諸外国に不安をもたらしております。戦争の犠牲になった日本人兵士と遺族の方々も共に考えてみなければならないことではないでしょうか。
マインドコントロ-ルからの解放は情報を開示し史実を明らかにすることが大事なそうです。特定秘密保護法と今回の靖国参拝がリンクされないよう願います。
賀川豊彦記念館での講演で瀬戸内海国際巡礼ル-トについて語らせていただきました。第二次大戦だけでも日本全国に130か所の捕虜収容所がありました。捕虜たちは地獄船といわれた貨物船で南方から搬送されてきました。生き延びて到着した3万6千人が各地で強制労働に従事し、3千五百余命が若くしてその地で死亡しました。http://www.powresearch.jp/jp/index.html
捕虜問題は原爆投下の引き金の一因でもあるとも言われます。岡山遺族会の訪問団同様に、世界的巡礼団を迎えて犠牲者たちを追悼することは真の和解と平和に貢献することになります。
いつの日か総理が、一国だけでなく、広く世界の犠牲者に思いをはせ、賀川豊彦が描いたような世界連邦的視野に立ったリ-ダ-となることを期待する者です。
バルトは自叙伝(佐藤敏夫訳・新教出版)で語りました。
「私は特に芸術的な天分がある訳でも芸術的教養があるわけでもなく、救済史と芸術史のいかなる部分とも混同したり同一視したりしようとは思わない。モ-ツアルト音楽の黄金の音色と調べは、若い時代から福音としてではないが、福音において啓示された神の自由な恩寵の比喩として私に語りかけて来たー繰り返しすばらしい新鮮さを持って、このような音楽なしには、私は神学と政治の両方において個人的に私を動かしているもの、またここで二、三のことを述べようとしたこの十年間の生活をも考えることはできないであろう。カルヴァンとモ-ツアルトの像がお互いに並んで同じ高さでかかげてある神学の研究室は、ほとんどないであろう。」
http://www.youtube.com/watch?v=P6riJuxfPIY
http://www.hiroshimapeacemedia.jp/mediacenter/article.php?story=2013041610505371_ja
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.yomiuri.co.jp/e-japan/hiroshima/news/20130415-OYT8T01186.htm
http://0845.boo.jp/times/2013/04/20213907.php
日英米友好メモリアル除幕式次第(Program)
2013年4月15日(月)午後2時
司会 小林氏
1. 賛美“Amazing Grace” クップ師
2. 挨拶(謝辞・経過報告)尾道赤レンガの会・南沢代表Acknowledgement & progress report by rev. Mitsuo Minamizawa
「本日は英米国人捕虜の方の追悼メモリアルのため貴重なご時間を割いてご列席して下さった皆様に心から感謝申し上げます。特に米海兵隊岩国航空基地の司令官スチュワート大佐、他2名、イギリス領事のフィシャ-さんご出席いただいたことは光栄に思います。中央小学校4年生のみなさんと先生ありがとうございます。海兵隊は2011年3月の東日本大震災と津波の際には、真っ先に駆けつけてくださり被爆の危険も顧みずに救済に尽力してくださり、一日本人として心から感謝します。日本人の最初の海兵隊員は瀬戸田町出身の仙太郎で漂流中、米国船に救助され、1853年ペリー司令官と共に黒船に乗って浦賀沖に同行しました。本をお読みください。この地は戦後日本で初めて米国国旗星条旗がひるがえった地であります。投下されたパラシュ-トの布で捕虜の方々が地元の日本人の協力で国旗を製作し、向島、尾道を行進しました。星条旗は軍人博物館に保管されているとのことです。日本を開国に導き、第二次大戦においては民主主義国家として再生する道を開かれた事をも忘れられてはならないことです。向島教会は戦後遣わされたブラネン宣教師によって始められ今日に至っております。11日にカリホルニアで天に召されたとのことです。私自身その後遣わされた米国人宣教師によって導かれてキリスト者となりました。11年前の時点では英国人捕虜の死亡は確認できましたが、当時読んだ資料では米国人の死者はゼロであるとのことでした。しかしその後、小林さんや今日列席され、英国エリザベス女王から勲章をいただいたPOW研究所代表の笹本氏スタッフにより、一名のアメリカ人、Bernard George 氏が過酷な捕虜生活の後、1945/2/13 脚気でこの地で死亡されたことが明らかにされました。おりしも、昨年、元捕虜収容所の旧レンガ塀の解体により、メモリアルの移設の必要が迫られ、左側に移設するとともに、右側に、ゆかりのレンガを旧向島紡績山白政治郎氏より提供いただき、170×65㎝メータ―のステンレス名板をはめ込むメモリアルを設置することになりました。エブリイ、ヒマワリ、ダイソウかくス-パ-の深いご理解と協力を賜り、小林氏が碑文の製作、光名板によるステンレス部の製作、大畠商会による施工によって完成することが出来ました。設計に当たっては建築デザイナ-細谷和良氏、安井謙介氏他のご指導をいただきました。エブリイ、村上鈴子氏加藤慈然先生他から、丸善製薬みなさまからの尊い寄付をたまわったことを感謝します。レンガの購入やケレン作業のためボランティアをして下さった方に感謝します。また報道して下ったメディアのみなさんに感謝し、さらなる和解と友好を願って列席者のみなさんに心からの感謝と共に挨拶とさせていただきます。尚、敷地については尾道大学や園山氏の協力をいただいて完成の予定です。恵子ホ-ムズさんの足型設置や運動公園で育っているイングリッシュオ-クのドングリを培養して植える案などもありますのでよろしくお願いします。
3. 聖書朗読・祈祷・メッセージ-島田師 仏教による法要-加藤師他
Bible reading by rev. Mr. Shimada & Buddhist memorial service by priest Mr. Kato
4. 除幕――米国側スチュワート司令官、郷力副市長、猪原「エブリイ」店長
英国側:フィシャー総領事、住田自治会長、小学生・大磯さん、今岡さん
5. 献花(Flower offering)――米国側:スチュワート司令官、小学生・大磯さん
英国側:フィシャー総領事、小学生・今岡さん
6. 来賓挨拶( Guest speakers)――郷力副市長、スチュワート司令官、フィシャー総領事、
杉原市会議員、笹本POW研究会代表、小学生代表、大出あおいさん
7. 来賓紹介
宮澤賢治の弟の孫 宮澤和樹氏他
8. 記念撮影(集合写真)