創造

創造主とセルフイメージの世界

後醍醐天皇の心と竹島問題

2013-10-15 21:10:44 | 政治と信仰

南北朝時代は現代を読み解く一助になります。

http://www.youtube.com/watch?v=tsEr2kxLgvQ

ところで後醍醐天皇が済州島に流された時、韓国魚船に助けられて

移動した時発見したのが竹島だという説があります。

功績のあった彼らに対して新政権は冷遇をもって答え、そのことを

悔いた後醍醐よんだ歌があります。

「なからふるかいこそなけれあふことにかへぬいのちのこるつらさは」

竹島は本来、日韓の友好の島だったのです。

思えば2011年の3・11の前日、日本政権にも激震が走りました。

民主党の良心を代表するクリスチャン議員の方々の離党でした。

理由は日韓の議員の友好会議の後の声明文に、竹島が韓国領

であるとの一文が挿入されていたことを見落としたことでした。

確かに、軽率であった非は責められなければならなとしても

世論やメディアのバッシングは厳しいものでした。

列島は大震災に見舞われ、やがて民主党は政権を譲ることになります。

マックスウェ-バ-は政治は政治は心情倫理ではなく責任倫理に

基づかなければならないと語りますが、隣国にたいして過去に与えた心の傷

を無視した外交は危ういと思います。

ドイツはかつての非を認めることによって、イスラエルからさえ信頼を得ている

ことを思えば、従軍慰安婦の問題や捕虜虐待の事実を謙虚に認め和解を求める

ことこそ、日本古来の誇りある道理であると思うのです。

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