創造

創造主とセルフイメージの世界

贖われた良心

2024-08-18 15:22:12 | 福音

【へブル書10章19-39節】

旧約時代、地上において神が宿られたのは幕屋、神殿であり、神に近づくために、贖いとして清い動物の血が流されました。新約時代になってその宮は主ご自身であり、主の十字架上での血の贖いは私たちの最も深い「良心」に及ぶことになりました。

日本語で良心と訳されますが原語では「ある事柄を神と共に知るconscience」という意味です。

ですから「霊」を指しているともいえます。従って「邪悪な良心」とは、闇の霊が私たちの霊を捕らえて告発する状態を意味すると言えます。

外的に問題がないように見えても、潜在意識下で「良心の呵責」に苦しめられているのが私たちの真相ではないでしょうか。エペソ書2章には「あなた方は自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、その頃は、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って歩んでいました。」とあります。

主は「なぜ良いことについて私に尋ねるのですか。良い方は一人だけです。」(マタイ19・17)とも語られ、人間としての相対性と聖霊の絶対性を示唆されました。人間の良心或いは霊は絶対的なのでなく、聖霊と共にあることによってのみ正常なのだと教えられたのです。サタンの誘惑によって自己絶対化という被造物礼拝に陥ったことを原罪と言います。独裁者やカルトの教祖がその典型ですがアダムのすえとしての私たちも他人事ではありません。そして偶像礼拝は悪霊による心に傷をもたらします。

 

主の十字架の血による代価は、至聖所ともいえる深みを清め、根源的な傷を癒されます。

主の贖いにお頼りする時、聖霊に触れられて永遠の霊の解放がなされるのです。 

 さらに御霊なる神は、私たちの内に住まわれて、私たちに代わって良い業をされます。本来、律法は、神あるいは天使による祝福を受けるためでした。しかし自分を絶対化することで、その恵みを妨げて、サタンや悪霊の支配下に陥りました。神は、エジプトの捕囚からモーセを通してイスラエルを贖いだしました。かもいと門柱に塗られた小羊の血が民を守ったからでした。

幕屋の聖所、至聖所を清める際にも小羊の血が注がれました。

 

私たちの霊、心、体に聖霊の祝福を受けるために日々の主の血潮の清めが必要です。

主の血潮は敵の告発を退け、御霊の働きを解放します。

29節に記されているように、自分を守り祝福してくださる主の血と御霊を軽んじ、頼らないなら恵みを捨てることになるのです。

内住の神こそが喜びであり誇りであり、より頼むべきお方です。

自分の思いが絶対正しいと思うのでなく、祈って聖霊様の思いを第一にし、明け渡して霊・心・体そして生活すべてに主に介入して働いていただきましょう。

エペソ5章16節「機会を充分に生かして用いなさい」は別訳「時を贖いなさい」であり、主の活動のチャンスとして全生活の時或いは場所を主に明け渡すことが勧められているのです。

 

やがて弱い体も贖われて、大自然界の贖いと共に栄光の体によみがえる時が約束されています。

私たちは被造物全体が今に至るまで、共にうめき共に生みの苦しみをしていることを知っています。そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たちも、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。」(ロマ書8・22,23

カルバリの十字架

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村田若狭・フルベッキ・上野彦馬写場

2024-08-10 19:41:47 | 福音

 

佐然賀藩の家老であった村田若狭がフルベッキ宣教師から洗礼を受けたのは1866年(慶応2年)5月20日ペンテコステの日でした。フルベッキ書簡集(高谷道男編訳・新教出版)にはミッション本部に送られたフルベッキ自身の詳述があります。

ところで本の口絵にある写真の説明(キャプション)には「村田若狭(前列中央)と二人の子息、後列は村田の家臣たち【慶応2年上野彦馬撮影】」とあります。

しかし何故か、以下のように同じ写真の説明には「文久元年(1861)長崎において」とあります。

上野彦馬撮影局について長崎市新大工町の歴史には

正徳元年(1711)旧鋳銭所(中島銭座)に孔子を祀った儒教のお堂である長崎聖堂が規模を拡大して移転してきた、とあります。

  慶応元年、江戸町にあった洋学所は元長州蔵屋敷跡地に移され、「済美館」と改称、明治元年には元奉行屋敷跡を修理して

 「広運館」と改称。洋学局のほかに国学と漢学を新設。同2年漢学局を中島聖堂内明倫堂に移しました。

 (長崎県教育史95頁)

  

*中島聖堂由来記長崎聖堂と長崎盲唖院 — 「中島聖堂由来記」を中心に | tomotake kinoshita (tmtkknst.com)

の略図(往時の中島聖堂)を見ますと奇妙なことに孔子の聖廟が北西部から南西部へ移されていること、北西部の敷石の配置がフルベッキ写真写場のそれと一致しております。

尚、文久2年(1,862)、中島鋳銭跡地に日本初の上野撮影局が開かれた、とあります。

 

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裂かれた神のパン

2024-08-04 18:47:59 | 福音

【ヨハネ福音書 6章22-63節】

モーセを通して与えられたマナは「天使のパン」と言われ、イスラエルの地上での生存を助けました。

イエス様は「神のパン」であり、永遠のいのちの糧となられました。

主を信じて、受け入れると私たちの中に、神のいのちの源泉である主ご自身が活きて働かれます。

 

つくられた人体には、空気と水と食べ物が必要です。

ニコデモには霊(ルーアッハ)と同じ語源の息(風)を通して、呼吸によって酸素が肺から血液に取り込まれて細胞を成長させるように、神の霊Spiritは私たちの霊spiritsを新生させて、永遠の神的生命を与えることを教えられました。

 

4章ではサマリヤの女性に、永遠のいのちの水について話されました。人体の60パーセントは水分であるのに、乾燥地帯であるイスラエルでは水の貴重なことと同時に、永遠のいのちの水について語られたのです。

永遠の泉である御霊が注がれると私たちの霊がよみがえり、さらに神殿から水が湧き出て川となって流れ出すように、神の宮とされた私たちから永遠のいのちの川が流れ出ると予言されました。

「すべて乾いている者は私から永遠のいのちの水をただで受けなさい」とあります。

 

被造物としての人体は、同じ被造物である新鮮な空気や水や食べ物を呼吸器官や消化器官などを通して内側に取り込まれて、健康を維持します。旧約聖書では食べ物について厳しい規定があり、けがれれた動物や昆虫は禁止され、清い生物のみが食されました。なかでも祭司は捧げられたものを食べることが命じられました。食べものが人間性を形成するという「プットインプットアウト」の原則です。もちろん新約時代は祈りによってすべてが清められますから、主の贖いと食前の感謝の祈りを通してすべての食が許されています。

6章で、ご自身が「神のパン」であることを明らかにされます。

「手のひらを太陽に」の作詞家、やなせたかしさんはアンパンマンという漫画で知られます。

アンパンマンは飢えた子供にパンである自分の顔の一部を裂いて与えるヒーローです。

クリスチャンであったヤナセさんは、戦争時の食に飢えた子供たちの悲惨を見、そしておそらく最後の晩餐で主がご自身の体の象徴であるパンを裂かれて弟子たちと食事をしたことや聖餐式から暗示を受けられたのではないでしょうか。

主は「私はいのち(ゾーエー)のパンである」と語られ、たびたびパンを裂いて弟子たちに与えられました。

 十字架上で自らの体を裂かれて、血を流されることを予言されたのです。父なる神は、引き裂かれる思いで御子を世に下されました。そして主が十字架上で体を裂かれて血が流された時、神殿の至聖所と聖所を隔てる幕が真っ二つに裂けました。

天が裂けて、神のいのちである御霊が私たちに注ぎ込まれることになったのです。

 造られた被造物は、有限であり永遠のいのちの糧にはなりえません。

永遠の創造主が、ご自身を与えてくださることによって、私たちに神的生命が分与されます。

それは無尽蔵の富であり、朽ちることのない生命です。

新聖歌102

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