[ルカ福音書2章]
トントントン、今晩一泊したいのですが。あいにく部屋は満室です。ほかをおさがしください。
トントントン、今晩の宿を探しているのですが。すみません。お客さんでいっぱいです。
トントントン、妻がたいへんなのですが泊めていただきたいのですが。あいにく、空き室がありません。
あー家畜小屋なら空いています、それでもよろしかったら。
身重のマリヤさん、見守る夫のヨセフさんはどんなに心細かったでしょう。
自分の居場所がないということは本当につらいことです。東日本大震災の被災者がそうだったように、今、ウクライナの人々は家を壊さり、寒さの中で暖房もなく震えながら過ごしています。
神の家族がベツレヘムにたどり着いたものの、困ったのは、落ち着く先でした。やっと見つけたのは馬小屋でした。これが飼い葉おけから十字架へという御子イエス様の人生がはじまりでした。
後に主は、空の鳥、野の獣には宿るべき巣があるが自分には枕するところがない、とも語られました。
シメオンによるマリヤへの不思議な預言が35節にあります。「剣があなたの心さえも貫くでしょう。それは多くの人の思いが現れるためです。」
メリークリスマス(クリスマスおめでとう)なのに、なぜイエス様の十字架で流される血を現わすポインセチアの赤や茨の冠を指すギザギザの葉のヒイラギ(柊)を飾るのでしょうか。
それはイエス様こそが、私たちを清めて、神を宿す永遠の宮に変えてくださるからです。
どのようにして、でしょうか。本来人間こそ神を宿す神殿のはずでしたが、罪に落ちた人には住めず、幕屋に住まわれました。
私たちの心は世のものでいっぱいで、神の居場所がないのです。時間的にも自分の事で忙しすぎて、創造主に心が向かないのです。
一番大切な自分の造り主を無視し、迎い入れる余地がなく、追い出そうとします。
主の生涯と十字架は、このような人間の姿を照らし出だすのです。
イエス様の処女降誕の奇跡は、バプテスマと共に聖霊なる神を宿されたことで証明されます。
罪ある人間が神を宿すことは不可能だったので、神の子自らが、人となられて、神の宮としての本当の人間の姿を示されました。聖霊は主の中に宿り、創造の力を現わされ、ついに死を破り、復活の体を与え、栄光の中に昇らせました。神の永遠のいのちを体現されたのです。
その神のいのちを私たちにも与えてくださるために、この世に現れてくださったのです。
十字架を見上げる時、自分の真の姿を知らされます。神を無視し、逆らう自分の心が明るみにされます。それと同時に「父よ。彼らをおゆるし下さい。」という主の血潮の叫びを聞きます。その時に私たちのすべての罪が洗われ、清められて、心が創造主の霊に開かれます。両手がもので一杯ならどうしてプレゼントを受け取ることが出来ませんが、へりくだってただ主をお頼りする時に聖霊が注がれます。
聖霊は創造主であり、無尽蔵の富、この世にない宝、神のいのちです。
「主よ。私の罪を赦し、清めてください。」と祈り、そして「聖霊様私の内に宿ってくださり、私の中で神のいのちと力で活き、働いてください。」と共に祈りましょう。
今日、あなたは永遠のいのちというプレゼントを手に入れます。本当にクリスマスおめでとうございます。