創造

創造主とセルフイメージの世界

罪と言う借金の返済

2012-10-29 20:51:31 | ゴスペル

主イエスは十字架上で罪と言う負債(借金)の肩代わりをされました。現在でも永遠の血が日々私たちの罪を帳消しにしてくださいます。ですから主の十字架に依存する時に、日々私たちの心は良心のトガメとサタンの告発から解放されて喜ぶことが出来るのです。

借金がゼロにされるのは、半分の恵みです。それだけではなく通帳には無限の富が振り込まれます。

聖霊なる神をプレゼントされるのです。創造主なる御霊をいただくということは、この世の全ての財宝を手に入れるよりももっと豊かな富を得ることです。なぜなら創造者はすべてを造るお方だからです。

主イエスは十字架上ですべてを赦されました。それは感傷的なことではなく、主は自らが永遠の命の源、聖霊をお持ちでしたから、復活を確信しておられました。サタンは一時的に主の肉体を殺すことが出来ても永遠の霊のいのちを奪うことは出来ませんでした。創造霊に依ってさらに完全な復活の肉体を受けられたのです。

赦しはこの絶対的ともいえる恵みをうけるところに成立すると思います。害を受けてその傷がいつまでも残るなら果たして人は加害者を赦すことが出来るでしょうか。

一時的な損傷を受けても、それがいやされより良いものに修復されることによって赦しと和解が成就します。

より大いなるものを得ることに依って、小さな損失を気にしないでおられます。

創造主なる神の切なる願いは、御自身を私たちにお与えになることです。

日本国は世界一の借金国です。その額は日々かさんでおります。罪もそのままにしておけばその重荷がまし加わってゆきます。やがその重荷が私たちを押しつぶすのです。

主に立ち返って、すべての罪の借金を返済していただきましょう。このためにこそ主はこの世に人として生まれてくださいました。血はいのちであるとありますが、主の血は神に血でもあります。

その永遠の血が注がれたということは神のいのちが注がれたということです。

私たちは罪の赦しと同時に聖霊をいただくことによって、創造主の永遠のいのちをもいただくのです。

驚くべき恵みです。

神から申し出られているこの恵みを日本人が受け入れてゆくときに、日本国の負っている巨額な借金もいつしか解消されてゆくに違いありません。

 

 

 

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交流ニュース

2012-10-26 10:20:11 | 捕虜レクエム

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201210240027.html

 

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Agape 2012 in Onomichi

2012-10-25 13:35:09 | 捕虜レクイエム

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10月16日中国新聞報道と日英交流会

2012-10-17 21:48:10 | 捕虜レクイエム

http://www.hiroshimapeacemedia.jp/mediacenter/article.php?story=20121016105600817_ja

                               2012年10月15日

                               アガペ日英交流会

                               世話人 南沢満雄

                                (090-7596-1224)

                                                        m2762mmm@gmail.com  

                                  

                                     小林晧志

                                                                (090-6415-1641)

                                                       colin3467@mpa.seto.ne.jp

元イギリス兵捕虜とその家族の人たちを迎えて

―交流会などのご案内―          訂正版                  

 

   第二次世界大戦中、東南アジア各地で日本軍の捕虜となった元イギリス兵捕虜とその家族ら6名が近々日本を訪問いたします。この訪日団はロンドン在住の恵子ホームズさんを団長とする一行で、10月15日から29日まで日本に滞在し、日本で亡くなった捕虜たちの追悼式を行ったり、また各地で住民の方たちとの交流を行ない、数日間を日本で過ごす予定にしています。

 

  広島地区(含む尾道)の予定は別紙の通り10月23日(火)と24日(水)ですので、お気軽に交流にご参加下さいますようご案内申し上げます。

 

1.      文化ホール向島での交流会

日時:10月23日(火) 15時00分~16時30分

会場:向島文化ホール(こころ)2階  

内容:捕虜関係者3名による戦争体験、質疑応答他

 

2.      合同夕食会

日時:同上日時で、18時30分~約2時間

会場:グリーンヒルホテル尾道(0848-24-0100)

会費:1人4000円。参加される方は10月21日(日)迄に南沢か小林迄ご連絡下さい。

 

以上

 

 

 

 

 

Itinerary of Agape World Pilgrimage of Reconciliation

                14―29 October 2012              訂正版

         アガペ訪日団スケジュール    

 時

       内  容

    ホテル他

10/14(日)

19:15ヒースロー空港発(JAL402)

 

10/15(月)

15:00 成田着

16:55 成田発→18:15伊丹着、電車で京都に行く。 

ザ・パレスサイドホテル

(075-415-8887)

10/16(火)

13:00 京都観光

同上

10/17(水)

京都のホストファミリーと買い物他

ホームステイ

10/18(木)

12:33 京都発(オーシャンアロー17)→16:50 新宮着

17:30瀞流荘着(マイクロバス) 

瀞流荘(0597-97-1180)

10/19(金)

9:30 入鹿鉱山跡、鉱山資料館→千枚田(棚田)

同上

10/20(土)

10:00 追悼式(イルカボーイズ16名の墓地)

同上

10/21(日)

10:00 キリスト教礼拝(教会にて)

午後:船で渓谷めぐり

同上

10/22(月)

9;00瀞流荘発(マイクロバス)→新宮

10:31 新宮発(黒潮16)→14:50新大阪着

15:22新大阪発(さくら563)→16:13岡山着

16:51岡山発(こだま749)→17:42新尾道着

→18:15頃ホテル着(マイカー3台)

グリーンヒルホテル尾道

(0848-24-0100)

10/23(火)

9:30ホテル発(マイカー3台)→10:00瀬戸田博愛幼稚園着、園児と交流会→11:30多々羅しまなみ公園のレストラン夢岬にて昼食

13:00レストラン発→13:30日英友好のモニュメント見学

15:00~16:30市民交流集会(向島文化ホール2階)

18:30合同夕食会

同上

瀬戸田博愛幼稚園

(0845-27-0173)

 

多々羅しまなみ公園のレストラン夢岬(0897-87-3866)

 

向島文化ホール(こころ)

(0848-25-4073)

10/24(水)

9:03新尾道発(こだま731)→9:32広島着

→大型タクシー(3台)にて平和公園

12:30~14:00昼食(お好み焼き)→広島駅

15:10広島発(さくら556)→16:44新大阪着

17:13新大阪発(ひかり530)→20:03品川着

グランドプリンスホテル新高輪(03-3442-1111)

10/25(木)

AM: 買い物、PM: 英国大使館

同上

10/26(金)

AM: 買い物、PM: ソフィア大学

同上

10/27(土)

AM: 英連邦戦死者墓地、PM: 横浜三溪園

同上

10/28(日)

10:30保土ヶ谷キリスト教会

同上

10/29(月)

11:45成田空港発(JAL401)→

同日15:25ヒースロー空港着

 

注:各地の詳細スケジュールについては各地で準備下さい。日本語版作成:小林(090-6415-1641)

Agape W

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超学習法

2012-10-13 21:35:29 | 神学

野口悠紀雄氏には「超勉強法」「超整理法」「クラウド超仕事法」などと超と言うタイトルの著書が多い。

インターネット、英語、数学、モデル(方程式)などのキーワードが目を引く。私なりに解釈すれば溢れる情報をいかにまとめて整理し、具体的な活用と発信能力が現代人に求められているといことになる。

これはまさしく神学のテーマでもある。歴史を聖書と言う物指しに依って解釈し、その定理を自分の生活に適用してゆくのが霊の学問だから。

野口氏はモデルは単純であるべきだと説かれる。確かに神学とは創造主と自分、そして他者との関係に集約される点で単純明快である。

すなわち私たちは創造主の自己贈与の愛の申し出の中に生かされていて、第一ステップの受肉と贖罪としての神の愛を受けいるるとき、同時に聖霊なる、いわば神の分身を、われわれの至聖所である霊に与えられ、創造主をもつという驚天動地の恵みにあずかる。

そして、創造主自らが私たちの内で祈り(永遠の三位一体の交わり)、歌い、語り、活動されるという生活体験をする。

主イエスが「すべて重荷を負っている者は、私のもとに来て、私に学び、私に倣えば荷が軽くなる。」と語られた通りに、聖霊にゆだねた生き方は4次元の力で生き、問題を自分の力を越えた創造主の能力で処理するのである。

文字通りの超仕事法でもある。

「主を恐れることは知識初めである」(箴言1の7)とあるように真の知識は創造主に起源がある。

被造物を認識することは、ある程度可能であったとしても、創造主ご自身を知り、この方と交わり理解するには同程度のいのちと能力が必要である。例えばペットである犬や猫は人間と同じ哺乳類であり

ある程度、分かりあえるところがある。しかし彼らの理解はその限界の範囲でしか我々を理解しえないのであって、遺伝子が違うということは、そこに越えられない絶対的ともいえる壁があるということである。

創造霊なる神と被造物である人間の間にはそれ以上の断絶が横たわっている。しかしこの壁を創造主の側から打ち破り、私たちのもとに来られたのが御子なる神であり、私たちの内に永遠に住まわれて神の永遠のいのちを供給されるのが聖霊なる神である。

「光に依って光を知る」とあるように、神のいのちを生きることに依って神を知るのである。

野口氏はパラシュート式数学学習法を推奨する。結論からプロセスを振り返る、頂上からふもとを眺めるという方法である。

神学的にいうと神の高みから世界と自分と人生を理解するということだ。内に住まわれる永遠の宝であられる聖霊なる神と共にいと高いところにおられる父なる神と復活の主と語らい、そこから全被造物を理解し対応することである。

あたかもモーツアルトがしたように天上の愛と喜びと平安から始めるのである。

哲学者の三木清は「幸福を武器とする者は敗れてもなお幸福である」と語った。

永遠のいのちは絶対的幸福であり勝利である。

この世を貫く永遠の方程式、それは創造主なる神は人間を愛し、人間の中に御自身を住まわせ

御自身と同じ至高のレベルのいのちで生きてほしいと願われていることである。

これは天使も預かり得ない驚くべき恵みである。

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摂理史観 providential viewpoit of history

2012-10-09 09:50:58 | 歴史

聖書の歴史観は摂理史観といえるかもしれません。

原罪とは創造主に頼るべきところを被造物に依存することです。

従って創造主への帰依を促すために、一時的に私たちが依って立っているところを

取り去ることが許されます。これが試練であり、破壊者の活動が許される理由です。

お手本としての十字架の道とは、まさにそのプロセスでもあります。

パウロはサタンのもたらす自分のトゲを取り去ってもらいたいと祈りましたが

神の答えは力は弱さの中でこそ働くというものでした。

自我への依存を砕かれると、自分の深いところ霊に住まわれる聖霊に依存します。

その結果、神の超自然の力が働きます。

苦難に依って己の限界に直面する時に、御霊に依存するようになります。

その結果、練られた品性である御霊の性質の愛、喜び、平安などの神の子

としての性質が現われてきます。

つまりサタンは私たちを高ぶらせ、神から引き離し、そして破壊の力を行使

したのですが、まさにそのことに依って神の御業を呼び起こしたのです。

創造主がこの世に下られたのは、この世が罪とサタンに支配されたからでした。

創造主であられる聖霊が働かれるのは、人間が自分の力でサタンに抗しきれずに

助けを求めるときです。

自分に絶望してこそ、自分を越えた神の子としての新たな自分を発見します。

器の中の宝は、その器が壊れかけた時に光り輝くでしょう。

ナルドの壺が砕かれた時に、油が注ぎだされたように。

主は、人となられて聖霊の衣をまとわれました。十字架において主は私たちの罪の衣を

まとわれて、御自身の聖なる衣と交換してくださいました。

ここで、創造主が御自身を私たちに与えられ、住まわれるという驚くべき奇跡がなされるのす。

神はその救いを受けて神の永遠のいのちを受け取ってほしいと懇願しておられます。

 

 

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主の二面性・神として、人として

2012-10-06 13:37:11 | ゴスペル

神としての主の働きは我々のもとに来られわれわれの罪を負われた代罰者、贖罪者です。

同時に真の人としての主は御霊の御力によって苦難の十字架を忍ばれて復活された勝利者です。

この降下(受肉)と栄化(復活)がわれわれに罪の許しと神の子としての新生をもたらします。

苦悩は試練でありますが、自己依存という肉性(罪性)から神依存(霊性)へと成長させる助けとなります。

従って、甘受すべき艱難と退けるべき艱難を識別する力を祈り求める必要があります。

負うべき十字架なのか、不必要な苦難なのか?

私は戦争責任としての、元捕虜との和解に協力していますがどこまでが負うべき十字架なのかしばしば戸惑います。

一つのヒントは「もし兄弟に恨まれていることを思い出したなら、供え物をそこに、祭壇の前においたままにして、出て行ってまずあなたの兄弟と和解しなさい。それから来て、その供え物をささげなさい。あなたを告訴する者とは、あなたが彼と一緒に途中にある間に早く仲良くなりなさい。そうでないと告訴する者は・・・・・・」(マタイ5の23-)

霊的な次元から解釈すると、恨みや赦せない心には告訴する憎しみが作用して、そこにサタンが連動して神に訴えられた場合に、サタンに支配権を奪われることになりかねないという意味ではないでしょうか。

せっかくの友好関係も破壊されるということです。

「もしあなた方が人を赦すなら、私もその人を赦します。私がなにかを赦したいなら、私の赦したことはキリストのみ前で赦したのです。これは私たちがサタンに欺かれないためです。私たちはサタンの策略を知らないわけではありません。」(第二コリント2の10)

ここでも告訴する側の心にサタンが乗じて、聖霊のお働きを妨げようとするとあります。

相互に傷つけあいながら生きざるを得ない私達をいやされるのは十字架上で最も深い傷を負われた主とその血潮であり、内に住まわれる御霊であります。

 

 

 

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目に見える世界は見えない次元から影響される-神学のすすめ

2012-10-04 19:20:20 | ゴスペル

3次元界に生きている被造物は4次元(spirit:霊)の作用と支配を受けています。

心で感じる理由なき不安はしばしば悪しき霊の訴え、告発に起因しています。

ヨブ記に見られるように、破壊の霊サタンとは日夜、人間の罪を神に前に告発する存在です。

それが一旦認められると、その支配権を行使し始めます。

アダムの背反によって、サタンは人の霊を支配し、以後、霊を失った人間は心と体も死の霊に

服するに至りました。

人となられた罪なき神の御子は、聖なる神の霊を、御自身の霊に迎えることに依って

神のレベルのいのちを回復されました。永遠の生命(ゾーエー)です。

創造霊が、人の内にあって、被造霊を制することになりました。死がいのちに飲み込まれた

のです。

しかし罪ある人間は依然として、サタンの告発を受け、その支配を受けます。

そこで、主がなされたのは、罪の告発と責めを自らが負ってくださることでした。

肉を裂かれ血を流された十字架刑は断罪の執行であり、最も恐ろしい刑罰でありました。

主は私たちに代わって、それを甘受されました。

この主に頼る時、その十字架に免じて、私たちの罪は赦され清められ取り除かれます。

そして、サタンの告発は、ここですべて却下されます。つまり、私たちの霊を支配していた

滅びの力から脱却し、私たちの霊は創造霊に触れその住まいとなり永遠のいのちへ

よみがえります。創造主と同質のレベルに引き上げられるのです。

しかし、心と体は依然としてこの世に生きています。けれども神は、霊魂が幸いであるように

心と体においても幸いであることを願われます。

心と体そして環境においても、サタンの支配下に生きることを望んでおられません。

「御子イエスの血、すべての罪より我らを清む」とありますように、私たちは日々、主の贖いの血の

力に依り頼む必要があります。

悪霊が罪を訴えて私たちの心を支配しようとしても、「父よ彼らを赦したまえ」という十字架上の主の叫びがサタンの訴えと支配を退けられます。

体と環境に襲いかかろうとして、激しく訴えられるとき、より激しい主のとりなしの祈りに頼るのです。

創造霊が私たちの霊から泉となり川となって祝福してくださるでしょう。

神は私たち永遠のいのちを与えたいと願っておられます。

御自身を私たちの内に住まわせ、私たちの内で共に生きることを願っておられます。

 

 

 

 

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