創造

創造主とセルフイメージの世界

抵抗できない恵み

2016-07-29 15:26:09 | ゴスペル

信仰とはあ申し出られた恵みを受け取る手であるといえます。神が提供されたのは最愛の御子であり、比類のない恵み、

御自身を与えんとする愛です。十字架のよる罪の赦し、そして神自身である聖霊の内住と永遠の生命(ゾ-エ-)は信仰と共に私たちに実現されます。

つまり、信仰させられ、祈らされて恵みを受け取ります。真の信仰は人間が作り出すものでなく、創造主から与えられるものです。外圧という言葉で表現されるかもしれません。恵みは上から、外側から私たちに注がれ、そして内側に生きるのです。酸素を吸収することによって、血液中でいのちの一部となって働くように、創造主の霊は私たちの内側で永遠の交わりと働きをなさります。

主体は神であり、私たちは信頼と依存をもってゆだねるだけであります。自我は抵抗し、恵みに逆らいますが、神の恵みには測り知れない力があります。先日も、マルクス主義者である方が、ついに信仰告白されて近くの海岸でバプテスマを受けました。やっと、肩の荷が取り去れた気持ちだと言われました。

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創造されたことと、新たに生まれたこと

2016-07-14 09:43:55 | ゴスペル

全ては創造主によって造られました。つまり一般恩寵のなかで生かされている訳です。しかし、神はご自身のいのちを人間にお与えしようとして、この世に来られました。厳密な意味での親子関係は、遺伝子の共有において成立します。創造主としての神が、父なる神と呼ばれるとき、そこには新生という奇跡がなされています。神によって造られたことを超えて、神によって生まれたという特殊恩寵です。

超越的ないのちの質的変換があります。一般恩寵においては、例えば長寿や繁栄のように、創造の延長線上における恩恵が強調されます。しかし、それはあくまで被造物としての幸いであります。死を超えた復活のいのちではありません。神から生まれる永遠の生命は神と同質性をもち、創造主の内部に生きるいのちです。聖霊の内住という神ご自身の直接的介入がもたらすものです。

生まれつきの自然のいのちは、罪によってサタンの支配下に陥り、霊が死んだ状態でした。「神が死んだ」とニ-チェは語りましたが、それは、彼の霊が死んだので、創造主である霊Spiritを認識できないという意味です。その思想を継承したヒットラ-はゲルマン民族の至上性をたたえ、その自然的生命を絶対化しました。時を同じくして日本帝国では皇民化思想のもとに大和魂が謳歌されました。

今日でも、日本での「御霊」は「死者の霊」すなわち被造霊を意味します。しかし世界の常識では聖書の通り、創造霊Spiritであります。ナチスと対決せざるを得なかったバルトは、当時のドイツを覆っていた霊的混沌、霊のよどみを憂いました。そして聖霊による新生の重要性を訴えました。大戦後は霊的まどろみを警告し続けました。

神を父と呼べることの恵みの大きさに改めて感謝する者です。 

 https://www.youtube.com/watch?v=nTDNcOnzK6U

 

 

 

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