信仰とはあ申し出られた恵みを受け取る手であるといえます。神が提供されたのは最愛の御子であり、比類のない恵み、
御自身を与えんとする愛です。十字架のよる罪の赦し、そして神自身である聖霊の内住と永遠の生命(ゾ-エ-)は信仰と共に私たちに実現されます。
つまり、信仰させられ、祈らされて恵みを受け取ります。真の信仰は人間が作り出すものでなく、創造主から与えられるものです。外圧という言葉で表現されるかもしれません。恵みは上から、外側から私たちに注がれ、そして内側に生きるのです。酸素を吸収することによって、血液中でいのちの一部となって働くように、創造主の霊は私たちの内側で永遠の交わりと働きをなさります。
主体は神であり、私たちは信頼と依存をもってゆだねるだけであります。自我は抵抗し、恵みに逆らいますが、神の恵みには測り知れない力があります。先日も、マルクス主義者である方が、ついに信仰告白されて近くの海岸でバプテスマを受けました。やっと、肩の荷が取り去れた気持ちだと言われました。