創造

創造主とセルフイメージの世界

アーネスト・サトウ1872年(明治5年)長崎で写真撮影の後、尾道の灯台視察

2010-12-29 20:04:32 | 歴史

「遠い崖-アーネスト・サトウ日記抄9」岩倉使節団(萩原訳)315ページより

 「 1872年(明治5年)12月20日(陰暦11月20日)早朝に出発。

 まもなく頂上に雪をいただく周防と芸州の山々がみえてくる。

午後1時、尾道到着。電信局を視察。電信がここでとまる原因は、この局をあずかる男、ないしその友達が、機械をいぢ繰り回すためであると判明。

・・・・。」「尾道は茣蓙(ござ)の産地として有名で、その生産量は他のどの地域よりも多い。このほかに、小ぶりなむしろも大量に生産されている。図柄は一般にはなやかである。この町の戸数は一万、非常に繁栄している模様である。錨を作る鍛冶屋を多数見かける。」

「山に上り、観音を祀る千光寺を訪ねる。うつくしい三重塔がある。これらの建物の塗装が新しいことと、外観が小ざっぱりしていることと、この二つから判断すると、尾道の住民と、ここを訪ねる参詣者は、私が訪ねた日本のどの地方よりも、仏教の信仰心が篤いといえるかもしれない。御影石の玉砂利をふんで頂上に上がると、前方にすばらしい海の眺めがひろがる。正面に向島が見え、この島と本土のあいだを長く細い水道が走っている。すぐ背後の渓谷の中を抜けて、内陸に向かう立派な道が通っている。右手の三原の方角は、海岸線に連なる高い山並みにさえぎられて眺望が利かない。」

 

「写真は長崎で1972年12月(陰暦11月)に撮られた写真・大隈重信も同席(慶大高橋信一准教授写真提供)」

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ダビデの星・六芒星

2010-12-22 21:00:46 | 福音

 

 

ダビデの紋章はイスラエルのシンボルであり、古来六芒星と言われて日本の大和国家の紋章の一つでもあります。

東方からの三人の博士たちは、星に導かれて、ベツレヘムの救い主を探し当てました。

六芒星(ろくぼうせい)は、クリスマスの真実に私たちを導いてくれます。

すなわち、御子イエスの生涯を照らし出しているのです。

マタイ福音書22章43節-45節

”イエスは彼らに言われた。「それでは、どうしてダビデは、御霊によって、彼を主と呼び、

「主は私の主に言われた。『わたしがあなたの敵をあなたの足の下に従わせるまでは、

わたしの右の座に着いていなさい。』」と言っているのですか。ダビデがキリストを主と

呼んでいるなら、どうして彼はダビデの子でしょう。”

ここでは御子の誕生以前1000年前にイスラエル建国の王、ダビデが聖霊によって

創造主のもとに引き上げられ、創造主なる父が創造主なる御子に語られる声を聞いた

ことが記されています。

神の家族の中の永遠の交わりであり、対話であります。

ダビデの星は逆三角形と正三角形の交叉を意味します。

前者は創造主なる神が人として下降し、被造物の姿をとられること、

後者は人が御霊によって高められて神の御座に昇華されること。

受肉と栄化であります。

アタナシウスは「神が人になられたのは、人を神にするためであった。」

と述べました。もちろん、人間は創造主ではありません。しかし、

御子が人になられ、人間の中の神性を御霊によって回復され、十字架と復活

によって私たちに聖霊を住まわせ、霊のいのちをよみがえらせることによって

失われた永生を回復してくださったという意味において、私たちは神のいのち

(種)を受けたのであります。

逆三角形は、また天にみ父と御子がおられ、地に住む私たちには聖霊なる神が

宿られて活動しておられることも意味します。

そうしてみますと、ダビデの星、六芒星は、啓示に満ちた紋章であり、

伊勢神宮の同じ紋章の謎も解けてくるのではないでしょうか。

逆三角形はいわば受肉を祝う西方教会の信仰と神学のシンボルであり、

正三角形は神化をたたえる東方教会のシンボルであるからです。

人と成られた御子イエスの生涯にこの二つが融合されています。

神はご自身を私たちに惜しげもなく与えようとされるお方です。

私を、あなたの中に住まわせ、その重荷を私に負わせてほしいと

語っておられます。

あなたには手に負えない、サタンや病や死があなたに襲いかかるとき

私にその戦いを戦わせてほしいと願っておられます。

金銭的に困窮しているならば、私という無尽蔵の富を、あなたの中に

迎え入れて、永遠の富を手に入れなさいと呼び掛けておられます。

劣等感にさいなまれるとき、私の超自然の能力に依存してみなさい。

あなたの中で私が、人知を超えた力となって現われますと語られます。

 

 http://www.youtube.com/watch?v=DEPkzJkrw-Y&feature=related

 

 

 

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12月17日「スポーツ報知」新聞にフルベッキ写真カラー版掲載

2010-12-17 17:17:22 | 歴史

フルベッキ写真は不思議な写真だとつくづく思わせられます。

昨日も、井浩郷さんにお電話でお聞きしました。

実に、横井小楠、そしてその子供、横井時雄牧師の

ご子孫です。

http://www.natural-cma.com/rekishi.html

 

写真に映るとされる江藤新平について、

「江藤南白」を読みますと、家系は「高見王より出づ、

高見王九代の孫 千葉常胤、関東の名族たり、源頼朝

を助けて功あり、後九州探題となり、遂に肥前国小城郡

晴気保(保とは其郷某庄と云うが如く、当時の行政区域

なり)を領す、常胤の三子常房、常房の子原四郎常宗、

常宗より六世岩部兵部三郎常正、常正の四子六郎左衛門

胤晴、是を江藤氏の祖と為す。胤晴建武元年を以て、千葉

大隅守胤貞と共に肥前国子城に来たり、子孫この地に住す、

・・・・・」

広島県郷土誌「御調郡誌」230頁によれば

「千葉氏ー栗原赤城主―

常胤の後裔下総国千葉に住す、満胤の子重胤

應氷三十三年小弓御所足利義明に属し、又上杉将軍に

従う軍敗れて陸奥守春胤千葉介胤直と共に本国を去り

肥前国子城に下り客侍と成る(一説奥州栗原に住すこと

五代)数代の後直則(胤敬か又は親胤)備後栗原に住す、

毛利元就に属す永禄三年五月

 

 

 

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17日「スポーツ報知」新聞にフルベッキカラー写真紹介

2010-12-17 16:53:27 | 写真

Bulubeki1

横井小楠、横井時雄ご子孫

井上浩郷氏ホームページ

http://www.natural-cma.com/profile/index.html

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いのちと認識

2010-12-13 20:29:33 | 歴史

トレルチという歴史家は「人は現在の体験を通してのみ過去や歴史を認識する」と語りました。

つまり、私たちは自分で見たことや聞いたことでなければ、信じられないということなのでしょう。

問題は、自分がどれほどの体験と洞察力をもっているかということです。

勝負事でも、自分以下の実力は認識できますが、自分以上の相手の力はかいもく検討がつかないものです。

人間理解、あるいは自然観察も、それなりの認識力、観察眼が要求されます。

たとえば、動物が人間や自然をどのように見ているかということは興味深いことです。

ある爬虫類には不動の物体は目に入らないらしいです。

ところで私たちは被造物として、被造物を観察し、認識する訳ですが、創造主なる神を認識する

にはどうすべきでしょうか。

ここで、人間のいのちの限界を知らされます。神は神のいのちとその認識力によってのみ理解

されます。

神にして人である主イエスを知ろうとして、多くの歴史的研究や考察がなされています。

それは「現在の自分の体験と理解力」によってなされています。

しかし、神を知り主を理解するためには、神のいのち(ゾーエー)をもちそのレベルからでなければ

真の姿を理解できません。

「聖霊によらなければ誰もイエスを神の御子と信じることはできません」とあるとおりです。

永遠のいのちとは創造主のいのちそのものであります。

「誰でも新しく生まれなければ神の国を見ることはできません」と主が言われたように、創造主から

生まれるという体験によって、創造主とその永遠を知覚(霊で認識)することが可能になります。

聖霊の認識力によって、聖書が神の書であり、歴史は主の物語(His Story)であることが分かります。

 

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Merry Christmas

2010-12-10 10:55:27 | 福音
http://www.youtube.com/watch?v=vBezK_v_FqY&feature=related
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板ばさみdilemmaと突破break-through

2010-12-06 11:33:17 | 福音

NHK大河ドラマ「龍馬伝」が終わりました。

悲劇的な結末でありましたが、私は「板挟み・ジレンマ」

を思い浮かべました。

あるいは『かけ橋』というべきでしょううか。

二つの時代、あるいはその潮流の狭間に生きる者の

宿命と言うべきでしょうか。

開国と、植民地化を逃れるための王政復古による独立。

武家と公家の和平を願う公武合体派と武力闘争を説く

倒幕派の抗争。薩長の同盟。

いずれも、相反するものの間に立たされて、なお両者の

期待に答えなければならないという重荷であります。

かつて戦国のキリシタン武将、高山右近が主君の命令と

相反する教友、宣教師たちの願いをかなえるために

自らの生命を信長の前に投げだそうとしたように

「かけ橋」は「板挟み」と裏腹のものでしょうか。

日本との和解を願う英国の元捕虜の方々は

本国ではしばしば裏切り者として冷たい視線を

浴びることがあると聞きました。

日本人として謝罪と和解に献身しておられる

恵子・ホームズさんは日本で辛辣な批判を受けられた

ことがありました。

二つの間を結び和解の働きをしようとするとき

自らに手痛い傷を負わなければならない不条理に

直面します。

それは、神と人の間にかけ橋を築こうとして、義と愛の

板挟みとしての十字架を負われた御子の姿にその

極みがあります。

人間はこの不条理に耐えることができません。

御子はどのようにしてその痛みと重荷に耐えられた

のでしょうか。

聖書には「御霊によって」とあります。

十字架とは一面において人の力の終焉を意味します。

ただ祈ることしかできません。

しかし、その時こそ、聖霊なる神が働かれる

チャンスの時です。

十字架は復活の先がけであります。

人が終わるとき、神が現われます。

私たちのうちに住まわれるお方は

人の弱さの極みにおいて奇跡を行わ

れます。

それゆえに、今、さまざまのジレンマ、板挟みの中に

ありますなら、主を見上げ、重荷をゆだねるよお勧め

します。

あなたが突破するのでありません。

あなたのうちにおられる御霊なる主が

その全能のみ力をもって、事態を解決

してくださるのです。

人が私たちを期待するのは、限りある私の力を頼っている

のではなく、わたしたちののうちにおられる大いなる

方に期待し、望みをおいているのです。

 

 

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カラー・フルベッキ写真・ 髪型と服装・家紋と刀の柄

2010-12-02 17:56:07 | 写真

被写体の武士髪型が全員、

勤皇思想を持つ者の特徴があげられる。

次に服装であるが、マントらしきものを着ている二人、

西郷と岩倉と推測される被写体。

家紋については

http://www.harimaya.com/bakumatu/baku_011.html

を参考に、陸奥宗光の家紋はほぼ間違いないと思われる。

勝海舟と推定される人物の家紋は、勝家の剣花菱の文様

と一致するかどうか検討を要する。

刀の柄(つか)模様から身分を推察できるとも考えられるが

岩倉具定のものが白地である以外は特別な違いはみられない。

明治撮影説を支持する研究家の多くは、佐賀藩の学校における

岩倉兄弟を歓迎する入学祝い、もしくわフルベッキ師を東京に

送る記念会の場面と想定するので、勢いほとんどの被写体は

佐賀藩の洋学生であると推測している。

他方、慶応元年撮影説の研究者は、維新を願う勤皇の志士たち

の集合写真と考える。当然、西郷はじめかなりの薩摩武士、長州

の桂、大村、高杉、伊藤などもいると推測する。土佐藩の龍馬や

中岡慎太郎、そして、福井藩からの横井一族と日下部太郎もみら

れるとする。

さらに大室寅之祐という人物が写されているとの推測が浮上するに

及んで、近代日本史上、真実を解明するための極めて重要な写真

とされている。

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