創造

創造主とセルフイメージの世界

光の神学

2011-01-30 14:36:54 | 神学

「光」によって「光」を知る、見る

ガリレオもニュートンもアインシュタインも

光に魅せられ、光について追及しました。

創世記1章にあるように、神と宇宙の媒体

が光(エネルギー)なのかもしれません。

ヨハネ福音書1章では、御子は光そのもの

であったとあります。

神であると同時に被造物としての人間、

それが主イエス・キリストです。

太陽の光線がどのようにして、私たちに

届けられるのでしょうか。

輝かしい光は、すべての惑星を焦がし、

ただ地球のみ、生物を生かします。

それは成層圏やオゾン層が、私たちの

生存にふさわしい光線にして届けて

くれるからです。

神の光は、御子を通して注がれることに

よって、私たちの霊に、到着し、宿られます。

御子によって、現在、すべての人々に

聖霊は光線のように注がれています。

しかし、多くの人々は、シェルターを閉めて

暗い、暗いとつぶやくのです。

サタンと罪が共同戦線を張って、心に被いを

かけております。

聖霊と十字架の血潮への依存が、このカバ

ーを取り去って光である復活の主に出会わせ

て下さるのです。

内に住まわれる光が、光を見させ、永遠の

光の交わりを与えてくれます。

太陽の光線が、粒子としての熱エネルギー

でもあり、波長でもあるように、

神の光は無限のエネルギーであり、いのち

そのものであります。

 

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多層的複次元的見方

2011-01-28 19:09:36 | 文学

ハーモニーに富んだ音楽は、どこから生み出されたのでしょうか。

ロマン・ロランがベート―ベンをモデルに描いた大河小説「ジャン・

クリストス」の一節を思い出します。

「偉大な作曲家になりたい。」というクリストフに、伯父が「偉大

なものとは人が造りだすものではなく、発見するものだ。」と

語りかけます。

壮大な被造物を造られた神こそ、偉大であり、神のなされること

こそ真に偉大であるという意味だと思います。

ところで、創造主は単神ではありません。優れた音楽に、すばらしい

ハーモニーがあるように、父なる神、子なる神、聖霊なる神は、

互いに交わりの中に住まわれ、同時的に働かれます。

主イエスを信じた時に、聖霊をいただいたのか、聖霊の働かれた

時に、活ける復活の主に出会って救われたのか。

答えは、同時的だということです。

 これは多次元的に説明すると分かります。

例えば、3次元としての地上あるいは、体としての自分とその感情や

知性の次元、そしてさらに高次の深層、潜在的世界、あるいは天使的霊的

宗教的次元、さらにそれらを包括し超越した創造主の次元があります。

幼児が親に肩車をしてもらうと、大人の目線から広い視界を見渡せるように

聖霊によって、高みに引き上げられると、今まで見えなかった次元を見る

ことができます。この世界は多層構造になっていることが分かります。

日常生活で味わう喜怒哀楽が、天使界にもリンクされ、さらに創造主と深く

関わっているのです。

例えば、今失望し落胆しているとします。ヨブ記では堕落天使サタンの介入が

ヨブの家庭と健康を破壊しました。そしてヨブは不条理に悩み怒るのです。

そのプロセスはヨブが依存しているものを取り去られるという悲劇なのです

が、至高者であるお方の側から見れば、ご自分への更なる依存を

もとめる愛の呼びかけでもあります。

事実、ヨブは、創造主との直接的出会いへと深められ、高められてゆきます。

そして以前に優る祝福を手にします。

「試練」は「祝福の前ぶれ」だと分かります。

永遠の祝福とは、「神」を持つことです。「金持ち」になるまえに「神持ち」

になりましょう。パウロは「あなた方は何も持っていないように見える

(この世の次元だけで考えると)けれども、すべてのものを持っている。」

と語りました、聖霊なる神が住まわれる存在は、永遠とすべてを与えられ

たも同然であります。この世で成功する前に、永遠の成功者になりましょう。

聖霊様は多層的に働かれます、天の創造主のみ前に私たちを上げられて

父と御子との交わりとしての祈りと賛美に導かれます。祭司としての天の

御用に与かるのです。霊界においては、堕落天使サタンとの闘争に勝利

させてくださります。御子の血潮を頼ることによって。王としての働きです。

この世的次元にあっては、御霊がとなり人を愛し、み言葉を語らせ、奉仕へと

誘われます。もちろん、御霊が働かれるところでは、復活された栄光の主も

同時的に働かれます。

そのようにして、私たちは日々の暮らしの中の天のハーモニーに耳が開かれ

るでしょう。

 そして、一次元だけで働くのでなく、さらに豊かな多次元の生活に目が開かれ

るでしょう。

 

 

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仙太郎

2011-01-24 22:28:13 | 黒船絵巻
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創造主から見る

2011-01-19 21:37:45 | 福音

聖書は創造の高みから書かれているという意味で奇跡の書です。

人間には不可能なことでありますが、神が私たちのもとに住まわれ

私たちが神の内部に生きるならば、可能になります。

聖霊によって生き、観察し、認識するという方法です。

ボーレンという神学者は、「聖霊論的生き方」と表現しております。

「高み」とは「至高」であり、聖書の言う「至聖所」です。

「最深」とも言い換えられます。

人生や歴史を、「深み」から、「高み」から知るということは、創造主の側から

創造主と共に知るということでしょう。

日本人は霊の混沌の中で暮らしているともいえますが、それは霊的なものイコール

神的なものだという誤解に起因していると思います。

神とは創造霊であり、天使や霊界は被造世界であることを知る必要があります。

そして人の心はこの「霊」によってコントロールされます。

意識はより深い潜在意識に支配されます。より高い霊が、より強い影響力をもって

おります。ですから至聖所に生きる、神のふところに生きることが、もっとも充実した

暮らしを生きることになります。

歴史家のトインビーは、それぞれの文明は、それぞれの宗教を土台に成立している

と語りました。政治形態や文化の基盤に、それぞれ特有の「霊」が働いているといっても

よいでしょう。

文明の交流は宗教の対話まで掘り下げられなければならないとも言えるかもしれません。

カール・バルトは晩年、「神学の研究として、ローマ・カトリック主義、その次に東方諸教会、

そして次にキリスト教以外の諸宗教」の研究を願い「しかし、通常これらのもの取りかかる

のとは全く別の方法でやる。つまり、普遍的なものがが基盤であって、その上に、おそらく

イエス・キリストが最高峰としてそびえるというのではなく、イエス・キリストが根拠であり、

この根拠によって、諸宗教と、おそらくなお、全く新しい対話が開かれるであろう」

と語りました。

(「神学者カール・バルト」J・ファングマイヤー:加藤常昭他訳・アルパ新書)

マルコ福音書16章には、復活の主ご自身が、弟子たちと共に地の果てまで福音を

宣べ伝えたとあります。

 

 

 

 

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前島密・報知新聞・安保清康

2011-01-17 21:25:54 | インポート

17日阪神大震災についての天声人語は野村胡堂に触れていました。

クリスチャンの野村胡堂は「銭形平次」の作者ですが、太田愛人著

「野村胡堂・あらえびすとその時代」(教文館)によれば、報知新聞記者

の経験が、著作に役立てられたとのことです。

ところで当時東洋一の新聞といわれた報知新聞社はフルベッキ門下の

前島密によって創立され、大隈重信も関わりをもっていました。

前島の同期生は、アーネスト・サトウの日本語指導もした安保清康です。

「ernest_satow.pdf」をダウンロード

「スポーツ報知」(報知新聞が前身)がフルベッキ写真について、全面的に

取り組もうとされることに、不思議な摂理を覚えます。

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回復

2011-01-13 16:48:31 | インポート

彼は、他人の意見や感情に対する態度や与えることにおいて寛大な人物でした。
重要な真理や原則が危うくされたときは、彼は妥協しませんでした、しかし、意見の相違の余地があるときは、多数の声に喜んで譲りました。

ワイコフによるフルベッキ追悼講演の一節です。

フルベッキが守ろうとした真理とは、キリストによる贖いと聖霊の恵みであったと思います。

永遠のいのち、そのものです。

フルベッキ、ブラウンと共に来日したのはシモンズというユニテリアンでした。

キリストと聖霊の神性を軽んじる教えは、一見合理的でもあり、道義的でもありますが

霊的いのちを枯渇させる危険があります。

ジョンウェスレーが伝道し、ケアリ-宣教師やスポルジョンが活動したかつてのイギリスには

霊的いのちの流れと社会的活力に満ちていました。

しかし、聖霊の働きを軽視する思想の蔓延とともに、かの国は衰退してゆきました。

主イエスと聖霊の神性を説いたために、五度も追放された「世界と戦うアタナシウス」

もフルベッキ同様、真理のためには妥協しませんでした。

霊的いのちの回復こそ、すべての祝福の源泉であることを確信していたのです。

「2006.pdf」をダウンロード

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創造主のいのちと被造物のいのち

2011-01-09 22:37:05 | 福音

8日、山口、柳井市に「二人で一人の明治天皇」の著者松重氏を訪ね、大室天皇説についてお話いただきました。

要旨は「百済系天皇」が南朝、新羅系天皇が北朝で、明治維新とは前者グループによる権力奪取の革命であるいうことだったと思います。

加治氏の小説「幕末維新の暗号」や「失われたミカドの秘紋」とも一脈通じるものを感じさせられました。

フルベッキ写真について、私も慶応撮影説に近い見解をもっており、その面では共感するのですが、

いわゆる「ダビンチ・コード」に対する考えでは私と全く違います。

十字架につけられたのは、主イエスではなく、主はその後も生き延びて、日本にあるいはインドに渡ったと、私からいうと荒唐無稽なことが書かれていました。どうも本気でそう思われているふしがあります。

これは、いわゆるニューエイジの思想に由来し、「ダビンチ・コード」と共通するものです。

なぜ、そうお考えになるのかと自分なりに結論を下しました。

私は主が復活して生きておられることを信じますが、ニューエイジ宗教は、思想の伝承という形で復活をとらえます。

ここで、いのちの継続という問題になります。聖書では「被造物としてのいのち」と「創造主のいのち」

を区別しております。被造物はある程度の延命は可能ですが、造られたものとしての限界があります。程度の差はありますが、創造主の永遠性とは質的に違います。

復活のいのちとは永遠のいのちであり、神のいのちであります。

ラザロの体が生き返った時、それは誰もが観察することができました。被造物の体として五感で認識できたからです。しかし復活された主イエスを認めることができたのは、霊のいのちとその目が開かれた者だけでした。

これは現在でも同じであります。ローマ時代あるいはその後の思想宗教的政治的弾圧にもかかわらず、キリスト教は今や23億人に達し、なお拡大し続けているのは、復活の主ご自身が活動しておられるからです。

この事実を、被造物だけの視点から解釈しようとすると、ニューエイジになってしまいます。

エホバの証人の 方々にも、よくお話しするのですが、聖書の言語も参考にされて、永遠のいのちとは「ゾーエー」というギリシャ語で表現されるように、創造主の霊に触れられて、永遠のよみがえりに与かったいのちであることを知っていただきたいと切望します。

神は私たちに永遠のいのちを与えるために御子を世に送って下さいました。

そのいのちが私たちのうちに届けられるために、どうしても、御子は私たちの罪を負われて

十字架で血を流さなければならなかったのです。

 同じ日、山口市のアガリ総合研究所の上里氏とお会いし、「仙太郎」の出版についてお話いただきました。

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柳谷謙太郎

2011-01-04 10:44:23 | 写真

Yanagiya

弘化四未年4月5日(1847年)中尾壽八郎の次男として誕生。

大正12年3月4日享年77歳で東京で死去。柳屋と称して

いたが、維新後柳谷に改称。

柳谷忠四郎の養継となり、蔓延元康申年稽古通詞となる。

その後、済美館の英語句読を勤めていたが、慶応三丁卯年

江戸に召されて、英人海軍伝習所の通弁役となり、明治元年

辰年6月長崎府の通弁役を勤め、・・・・・・・・

明治9年領事に任ぜられ、米国サンフランシスコ在勤を命じられる。

明治16年外務省書記官となり、翌明治17年農商務省書記官に

転ず。その後、農商務大臣秘書官、水産局長代理、兼内務局長

心得等を経て、明治21年フランスのパリに万国大博覧会開催の

折派遣を命じらる。・・・・・」

(古賀十二郎著「徳川時代における長崎の英語研究」昭和22年・九州書房)

グリフィスは「日本のフルベッキ」の中で写真に岩倉兄弟、大隈重信、柳谷

謙太郎、その他岩倉使節団に派遣された者たちを容易に判別できると述べて

いますが、上の写真に似た人物がフルベッキ写真に見出せるでしょうか?

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