ハーモニーに富んだ音楽は、どこから生み出されたのでしょうか。
ロマン・ロランがベート―ベンをモデルに描いた大河小説「ジャン・
クリストス」の一節を思い出します。
「偉大な作曲家になりたい。」というクリストフに、伯父が「偉大
なものとは人が造りだすものではなく、発見するものだ。」と
語りかけます。
壮大な被造物を造られた神こそ、偉大であり、神のなされること
こそ真に偉大であるという意味だと思います。
ところで、創造主は単神ではありません。優れた音楽に、すばらしい
ハーモニーがあるように、父なる神、子なる神、聖霊なる神は、
互いに交わりの中に住まわれ、同時的に働かれます。
主イエスを信じた時に、聖霊をいただいたのか、聖霊の働かれた
時に、活ける復活の主に出会って救われたのか。
答えは、同時的だということです。
これは多次元的に説明すると分かります。
例えば、3次元としての地上あるいは、体としての自分とその感情や
知性の次元、そしてさらに高次の深層、潜在的世界、あるいは天使的霊的
宗教的次元、さらにそれらを包括し超越した創造主の次元があります。
幼児が親に肩車をしてもらうと、大人の目線から広い視界を見渡せるように
聖霊によって、高みに引き上げられると、今まで見えなかった次元を見る
ことができます。この世界は多層構造になっていることが分かります。
日常生活で味わう喜怒哀楽が、天使界にもリンクされ、さらに創造主と深く
関わっているのです。
例えば、今失望し落胆しているとします。ヨブ記では堕落天使サタンの介入が
ヨブの家庭と健康を破壊しました。そしてヨブは不条理に悩み怒るのです。
そのプロセスはヨブが依存しているものを取り去られるという悲劇なのです
が、至高者であるお方の側から見れば、ご自分への更なる依存を
もとめる愛の呼びかけでもあります。
事実、ヨブは、創造主との直接的出会いへと深められ、高められてゆきます。
そして以前に優る祝福を手にします。
「試練」は「祝福の前ぶれ」だと分かります。
永遠の祝福とは、「神」を持つことです。「金持ち」になるまえに「神持ち」
になりましょう。パウロは「あなた方は何も持っていないように見える
(この世の次元だけで考えると)けれども、すべてのものを持っている。」
と語りました、聖霊なる神が住まわれる存在は、永遠とすべてを与えられ
たも同然であります。この世で成功する前に、永遠の成功者になりましょう。
聖霊様は多層的に働かれます、天の創造主のみ前に私たちを上げられて
父と御子との交わりとしての祈りと賛美に導かれます。祭司としての天の
御用に与かるのです。霊界においては、堕落天使サタンとの闘争に勝利
させてくださります。御子の血潮を頼ることによって。王としての働きです。
この世的次元にあっては、御霊がとなり人を愛し、み言葉を語らせ、奉仕へと
誘われます。もちろん、御霊が働かれるところでは、復活された栄光の主も
同時的に働かれます。
そのようにして、私たちは日々の暮らしの中の天のハーモニーに耳が開かれ
るでしょう。
そして、一次元だけで働くのでなく、さらに豊かな多次元の生活に目が開かれ
るでしょう。