「主に信頼して善を行え。そうすればあなたはこの国に住んで、安きを得る。 主によって喜びをなせ。主はあなたの心の願いをかなえられる。 あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ、主はそれをなしとげ、 あなたの義を光のように明らかにし、あなたの正しいことを真昼のように明らかにされる。」(詩篇37)
1.聖霊を追い求めて集会を巡り歩かれたが、聖霊様は自分の心の奥座敷におられることを教えられた先生の証を聴くことが出来た。
エ-ルという古関 裕而(こせき ゆうじ、 1909年〈明治42年〉8月11日 - 1989年〈平成元年〉8月18日)をモデルにしたNHK朝ドラの中で放映中です。気落ちした青年五郎の前に主人公義理の妹さんが小説家・島崎藤村の言葉を語るシ-ンがありました。「私たちの急務はただただ眼前の太陽を追いかけることではなく、自分らの内に高く太陽を掲げることだ」と。 島崎が小説『春を待ちつゝ』に残したこの言葉には、「誰でもが太陽であり得る。」と綴られています。主人公の裕一はその音楽の才能を開花させながらも、世間からなかなか認められることはなかった。不安と葛藤に押しつぶされそうになりながら、やっとの思いで栄光を掴み取ることができるのですが、藤村にとって太陽とは内住の聖霊だったと思いました。
藤村は賀川豊彦の明治学院の先輩で、「死線を超えて」という大ベストセラ-を出版する前に藤村に読んでもらったそうです。
大正8年の関西労働組合理事長としての賀川の指針の序文があります。
「我等は生産者である。創造者である。労作者である。我等は鋳物師である。我等は世界を鋳直すのだ。又我等は鉄槌を持って居る。我等に内住する聖き理想と、正義と、愛と、信仰の祝福に添はざるものがあれば、我等はその地金がさめざる中にそめ槌を打ちおろすのだ。我等は意志と、筋肉と鉄槌と、鞴を持って居る。我等は内住の理想を持って宇宙を 改造することが出来る。」
賀川豊彦の力の原動力はやはり、内に住まわれる神にあったことが分かります。
2.「賛美の力」を書いたマ-リン・キャロザ-スは喜びがあふれた人物でした。
「隠れた思い」のなかででその秘訣は心の清さだと述べています。まっすぐに主に向かった心。心の清いものは神を見るとあるように。ですが、自分で清さや喜びを作り出すことはできません。聖霊の実であるからです。不品行な思いに悩む時に「聖霊から取り扱いを受けて思いが清められるように祈りなさいと」とすすめています。
「神が最も喜んで受け入れてくださるものが二つあります。それは私たちの清い心と清い思いです。この捧げものなら、どんなに貧乏な人でも、牢獄に入れられている人でも、床についている人でも神のもとに持っていくことができます。どんなに人に知られている偉大な奉仕さえも、聖なる神の美しさを反映したこの心の奉仕とは比べうることさえできません。」
- 主を喜ぶことはあなたの力です。創造主はご自分を与えてくださったのです。そのいのちは、地上からでなく、天からのものです。被造物からのものでなく創造主からのものです。
神のいのちは、神を喜び、頼り、このうえない宝として誇るところに流れます。
ご自身の思いと一つ思いにされるとこに力を現わされます。霊が思いを支配するからです。
創造力は想像力(イマジネイション)です。罪によって傷ついた想像力を癒していただいて、聖霊と共に思い描くときに、奇跡の力が現れます。主が見る(イメ-ジ)するとき、創造の業が起こりました。聖霊が働かれるからです。この世で起こったことは誰かの心に前もって浮かんだことだと言われます。
創造霊にはあらゆる良いものが溢れています。御子を通して罪をきよめ、許してくださった神は御霊を住まわせて永遠の栄光に入れてくださいました。内に来てくださった主が、思いと言葉を通して創造の働きをなされます。「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。」(詩篇37:5)