創造

創造主とセルフイメージの世界

主をおのれの喜びとしなさい

2020-09-20 21:03:22 | 福音

主に信頼して善を行え。そうすればあなたはこの国に住んで、安きを得る。 主によって喜びをなせ。主はあなたの心の願いをかなえられる。 あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ、主はそれをなしとげ、 あなたの義を光のように明らかにし、あなたの正しいことを真昼のように明らかにされる。」(詩篇37)

 

1.聖霊を追い求めて集会を巡り歩かれたが、聖霊様は自分の心の奥座敷におられることを教えられた先生の証を聴くことが出来た。

エ-ルという古関 裕而(こせき ゆうじ、 1909年〈明治42年〉8月11日 - 1989年〈平成元年〉8月18日)をモデルにしたNHK朝ドラの中で放映中です。気落ちした青年五郎の前に主人公義理の妹さんが小説家・島崎藤村の言葉を語るシ-ンがありました。「私たちの急務はただただ眼前の太陽を追いかけることではなく、自分らの内に高く太陽を掲げることだ」と。 島崎が小説『春を待ちつゝ』に残したこの言葉には、「誰でもが太陽であり得る。」と綴られています。主人公の裕一はその音楽の才能を開花させながらも、世間からなかなか認められることはなかった。不安と葛藤に押しつぶされそうになりながら、やっとの思いで栄光を掴み取ることができるのですが、藤村にとって太陽とは内住の聖霊だったと思いました。

 

藤村は賀川豊彦の明治学院の先輩で、「死線を超えて」という大ベストセラ-を出版する前に藤村に読んでもらったそうです。

大正8年の関西労働組合理事長としての賀川の指針の序文があります。

「我等は生産者である。創造者である。労作者である。我等は鋳物師である。我等は世界を鋳直すのだ。又我等は鉄槌を持って居る。我等に内住する聖き理想と、正義と、愛と、信仰の祝福に添はざるものがあれば、我等はその地金がさめざる中にそめ槌を打ちおろすのだ。我等は意志と、筋肉と鉄槌と、鞴を持って居る。我等は内住の理想を持って宇宙を 改造することが出来る。」
 賀川豊彦の力の原動力はやはり、内に住まわれる神にあったことが分かります。

2.「賛美の力」を書いたマ-リン・キャロザ-スは喜びがあふれた人物でした。

「隠れた思い」のなかででその秘訣は心の清さだと述べています。まっすぐに主に向かった心。心の清いものは神を見るとあるように。ですが、自分で清さや喜びを作り出すことはできません。聖霊の実であるからです。不品行な思いに悩む時に「聖霊から取り扱いを受けて思いが清められるように祈りなさいと」とすすめています。

神が最も喜んで受け入れてくださるものが二つあります。それは私たちの清い心と清い思いです。この捧げものなら、どんなに貧乏な人でも、牢獄に入れられている人でも、床についている人でも神のもとに持っていくことができます。どんなに人に知られている偉大な奉仕さえも、聖なる神の美しさを反映したこの心の奉仕とは比べうることさえできません。」

  1. 主を喜ぶことはあなたの力です。創造主はご自分を与えてくださったのです。そのいのちは、地上からでなく、天からのものです。被造物からのものでなく創造主からのものです。

神のいのちは、神を喜び、頼り、このうえない宝として誇るところに流れます。

ご自身の思いと一つ思いにされるとこに力を現わされます。霊が思いを支配するからです。

創造力は想像力(イマジネイション)です。罪によって傷ついた想像力を癒していただいて、聖霊と共に思い描くときに、奇跡の力が現れます。主が見る(イメ-ジ)するとき、創造の業が起こりました。聖霊が働かれるからです。この世で起こったことは誰かの心に前もって浮かんだことだと言われます。

創造霊にはあらゆる良いものが溢れています。御子を通して罪をきよめ、許してくださった神は御霊を住まわせて永遠の栄光に入れてくださいました。内に来てくださった主が、思いと言葉を通して創造の働きをなされます。「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。」(詩篇37:5)

賛美

 

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深みに漕ぎ出して

2020-09-06 19:22:29 | 福音

「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい」ルカ福音書5章

 

1、漁師たちは夜どうし、経験と知識をかけて頑張った。しかし見事に空振り、失敗だった。

全てが徒労であった。詩篇に「主が守ってくださらなければ、その勤労もむなしい」とありますように、自分なりに努力しても結果が出ないのです。なかなか思ったように行かない時、身も心も疲れ果ててしまいます。

しかしそんな時に、主が声をかけてくださいます。

ずっと語っておられ、聞こえていたのに、自分に頼り、自信があるあいだは聞いても無視しているのかもしれません。ですが、失敗し、弱くされて、はじめて静かな細いそのみ声に耳を傾けるようにされます。

自分の判断や経験が絶対でないと分かって、謙虚に主の言葉を聞き、今度は主の声を頼りに、御霊に頼りつつ歩みます。

同じ仕事、同じ働きをするのですが、今までは自分に頼ってしてきたことを、今度は主に頼り、御霊とみ言葉の力に頼ってやりなおすのです。祈りながら生活するのです。

 

2、深みに漕ぎ出すとは、見えない心の深み、霊の世界に歩み出すという意味もあります。

心には外に現れていない無意識下の世界があります。カウンセリングにおいて言葉や表情の背後にある声なき声、心の声に耳を傾けることが重要だといわれます。傾聴です。そして受容し、共観することによって立ちなおるのを助けるのです。患者とは呼ばずクライアント(顧客・依頼者)と呼ぶのは相手の人格を重んじ、ご自分で治ることを目指すからなそうです。心理学者フロイトこの深みを潜在意識ととらえ、人間の深層心理を研究しました、ですが人間中心の考え方ですから、霊的な世界が軽視されがちです。ですからこの教えを土台にしたカウンセリングには限界と弱点があるといわれます。多くの精神科医が心を病み、人間相互の過度の依存関係が不健全な関係を生み出すことがおこったからです。

私たちは他者を理解する時、自分の目を通して知ることになります。自己の投影としての他者がおり、結局自己の思いの中で人を想像し、知ったつもりになります。

つまりカウンセリングにおいて相手の心を聴こうとしても、自分という基準で、その限界の中でしか知りえません。自身のセルフイメ-ジ、自画像が決定的役割を果たすのです。

自分を肯定し、受け入れていなければ相手も受容できないということです。

それではどこでしっかりした自分への見方が可能でしょうか。

自分がどう見られいるかと考えると私たちはいつもおちつきません。

親から措定された自己、友人や学校で教師から評価される自分。社会的評判、その言葉と評価に従って自分のセルフイメ-ジは揺れ動き、時には傷つきます。あやふやな自画像は嵐に翻弄される小舟のように漂います。ですから主の前に出て、聖霊による自己を知ることが最も重要です。罪びとにもかかわらず十字架の贖いによって赦され、神の子として受容され認められている自分を見るのです。その時に、真の慰め主(カウンセラ-)である聖霊ご自身が私たち双方を立ち直らせてくださいます。人から聞くだけでなく聖霊様から聞かなければなリません。

3、深みに漕ぎ出すとは、主との深い交わりに活きることです。海が嵐で荒れ狂う時でも、海底は静かであると言われます。目に見える世界は氷山の一角であり、その下に隠れている巨大な霊の世界があります。

主は私たちに霊のいのちが与えられ、見えない世界にたいして霊の目と耳を開いてくださいます。

そこでは、昼も夜も私たちを訴えているサタンの攻撃を十字架の血潮をもって退けておられます。

深みに漕ぎ出したときに、闇の中で苦しんでいる同胞や全被造物を憐れんでおられる主を知らされます。

そして永遠の救いと解放を必要としている人々のために、私たちも御霊に助けていただきながら主のお手伝いをさせていただくのです。

 

神聖歌395

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