膠着語である日本語とシュメ-ル語の類似は何を意味するでしょうか。
古墳壁画にソロモンのタルシシ船らしきものが描かれているのはなぜでしょうか。
古代日本について独創的な考察もあります。
淵江淳一師は著書「日本の秘儀」で列王記Ⅰ:10章、を引用して「スサノオ神話と鉄の道」
に言及されています。
徳島出身で元新聞記者の篠原央憲氏は「天皇家とユダヤ人」(光風社出版)の中で「アワ」とは
スメル語で「海水」を意味し、「忌部・インベ」の語源はスメル語「エンベ・神職」であると述べています。(「黒潮に乗ってやってきたアワ族」)
復活節を迎えても依然としてコロナによる受難は続いております。
しかし、復活の主は、私たちの霊をよみがえらせて、天の交わりへと導いておられます。
この孤立化させられる生活の中で、心情的には、閉塞感と圧迫感を覚えさせられますが
霊は至聖所で光り輝く栄光の主と親しく交流するのです。
体や心は時空という3次元に生きていますが、聖霊と共にある私たちの霊は4次元の永遠の
生命に活かされて、主を仰ぎます。
私たちは、創造主と交わるために造られました。
しかし人類は、ただお互い同士の緊密さを求め、その相互依存と交流のみに心を向けること
によって、真に依存すべき創造主との関係をおろそかにしてしまいました。
信頼すべき的を外れた道に迷い込んだのでした。これが根本的問題であります。
バベルの塔を築くことによって、カオスを招いたのでした。
この闇を照らすのは、光である神ご自身であり、神の次元での交流を回復されるために
御子を下し、贖いの業を通して御霊なる神ご自身を私たちに与えられました。
太陽の光が世界を照らし、その光でこの被造物を知覚できるように、霊であられる神
とその世界を認識させるのは、創造主でもあられる聖霊であります。
光りによって光を知るのです。
パウロは太陽よりも輝く創造主の光の中で、栄光の主と邂逅しました。
聖霊が私たちを天使よりも高い次元に引き上げて「わが父よ!我が主よ!」と栄光の
交わりへと招いてくださるのです。
身体という3次元は、霊(spirit)という4次元に統轄されます。
主イエスは、ご自身の霊によって人の心を理解されました。病の霊を除去することによって
病を癒されました。人を動かすより神を動かしなさいと言われます。
心を変えることは至難の業であり、エレミヤは「人の心は何よりも陰険で、それは治らない」
と断言します。(17章)
アダム以来我々の心は愛すべき神に向かうより、この地上の被造物に依存しようとします。
パウロも自分は何とみじめな人間だと嘆きました。
そこから救い出すのは被造物ではなく、創造主ご自身であり、そのために神はご自身を裂かれる
ようにこの世に下り、そしてご自身の分身であられる聖霊様を私たちに住まわせました。
神は我々にご自身を与え、神のいのちとその交わりに招いておられます。
肉をとられた御子の血は、罪を洗い清め、そしてカオスと闇の霊を取り除きます。
贖いの力に依存する時、聖霊が働かれます。神が4次元の中で動かれます。
難敵コロナに対しても、主が介入してくださるよう祈ります。