創造

創造主とセルフイメージの世界

世の光・イ-スタ-

2016-03-31 09:21:37 | ゴスペル

http://yonpouden.jimdo.com/

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いのちの霊と死の霊

2016-03-28 17:04:20 | 神学と科学

復活は歴史上、最大の謎です。これを現象面から追及してしてもおそらく解決することはないでしょう。アインシュタインが語るように

ものごとは上のレベルの次元に立たなければ解明されないからです。

そのレベルとは創造霊Spiritの視点です。世界が始まる前に、永遠主は有りて在るものとして存在されました。

しかし、人類の大先祖アダムは、虚無の霊spiritに心を開きましたので、死と破壊の力がこの世界に侵入しました。

それは非常に巧妙な手口によるものでした。あなたは神のようになれると誘惑したのです。本来相対的な被造物である人間に、おまえは絶対者となって、人生の主(あるじ)としてふるまえると語りました。

自分が主人になるということは、真のあるじである創造主を閉め出すことです。結果として闇の霊に開かれたのでした。

霊が死霊によって、圧殺されると、霊的知覚を失い、人は己の小さな脳の認識範囲の世界に陥りました。ただ現象世界だけがすべてになったのです。

創造主は第二のアダム、キリストとしてこの闇の世界に降下されました。その生涯は、創造霊に開かれ、虚霊に閉ざされたアダムと真逆の道でした。彼のうちで永遠のいのちが満ち溢れ、愛となり知恵や力となって現われました。十字架による肉体の死によって、その霊はよみの世界にまで降下されました。死の闇の中に囚われている人々を照らし解放するために。

そして、創造霊の爆発的エネルギ-によって復活体をもってよみがえられ、40日間にわたって、5百人以上の弟子に現われました。神の分霊である聖霊を分かち与えるために。

父なる神の御坐に帰られた主は、見ることのできない光の中におられます。そして神に心開くときに、聖霊として私たちの霊に住まわれ、やがて創造の完成としての復活体をも与えてくださいます。

自己絶対化は被造物崇拝であり、闇の霊に道を開きます。永遠者に閉ざされた道は、虚無と幻滅のみ残ります。

霊の目が開かれ、栄光の主をみあげましょう。同時に、私たちのうちに内住される永遠の宝、聖霊なる神ご自身をたたえましょう。

 

 

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イ-スタ-2016

2016-03-19 11:23:50 | ゴスペル

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大村益次郎写真

2016-03-14 17:17:59 | 歴史

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神の自己贈与と自己啓示

2016-03-04 10:25:31 | 神学

ジェ-ムス・B・ト-ランス著「三位一体の神と礼拝共同体」(有賀・山田訳、一麦出版)はユニテリアン的単一神観に対する三位一体の唯一神観の重要性を説いています。神との交わりを失った人間に対して、神はご自身を贈与すべく、御子を世に送られました。

信仰とは、空っぽの手で、その恵みを受け取ることです。しかし人間は多くの被造物を握りしめて、そのこぶしを開こうとしません。創造主を閉め出した生活、つまり御子をなおも十字架に追いやろうとします。

自分が主(あるじ)でいたいので、真の主人を迎えようとしません。マックス・ピカ-トは「我々自身の中のヒトラ-」という本を書きましたが、戦前戦中の日本は祖霊を拝み、自身の中に小天皇を抱いていたといっても過言でありません。現在の北朝鮮の首領様崇拝に通じるものです。

それは創世記3章の「あなたは神のようになるだろう」という誘惑に敗北した原罪以来のものでした。そのようにして人類と被造物は虚無と虚偽の霊に服したのでした。

この閉ざされた心を開くのは最早、人力では不可能であります。諸霊よりも強い、創造霊のみが私たちの握りしめた手を開いてくださるのです。聖霊なる神ご自身が、私たちの心を開き、神の恵みを受け取らせてくださります。

死の霊に呪縛されていた私たちの霊は、永遠の命の霊のご支配に移されて、神の命の息を吹き返します。内住された聖霊なる神は私たちの内側から、父と子との交わりを回復され、ともに祈り、ともに語り、ともに行動されます。神殿の外側にいたものが、内側に引き上げられ、大庭での血の贖いにあずかり、聖所での交わり、そして至聖所で神の命の栄光に生かされます。

ト-ランスはユニテリアン的信仰とは、いまだ神殿の外側のあり方だと述べます。聖霊に依存しない結果、自力信仰に陥り、重荷を自分で負わなければならず、その神観は己のイメ-ジによって想作され、かつてのギリシャ的グノ-シス、ナチスドイツにおいて現れたア-リア的キリスト観念、今日のニュ-エイジ運動へと変質しかねないものだと警告します。

ト-ランスの兄、ト-マス・F・ト-ランスの著書は「科学としての神学の基礎」(水垣・芦名訳、教文館)で日本語で読めます。元米英軍捕虜との和解活動に協力しつつ、何度も目を通しました。

元捕虜だったフランク・エバンスの「憎悪と和解の大江山」(糸井・細井訳、彩流社)にも記されていますように、日本軍は1941年真珠湾奇襲とともに、太平洋諸島侵攻。英国やオランダ、米国将兵35万人を捕虜にし、うち14万人捕虜は香港やマレ-、ジャワ収容所へ、4万7千人が労働力の穴埋めに貨物船で日本へ。地獄船と呼ばれたその移送船で約1万一千人死亡、残りの3万6千人が全国の鉱山や工場に強制労働に従事。過酷な労働や病気で3500名が死亡しました。

エバンス氏は、捕虜生活からの解放を絶えず祈り続けたと述べています。私も霊的捕縛の中にある方々が、御霊によって解放され、創造主を心に迎えて、無尽蔵の宝である永遠の命と解放に導かれますように祈ります。

 

 

 

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