で「いのちの水の川」という題で説教の奉仕をさせていただく。
朝早く、山陽道と瀬戸大橋を渡ることになる。
松茂町にはハレルヤという和菓子会社があり、その由来をいろいろ想像した。
80年の歴史があるといわれるから徳島出身の賀川豊彦が浮かんだ。
次に秀吉の家臣、蜂須賀小六の長男でキリシタン大名として知られる
蜂須賀家政のことが思われた。酒を飲まず、食後は菓子を好んだそうで
足りなくなると細分してみなで分けて食べたそうである。
阿波踊りの始まりは徳島城完成の祝いの踊りであったそうだ。
第3に考えられるのは剣山のことである。
荒唐無稽なところもあるが、以下のように面白いサイトもある。
http://hiroshima.cool.ne.jp/h_sinobu/kenzan.htm
みのもんた氏の司会した日本のルーツと古代イスラエルという番組でも
とりあげていた。
わたしたちはすぐ身近にある恵みに気づいていない。
もっとも近いのは自分自身だ。
聖書では「あなた方の内から活けるいのちの水が流れ出るであろう」
とある。
エゼキエルの神殿からいのちの川が流れ、主イエスの内側から聖霊
の川が流れて多くの奇跡をおこなわれたように、わたしたちの至聖所
に住まわれる創造主なる御霊は、創造界のレベルにわたしたちを引き
上げてくださり流れるように働かれる。
時の中にありつつ永遠を生き、造られた者でありながら、造り主のいのち
を生きるという驚くべき恵みと奇跡に与かっている。
(付記)
1867年(慶応3年)ゴーブル宣教師はグラバー商会のダン船長より、阿波藩
土佐藩との沿岸貿易を依頼されて、リジー・アレン号で両藩士とともに1月16日に
阿波藩に到着。
2月には後藤象二郎と会い、「土佐商会」の教師となる。
ゴーブルは、阿波藩のセントルイス号(後の乾元丸)購入の手伝いをした。
(パーカー著「日本のジョナサンゴーブル」132ページ)