創造

創造主とセルフイメージの世界

サム・パッチ(仙太郎)とS・ウェルズ・ウィリアムズ

2009-10-24 17:38:31 | 日記・エッセイ・コラム

Samuel Wells Williams(1812-1884)アメリカン・ボード宣教師。

1833年中国広東に渡り、出版事業のかたわら中国研究。

後に日本人漂流民から日本語を学び、創世記、マタイ伝他の和訳

をなした。1837年(天保8)の夏、モリソン号に乗り、ギュツラフ、

パーカー、キング夫妻と共に日本人漂流民7名(力松、音吉その他)

をともなって江戸湾にきた。この両名は日本人最初のプロテスタント

になったとウィリアムズは述べている。

またウェルズはペリー艦隊が1853 年日本に来航したとき、

通訳をつとめた。

ウェルズは1854年随行日記(「清末・幕末に於けるS・ウェルズ・ウィ

リアムズ生涯と書簡」フレデリック・ウェルズ・ウィリアムズ著宮沢眞一訳

(高城書房2008)261ページ)に以下のように記している。

「下検分の目的でモーリー氏が、上陸しようとすると、一群の島民たちが、

海岸近くで待ち構えていた。彼らは武器を手にして、彼らの上陸を阻止しよ

うとした。火縄銃を持っている者がいたり、先頭の指揮者らしい男は、一本刀

を差している。他の連中の手にしているものは、石、棒、槍の類である。すぐに

サム・パッチ(仙太郎)は、僕たちの目的の性格を告げて、彼らの誤解を解いた。

まもなくして、僕たちの大半が、上陸をすませると、島民たちは、水際まで食料品

を運んできた。・・」

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仙太郎年表(The Japanese Sam Patch より)

2009-10-14 21:05:45 | インポート

年表

1831?  サム・パッチ、生口島に仙(三)太郎と命名されて誕生。

1842  母親死去。

1843  父親、熊蔵死去。

1850

1020 貨物帆船「栄力丸」のコックとして江戸へ向けて大阪を出港。

1027日 帆船は熊野に入港、彦蔵が 乗組員に加わる。

1110日 17名を乗船させて熊野を出港。

1118日 乗組員と帆船の点検のため浦賀に停泊。

1119日 江戸湾への帆航。

1121日 江戸に到着、積み荷を下ろし始める。

1125日 小口積み荷で江戸出港。

1126日 追加貨物のため浦賀に寄港。

1130日 大阪に向け出発。122日 遠州灘で嵐によりコースから吹き流される。

1851

122日 サム・パッチと16人の仲間がアメリカバーク船オークランド号によって救出される。

34日 オークランド号はサンフランシスコに到着。

39日 サム・パッチと仲間は、貨物の荷下ろしを懸命に手伝う。

316日 彼らは観光に出かける。 「アルタ・カリフォルニア」紙の編集者が乗船して日本人を訪ねる。

319日 サム・パッチと仲間はサンフランシスコ交流会での仮装舞踏会に参加。

321日 ロング埠頭で買い物をする。

322日 トーマス・トロイの世話で米国軍艦(USR)ポーク号へ乗り移る。

4

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ヘブライ語と日本語

2009-10-10 10:56:25 | 学問

聖書と日本の関係については興味深いサイトが多い。

http://inri.client.jp/hexagon/floorA3F_hb/a3fhb412.html

http://www.geocities.com/heartland/lane/7662/index_j.html

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E3%83%A6%E5%90%8C%E7%A5%96%E8%AB%96

へブル語は動詞の3母音が基本であり、日本の大和言葉と共通している。

また文法上、使役形は英語ではmakeやletを追加するがへブル語では

ヒスパエルと言って、母音を変化させる。

例えば日本語行く(本来はゆこむ)は行かせると母音をアエルと変化させて使役形にする。

川守田英二博士の「日本へブル詩歌の研究上下」(昭和21年)は三笠宮崇仁親王殿下

に捧げられたもので出版のための寄付者・後援者には賀川豊彦も名を連ねている。

賀川ほどの人物が何故に太平洋戦争に正面から反対しなかったのか。教理的な面からの

問題性も指摘されているが、上著の「第3章日本民族とキリスト教」を読むと、賀川自身日本のルーツをユダヤに求め、その象徴である天皇を敬うことが福音宣教に繋がると考えたのではなかろうか。(注1)

これは非常に微妙な課題である。

確かなことは従来、鎖国や皇国思想の影響下で純日本といわれてきた、和船(ジャンク船)や和太鼓や尺八など日本古来のものでなく、大陸にルーツがあることが明らかになりつつある。「天皇」という言葉自体が元来は中国語なのである。

創造主のもとに人間は一つであることを覚えたい。そして御子を通して父なる創造主に立ち返ることが最も幸いな人生である。

(注1)

「宣教師が観た天皇制とキリスト教The Two Empires in Japan」ジョンM・L・ヤングJohn M.L.Young著川崎豊訳(2005年燦葉出版)

(139ページ神道イデオロギーを宣伝する「クリスチャン」達より)

「神社参拝に出かけた人の一人に賀川豊彦博士がいたが、同氏は前述のように、朝鮮および満州の教会を、政府の命に従い神社参拝を行うように説得するために歴訪した人である。

彼の福祉事業への貢献を認めるにやぶさかではないが、彼の自由主義神学と神社問題に関する全面的妥協ぶりとが日本におけるキリスト教の発展を大いに阻害したことは明白である。賀川の自由主義神学は、その著書から以下の引用で明らかである。『どういう形で復活が行われたかわからない。四福音書が教えるように肉体をを備えていたのか、パウロが言うとおり霊体だったか、いずれにしてもそれは問題ではない。とにかく、イエスは弟子たちの心の内に本当に甦られたのだ。ここにキリスト教の発端がある。もしそれが迷信だと考えられたければそうといってもよい』(T.Kgawa, The Reliegion of Jesus,p.103)

さらに、最近になって、賀川氏はヨハネによる福音書第六章五三節について以下のように文章を物している。『社会事業家としての私の日々の活動はこのイエスの言葉を道標としている。すなわち、"人の子の肉を食わず、その血をの飲まずば、汝らに生命なし。”これは私(とわが国民)が世界の罪を罪を赦すために、我々の生命そのものを与えなければならないという意味である。ある国民が危険を冒し、道徳的、法律的罪の負債を喜んで弁済するのでなければ、罪は償われない。それは生命そのものの最も深い真理であるように、基督教神学の最も深い真理である。』(T.Kagawa,Japan Christian Quartery,October,1958,p.312.)

復活やキリストの贖罪の意味についてのかような理解に基づく伝道では、迷信的神道多神教から魂を贖うことや、まったき愛と忠誠心をもってキリストに奉仕しようとする願望で心を満たすことはおぼつかない。このような説教が人々にキリストの唯一無二なることと彼へのまったき忠誠の必要を確信させ得ず、迫害の危険にさらされた時にベイカーの記録する以下のような発言を生み出すことになったのである。すなわち『いつ警察が愛国心の調査にやってくるかわからないから、どの日本家庭も神棚を祭っておくことが賢明なことだった』」

(参考文献)

「日本書紀と日本語のユダヤ起源」(ヨセフ・アイデルバーク久保有政訳・2005徳間書店)

「銅鐸の謎」(大羽弘道・光文社)

「日本語の起源に関する調査研究報告書」(今井弥生編1995・財団法人国際科学振興財団内)

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