創造

創造主とセルフイメージの世界

走り寄る神

2020-10-13 22:14:43 | 福音

主イエスが語られた「放蕩息子とその父親」というたとえ話がルカ福音書十五章に書かれています。

財産の分け前を手にして旅に出た息子は、湯水のように使い果たして無一文になります。追い打ちをかけるように大飢饉がおこり、食べ物にも事欠くありさまです。 豚の世話をする仕事にありつきましたが餌の「イナゴマメ」さえも口にすることが許されません。

そんなどん底に落ちぶれた時、パンがありあまり雇い人の大勢いる父の家を思い起こしました。

もう自分は息子の資格はないが、せめて雇い人の一人にでもしてもらえないかと家に向かいます。

まだ遠くにいたのに、父が彼を見つけ、喜んで走り寄って我が子を抱きしめました。ずっと待ちわびていたのです。

家に迎えられた彼のために、ぼろ服に変えて一番良い着物が着せられ、高価な指輪や靴を与えられ、大宴会が開かれました。

この物語は神に離反した人間と、それにもかかわらず、私たちを憐れんでくださる神の愛が描かれています。神の最高傑作として造られた人間ですが、そのいのちの源泉である創造主のもとを去ったことによって、自分の無力さにうちひしがれ、やがて訪れる死の破局におびえることになりました。まるで壊れがかった精密機械のように。しかし自分では手に負えなくても、メーカーならば、新品同然に返してもらえます。

創造主である神は、人生の根本問題である罪と死の問題を解決されるお方です。そのために神の御子が二〇二〇年前の最初のクリスマスに人となって現れてくださいました。

それは十字架上で私たちに代わって私たちの汚れた罪の衣を自らがまとわれ、罪のさばきをその身に負わるためでした。

三日目に復活された主は、私たちに義の衣である聖霊を与えてくださいました。永遠のいのちです。日曜日の朝によみがえられましたので、週の初めであるこの日は祝日とされました。今、私たちと共に活きておられる主を仰ぎ、すべての重荷をこのお方にゆだねるとき、主は偉大な力をもって答えてくださいます。

 

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