創造

創造主とセルフイメージの世界

安保清康自叙伝電子本

2011-07-30 15:43:22 | 歴史

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/960691

 

安保清康(林謙三)は尾道市向島町出身、長崎の何門下で前島密と共にフルベッキ師にも

学び、後にアーネスト・サトウの日本語教師も勤めました。(「図説アーネスト・サトウ:幕末維新の

イギリス外交官」横浜開港資料館編・有隣堂53ページ)

本書には西郷隆盛との交流、親友坂本龍馬が暗殺された後の現場の生々しい目撃証言が

記されています。

日本は、開国と同時にいかにして列強の植民地化をまぬがれるかという難題に直面しました。

やがて大学南校(東大の前身)教頭になったフルベッキ(英語読みでヴァーベック)は助言を

求めて来訪した数人の閣僚に次のように返答しました。(グリフィス著「ミカド」亀井訳178ページ)

「みなさん、あなた方の意見は、あらゆる文明国のもっともすぐれた人の意見と一致するものです。

しかし、平和は哲学者の夢であり、キリスト教徒の希望でありますが、戦争は人類の現実の歴史

です。ヨーロッパ諸国がアジアにどんな態度をとっているかを考えますと、私はみなさんに海岸を

固めなさいといわなければなりません。イギリスがインドで何をしたか、フランスがアンナンやトンキン

で何をしたか、ご存知にはずです。フランスを屈伏させたドイツも、まもなくこの地方に触手を伸ばして

くるでしょう。台湾をとるかもしれません。ロシアは何世紀も東へ東へと進み、すでにサガレンの半分を

占領しようとしました。危険がお分かりでしょう。この危険は本当なのです。さて、みなさん、私の助言は

海岸を固めるとともに国家的な軍隊をつくりなさいということです。若者を訓練し、教育しなさい。

そしてすべての人に昇進の道を開きなさい。・・・」

グリフィスは「平和を愛するけれども賢明なこの宣教師が提案した計画はそっくり取り入れられて、

国軍創設の手続きが実行に移された。」と述べています。

この思想は安保氏をはじめ、新政権のリーダーによって体現された訳です。

しかしそれは、あくまで自国の独立を守ることが目的でありました。

けれども、日清日露戦争で勝ち誇った日本は政治のモデルをアングロサクソンからプロシアに求めるようになり

自らがアジアの植民地化をおし進めるようになりました。

維新のリーダー達の原点に立ち返るためにも、安保清康の自叙伝から学ぶところは大きいと思います。

できれば現代語訳にしていただきたいものです。

 

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安保清康自叙伝

2011-07-30 15:41:20 | 本と雑誌

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/960691

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前提とされる常識のチェック

2011-07-28 19:42:48 | 神学と科学

 

ある法則はその前提条件に制限されます。

同じ走力でも、それが水中なのか、空中なのか、無重力なのか、それぞれの抵抗力の強弱によって

結果が違ってきます。

生命は海から生まれたという仮説がありますが、すでに、創世の昔も現代のように海と陸が明確に

分けられていたに違いないという無意識の前提に立って想定されています。

創世記を読むと「水と水の間」と書かれています。

水蒸気が立ち込めた世界を思わせられます。いわば天然ビニールハウスのように、植物にとって

も動物にも最適な環境状態のようでもあります。

事実、創世の時代の植物の繁殖力や人間の寿命は途方もなく旺盛で長かったと記されています。

現代の環境を前提にして考えるとあり得ないことが、実在したことが分かります。

現代の常識では不可能なことがありえた訳で、現代という状況を絶対化すると過去の

事実と違った仮説をあみだすという危険に陥りかねないということです。

 

フルベッキ写真について、上野彦馬のご子孫の上野一郎氏が「彦馬スタジオはバラック造りだったが

明治元年から二年にかけて改造された記録がある」と証言されました。(1985年6月30日東京新聞

この前提にもとづいて「写真は慶応年間に撮影されたものではない」という結論が下されました。

 

しかし、以下の写真二枚はいづれも明治2年に撮影されたものですが、大小二つのスタジオが確認されます。

ということは、写場ははじめから併存していたのであり、狭い写場ものが慶応のもので広い写場が明治以降のものであるという前提が絶対的なものでないことがわかります。

つまり慶応年間撮影説を一概に否定できない根拠がある訳です。

 

私たちは相対的なものを絶対化してしまう悲しい習性があります。

その結果、思考が停止し、真の科学的探求を怠るという第二次大戦の轍を踏みかねないこと起こりうるのではないでしょうか。

 

またこの世界と自分は、絶対的なものでなく、私たちを越えた世界の影響を絶えず受けていることも考えなければなりません。

目に見える世界は、目に見えない前提が変わるとき、全く違った法則が適応される場合がありうるのです。

聖霊のご支配のもとに生きるとき、そこには自然を超越した出来事が起こり、悪霊の支配という前提のもとでは、やがては死に

終わるというあきらめとむなしさに襲われます。

いのちの奇跡に満ちた聖書の世界、それは御子の十字架と復活によって常識的な前提が創造の霊に置き換えられた世界です。

 

 

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ノルウェイ連続テロ犠牲者追悼

2011-07-26 20:45:53 | 歴史

報道によればテロリストは、現政権の移民政策の推進とそれに伴うイスラム勢力の

浸透を防ぐために、残虐行為に及んだとのことです。

9.11以降テロとはキリスト教世界に対するイスラム原理主義によるものという常識に

なっておりましたが、今回の事件はそう単純なものでないこと、キリスト教世界の中での

問題を浮き彫りにしました。

かつてドイツにおいてナチスが台頭した時、その背景には経済的混乱と共にソビエト

共産主義に対する脅威があったといわれます。

確かに、「人間が神を造った」と言ったフォイエルバッハも、共産党宣言を創作した

マルクスやエンゲルスも、そしてロシア革命に重要な役割を演じたはトロツキーはじめ多く

が離散したユダヤ人でした。

日本においても明治以降ロシアは侮りがたいライバルであり、特に共産化した後の

ソ連は武力闘争を掲げた一大勢力でしたから、我が国もマルク主義に対抗するため

民族主義と天皇神格化を盾にしました。そのようにして三国同盟に加担して

ゆきました。

私は霊的に見た場合、この一連の共通した流れの中に旧約聖書的なものを感じざるを

得ません。民族を重んじ、その闘争ともいえる歴史です。

マルクス唯物論は表面上は無神論ですが、キリスト教の側からユダヤ人への2千年に渡る

適視と疎外の中で生まれたいわばサドカイ的ユダヤ主義と見ることもできないでしょうか。

それはパリサイ主義的という違いはあっても、有神論のイスラム世界も共有しています。

このような敵意と憎しみに対してどう答えてゆくべきでしょうか。

ノルウェイのテロリストは、キリスト教原理主義者としてふるまったのだという説もありました。

これはたぶんコーランを絶対化するイスラム教徒に対して、聖書を絶対化するキリスト教徒として

暴力を用いたという解説なのでしょう。しかし、武力を用いたホロコースト(聖絶とも訳されます)

は旧約聖書にありますが新約聖書にはありません。

旧約時代、ひとつの犯罪を放置すれば、それが民全体に蔓延してゆくので、それを防止するために

十戒に基づいて、違反者が石で殺されなければ(kill)なりませんでした。殺害(murder)は罪でしたが

刑の執行(死刑)あるいは異教徒との戦いは許されました。

さて今日私たちは新約の時代に生かされています。果たして旧約と同じ倫理観がゆるされるのでしょうか。

これこそがテロリストの問題であり、かつてのナチスそして日本の民族主義者が直面した問題

であったと思います。つまり、両者とも依然として同じ旧約のレベルと次元にあるということです。

旧約時代とは、聖なる創造主が直接私たちに触れることがおできにならなかったので、天使(諸霊)を通して

この世に介入された世界です。天使は目に見える被造物を創造するお手伝いをすること、体に触れることは

許されましたが私たちの霊に触れ内住することはできませんでした。権力者の背後で政策に関与する権威

は与えられましたが、永遠のいのちは創造主の霊のよってのみもたらされるものでした。

旧約時代の人々の霊は、中間地帯のようなヨミにおかれました。聖霊と共にある霊のみパラダイスに入れられるのです。

さらに十字架上で流された神の血は、罪を清め取り除く力があります。旧約時代は、罪と人を切り離すものはありません

でしたので、罪を犯す者は除去されなければなりませんでした。しかし今日、いかなる罪でも主の血潮できよめられる

のです。旧約時代神々と呼ばれたのは天使やその類の被造霊です。

日本にも古来、汎神論の思想があって、すべてに神々が宿るとも信じられてきましたが、それらは創造主ではなく代理者

としての天使的存在であります。

ユダヤ教やイスラム教は旧約を土台にしておりますので、いまだに聖戦を是認します。新約聖書では、私たちが戦う相手は

人間ではなく、堕落天使サタンであり、己自身の罪性であり、被造物依存であると教えられています。

なぜ人々はヒトラーに酔いしれ、熱狂したのでしょうか。それは真に愛すべきお方を見失い、心に空洞をかかえた結果であった

とカールバルトは嘆きました。今日世界が直面しようとしている問題は、表面的な事件だけでなく、もっと根が深いものでは

ないでしょうか。ヨーロッパの同胞たちも、かつてアジアからもたらされたもの、ナザレびとイエスによって与えられたいのちの

根源にもう一度立ち返り、そのいのちのまし水を十分に呑み、それをまだ永遠の恵みを知らずにいるイスラムやユダヤの人々

そしてアジアの同胞にとどけてほしいと願います。

 

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人のDNAで生きるのか神のDNAで生きるのか

2011-07-21 22:18:59 | 福音

アダムは神の形に創造されましたが、罪を犯してその霊的いのちを失いました。

以来、人間のDNAは神に起源をもつのでなく、アダムにルーツをもつことになりました。

人間のDNAへの依存と祖先崇拝では救われない理由ごがここにあります。

 

愛する兄ラザロの病が悪化して、マルタとマリヤは主に助けを求めましたが、主は遂に現われず、ラザロは帰らぬ人

になりました。主が着いたのは4日も経ってからです。死体は死臭を発し、そこには悲憤と絶望のみが残されました。

死は勝ち誇った絶対者のように君臨し、すべてが手遅れのように見えました。

しかし、永遠者の前には、死は絶対的なものではありませんでした。聖霊によって誕生し、神のDNAとその創造力に生きる者には

破壊されたラザロの肉体の再創造はむずかしいことではなかったのです。

かつて「光あれ」と万物のエネルギーを呼び出された同じ声が、「ラザロよ起きなさい」と暗黒の中に響きました。

一瞬、創造の力が解き放たれ、死はいのちに伏し、腐敗菌は活動細胞によって飲み込まれました。

神のDNAは計り知れない力を帯びております。

創造主なる御子はそのいのちを与えんとして人になられ、聖霊を宿し、その御霊を私たちにも与えて下さる

ために聖なる血を注いでくださりました。その十字架の贖いにお頼りした瞬間に、聖霊は私たちにも宿ってくださり

私たちも神のDNAに生きる者と新生(神生)します。

 

アダム以来の先祖のDNAに依存する限り、わたしたちはサタンの支配下で苦しめられ、やがて死の力の前に屈しなければ

なりません。御子の血と内住の聖霊に一瞬一瞬、御頼りし、依存してゆくならば神のDNAといのちが私たちの中で働きます。

生まれつきのDNAが弱く乏しいとしても、新たな神のDNAはその乏しさを補って余りあります。

否むしろ、自己の弱さと生活の圧迫、ストレスの中にこそ、その超越的な御力が現われます。

主ご自身も、苦しみと困難の中で、より親密に聖霊様に信頼し、依存してゆくことを学ばれました。

そのようにして、主は天使さえも従わせ、サタンと死を相対化する圧倒的ないのちの源になられました。

復活して今も活動されておられる主は、絶望の淵をさまよう人々、大災害によって心も体も打ちのめされてマリヤや

マルタのように涙している方々に「御手をさしのべて、神のいのちを受けなさい。そしてその計り知れない力に依存しなさい。」

と語りかけておられます。

 

 

 

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自然と創造主

2011-07-20 21:21:37 | 神学と科学

「被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。」(ローマ書8の21)

「私たちは神からの者であり、全世界は悪い者の支配下にあることを知っています。」(ヨハネ第一の手紙5の17)

これらの聖句は、造られた世界全体が、創造主から切り離されて、サタンのもとで苦しんでいることを証言しています。

ということは、死に定められた現在の自然界は本来のあり方でなく、失われた状態だと言うことです。

人間も自然と同じ運命にある訳です。

自然崇拝とか人間崇拝は、失われつつある被造物を絶対化することであり、そのこと自体が死を絶対化することになります。

つまり偶像礼拝は、死の力をもつサタンを崇めることに通じるわけです。

人間の絶対性を説く自然主義宗教や哲学が、サタン的になってゆくのはそういう理由からではないでしょうか。

創造主だけが絶対であり、被造物は相対的な存在であるにもかかわらず、いつしか造られた者が主人公になってしまう。

 

幕末とは、絶対君主としての藩主と封建制度からの自由と解放を目指した時代でしたが、維新の後、間もなく別の形の

天皇絶対主義に陥ることになりました。

それは単に政治形態だけでなく、自然を拝んだり、祖霊を崇めるというより一般的で根の深い問題があったと思います。

明治の教育改革は欧米の自由教育を模倣する形で始められましたが、聖霊による内面の改革に根差した自由でなく

表面的なものでしたので、自由放任主義を招き、著しい学力の低下をみたといわれます。

その反動として明治13年(1880年)、改正教育令が公布され、修身が諸学科の首位に置かれました。

ドナルド・キーン氏は「明治天皇上巻」(角地幸男訳・新潮社)の第32章「教育勅語」前夜(509ページ)で「この時期から

明治天皇の見解は目立って保守的になった。天皇は、日本が採るべき進路に関してグランド将軍の助言を熱心に聞いた。

しかし元田の影響力は、それよりも遥かに強かった。それは天皇が、繰り返し教育における儒教の徳目の重要性を力説した

ことにも顕著に表れている。・・・・明治天皇の治世における教育方針は国際主義から儒教の正統へと方向転換をした。・・」

さらに翌明治14年の政変を機に政府は民衆からうまれる憲法(英国方式)よりも天皇によって与えられる憲法(プロシア方式)

を重要視するようになりました。

ここに一種の霊的地殻変動が起こっていたともいえるでしょう。

グリフィスが指摘したアングロサクソン宣教師党からプロシア神道党への移行と言ってよいでしょうか。

こうして被造物の絶対化というプロセスが徐々に進められて行きました。

創造主なる絶対者を相対化するところでは、いつでも被造物が神格化され教祖や独裁者が登場するという歴史の定石通りの

ことが起こりました。

このようなサタンの呪縛から解放されるためには、もう一度、創造主に立ち返り、そのもとに自らが相対的被造者であることを

みとめることではないでしょうか。

相対的であるとは、絶対者に結ばれ依存して生きるということです。

創造主の永遠のいのちを受けつつ生きるということでもあります。そのいのちは人になられた神の十字架による罪の赦し

と血潮による聖霊の注ぎにあります。

天使も堕落天使サタンンも被造物です。創造主のいのちは、はるかに偉大です。

創造主のいのちは、天使やサタンのレベルを凌駕し、死を越えた次元の永遠のいのちであります。

全被造物もそのいのちに入りたいと切望しているのだと聖霊は聖書をとおして語られます。

その永遠の視点から、人間と自然の真の姿を知ることができるのではないでしょうか。

その時、死を克服する復活の希望の世界が見えてきます。

 

創造主ご自身が、失われたこの世界に入ってこられ、ご自身のいのちを与えてくださって

永遠のファミリーに迎え入れてくださったのです。

人のDNAではなく、神のDNAです。驚くべき質的転換です。

水がぶどう酒に変えられた時、人々は主の奇跡に驚きました。

しかし主はご自身の流される神の血によって、滅ぶべき人のいのち(プシュケ―)が

やがて、永遠の神のいのち(ゾーエー)に新生することをご存じでした。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。

それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを

持つためである。」(ヨハネ福音書3章16節)

 

 

 

 

 

 

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神を内側から知る

2011-07-16 21:56:44 | 福音

広島テレビのテレビ派の製作者から仙太郎について尋ねられました。

「そうですね、坂本龍馬や吉田松陰は、黒船を外側から観察しましたが、仙太郎はその中にいた訳です。

そのように、彼は内側からアメリカを知った初めての日本人といえるのでは」と思わず答えました。

栄力丸仲間だったジョセフヒコや先輩格の漂流民ジョン・万次郎が知名度ははるかに高いのですが

前者はカトリックであり、後者はユニテリアンの影響を受けたといわれています。

そういう意味で、プロテスタント・アメリカの聖書信仰(バプテスト)を受け継いだ仙太郎はアメリカンマインドに触れた

最初の人物といえるのではないでしょうか。

私はキリスト教信仰の真髄は、神を内側から知ることだと思っています。

聖霊なる神が私たちの霊に住まわれることによって、神と共に考え共に活動することが可能になるからです。

アタナシオスは「私たちが聖霊を受け取るために、み言葉は身体のかたちをとられた。人間が霊をもつ者となるために、神は

身体をもつ方となられた。」と語りました。(Der Geist des Lebens J.Moltmann「いのちの御霊」蓮見・沖野訳・新教出版)

人間を認識するには、動物を越えた人間のいのちを生きることが必要条件であるように、創造主を知るには創造の霊によって

神ご自身の永遠のいのちを生きることによって可能になります。

また世界と人間の存在の意味も、時空を超えた霊によって知ることができます。

自己と言う被造物に依存する限り、認識の範囲は限られたレベルに終わりますが、創造主なる霊に依存すすならば永遠の次元が明らかにされ

てきます。

私たちが本当の意味で他者と出会い、隣人として接することができるのも、神と共に愛することによるのではないでしょうか。

D・カーネギーの「人を動かす」(山口訳)は日本でもロングセラーを誇っています。

実は原書のタイトルは"How to Win Friends and Influence people"です。

そのなかに「常に相手の立場に自分を置くことができ、相手の立場から物事を考えることができる人は将来を心配する必要はない」という名言が

あります。しかし私にとってこのことは至難の業であり、神の中で考え神と共に歩む時にのみ可能なのではないかと思わせられています。

確かにパウロやエリシャは”霊”によって、遠く離れた他人の心の動きを理解しました。

というより、神ご自身が彼らと共にあって、他者を愛すべき隣人として認識させたのだと思います。

勝海舟はある青年に「心の中に神を持つということは大事なことだ。日本人というのは、有史以来、神というものを持ったことがないか

ら、上の者の命令ばかりで動いている。公儀もそうだ。だから、上の者が能無しばかりになったら、このありさまさ。しかしお前さんは

神と相談しながら一人で歩いている。今までの日本にはいなかった日本人なのかもしれないよ。」と語りました。

お前さんが仙太郎ではないにしても、仙太郎は聖霊なる神を心に住まわせ、神の内側に生きたプロテスタントの一人であったことは確か

です。

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7月14日ペリー来航記念日・広島テレビ・テレビ派(午後4時48分)で仙太郎紹介

2011-07-13 22:55:35 | テレビ番組

ペリー一行が久里浜上陸を許可された1853年7月14日を覚えた記念日に広島テレビは艦隊に同行した唯一の日本人

仙太郎を紹介します。

ちなみに阿部正弘は備後福山藩主です。

(参考資料)

老中首座阿部正弘は、6月6日(同年7月11日)に国書を受け取るぐらいは仕方ないだろうとの結論に至ったため、嘉永6年6月9日(1853年7月14日)にペリー一行の久里浜上陸を許し、下曽根信敦率いる部隊の警備の下、浦賀奉行の戸田氏栄井戸弘道がペリーと会見した。ペリーは彼等に開国を促すフィルモア大統領親書、提督の信任状、覚書などを手渡したが、幕府は将軍が病気であって決定できないとして、返答に1年の猶予を要求したため、ペリーは返事を聞く為、1年後に再来航すると告げた。

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7月14日ペリー来航記念日・広島テレビ・テレビ派(午後4時48分)で仙太郎紹介

2011-07-13 07:35:55 | 黒船絵巻

ペリー一行が久里浜上陸を許可された1853年7月14日を覚えた記念日に広島テレビは艦隊に同行した唯一の日本人

仙太郎を紹介します。

ちなみに阿部正弘は備後福山藩主です。

(参考資料)

老中首座阿部正弘は、6月6日(同年7月11日)に国書を受け取るぐらいは仕方ないだろうとの結論に至ったため、嘉永6年6月9日(1853年7月14日)にペリー一行の久里浜上陸を許し、下曽根信敦率いる部隊の警備の下、浦賀奉行の戸田氏栄井戸弘道がペリーと会見した。ペリーは彼等に開国を促すフィルモア大統領親書、提督の信任状、覚書などを手渡したが、幕府は将軍が病気であって決定できないとして、返答に1年の猶予を要求したため、ペリーは返事を聞く為、1年後に再来航すると告げた。

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南北朝問題

2011-07-10 22:51:10 | 歴史

「天皇の暗号」(大野芳著・学研)は南北朝問題の視点からフルベッキ写真の解明を試みているようにも読めます。

立花隆氏の「天皇と東大」と併読すれば、近代日本史の謎の部分が少し明らかにされるのではないでしょうか。

坂本龍馬が南朝の滅亡を嘆いた、「エレミヤ哀歌」にも似た「新葉集」を探し求めていたことは、姉への手紙から知られますが

当時の米国の南北戦争だけでなく、我が国の南北朝時代、イスラエル国のソロモンの子レハベアム以来バビロンの捕囚に至るまでの

南北分裂とそれ以降のエルサレムとサマリアの宗教的文化的対立に見られるように不思議な共通点を覚えます。

新約時代においてさえ、エルサレム中心に描かれたルカ福音書においての復活の主の現われはエルサレムと近郊であるのに対して

マタイ福音書は北方のガリラヤでの顕現を強調します。

旧約聖書は、北イスラエルで編纂された資料と南ユダ王朝による資料からなっているとする仮説さえあるほどです。

大野氏は、日本においても、南朝中心にまとめられた水戸藩の「大日本史」に対して北朝側の編纂書があり、やがて南北正閏論争に

発展したと指摘されます。山本七平氏の言われた「前期天皇制」と「後期天皇制」の確執、あるいは「天皇主権説」と「天皇機関説」

の抗争と言ったらよいでしょうか。

原敬の日記には、国会あるいは教科書問題をめぐる両者の攻防が記されているのですが、果たしてこの問題が決着したかどうかは

疑問に思われます。事を荒立てないための「あいまいな妥協」というべきでしょうか。

しかし思想上、非常に重大な課題が背景にあると思います。日本民族を神聖視してなされた第二次大戦は、ちょうどゲルマン民族を特別視

したナチスと相通じるものがあり、それはかつてグリフィスの「近代日本政治の展開を政党の動きから見ているとそこには二つの思想系統

がある。ひとつは宣教師党、ないしアングロ・サクソン党であり、もうひとつは神道党、ないしプロシア党である。・・・・」(ミカド:亀井訳・280ページ)

という言葉を想起させるからです。

エルサレム説とガリラヤ説の折衷を思わせるのはヨハネ福音書です。大野氏は南朝の末裔としての大室寅之祐に言及することによって

両説の決着の可能性を暗示しているようにも思えます。

ヨハネ福音書は神の受肉について述べます。それは神のいのち(ゾーエーと表現される永遠の生命)がいかにして人間にもたらされたかという

神学的史実を語ります。聖書に「いのちは血にある」と書かれています。神が霊にとどまる限り、人間との結合点はありません。創造主が肉をまとい

その中に神の血潮をもたれました。その血が十字架上で流されたのであります。それは血潮とともに神のいのちが世に注がれたことを意味します。

ですから、神と人を隔てていた神殿の至聖所への幕がその瞬間に真っ二つに裂かれました。

「血を流すことなしに罪の赦しはありえない」とも聖書は約束します。十字架の血潮は、私たちの罪を赦しあらい清める力をもっています。

神の血潮と共に、神の聖なる霊が私たちに注がれ永住されます。こうして神はご自身のいのちを私たちに与えられるのです。

なぜ、神が人になられ、十字架につけられなければならなかったか、ヨハネ福音書は明快に証言しています。

維新は南朝の再建による王政復古という側面を持っていたことは事実でありましょう。その錦の御旗のもとに封建国家の重圧から脱却したのでありま

した。しかし志士達と関わった宣教師たちが伝えたことは、罪と死から、それらを駆使するサタンからの根本的永遠的解放を告げるものでした。

それは単に政治的あるいは民族的誇りをはるかに超えた創造主のいのちと永遠の相続権を保証するものでした。

そのスピリットこそが世界を驚かせる発展の原動力になったのです。

私たちはどこで道を誤ったのかを反省して、この原点に立ち返り、偉大な神の奇跡の業をみさせていただきましょう。

 

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勝利者仙太郎

2011-07-02 22:22:48 | ゴスペル

コックや子守をしながらしもべとしての生涯を終えた仙太郎であったが、パカー師はその信仰ゆえに,決して同情を買うような安っぽい人生ではなかっ

たと断言されます。

ヨハネ第一の手紙5章5節には「世に勝つ者とは誰でしょう。イエスを神の子と信じる者ではありませんか。」とあります。

世とは世を支配するサタンのことも意味します。サタンは、私たちの思いを被造物で満たし、世への思いで虜にします。信仰とはその思いを突き抜け

て創造主に向け、永遠の思いとそのいのちへ飛躍させるものです。つまり、神の子として、復活して今も生きておられる主に出会い、交わることは、私

たちの側にも聖霊による神のいのちが与えられ、そのレベルに生かされているということです。天使レベルの聖所から、創造主の臨在される至聖所へ

引き上げられたということです。

換言すれば、被造物である天使や堕落天使サタンをはるかに超えた神ご自身のふところに生かされているのであります。すなわち、人類と全被造物

の敵であるサタンに勝利しているのです。

それはこの世の栄誉をはるかに凌ぐ、神の子としての身分を与えられたという意味でも圧倒的勝利者(ローマ8章)であります。

仙太郎とも教友として交流があったグリフィスは「ミカドThe Mikado:Institution and Person 1915:日本語訳亀井俊介・岩波文庫」の62ページ

「島国人と彼らの中心的制度たるミカド主義はさらに変貌してゆくが、その間に仏陀の信仰が文学と精神の両面に宝を生み出し、シナ語の研究をおし

進め、さらに儒教と言う宝庫の門を開いた。儒教は初め単なる倫理体系であったが、もう哲学にまで成長していた。日本の仏教とは、結局、一千年間

につもりつもったさまざまな影響の総合的な呼び名に他ならない。そしてそれはこの国のもっとも偉大な、もっとも徹底した教化者であり、日本人の

祖先崇拝の生みの親とさえなった。この祖先崇拝は、上から押し付けられた氏族中心の祭礼とは異なり、島国本来の思想と習慣とをシナの方式に

ぴったりとはいえなくとも非常に近づけたものである。さらにボンズ(坊主)はミカドを説得し。「スメラギ」という古い呼称をやめて、シナの方法に従い

「テンノー」(天の王)とか「テンシ」(天の子)とかいう称号を用いるようにさせた。今日、何世紀間に渡って発達してきた修辞法のおかげで、ミカドは

ヨーロッパ流の「陛下」(マジェステイ)に当たる言葉の他に、シナ語の称号を非常にたくさん持っている。・・・」と洞察しています。

 私はキーワードは「祖先崇拝」であると思います。江戸幕府の宗教的バックボーンは、檀家制度や寺請制度によるキリシタンへの厳しい弾圧でした。

廃仏毀釈を歌った明治政権は、宗教的には神道政策をおし進めました。前者は死者を仏として拝み、後者も偉人や戦死者を神々として祀り拝みまし

た。今日でも、「御霊に祈る」という場合、創造者でなく、死者の霊に祈るということを意味します。祖先は敬うべきですが、崇めるべきは創造主でありま

す。

 仙太郎が悩まされ対峙しなければならなかったのはまさにそのような霊的状況でありました。

しかし彼は御子による十字架の罪の赦しに頼り、聖霊を迎えることによって被造霊の次元から脱却し、創造主との永遠の交わりの次元へと解放され

ました。大江健三郎氏は日本社会の根本問題は「あいまいさ」に起因していると述べています。

仙太郎はしもべでありましたが、すくなくともそのような霊的混沌(カオス)を克服していました。その意味で永遠の相のもとに見るならば、彼も真の勝

利者の一人であることは間違いありません。

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