http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/960691
安保清康(林謙三)は尾道市向島町出身、長崎の何門下で前島密と共にフルベッキ師にも
学び、後にアーネスト・サトウの日本語教師も勤めました。(「図説アーネスト・サトウ:幕末維新の
イギリス外交官」横浜開港資料館編・有隣堂53ページ)
本書には西郷隆盛との交流、親友坂本龍馬が暗殺された後の現場の生々しい目撃証言が
記されています。
日本は、開国と同時にいかにして列強の植民地化をまぬがれるかという難題に直面しました。
やがて大学南校(東大の前身)教頭になったフルベッキ(英語読みでヴァーベック)は助言を
求めて来訪した数人の閣僚に次のように返答しました。(グリフィス著「ミカド」亀井訳178ページ)
「みなさん、あなた方の意見は、あらゆる文明国のもっともすぐれた人の意見と一致するものです。
しかし、平和は哲学者の夢であり、キリスト教徒の希望でありますが、戦争は人類の現実の歴史
です。ヨーロッパ諸国がアジアにどんな態度をとっているかを考えますと、私はみなさんに海岸を
固めなさいといわなければなりません。イギリスがインドで何をしたか、フランスがアンナンやトンキン
で何をしたか、ご存知にはずです。フランスを屈伏させたドイツも、まもなくこの地方に触手を伸ばして
くるでしょう。台湾をとるかもしれません。ロシアは何世紀も東へ東へと進み、すでにサガレンの半分を
占領しようとしました。危険がお分かりでしょう。この危険は本当なのです。さて、みなさん、私の助言は
海岸を固めるとともに国家的な軍隊をつくりなさいということです。若者を訓練し、教育しなさい。
そしてすべての人に昇進の道を開きなさい。・・・」
グリフィスは「平和を愛するけれども賢明なこの宣教師が提案した計画はそっくり取り入れられて、
国軍創設の手続きが実行に移された。」と述べています。
この思想は安保氏をはじめ、新政権のリーダーによって体現された訳です。
しかしそれは、あくまで自国の独立を守ることが目的でありました。
けれども、日清日露戦争で勝ち誇った日本は政治のモデルをアングロサクソンからプロシアに求めるようになり
自らがアジアの植民地化をおし進めるようになりました。
維新のリーダー達の原点に立ち返るためにも、安保清康の自叙伝から学ぶところは大きいと思います。
できれば現代語訳にしていただきたいものです。