(エペソ書 4章1-16)
先週は旧約聖書のギデオンの名にちなんだギデオン協会を覚えて礼拝をもちました。
士師記7-8章を見ますと10万以上の敵軍に対して味方は3万2千人でしたが、1万人に減らされそれでも多すぎると言われて僅か3百人で戦うことになります。人間的に考えると、ただでさえ足りないのに、絶望的な数まで削られたのです。
なぜでしょうか。イスラエルの戦いは人間の戦いではなく、敵サタンと神ご自身の戦いであり、神が戦うために人間の力に依存せず、少数者でも自分の中の偶像を捨て、本当に神に頼りきった人々、神が働きやすく戦いやすいように自分を明け渡すところで神は勝利をとられます。
今日は新年度の総会を前に、神が働いてくださる教会であることを願わずにおれません。
まず、私たち個人に対する神の三つの働きをみます。第一の主の働きは前半でパウロが述べたように、永遠の霊の救いの業です。主が天から地に下られたのは、十字架上で血による贖いを成し遂げ、罪を清めて聖霊を住まわせてくださるのです。新生(神生)です。第二に心に満ちてくださる聖化の業です。2節、「謙遜と柔和」「へりくだり」と共に起こる恵みです。主ご自身が世のおられた時「私は柔和でへりくだった者であり、私を倣いなさい」といわれました。パウロは「主の囚人」として、自分が主人公となってあれこれを為すのではなく、主にゆだね明け渡すことを勧めています。そこに三つ目、すなわち舌と言葉が解放されて神ご自身が聖霊によって働かれる業が起こります。主の血が霊と心と体を清めてくださると、聖霊が川のように流れだすのです。
次に教会における神の三つの働きを見ます。
主を信じる者は聖霊によって直接神とつながれます。そして「聖徒」と呼ばれます。罪や欠点があっても主の血によって清くされているので神の子であり「聖徒」なのです。
旧約時代は神の働きは天使の介在し、祭司、預言者、王という三聖職者によってなされました。
ケルビムやセラヒムは礼拝の天使でレビ族に関わりました。ガブリエルはメッセージを運ぶ天使でダニエルなどを助けました。天使ミカエルはイスラエルのために戦う天使で、ユダ族と接触しました。
神と交わり祭司としてとりなす働き、人々に神の言葉を届ける預言者としての働き、敵と戦いおさめる王としての働きが天使と共になされました。しかし、それは間接的なものであり、永遠的霊魂の祝福にまで至りませんでした。天使は人間に内住できないし神ではありません。羊の血は外的な面を清めることはできても霊魂までは清めることはできませんでした。
神の御子の血潮だけが、私たちの根源的な罪を取り除く力があるのです。そして信仰と共にその効力が発揮され、清められ、聖霊なる神が心の深み、霊の中に住んでくださるのです。
このようにして、神は主の体である私たち教会の中で、祭司、預言者、王として直接三つの業をされます。
第一に神に対する祭司の働き、祈れないときでも御霊は「アバ父よ、御子イエスよ!」と永遠の交わりを絶やさず、とりなしの祈りをささげられます。第二に人に対する預言者としての業、どのように語りふるまうべきか悩むときにも愛と知恵をもって私たちと共に語り行動してしてくださいます。
第三に王として、敵であるサタンに立ち向かってくださいます。敵が私たちの罪や過ちをもって訴える時、御子の十字架と血潮を示して、訴えを却下し追い出してくださるのです。ハレルヤ!